東京散歩道

東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

東京お散歩教室は、首都圏の隠れた名所や穴場観光地、地元の名物などを紹介している、1人参加が中心の少人数制の街歩きの会。身近な街をお散歩して新たな発見とストレス解消をご提供するほか、趣味の仲間作りの場にもなっています。

お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「年末企画 小江戸川越散歩」のご案内です。

 

今年最後のお散歩は、埼玉県きっての観光都市「川越」。

観光客が絶えない川越の寺社や蔵造りの町並みなど、人気スポットを食べ歩きをしながら、半日かけてじっくり歩いてみたいと思います。

 

コースは下記の通りです。
≪本川越駅~中院~仙波東照宮~喜多院~成田山川越別院本行院~川越熊野神社~大正浪漫夢通り~旧山崎家別邸~一番街 蔵造りの町並み~時の鐘~菓子屋横丁~蓮馨寺~小江戸蔵里~本川越駅≫

 

その他、日程・時間・参加費等、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

また、お散歩の後、懇親会も開いていますので、こちらもお楽しみいただけるかと思います。

(参加はご希望者のみ。お酒が飲めない方も多数参加されています)

 

 

東京お散歩教室は、街の見どころをのんびり歩いて巡る、大人の遠足。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「友達作り」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、是非ご検討なさってみてください。

 

何卒よろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第180回 東向島~押上散歩」の初回の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は東向島駅から。

 

まずは、白鬚神社へ。

 

 

白鬚神社は、墨田区東向島3丁目に鎮座する、主祭神に猿田彦大神、他六柱を祀る神社で、隅田川七福神の寿老神です。

由緒は、天暦5年(951)に慈恵大師(比叡山延暦寺中興の祖)が近江国比良山麓に鎮座する白鬚大明神の御分霊をこの地に祀ったのが始まりといい、この辺り(旧寺島村)の氏神としてばかりでなく、商売繁盛、方災除け、厄除けの神として多くの人々の崇敬を集め、今日に至っています。

 

白鬚神社の次は、ブレーキ博物館へ。

 

 

ブレーキ博物館は、墨田区堤通1丁目に所在する、中山ライニング工業株式会社の隅田営業所内にあるブレーキに特化した博物館。

体験型の博物館を目指しており、ブレーキの仕組みや種類、歴史など、ブレーキに関する様々なことが学べます。

また「自動車体験コーナー」「ブレーキ展示コーナー」「匠の技コーナー」「新幹線やオートバイのブレーキ」といった4つのみどころがあります。

 

ブレーキ博物館の次は、子育地蔵堂へ。

 

 

子育地蔵堂は、墨田区東向島3丁目にある地蔵堂。

この御堂に祀られている地蔵菩薩は、文化年間(1804~1818)に行われた隅田川の堤防修築工事の際に土中から発見されたといい、地蔵はある日、この地に古くから住む植木屋·平作に雇われていた夫婦が殺される事件が起きたとき、はじめすぐに犯人はわからなかったのですが、この地蔵が村の子供の口を借りて犯人の名を告げたという出来事があり、そこで平作はこの地に地蔵を安置して供養するようになりました。

その後、天保3年(1832)4月に11代将軍·徳川家斉が鷹狩に来て、平作宅にて休憩した際、この地蔵の由来を聞いて参拝しました。

そして、平作がこのことを記念して御堂を建てて地蔵を安置すると人々がこぞって参詣。

出産・眼病その他諸病の平癒、開運を祈ると霊験が現れたそうで、当時は平作地蔵あるいは塩地蔵、また子育地蔵と様々な名前で呼ばれました。

 

子育地蔵堂の次は、一回目のおやつ・お土産購入タイム。

 

 

まずは、「吉備子屋」のきびだんご。

こちらは、きな粉たっぷりのきびだんご5本入りが350円。

サイズがミニなので、5本入りでもぺろりと食べられます。

 

続いて、吉備子屋のすぐそばにある「志”満ん草餅(じまんくさもち)」へ。

 

 

こちらは草餅が有名な老舗和菓子店。

草餅の他、どら焼きも人気があり、私はどちらも食べましたが、素材にこだわった上品な味が口いっぱいに広がりました。

 

