東京散歩道

東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

東京お散歩教室は、首都圏の隠れた名所や穴場観光地、地元の名物などを紹介している、1人参加が中心の少人数制の街歩きの会。身近な街をお散歩して新たな発見とストレス解消をご提供するほか、趣味の仲間作りの場にもなっています。

お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「リバイバル 築地市場~銀座散歩」のご案内です。

 

こちらは、銀座に点在する神社や裏路地、ギャラリーなどのほか、一部新橋の見どころなども紹介するバラエティに富んだ 街歩き。

 

コースは下記の通りです。
≪築地市場駅~浜離宮前踏切~旧新橋停車場 鉄道歴史展示室~金春通り煉瓦遺構の碑~豊岩稲荷神社~ギンザ・グラフィック・ギャラリー~三輪神社~あづま稲荷大明神~銀座出世地蔵尊~朝日稲荷神社~銀座発祥の地~奥野ビル~幸稲荷神社~宝童稲荷神社~銀座駅≫

 

その他、日程・時間・参加費等、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

東京お散歩教室は、3密に気をつけながら、歩いて街の見どころを巡る、少人数制の街歩きの会。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、初めての方は参加費500円(資料付)で参加できます。

 

皆様、是非ご検討なさってみてください。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第159回 穴守稲荷~糀谷散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は穴守稲荷駅から。

 

まずは、コンちゃんをチェック。

 

 

コンちゃんは、大田区羽田4丁目、穴守稲荷駅前に設置されている狐のマスコット。

平成3年(1991)9月に登場した石像で、穴守稲荷神社が衣装の製作者をホームページ上で募集しています。

 

 

続いて、駅近くにある和菓子店「磯崎家」で、後で食べるためのおやつを買って、穴守稲荷神社へ。

 

 

穴守稲荷神社は、大田区羽田5丁目に鎮座する、豊受姫命を御祭神として祀る神社。

由緒は、文化元年(1804)の羽田沖の干拓事業の折り、海が荒れて干拓地の堤防が決壊し、水田が海水による被害を受けたため、村民が堤防の上に祠を勧請。

稲荷大神を祀ったのが穴守稲荷神社の起源とされ、「穴守」という名の由来は、堤防に開いた穴の害から人々を守るという神徳にちなみます。

また、元々は羽田干拓事業を主導した鈴木家の土地にある、小さな祠であったといいます。

そして、明治10年代、小さな祠だったところに社殿が建てられ、穴守稲荷神社として認可。

明治19年(1886)には「穴守稲荷社」から「穴守稲荷神社」へと改称し、さらに周辺で潮干狩りもできることや温泉が湧いたこともあり、門前には温泉旅館や芸者の置屋ができるなど、賑わいを見せていきました。

この繁栄を見て、京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)は京浜蒲田から穴守稲荷神社に向けて支線を伸ばし、明治35年(1902)には海老取川の手前まで、次いで大正2年(1913)には川を渡って穴守稲荷門前まで路線を延伸。

穴守駅周辺には京浜電鉄経営の羽田球場や遊園地も開業し、界隈はさらに賑わい、昭和6年(1931)には、干拓地北側に羽田飛行場が開業しました。

ところが終戦直後の昭和20年9月21日、羽田飛行場を軍事基地として拡張するため、米軍(GHQ)が48時間以内の強制退去命令を下し、氏子地域であった旧鈴木新田の羽田穴守町、羽田江戸見町、羽田鈴木町の住民ともども移転先を探すことに。

これに対して地元の有志らが現在地に700坪の土地を寄進し、境内の整備が行われ、現在のような姿になりました。

 

穴守稲荷神社の次は、旧穴守稲荷神社 大鳥居へ。

 

 

途中、天空橋から羽田空港などが望める、海老取川の水辺の情景をチェック。

 

 

旧穴守稲荷神社 大鳥居は、大田区羽田空港1丁目に立つ鳥居。

戦後、GHQが羽田飛行場を軍事基地として拡張するため、穴守稲荷神社の社殿や他の鳥居は取り壊されましたが、門前の赤鳥居だけは撤去されず(※)、そのまま空港の駐車場に残っていたもので、1990年代に入り、羽田空港の沖合展開事業にあたり、新B滑走路整備の障害になるため撤去計画が出ましたが、地域住民からシンボルとして残したいとの要望等があり、平成11年(1999)2月に現在地に移設されることとなりました。
 

