東京散歩道

東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

東京お散歩教室は、首都圏の隠れた名所や穴場観光地、地元の名物などを紹介している、1人参加が中心の少人数制の街歩きの会。身近な街をお散歩して新たな発見とストレス解消をご提供するほか、趣味の仲間作りの場にもなっています。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第195回 田園調布~武蔵小杉散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は田園調布駅から。

 

 

出発してすぐに「JEAN FRANÇOIS 田園調布店」でお買物。

 

お買物した後は、田園調布旧駅舎へ。

 

 

田園調布旧駅舎は、大田区田園調布3丁目にある建物。

田園調布駅は、大正12年(1923)3月に当時の村名をとった「調布駅」として開業。

大正15年(1926)1月、「田園調布駅」に改称されました。

西側に面した洋館風の旧駅舎は、東横線田園調布駅-多摩川駅間の改良工事に伴い、平成2年(1990)9月に使用停止となり解体。

その後、改良工事が完成した平成12年(2000)1月に復元されました。

復元後は、駅舎としての機能はなくなり、街のシンボルとして、東西自由通路や商業施設への玄関的な役割を担っています。

 

田園調布旧駅舎を見た後は、再びお買物タイム。

 

 

「レピドール 田園調布店」と「ピネード 田園調布店」に立ち寄って洋菓子を購入。

 

お買物タイムの次は、カトリック田園調布教会へ。

 

カトリック田園調布教会は、大田区田園調布3丁目にある教会。

教会はフランシスコ会カナダ管区の司祭によって昭和7年(1932)に建てられました。

現在の大聖堂は昭和27年(1952)に建てられたもので、「アッシジの聖フランシスコ」という名前が付けられており、最大で約500名が座れ、2階には昭和53年(1978)に設置された2,132本のパイプ、30本のストップを持つパイプオルガンがあります。

そのほか敷地内には、フランシスコ会館、クララ聖堂、修道院、ルルドの中庭、ボランティアセンター、フランシスコ像などがあります。

(撮影NG)

 

カトリック田園調布教会の次は、宝来公園へ。

 

 

宝来公園は、大田区田園調布3丁目にある区立公園。

この土地は、大正14年(1925)、田園調布の開発に当たった田園都市株式会社が、武蔵野の旧景を保存し、永く後世に残すために、街の一画の汐見台の地を公園用の広場として残したもの。

その後、田園調布会に贈られ、昭和9年(1934)10月に同会から東京市に寄付されました。

東京市は整備を行い、昭和11年(1936)4月に宝来公園として開園。

そして、昭和25年(1950)10月に大田区に移管され、現在に至っています。

 

 

宝来公園でおやつタイム。

 

 

おやつタイムの後、公園で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

宝来公園の次は、多摩川台公園を散策。

 

多摩川台公園は、大田区田園調布にある区立公園。

公園は多摩川に沿って伸びる丘陵地に約750mにわたって展開。

面積は66,661㎡あり、亀甲山古墳、宝萊山古墳、多摩川台古墳群の上に位置しています。

また、園内には、多摩川八景見晴台、海南亭、水生植物園、四季の野草園、あじさい園、二つの広場などがあり、公園入口には、「多摩川台公園 古墳展示室」があります。

 

まずは、宝萊山古墳をチェック。

 

 

宝萊山古墳は、多摩川台公園内にある東京都指定史跡。

古墳は、多摩川下流域左岸の台地上、標高37.5m付近に築造された全長約97mある、4世紀に築かれたこの地域最古の前方後円墳。

昭和9年(1934)に後円部が土取工事で削平された際に、粘土槨の埋葬施設が発見され、四獣鏡、紡錘車形碧玉製品、玉類、剣などの武器類が出土。

また、平成7年(1995)の公園整備に伴う確認調査において、前方部にも埋葬施設があることが推定され、前方部の先端が「撥状」に広がる形をとることが明らかにされました。

 

宝萊山古墳の次は、多摩川台古墳群へ。

 

 

多摩川台古墳群は、多摩川台公園内にある亀甲山古墳と宝莱山古墳の間に築造された8基からなる古墳時代後期の古墳群(東京都指定史跡)。

発掘調査から前方後円墳1基と7基の円墳群からなる古墳群であることが確認されています。

古墳が造られた順序は、円墳の2号墳が6世紀前半に、2号墳を前方部に利用した前方後円墳の1号墳が6世紀後半に築造。

続いて6世紀末から7世紀前半にかけて3・4・5・6・7号墳が造られました。

最後に8号墳が7世紀中頃に造られ、これで古墳群の築造は終了します。

円墳の規模は、直径13~20m内外と小規模です。

古墳の横穴式石室からは、副葬された直刀、鉄鏃(鉄製のやじり)等の武具類、耳飾りや管玉等の装身具類、馬具の轡、須恵器や土師器が出土し、墳丘部からは円筒埴輪が発見されています。