一回目のおやつ・お土産購入タイムの次は、向島百花園へ。

 

 

向島百花園は、墨田区東向島3丁目にある、面積10,885.88㎡の都立庭園。

歴史は、江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830)、骨董商を営んでいた佐原鞠塢が交友のあった江戸の文人墨客の協力を得て、当園を創設。

開園当初は多くの梅が植えられ、その後、詩経や万葉集など中国・日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲く草の庭となりました。

また百花園とは、一説では「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたとされます。

そして、昭和13年(1938)、東京市に寄付され、翌昭和14年(1939)7月8日に有料公開を開始。

昭和20年(1945)の空襲では甚大な被害を受けましたが、昭和24年(1949)に復旧。

その後、昭和53年(1978)10月、文化財保護法により、国の名勝及び史跡の指定を受けました。

園内には、東側に南北に長い池があり、園路沿いにはいくつもの句碑が建てられ、四季の花が植えられています。

中でも萩のトンネルは百花園の見所の一つであり、他にも隅田川七福神の福禄寿尊が祀られています。

 

 

初回は園内を散策し終わった後ところで記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

向島百花園の次は、二回目のお土産購入タイム。

 

 

案内したお店は「いちや」。

こちらは大福とどら焼きが有名な和菓子店。

種類も豊富で、皆さんそれぞれ迷いながら人気の和菓子を購入されていました。

 

いちやでお土産を買ったあとは、高木神社へ。

 

 

高木神社は、墨田区押上2丁目に鎮座する、高皇産靈神を御祭神として祀る神社。

由緒は、応仁2年(1468)の創祀と伝えられており、旧寺島村新田の鎮守として尊崇され、古くは「第六天社」と呼ばれていました。

そして、明治時代初期の神仏分離の制度で『高木神社』と改称。

社名は、御祭神である高皇産靈神の別名が「高木の神」であるからといわれています。

またかつては、境内に大きな臥龍の松があり、曳舟川を上下する舟をはじめ、地域の人々の往来の目印となっていました。

社殿は、昭和42年(1967)1月に鉄筋コンクリート造の改築が成り、昭和43年(1968)11月、鎮座500年の式年大祭が、平成30年(2018)6月には、御鎮座550年記念式年大祭を実施。

令和5年(2023)には御鎮座555年を迎えました。

 

至る所、おむすびだらけの高木神社の次は、飛木稲荷神社へ。

 

 

飛木稲荷神社は、墨田区押上2丁目に鎮座する、宇迦神霊命を御祭神として祀る神社。

由緒は、定かではありませんが、ある暴風雨の時にイチョウの枝が飛んできてこの地に刺さり、いつの間にか高くまっすぐそびえたので、当時の人が吉兆であるとして稲荷神社を祀ったといわれます。

また別の言い伝えによると鎌倉幕府の滅亡後、北条氏の一門が逃れてこの地に転住し、稲荷大明神を奉祀したことに始まるとされています。

言い伝えに残る飛木稲荷の大イチョウは樹齢500〜600年といわれており、区内には江戸時代から残るイチョウは4本しかなく、その中でも最古のものだといわれ、戦災では一部を焼失し、樹勢が衰えた時期もありましたが、再び繁茂して現在も悠久の生命を伝えています。

 

飛木稲荷神社の次は、圓通寺へ。

 

 

圓通寺は、墨田区押上2丁目にある、飛木山普門院という、阿弥陀如来を本尊として安置する天台宗の寺院。

良秀法印を開山として、応仁元年(1467)に創建されたといい、また境内に立つ明暦二年(1656)二月吉日銘の地蔵菩薩立像(区登録文化財)は左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、錫杖の一部に損傷はあるものの、ほぼ原形の姿を保持。

尊像の顔かたちは童顔で、造形的に引き締まっている江戸時代初期の佳作にふさわしく、区内で確認されている近世石仏の最古の例として、非常に貴重なものです。

 

圓通寺の次は、千葉工業大学 東京スカイツリータウン®キャンパスへ。

 

 

途中、展望が素晴らしい押上駅前自転車駐車場屋上広場から東京スカイツリーをチェック。

 

 

