お散歩ナビゲーター小島信康です。
今回は只今開催中の東京お散歩教室「第186回 王子周辺ぐるっと散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。
出発は王子駅北口から。
まずは、洋紙発祥の地碑へ。
洋紙発祥の地碑は、北区王子1丁目に立つ記念碑。
日本の洋紙生産は、明治6年(1873)にヨーロッパの先進文明を視察して帰国した渋沢栄一(1840~1931)が「抄紙会社」を設立し、王子に製紙工場を造ったことから始まりました。
田園の中、煙を吐く煉瓦造の工場は、当時の錦絵にも描かれ、東京の新名所となり、日本の製紙業に大きな役割を果たしましたが、昭和20年(1945)、戦災によりその歴史を閉じました。
この碑は、工場創立80周年を記念し、昭和28年(1953)に、王子製紙の跡地に建てられたものです。
洋紙発祥の地碑の次は、お札と切手の博物館へ。
お札と切手の博物館は、北区王子1丁目、独立行政法人国立印刷局内にある、お札と切手関係の専門博物館。
印刷局創立100年を記念して、昭和46年(1971)に新宿区市谷に開設。
平成23年(2011)に北区王子に移転しました。
展示室は1階と2階に分かれており、1階展示室は、新しい日本銀行券の紹介コーナーや偽造防止技術の歴史についての展示、1億円の重さ体験コーナーなどがあり、2階展示室は、歴代の日本のお札や切手を展示し、社会背景の変化や技術の進歩によるデザインの移り変わりを見ることができるほか、世界のお札や切手も多数展示されています。
また、国立印刷局では、旅券(パスポート)・官報・諸証券も製造しており、これらを紹介するコーナーもあります。
お札と切手の博物館の次は、あすかパークレールへ。
あすかパークレールは、平成21年(2009)7月より運行を開始した、無料で乗車できる「飛鳥山公園モノレール」の愛称。
公園入り口駅から山頂駅までの高低差17.4m、レール延長48mを2分で結んでいます。
運転は無人で、年末年始、整備点検日等を除いて年中無休。
運行時間は午前10時から午後4時まで。
利用者はエレベーターと同じ要領でボタンを押し、モノレール「アスカルゴ」の昇降操作を行います。
定員はイス席6人、立ち席10人の16人乗り。
車両内は冷暖房完備で、車イス・ベビーカーでの利用も可能です。
あすかパークレールの次は、飛鳥山公園へ。
飛鳥山公園は、北区にある区立公園。
8代将軍·徳川吉宗が享保の改革の一環として、花見の行楽地として整備・造成を行ったことが始まりで、明治6年(1873)、太政官布達により、上野公園・芝公園・浅草公園・深川公園と共に日本最初の公園に指定。
主な施設として、「北区飛鳥山博物館」・「紙の博物館」・「渋沢史料館」などがあります。
また、園内に残る渋沢栄一の旧邸(晩香廬・青淵文庫)は国の重要文化財に指定されています。
飛鳥山公園を散策しながら、続いて渋沢史料館へ。
渋沢史料館は、北区西ケ原2丁目、飛鳥山公園内にある博物館。
渋沢栄一の活動を広く紹介する博物館として、昭和57年(1982)に開館。
かつて栄一が住んでいた旧渋沢邸跡に建ち、公益財団法人渋沢栄一記念財団が運営を行い、栄一の生涯と事績に関する資料を収蔵・展示しています。
また、関連イベントなども随時開催しています。
史料館を見学後、旧渋沢庭園へ。
旧渋沢庭園は、飛鳥山公園の一角にある、曖依村荘と名付けられた渋沢栄一の旧宅跡。
はじめ渋沢栄一が王子製紙の工場を訪問した際、王子権現(王子神社)付近を散策したところ、眺望が良かったことから西ケ原の地を気に入り、明治12年(1879)に別荘地とし、明治34年(1901)に庭園を含めた敷地面積8,470坪(約28,000㎡)の本邸が完成。
その後、栄一の長寿の祝いの都度、建物が設けられ、明治42年(1909)5月に古稀(70歳)祝いとして平壌から愛蓮堂が移築され、大正6年(1917)に喜寿(77歳)祝いとして晩香廬、大正14年(1925)に傘寿(80歳)祝いとして青淵文庫が贈られました。