※この大鳥居は、とても頑丈なつくりで、ロープで引きずり倒そうとしたところ、逆にロープが切れ、作業員が怪我をしたため、いったん中止に。

工事再開時には工事責任者が病死するというような変事が何度か続いたため、「穴守さまのたたり」という噂が流れ、稲荷信仰などあるはずもないGHQも、何回やっても撤去できないため、そのまま残すことになったといわれています。

 

 

大鳥居の周りには、人懐っこい猫が数匹いて、しばらくの間ふれあいタイム。

 

旧穴守稲荷神社 大鳥居の次は、五十間鼻無縁仏堂へ。

 

 

五十間鼻無縁仏堂は、大田区羽田6丁目にある仏堂。

多摩川において水難で亡くなった人々の霊を慰めるためのものであり、特に関東大震災や東京大空襲の折には、火災に追われて川に飛び込み亡くなった無数の遺体がこの地にも流れ着いたといいます。

いつ頃からこの様な慰霊施設が存在していたのかは定かではありませんが、戦後、河口近くの川の中に1本の角塔婆が立っていたのを羽田地区の漁業組合長が管理し、昭和53年(1978)、護岸工事に伴い現在地に移転。

その後、荒廃していたものを地元有志の浄財により復興したもので、現在のブロック塀・桟橋・角塔婆などは平成16年(2004)に修理・増設されました。

 

五十間鼻無縁仏堂の次は、玉川弁財天へ。

 

 

途中、多摩川河口付近の水辺の景色を見ながら、ぶらぶら。

 

 

玉川弁財天は、大田区羽田6丁目に鎮座する、羽田七福いなりの一社。

宗教法人としては水神社が登録されていますが、玉川弁財天の方が著名で知られています。

創建年代は不詳ですが、古くより弁天社として祀られ、弘法大師が護摩の灰を固めて自ら制作したご神体があり、歴史があります。

また、元々は別当寺であった龍王院(羽田2丁目)に「上の宮」があって、「下の宮」は要島(羽田空港の地)にありましたが、昭和20年(1945)9月のGHQの強制退去命令により、下の宮は水神社があった当地に移され、現在に至るといいます。

 

玉川弁財天の次は、羽田の渡し跡へ。

 

 

途中、再び多摩川の水辺の光景をチェック。

 

 

羽田の渡し跡は、大田区羽田2丁目にある記念碑。

かつて羽田と川崎を結んでいた羽田の渡しは、川崎大師参詣の要路で、江戸時代に稲荷新田を開拓した名主•小島六郎左衛門にちなんで「六左衛門の渡し」とも呼ばれていました。

使われた渡し舟は、20~30人乗りの大きさのもので、この船を利用して魚介類、農産物、衣料品など、生活に必要な品々が羽田と川崎の間を往来。

人々の生活や文化の交流などに貢献してきた羽田の渡しですが、昭和14年(1939)の大師橋の開通に伴い、廃止されました。

 

羽田の渡し跡の次は、羽田レンガ堤へ。

 

 

羽田レンガ堤は、大田区羽田に残るレンガ堤防の跡。

羽田は多摩川河口の砂州の上にあったことから、たびたび水害が発生。

そこで「水利水運の利便性を高めかつ洪水及び水害を防ぐ」ことを目的として、大正6年(1917)9月に内務省が「多摩川改修計画」を立案。

堤の整備を含む大規模な河川改修工事を大正7年度に着工し、工期16ヵ年を費やし、昭和8年度に工事は完了しました。

レンガ堤完成以来、住民は大きな洪水被害もなく、安心した生活を過ごすことができるようになり、昭和20年(1945)4月15日の空襲の際には、レンガ堤の外側で火災を避け、避難所とすることができました。

人々の生命・財産を守ってきたレンガ堤ですが、昭和48年(1973)に高潮防潮堤として新たな外堤防が完成し、レンガ堤は役割を終えました。

しかし、かつての水防の姿や人々の暮らしの歴史を物語る近代遺構として現在も姿を留めています。

 