千葉工業大学 東京スカイツリータウン®キャンパスは、墨田区押上1丁目、東京スカイツリータウン 東京ソラマチ8階にある、千葉工業大学の研究活動を通じて生まれた最先端の科学技術を応用した体感型アトラクションゾーン。

ブースは2か所に分かれており、AreaⅠは、ロボット技術・人工知能を紹介するゾーン。

AreaⅡは、惑星探査研究の成果を応用した数々のアトラクションの他、小惑星探査機「はやぶさ2」の実物大模型や実物大マクロスF「バルキリー  VF-25F」が展示されています。

 

こんなふうにあちこち巡って、押上駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと「魚民 押上駅前店」で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は11月12日(日)に久しぶりに催行しました貸切散歩の様子を簡単にご紹介します。

 

お客様は学生時代からずっと仲良しの女性グループ7名様。

 

夜の食事会の前に軽くお散歩がしたいということで、岩本町から御茶ノ水まで、界隈の見所を3時間ほどかけてご案内してきました。

 

ということで、出発は岩本町駅から。

 

まずは、繁栄お玉稲荷大明神へ。

 

 

繁栄お玉稲荷大明神は、千代田区岩本町2丁目にある倉稲魂命を御祭神として祀る稲荷神社。

かつてあったお玉が池の畔に勧請され、太田道灌の崇敬をはじめ、足利義政の祈願、伊達政宗の参詣など、人々から崇拝されていましたが、安政2年(1855)の大地震による火災で焼失。

本社は明治4年(1871)に、分社の於玉稲荷神社(葛飾区新小岩)へ遷座されました。

 

繁栄お玉稲荷大明神の次は、柳森神社へ。

 

 

柳森神社は、千代田区神田須田町2丁目にある倉稲魂大神を御祭神として祀る神社。

長禄2年(1458)、太田道灌が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したのがはじまりとされ、万治2年(1659)の神田川掘割の際に、神田川北岸から現在地に移りました。

また江戸時代には、椙森神社、烏森神社と共に江戸三森の一社に数えられ、商売繁盛の神様として多くの信仰を集めましたが、大正12年(1923)の関東大震災で全てを焼失。

その後、復興事業によって、昭和5年(1930)に現在の社殿が再建されました。

境内には、徳川綱吉の生母桂昌院が崇拝していたものを移したとされる「おたぬきさん」と呼ばれる福寿神が祀られています。

これは、「たぬき=他に抜きんでる」という意味からで、立身出世や勝負事、金運向上にご利益があるとされ、土製の親子狸のお守りも人気を集めています。

 

柳森神社の次は、mAAch ecute 神田万世橋へ。

 

 

mAAch ecute 神田万世橋は、千代田区神田須田町1丁目にある旧万世橋駅のホームや階段遺構と一体化した商業施設。

神田川に沿って外堀通りまで続く煉瓦造の万世橋高架橋内に、カフェなどの飲食や物販のショップが入っています。

また旧万世橋駅時代のプラットホームにデッキを設け、フリースペースやカフェとして利用できる「2013プラットホーム」、駅開業時に造られた階段で、ホームから鉄道博物館に直接入館できる特別来館口として利用された「1912階段」、昭和10年(1935)に設置され、駅休止まで万世橋駅の階段として使われた「1935階段」といった再生された遺構が、見どころとして注目を集めています。

 

mAAch ecute 神田万世橋の次は、出世稲荷神社へ。

 

 

出世稲荷神社は、千代田区神田須田町1丁目にある倉稲魂命を御祭神として祀る稲荷神社。

伏見稲荷の分祠、柳森神社の境外摂社として、連雀町創立の頃から町内の鎮守神として祭祀。

一説には、出世した青果商人が、奉賽として建立したともいわれています。

その後、延享年間(1744~1748)に、火災のため柳森神社に合祀。

明治7年(1874)、連雀町に社殿を造営し、遷座しました。

そして、大正12年(1923)5月、今度は社殿改築の議が起こり、再び柳森神社に遷座。

9月に新築竣工となる予定でしたが、関東大震災が発生し、新宮は町内とともに壊滅。

神璽は柳森神社の神璽とともに、神田川いなり河岸に係留されていた「稲荷丸」という船に奉遷して、猛火の中、河口に脱出し、難を逃れました。

現在の社殿は、昭和3年(1928)に遷座・建立されたもので、その後、戦火も免れ、町内に火災・災厄がないことから、火防・商売繁盛・学業成就の神様として崇敬を集めています。