この古墳群は荏原台古墳群の一支群にあたり、都内の古墳の多くが都市化の波に埋もれてしまっている中で貴重な存在であるといえます。

 

多摩川台古墳群を見た後は、「多摩川台公園 古墳展示室」へ。

 

 

多摩川台公園 古墳展示室は、宝莱山古墳や亀甲山古墳、多摩川台古墳群などの解説や出土した副葬品が展示されている施設。

室内はほぼ4世紀から7世紀にかけて造られた古墳を再現した展示となっており、6世紀後半に造られた横穴式石室をもつ前方後円墳の後円部の一部を切り取った状態をイメージしています。

そのほか、大田区から世田谷区にまたがる荏原台古墳群のうち、大田区域の田園調布古墳群で出土した太刀や勾玉、埴輪などのレプリカを展示しています。

 

古墳展示室の次は、亀甲山古墳へ。

 

 

亀甲山古墳は、多摩川台公園内にある東京都を代表する前方後円墳の一つで、多摩川流域最大の前方後円墳でもあります。

測量調査から、築造当時の規模は、墳丘長107.25m、前方部幅49.5m、後円部径66m、前方部高7.63m、後円部高11.75mあり、墳丘の途中に一段の平坦面を設けた二段築成であったと推定されています。

発掘調査が行われていないため、出土遺物がなく、正確な築造年代は不明ですが、宝莱山古墳の次に築造された4世紀後半の首長墓と考えられています。

芝丸山古墳(港区)、宝莱山古墳と並ぶ大形前方後円墳で、旧状がよく残されていることでも貴重な存在となっており、昭和3年(1928)に国の史跡に指定されています。

 

亀甲山古墳の次は、調布浄水場跡地を抜けて、あじさい園へ。

 

 

多摩川台公園のあじさい園は、6月に7種類、3,000株のあじさいが咲き誇ります。

 

しばらく、あじさい観賞をした後は、多摩川浅間神社へ。

 

 

多摩川浅間神社は、大田区田園調布1丁目に鎮座する、「田園調布の氏神様」と呼ばれている神社。

御祭神は木花咲耶姫命、故事から家庭円満・安産・子安の神とされ、火難消除・安産・航海・漁業・農業・機織などの守護神として崇敬されています。

創建は文治年間(1185~1190)と伝えられ、由緒は源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣したとき、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来ました。

その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山へ登ってみると富士山が鮮やかに見えました。

富士吉田には自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てました。

それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び尊崇しました。

これが多摩川浅間神社の起こりとなっています。

その後、承応元年(1652)5月に浅間神社表坂の土止め工事をしていたとき、九合目辺りから唐銅製の正観世音の立像が発掘され、多摩川で泥を洗い流すと片足が欠けていました。

そこで、新たに足を鋳造して祀り、6月1日に神事を行いました。

以来、例祭は6月に行われています。

本殿の建築様式は、社殿の上にさらに別の社殿がのった二階建て構造という特殊な形式で、浅間造と呼ばれ、都内では唯一のものです。

また、社殿は浅間神社古墳の上に建てられています。

 

多摩川浅間神社をお参りした後、本来なら丸子橋を渡って新丸子に向かう予定だったのですが、時間がだいぶ押してきたため、多摩川駅へ。

 

 

多摩川駅からお隣の新丸子駅まで、電車を使ってワープ。

 

新丸子駅に着いたところで、2度目のおやつタイム。

 

 

行列ができる人気店「ビッグ ベイビー アイスクリーム」に立ち寄り。

 

おやつタイムの後は、京濱伏見稲荷神社へ。

 

 

京濱伏見稲荷神社は、川崎市中原区新丸子東2丁目に鎮座する、主祭神として常磐稲荷大神、配神として五成大明神(宇賀之御魂大神・大己貴神・猿田ひこの神・大宮能女神・保食之神)を祀る神社。

昭和20年(1945)から30年(1955)頃、初代宮司·冨澤冠受大人之命が、戦後の地域復興のために、伏見稲荷大社(京都)から御分霊を勧請したのが始まりで、境内は、九棟流れ造りの社殿の周囲を富士山の溶岩で固め、その上に108体のカラフルな神狐像を安置。