羽田レンガ堤の次は、羽田神社へ。

 

 

羽田神社は、大田区本羽田3丁目に鎮座する、須佐之男命と稲田姫命を御祭神として祀る羽田総鎮守。

羽田の氏神様として羽田全域から羽田空港まで広く氏子を有し、航空各社の崇敬も篤く、年間を通じて運行安全・航空安全祈願の参詣があります。

由緒は、約800年前の鎌倉時代に領主•行方与次郎が牛頭天王を祀ったのが起源とされ、江戸時代は、徳川家、島津家、藤堂家などから篤く信仰されました。

そして、明治元年(1968)の神仏分離令により、自性院の境内に祀られていた牛頭天王社が八雲神社として独立。

明治40年(1907)に「羽田神社」と改められ、現在に至ります。

社殿は、昭和63年(1988)5月に竣工したもので、境内には、複数の境内社が鎮座する他、区の文化財に指定されている富士塚「羽田富士」があります。

 

羽田神社の次は、萩中公園へ。

 

 

公園に到着したところで、待ちに待ったおやつタイム。

 

 

萩中公園は、大田区萩中3丁目に所在する、面積約64,000㎡を有する区立の総合公園。

園内には、蒸気機関車や都電、トラック、ボートなどが置かれ、中央にジャンボすべり台がある「ガラクタ公園」、信号機のあるコース内で自転車の練習をしながら交通ルールが学べる「児童交通公園」、木々や流れる川に囲まれた「芝生広場」などがある他、運動施設として、屋内プール、屋外プール、少年野球場、野球場があります。

また、公園に隣接して萩中集会所があり、中にはレストランも入っています。

 

 

初日は、ガラクタ公園に保存されている都電の前で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

こんなふうにあちこちご案内して、糀谷駅でお散歩は終了。

 

 

その後、マクドナルドで短時間の黙食マスク懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「第159回 穴守稲荷~糀谷散歩」のご案内です。

 

第159回は羽田空港近く、多摩川河口付近の神社や水辺の景観と不思議な公園巡りに、食べ歩きや買物を加えた街歩き。

 

コースは下記の通りです。
≪穴守稲荷駅~コンちゃん~穴守稲荷神社~旧穴守稲荷神社 大鳥居~五十間鼻無縁仏堂~玉川弁財天~羽田の渡し跡~羽田神社~萩中公園~糀谷駅≫

 

その他、日程・時間・参加費等、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

東京お散歩教室は、3密に気をつけながら、歩いて街の見どころを巡る、少人数制の街歩きの会。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、初めての方は参加費500円(資料付)で参加できます。

 

皆様、是非ご検討なさってみてください。

 

東京お散歩教室

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お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第158回 押上~浅草散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は押上駅から。

 

まずは、東京スカイツリーを眺めながら、東京ソラマチへ。

 

 

東京ソラマチは、東京スカイツリータウンにある、東武鉄道株式会社の子会社である東武タウンソラマチ株式会社が運営する商業施設。

バラエティ豊かな300以上の店舗が集まっています。

 

東京ソラマチの次は、おしなり公園へ。

 

 

おしなり公園は、墨田区押上1丁目、業平1丁目・2丁目・3丁目にある区立公園。

押上・業平橋駅(現在のとうきょうスカイツリー駅)周辺土地区画整理事業において計画された部分と、東武橋から京成橋まで約450m間の北十間川護岸と親水テラスの区間、さらに両岸を南北に結ぶ歩行者専用橋(おしなり橋)を合わせた約6,600㎡の親水公園で、平成24年(2012)4月1日に開園。

名前の由来は、地元町会の総意によって、両岸の地名である「押上」と「業平」から一文字ずつ取って名付けられました。

 

おしなり公園の次は、大横川親水公園へ。

 

 

大横川親水公園は、墨田区内を流れている大横川の多くの部分を埋め立てて造られた区立公園。

幅30~40m、長さ約1.85㎞の細長い公園で、園内は5つのゾーンに分けられており、北端部には船の形をした遊び場と管理事務所があるほか、鏡に映った東京スカイツリーと一緒に写真が撮れるスポットがあります。