 

出世稲荷神社の次は、近江屋洋菓子店に行って、お土産購入タイム。

 

 

私はサバランとベイクドチーズケーキを買いました。
フランス伝統菓子のサバラン、初めて食べましたが、とても美味しかったです。

 

近江屋洋菓子店の次は、WATERRASへ。

 

 

WATERRASは、千代田区神田淡路町2丁目にある安田不動産が運営する複合施設。

統合で廃校になった旧千代田区立淡路小学校の跡地を中心に整備し、平成25年(2013)4月12日に開業。

敷地は主に、高層ビル「WATERRAS TOWER」と別棟「WATERRAS ANNEX」、「水と緑」をテーマにした庭園で構成され、建物内には、オフィス・商業施設・住居の他、コミュニティ施設や学生マンションもあります。

 

WATERRASの次は、御茶ノ水ソラシティへ。

 

 

御茶ノ水ソラシティは、千代田区神田駿河台4丁目にあるオフィス・教育関連施設・商業施設などからなる複合施設。

大成建設・ヒューリック・安田不動産・大成有楽不動産の4社が出資する特定目的会社が事業主となって旧日立本社ビルの跡地を整備し、お茶の水の新たなランドマークとして、平成25年(2013)4月12日に開業しました。

施設内には、お茶の水界隈のお気に入りスポットを探してオリジナル散歩地図を作成したり、街の歴史を古地図と古写真から振り返ることができる、まち歩きの起点と情報発信の拠点「お茶ナビゲート」や、書籍商の書庫蔵として大正6年(1917)に上棟し、その後「淡路町画廊」を経て、ギャラリーとして移築された「Gallery 蔵」といった見所もあります。

 

御茶ノ水ソラシティの次は、東京復活大聖堂へ。

 

 

東京復活大聖堂は、千代田区神田駿河台4丁目にある日本ハリストス正教会教団の大聖堂。

イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記憶する大聖堂で正式名称は「東京復活大聖堂」、「ニコライ堂」は日本に正教会の教えをもたらしたロシア人宣教師ニコライにちなんだ通称です。

緑青を纏ったドーム屋根が特徴の、日本初にして最大級の本格的なビサンティン様式の教会建物は、明治24年(1891)に完成。

聖堂の原設計はロシア工科大学教授で建築家のミハイル・シチュールポフが、実施設計・監督はジョサイア・コンドルが担当しました。

また建築工事は、長郷泰輔が請負い、清水組(清水建設)が施工をしました。

大正12年(1923)の関東大震災では、煉瓦造の鐘楼が倒壊してドームを破壊、またこのとき発生した火災によって、内部や木造部分の多くを焼損しました。

その後、建築家岡田信一郎の設計により、昭和2年(1927)から昭和4年(1929)にかけて修復工事が施され、外観の一部が変更。

戦時中の空襲被害は免れ、昭和37年(1962)に、国の重要文化財に指定されました。

(堂内も見学しましたが、撮影禁止のため外観のみ掲載)

 

東京復活大聖堂の次は、聖橋に行って、橋上から鉄道ウォッチング。

 

 

聖橋は、千代田区駿河台4丁目と文京区湯島1丁目を結ぶ、本郷通りが通る神田川に架かる橋。

関東大震災後の震災復興橋梁の1つで、昭和2年(1927)に完成した鉄筋コンクリートアーチ橋です。

橋名は東京市が公募し、両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことから「聖橋」と命名。

平成29年(2017)には土木学会選奨土木遺産に選奨されました。

 

聖橋の次は、湯島聖堂へ。

 

 

湯島聖堂は、文京区湯島1丁目にある史跡。

歴史は、5代将軍·徳川綱吉が儒学振興のため、上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣·林羅山の邸内の孔子廟「先聖殿」を元禄3年(1690)にこちらに移し、先聖殿を「大成殿」と改称して孔子廟の規模を拡大・整理したのが始まり。