また、身代わり開運稲荷、白狐社、祇園玉光稲荷、富士浅間神社、白山社、三神知恵稲荷といった多くの摂末社も祀られています。

 

こんなふうに、あちこち巡って武蔵小杉駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと「三代目 鳥メロ  東急武蔵小杉駅前店」で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「第195回 田園調布~武蔵小杉散歩」のご案内です。

 

第195回は、多摩川を挟んだ県境に点在する見どころ巡りと紫陽花観賞。

 

コースは下記の通りです。
《田園調布駅~田園調布旧駅舎~カトリック田園調布教会~宝来公園~多摩川台公園(古墳群・古墳展示室・あじさい園ほか)~多摩川浅間神社~丸子橋~京濱伏見稲荷神社~武蔵小杉駅》

 

以下、教室のホームページが開けない会員様へ。

 

【日程】6月7日(土)・14日(土)・21日(土)

 

【集合時間】12:30 

《3~4時間程度のお散歩。昼食は済ませてお越しください。おやつタイムあり》

 

【集合場所】東急東横線・目黒線「田園調布駅」改札外 教室の緑の手旗が目印

 

【参加費】2,000円(レジュメ付き)

《見学場所に有料施設はありません》

 

【お試し体験】初めての方のお試し体験参加費は500円(レジュメ付き)です。

 

【お申込み】LINE・XのDM・メール等で開催前日22時までにお申込みください。

《メールアドレス info[at]tokyo-osampo.com [at]は@に変えてください》

 

↓はお散歩コースの写真をピックアップしたものです。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

また、お散歩の後、懇親会も開いていますので、こちらもお楽しみいただけるかと思います。

(参加はご希望者のみ。お酒が飲めない方も多数参加されています)

 

 

東京お散歩教室は、街の見どころをのんびり歩いて巡る、大人の遠足。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「友達作り」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、是非ご検討なさってみてください。

 

何卒よろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第194回 護国寺~高田馬場散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は護国寺駅から。

 

まずは、護国寺へ。

 

 

護国寺は、文京区大塚5丁目にある、天和元年(1681)に開山した真言宗豊山派の大本山。

5代将軍·徳川綱吉の生母·桂昌院の発願で、上野国·大聖護国寺の亮賢僧正を招き、幕府所属の高田薬園の地に、桂昌院の念持仏である天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊として、堂宇を建立したのが始まりといい、現在の本堂である観音堂は、元禄10年(1697)に幕命によって造営されたもので、元禄時代の建築工芸の技術を結集した大建造物です。

この他、境内には、近江の園城寺(三井寺)の塔頭·日光院の客殿を移築した桃山時代の建築美を伝える月光殿、薬師堂、大師堂、多宝塔、忠霊堂、仁王門、惣門といった価値ある建造物が多数あり、また、墓所には、三条実美、山縣有朋、田中光顕、大隈重信、ジョサイア・コンドルといった多くの著名人が眠り、4万人近くのファンが訪れた尾崎豊の追悼式が行われた場所としても知られています。

 

護国寺の次は、甲月堂へ。

 

 

甲月堂は、文京区音羽2丁目にある和菓子店。

創業明治20年(1887)という、由緒あるお店です。

 

甲月堂で買い物をした後は、八百招地蔵へ。

 

 

八百招地蔵は、文京区音羽1丁目にある地蔵尊。

明治43年(1910)に地蔵信仰により病気が治ったという地元の有志によって建立された、多くの福を招くことから「八百招き地蔵」といわれ、町内の人々から敬われています。

 

八百招地蔵の次は、関口フランスパン 目白坂本店へ。

 

 

関口フランスパン 目白坂本店は、文京区関口2丁目にある創業以来130有余年、変わらない製法と風味が愛されているパン屋さんです。

 

関口フランスパンで買い物をした後は、文京区立音羽児童遊園へ行っておやつタイム。

 

 

首都高下の日陰で涼みながら、おやつを頬張りました。

 

おやつタイムの後は、七丁目坂へ。

 

 

七丁目坂は、文京区関口3丁目にある階段坂。

名前の由来は、旧·音羽7丁目と8丁目の間を上る坂なのでこの坂名となったといいます。

 

七丁目坂の次は、カトリック関口教会へ。

 

 

カトリック関口教会は、文京区関口3丁目にある、キリスト教の教会。

ここは、カトリック東京大司教区の司教座聖堂であり、教会堂名が「無原罪の聖母」であることから、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」と呼ばれています。