 

大横川親水公園の次は、東京ミズマチへ。

 

 

東京ミズマチは、墨田区向島1丁目の東武鉄道の高架下に令和2年(2020)6月18日に開業した複合商業施設。国内外の宿泊需要に対応するコミュニティ型ホステルや隅田公園や北十間川の環境と一体化した新業態のレストラン、スポーツと一緒にカフェが楽しめる開放的な施設などがあり、現在、イーストゾーンとウエストゾーンを合わせて12のテナント(※)が入っています。
※全部で14テナント分用意されています。

 

 

東京ミズマチの「むうや」(パン店)と「いちや」(和菓子店)に寄って、向かいにある隅田公園の木陰でおやつタイム。

 

 

隅田公園は、隅田川沿いに位置し、墨田区向島と台東区浅草、台東区花川戸にまたがっている公園。

墨田区側は、水戸徳川家3代藩主•徳川綱條が、元禄6年(1693)に将軍家から賜った下屋敷があったところで、屋敷は「小梅御殿」と呼ばれていました。

小梅御殿は、西は隅田川、南は北十間川に面し、現在の向島1丁目の大半を占める2万坪余りを有し、小石川本邸の別邸として、従者の蔵奉行、水主(船を操る人)、鷹匠の住まいとして使われ、船蔵や材木も置かれていました。

明治に入ると、水戸徳川家の本邸になりますが、大正12年(1923)の関東大震災で屋敷は焼失。

昭和6年(1931)、帝都復興事業計画により、防火避難公園として開園しました。

 

隅田公園の次は牛嶋神社へ。

 

 

牛嶋神社は、墨田区向島1丁目に鎮座する、須佐之男命・天之穂日命・貞辰親王命を御祭神として祀る神社で、本所の総鎮守。

創建は、貞観年間(859~877)に慈覚大師円仁(第3代天台座主)が御神託により、須佐之男命を祀ったのがはじまりと伝えられ、古くは「牛御前社」と称し、明治以降、「牛嶋神社」と改め、郷社に列格。

当時は、少し北の弘福時の西隣(向島5丁目)に鎮座していましたが、大正12年(1923)の関東大震災で社殿等を焼失し、その後、隅田公園の開設にあたり、昭和7年(1932)に現在地に遷座。

現社殿はその時に完成したものです。

境内には、全国でも数少ない三輪鳥居が立ち、文政8年(1825)年頃に奉納されたといわれる撫牛が祀られています。

 

牛嶋神社の次は、三囲神社へ。

 

 

三囲神社に到着したところで記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

 

三囲神社は、墨田区向島2丁目に鎮座する、宇迦御魂之命を御祭神として祀る神社で、隅田川七福神の恵比寿神と大國神も別殿にて奉斎。

創建年代は不詳ですが、弘法大師が祀ったという田中稲荷がはじまりとされており、名前の由来は、文和年間(1352~1356)に近江三井寺の僧•源慶が社殿を改築した折、白狐に跨った老翁の像が出土。

このとき白狐が現れ、像のまわりを三度まわって消えたという縁起から「三囲」と名付けられました。

その後、元禄6年(1693)の旱魃のとき、俳人•宝井其角が「遊ふた地(夕立)や 田を見めぐりの 神ならば」の句を奉納したところ、たちまち雨が降り、評判となりました。

また、豪商三井家は、三囲神社が日本橋から北東(鬼門)の方角にあって「鬼門除け」になることや、「囲」の字が「井」を囲んでいることから、三井を守る守護社として崇拝。

神社は現在も三井家と三井グループ各社から信仰され、三越本店や各支店には分霊が祀られており、境内に置かれている青銅製のライオン像は、閉店した三越池袋店にあったもので、平成21年(2009)に寄贈されました。

 

三囲神社の次は、すみだリバーウォークへ。

 

 

途中、隅田川テラス(墨田区側)をぶらぶら。

 

 