この後、寛政9年(1797)、第11代将軍·徳川家斉の時代に規模を拡大し、幕府官立の直轄学校「昌平坂学問所」となりました。

明治維新を迎えてからは、新政府の所管となって引き継がれましたが、明治4年(1871)に閉鎖。

以後、聖堂構内には、文部省、国立博物館(現在の東京国立博物館)、東京師範学校(現在の筑波大学)、東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)などが一時置かれ、日本の近代教育発祥の地としての栄誉を担い、大正11年(1922)、国の史跡に指定。

大正12年(1923)の関東大震災では、宝永元年(1704)築造の入徳門と水屋を残し、全てを焼失。

しかし、斯文会が中心となって復興活動に力を注ぎ、昭和10年(1935)、東京帝国大学·伊東忠太教授の設計と大林組の施工のもと、鉄筋コンクリート造の大成殿が再建。

大成殿には、孔子像の他、孔子の高弟たち、四賢像(顔回・曾子・子思・孟子)が祀られています。

また、構内にある孔子の立像は、昭和50年(1975)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたもので、青銅鋳造では世界で一番高い孔子像(高さ4.57m)です。

 

 

湯島聖堂の閉館時間16時(冬期)を迎えたところで見学を終え、仰高門の前で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

この後、再び聖橋を渡って新御茶ノ水駅前で私の務めは終了。

 

皆さんとお別れしました。

 

東京お散歩教室では、お友達グループや小規模な団体様などのお散歩ツアーも承っております。

 

ご興味ある方、いらっしゃいましたら、お気軽にご相談ください。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「第180回 東向島~押上散歩」のご案内です。

 

第180回は、墨田区北西部にある複数の神社、ブレーキに特化したマニアックな博物館、国指定名勝及び史跡の庭園、東京スカイツリータウンで体験できる最先端科学技術などをご紹介。

 

コースは下記の通りです。
≪東向島駅~白鬚神社~ブレーキ博物館~子育地蔵堂~向島百花園~高木神社~飛木稲荷神社~千葉工業大学 東京スカイツリータウン®キャンパス~押上駅≫

 

その他、日程・時間・参加費等、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

また、お散歩の後、懇親会も開いていますので、こちらもお楽しみいただけるかと思います。

(参加はご希望者のみ。お酒が飲めない方も多数参加されています)

 

 

東京お散歩教室は、街の見どころをのんびり歩いて巡る、大人の遠足。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「友達作り」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、是非ご検討なさってみてください。

 

何卒よろしくお願いいたします。

 

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お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「179回 国際展示場~テレコムセンター散歩」の初回の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は国際展示場駅から。

 

まずは、シンボルプロムナード公園へ。

 

 

シンボルプロムナード公園は、港区台場、江東区青海、江東区有明にある都立の海上公園。

公園は3つのエリアで構成されており、臨海副都心エリア内の商業施設等を遊歩道でつないでいます。

また花・緑・水に囲まれた癒しの空間、イベントが開催される賑やかな場所、夕暮れ時からライトアップされる施設など、様々な雰囲気を楽しむことができ、指定エリアではヘブンアーティアストが活動しています。

 

 

途中、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会競技期間用聖火台をチェック。

 

聖火台を見た後は、東京都水の科学館へ。

 

 

東京都水の科学館は、江東区有明3丁目にある、東京都水道局が運営する水に関する科学館。

「水が一体どこで生まれて、どこを流れ、私たちの所まで来ているのか。」という水の不思議と大切さを科学の視点で紹介し、水と水道への興味を深める体感型ミュージアム。

科学館の地下には有明給水所があり、給水所を案内する「アクア・ツアー」もあります。

 

東京都水の科学館の次は、東京都虹の下水道館へ。

 

 

東京都虹の下水道館は、江東区有明2丁目、有明水再生センター内にある、東京都下水道局による下水道をテーマとした体験型の広報施設。

平成8年(1996)に有明下水処理場(現在の有明水再生センター)の見学説明室として開設。

そして、平成24年(2012)12月から休館して実物大施設の設置などの改修を行い、平成25年(2013)4月20日に再オープン。

下水道管や下水処理場の監視室などを実物大で再現した施設を設置し、これらの施設を使って、マンホール内の探索や清掃などといった体験をすることができます。

 

 