子爵·渋沢栄一は昭和6年(1931)に亡くなりますが、栄一の長男·篤二が病弱であったため、篤二の長男で、栄一の嫡孫である敬三が2代当主として家督と子爵位を継承。
栄一から遺言を預かった渋沢子爵家当主·敬三によって邸宅内の土地と建造物は財団法人竜門社(後の公益財団法人渋沢栄一記念財団)に寄贈され、昭和8年(1933)から一般公開を開始。
昭和20年(1945)には、内閣総理大臣官舎第二別館となりましたが、同年の空襲により日本館と西洋館からなる本館など主要な建物は焼失。
そして、時代が下ると敷地の分割が進みましたが、晩香廬と青淵文庫の周辺は庭園の姿が維持され、平成4年(1992)からは北区が管理。
現在は旧渋沢庭園として一般公開されています。
旧渋沢庭園では、まず晩香廬を見学。
晩香廬は、渋沢栄一の77歳の喜寿を祝い、合資会社清水組(現在の清水建設)の清水満之助が長年の厚誼を謝して、大正6年(1917)に贈った小亭。
建物は応接部分と厨房、化粧室部分をエントランスで繋いだ構成で、構造材には栗の木が用いられています。
また、外壁は隅部に茶褐色のタイルがコーナー・ストーン状に張られ、壁は淡いクリーム色の西京壁で落ち着いた渋い表現となっています。
さらに、応接室の空間は勾配の付いた舟底状の天井、腰羽目の萩茎の立簾、暖炉左右の淡貝を使った小窓など、建築家·田辺淳吉のきめこまかな意匠の冴えを見ることができます。
なお、晩香廬の名は、バンガローの音に当てはめ、栄一自作の漢詩の一節「菊花晩節香」から採ったといわれます。
そして、栄一はこの場所をレセプションルームとして愛用し、国内外の賓客をもてなしました。
晩香廬の次は、青淵文庫へ。
青淵文庫に入る前に、建物をバックに記念写真。
皆さん、撮影ご協力有難うございました。
青淵文庫は、渋沢栄一(雅号·青淵)の80歳の傘寿と子爵に昇格した祝いを兼ねて、門下生の団体「竜門社」が大正14年(1925)に贈呈した建物。
栄一が収集した「論語」関係の書籍の収蔵と閲覧を目的とした小規模な建築で、設計者は田辺淳吉。
建物の外壁には月出石(伊豆天城産の白色安山岩)を貼り、列柱を持つ中央開口部には、色付けした陶板が用いられています。
さらに、上部の窓には渋沢家の家紋「丸に違い柏」と祝意を表す「寿」、竜門社を示す「竜」をデザインしたステンドグラスがはめ込まれ、色鮮やかな壁面が構成されており、内部には1階に閲覧室、記念品陳列室、2階に書庫があり、床のモザイクや植物紋様をあしらった装飾が随所に見られ、照明器具を含めて華麗な空間が表現されています。
青淵文庫を出た後は、「渋沢×北区 飛鳥山おみやげ館」でおやつ&お土産購入タイム。
各々気になった商品を購入。
私は渋沢百訓饅頭をその場で食べました。
お買い物の後は、飛鳥の小径へ。
飛鳥の小径は、飛鳥山公園の北側、JR線路沿いの小径。
約10種類、1,300株ほどの紫陽花が植えられており、見頃は6月の初旬。
約350mの小径が鮮やかに彩られます。
飛鳥の小径で紫陽花観賞をした後は、王子神社へ。
王子神社は、北区王子本町1丁目に鎮座する東京十社の一社。
旧称は「王子権現」で、「王子」という地名の由来にもなっている神社。
御祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大御神・速玉之男命・事解之男命の五柱で、総称して「王子大神」と呼ばれており、開運招福、運気の回生、厄除け、家内安全、身体健全、交通安全や子供に関する祈願に神徳あらたかです。
創建は不明ですが、平安時代、源義家が奥州征伐の折、当社の社頭で慰霊祈願を行い、甲冑を納めたという故事もあり、その後、元亨2年(1322)、領主·豊島氏が紀州熊野三社より王子大神を迎えて、「若一王子宮」として奉斉。
熊野にならって社殿を再興しました。
それよりこの地は王子という地名になったといわれています。
そして、戦国時代は北条氏が崇敬し、江戸時代に入ると将軍祈願所に定められ、3代将軍·徳川家光が社殿を新造。