すみだリバーウォークは、令和2年(2020)6月18日に開通した、東武鉄道の隅田川橋梁の横に新設された歩道橋。

開門時間は7:00~22:00で、橋の2か所に東京スカイツリーの公式キャラクター「ソラカラちゃん」が隠れています。

さらに床の一部がガラスになっていて、足元に流れる隅田川を見下ろすことができます。

 

 

すみだリバーウォークを渡った後は、台東区側の隅田川テラスをぶらついて、浅草寺へ。

 

 

途中、戦後の東京で一番古い地下商店街といわれているディープスポット「浅草地下商店街」を通過。

 

 

浅草寺は、台東区浅草2丁目にある、金龍山伝法院と号する聖観音宗の総本山。

本尊は聖観世音菩薩で浅草観音の名で親しまれており、坂東三十三箇所観音霊場の第13番札所で、昭和25年(1950)に独立するまでは天台宗に属していました。

創建は都内最古といわれており、縁起によると推古天皇36年(628)に檜前浜成・竹成兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、1寸8分(約5.5cm)の黄金の聖観音像が網にかかり、その観音像に祈ると豊漁となりました。

この像を拝した土師中知が出家して、自宅を寺にして像を安置したのが浅草寺のはじまりといわれ、そして、大化元年(645)、勝海上人が堂宇を建立して開山。

観音の夢告により本尊は秘仏に定められ、開帳は厳禁され、後に天台宗延暦寺の僧•慈覚大師円仁が天安元年(857)に本尊に代わるお前立本尊(開帳本尊)をつくりました。

このことから浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開基としています。

浅草寺は平将門の乱や以降もたびたび堂宇を焼失してきましたが、平公雅をはじめ、源義朝・頼朝、足利尊氏、北条氏康らの尊崇を受け再建。

江戸時代には徳川幕府の祈願所となり、寺領500石を受け、江戸有数の大寺となりました。

また庶民の信仰を集めて行楽地となり、明治期には境内の大部分が浅草公園に。

昭和20年(1945)、戦災により二天門と伝法院以外は焼失しましたが、昭和33年(1958)に本堂、昭和35年(1960)に雷門、昭和39年(1964)に宝蔵門、昭和48年(1973)に五重塔、の順に再建されました。

 

浅草寺をお参りした後は、浅草オレンジ通りへ。

 

 

浅草オレンジ通りは、台東区浅草1丁目にある、伝法院通りと雷門通りをつなぐ通り。

浅草公会堂完成以前は同所に台東区役所の第二庁舎があって、「区役所通り」と呼ばれていましたが、昭和52年(1977)10月の浅草公会堂落成にあわせて「浅草公会堂オレンジ通り」と名称を変更。

さらに昭和62年(1987)、「オレンジ通り商店街振興組合」の法人化に伴い、通り名も「オレンジ通り」に落ち着き、イメージキャラクターの「オレンテくん」が誕生。

また、台東区は大衆芸能のメッカとして多くのスターを世に送り出してきた地で、区では大衆芸能の振興に貢献した芸能人の功績をたたえ、その業績を後世に伝えるため、昭和54年(1979)より手型とサインを浅草公会堂前の「スターの広場」に設置。

現在、公会堂の改修工事のため「スターの広場」は見られなくなっていますが、工事終了後、再び公開される予定です。

なお、オレンジ通り沿いの花壇に設置されている手型はこれまで通り見ることができます。

 

こんなふうにあちこちご案内して、浅草駅でお散歩は終了。

 

 

その後、ご希望された方々とファミレスで短時間の黙食マスク懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「第158回 押上~浅草散歩」のご案内です。

 

第158回は東京スカイツリータウンから浅草寺にかけての新旧観光スポット巡りに、食べ歩きや買物を加えた街歩き。

 

コースは下記の通りです。
≪押上駅~東京ソラマチ~おしなり公園~大横川親水公園~東京ミズマチ~隅田公園~牛嶋神社~三囲神社~すみだリバーウォーク~浅草寺~浅草オレンジ通り~浅草駅≫

 

その他、日程・時間・参加費等、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

東京お散歩教室は、3密に気をつけながら、歩いて街の見どころを巡る、少人数制の街歩きの会。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、初めての方は参加費500円(資料付)で参加できます。

 

皆様、是非ご検討なさってみてください。

 

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