東京都虹の下水道館を見学後、建物最上階にある展望室へ行って見晴らしをチェック。

 

虹の下水道館の次は、再びシンボルプロムナード公園へ。

 

 

まずは、園内の「夢の広場」にある「バク」のオブジェを鑑賞。

 

 

そして、TOKYOのオブジェを背景に記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

記念写真の後は、実物大ユニコーンガンダム立像へ。

 

 

実物大ユニコーンガンダム立像は、江東区青海1丁目、ダイバーシティ東京プラザ前のフェスティバル広場に平成29年(2017)9月24日から展示されている新しいガンダム立像。

『機動戦士ガンダムUC』は、『機動戦士ガンダム』から続く宇宙世紀を舞台とした物語の新章。

作家·福井晴敏氏による同名小説を平成22年(2010)から株式会社サンライズが映像化したアニメーション作品で、立像は全高19.7m、重量は49tあります。

また、ユニコーンモードからデストロイモードへの変身もでき、角の開閉、顔のモード変更、肩・腰・膝パーツの展開、サイコフレームの発光などが可能な限り再現されています。

 

 

ちょうど15時の変身タイムに間に合ったので、各々写真を撮ったり、動画を撮ったり…。

 

ガンダムの変身を見た後は、おやつタイム。

 

 

ダイバーシティ東京プラザ内にある北海道のアンテナショップ「北海道うまいもの館」でソフトクリーム他、「THE DAIBA」でお土産を買いました。

 

おやつタイムの後は、船の科学館へ。

 

 

船の科学館は、品川区東八潮にある、公益財団法人日本海事科学振興財団が運営する海事博物館。

竣工・開館は昭和49年(1974)7月20日で、平成23年(2011)9月30日より、リニューアル準備のため本館展示を休止し、南極観測船「宗谷」の展示公開と屋外にある別館展示場での収蔵物展示を中心に博物館として営業。

体験プログラムなど各種イベントを継続実施しています。

 

こちらでは、まず屋外展示場を見学。

 

 

船の科学館の敷地内には、大型の資料を展示物として設置。

大型スクリュープロペラや、海底に沈設した居住実験施設の海底ハウス「歩号一世」、潜水調査船「たんかい」など、大型の展示品を多数設置しています。

 

続いて、船の科学館別館へ。

 

 

船の科学館別館は、現在、展示公開休止中の本館に展示していた資料の一部を展示公開。

「船がはこぶ」「海をまもる」「海の図書ひろば」「にっぽんの海」等の7つのブースにて、調査船、巡視船、イージス艦などの船舶模型や、にっぽんの海のジオラマ模型、各種映像を展示。

また船の科学館出版資料の販売も行っています。

 

船の科学館別館の次は、南極観測船宗谷へ。

 

 

南極観測船宗谷は、昭和13年(1938)耐氷型貨物船として建造され、第二次世界大戦では海軍の特務艦、戦後は引揚船、灯台補給船として活躍した後、昭和31年(1956)11月からは、日本初の南極観測船として昭和37年(1962)4月まで、6次にわたる南極観測で活躍しました。

その後、昭和53年(1978)に退役するまで、海上保安庁の巡視船として活躍。

昭和54年(1979)5月から、船の科学館前に係留・保存展示されています。

 

 

宗谷の甲板から見た東京港。

ちょうど夕暮れ時で綺麗な夕焼けを拝むことができました。

 

宗谷を見学した後は、東京臨海部広報展示室TOKYOミナトリエへ。

 

 

東京臨海部広報展示室TOKYOミナトリエは、江東区青海2丁目の青海フロンティアビル20階にある展示室。

国際貿易港として首都東京のみならず、東日本の経済や生活を支える東京港。

多くの人が働き、暮らし、更に国内外から訪れる臨海副都心など、TOKYOミナトリエは東京臨海部の歴史や現在の姿、そして未来を紹介する施設です。

また、あわせて地上100mから臨海副都心や東京港の眺望も楽しめます。

 

こんなふうにあちこち巡って、テレコムセンター駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんとお台場海浜公園駅まで、ゆりかもめで移動して、「笑笑 お台場海浜公園駅前店」で若鶏のちゃんちゃん焼のお手軽コースを食べて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

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