儒学者·林羅山に命じて『若一王子縁起』絵巻三巻を作らせ奉納し、その後も社殿の造営・修繕は続き、「王子権現」の名で江戸の名所の一つとなり、明治元年(1868)には准勅祭社に選ばれました。
社殿は戦災焼失後、昭和39年(1964)と昭和57年(1982)の2回の造営を経て再建された権現造の建物。
その他、北区指定無形民俗文化財(民俗芸能)「王子田楽」を奉納する8月の祭礼や、12月の熊手市などの風物詩をはじめ、天然記念物として東京都指定文化財となった大イチョウ、理容業界の神様とされる関神社と毛塚があることでも知られています。
王子神社の次は、狸家へ。
狸家は、北区王子本町1丁目にある和菓子店。
王子といえば、狐を連想しますが、こちらでは狸が最中になって売られています。
狸家の次は、石鍋商店へ。
石鍋商店は、北区岸町1丁目にある明治20年(1887)創業の甘味処。
久寿餅が有名なのですが、時間が遅かったので既に売り切れ。
メンバーさんが代わりに「狐の行列瓦煎餅」をお土産に購入されました。
石鍋商店の次は、王子稲荷神社へ。
王子稲荷神社は、北区岸町1丁目に鎮座する、宇迦之御魂神・宇気母智之神・和久産巣日神を御祭神として祀る、衣食住の祖神で、産業の守護神。
古くは「岸稲荷」と称し、平安時代中期の武将·源頼義が関東稲荷総司として深く信仰していたという社伝が残っています。
そして、豊島氏が領主の時代に地名が王子と改まり、「王子稲荷神社」に改称。
戦国時代は北条氏が尊崇しました。
また、江戸時代には金輪寺が別当として、明治維新まで王子権現(王子神社)と共に管掌し、徳川将軍家の祈願所として大いに栄え、3代将軍·徳川家光が社殿を造営、5代将軍·綱吉と10代将軍·家治が修繕をした後、11代将軍·家斉が文政5年(1822)に社殿を新規再建。
八棟造り極彩色の華麗な社殿が建てられましたが、昭和20年(1945)4月の空襲で本殿は大破。
現在の社殿は、拝殿・幣殿が文政5年(1822)のもので、本殿は昭和35年(1960)に再建されたものです。
また、昭和62年(1987)には、社殿の総塗り替えが165年ぶりに行われ、神楽殿も新規に建て替えられました。
王子稲荷神社の次は、名主の滝公園へ。
名主の滝公園は、北区岸町1丁目に所在する区立公園。
名主の滝は、江戸時代後期に王子村の名主·畑野孫八が屋敷内に滝を開き、茶を栽培し、一般の人々に開放したのが始まりで、名称もそれに由来しています。
明治中頃には、畑野家から貿易商·垣内徳三郎の所有となり、栃木の塩原の景観を模して庭石を入れ、ヤマモミジなどを植栽し、渓流をつくって、庭園として公開。
昭和13年(1938)には、株式会社精養軒に所有が移り、食堂やプールも設けられましたが、戦災で焼失。
その後、昭和35年(1960)に東京都によって再公開され、昭和50年(1975)に北区に移管されました。
園内は、男滝・女滝・独鈷の滝・勇玉の滝の4つの滝からなり、地下水をポンプで汲み上げて水を流しています。
(現在は、男滝のみが10時から16時まで稼働)
名主の滝公園に着いたのが閉園間近だったため、狸最中だけつまんで公園を後にし、北とぴあへ。
北とぴあは、北区王子1丁目に所在する、区の産業の発展と区民の文化水準の高揚を目的として、平成2年(1990)にオープンした複合文化施設。
館内には、ホール・会議室・研修室・音楽スタジオ・トレーニングルーム・消費生活センターといった、様々な施設があり、最上階の17階にある展望ロビーでは、南・東・北の三方が眺められるようになっていて、北区の景色を一望することができます。
こんなふうに、あちこち巡って王子駅でお散歩は終了。
その後、有志のメンバーさんと「くいもの屋 わん 王子店」で懇親会を開いて、解散となりました。
ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。
それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。
東京お散歩教室
http://tokyo-osampo.com