カテドラルとは、「カテドラ」のある教会のことで、カトリック教会には、教会の行政、司教のための地域区分があり、それを教区と呼び、教区には教区長である司教または大司教がいて、この司教の着座椅子をギリシャ語でカテドラと呼ぶことから、カテドラル=司教座聖堂となり、東京教区の司教座聖堂として「東京カテドラル」と呼ばれています。

また、カテドラルは、教区の母教会でもあり、東京大司教が公に儀式を司式し、教え指導。

聖堂は、始め明治32年(1899)に建てられた木造ゴシック様式の建物でしたが、昭和20年(1945)の空襲で焼失。

現在の大聖堂は丹下健三の設計によるもので、ドイツのケルン教区の支援によって建設され、昭和39年(1964)に落成。

上空から見た形は十字架形、外装がステンレス・スチール張りの鉄筋コンクリート造の建物で、高さは39.4mあります。

 

この日は聖堂内で催しが行われていたため、堂内へは関係者以外立ち入り禁止。

外観のみ眺めて、ルルドの洞窟を見学。

 

 

ルルドの洞窟は、フランスのルルドという町のはずれにある洞窟に、1858年マリア様が出現。

洞窟には霊泉が湧き出し、その水を飲んだり、浸ると、病が治るといった奇跡が起きました。

この洞窟は、そのルルドのものと全く同じ大きさで、明治44年(1911)に仏人宣教師ドマンジエル神父が建てました。

 

カトリック関口教会の次は、胸突坂へ。

 

 

胸突坂は、文京区にある目白通りと神田川の駒塚橋とを結ぶ急坂。

坂が険しく、自分の胸を突くようにしなければ上れないことから、この名が付けられました。

江戸の人は急な坂によくこの名前を付けたそうです。

 

胸突坂の次は、関口芭蕉庵へ。

 

 

関口芭蕉庵は、文京区関口2丁目にある史跡。

この地は、松尾芭蕉が、延宝5年(1677)から延宝8年(1680)まで、神田上水の改修工事に参画し、「龍隠庵」と呼ばれる水番屋に住んだと伝えられ、その庵が後に「関口芭蕉庵」と呼ばれるようになったもの。

享保11年(1726)の芭蕉の33回忌には、芭蕉堂が建てられ、芭蕉の木像を祀り、その後、寛延3年(1750)には、芭蕉の供養のため、芭蕉の真筆の短冊を埋めて作られた「さみだれ塚」を建立。

芭蕉庵の建物は、戦災で焼失してしまったため、現在の建物は戦後に復元されたものですが、維持管理は、「関口芭蕉庵保存会」によって行われています。

 

関口芭蕉庵の次は、水神社へ。

 

 

水神社は、文京区目白台1丁目に鎮座する、速秋津彦命・速秋津姫命・応神天皇を祀る神社。

創建は不明ですが、『江戸砂子』には「上水開けてより関口水門の守護神なり」とあります。

わが国最古の神田上水は、徳川家康の命により、大久保主水が開削。

井の頭池からの流れを目白台下の現在の大滝橋あたりに大洗堰を築き、水位をあげて上水を神田、日本橋方面に通じました。

伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」と告げたので、ここに水神を祀ったといいます。

そのことから、上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちの参詣が多かったといわれます。

また、このあたりは田園地帯で、清らかな神田上水が流れ、前には早稲田田んぼが広がり、後ろには目白台の椿山を控え、西には富士の姿も美しく眺められて、江戸時代は行楽の地でした。

 

 

初日は水神社で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

水神社の次は、肥後細川庭園へ。

 

 

肥後細川庭園は、文京区目白台1丁目にある、目白台の台地の自然景観を活かした区立の池泉回遊式庭園。

この庭園の周辺は、江戸中期以降は旗本の邸地、江戸末期には徳川御三卿の清水家や一橋家の下屋敷となり、そして幕末には肥後熊本54万石の藩主·細川越中守の下屋敷、抱屋敷となり、明治15年(1882)、細川家の本邸となりました。

その後、東京都が買収し、昭和36年(1961)に「新江戸川公園」として開園。

昭和50年(1975)に文京区に移管され、平成29年(2017)3月、「肥後細川庭園」と名称も変更。

庭園部分、樹林部分の整備工事すべてが完了し、平成30年(2018)4月に全園開園しました。

 

 

また、入口付近にある松馨閣は、元々は細川家の学問所で、一時期は細川家の住まいとして使用。

現在の建物は、歴史性を活かして保存・修復を行うとともに、耐震性を確保し、平成28年(2016)にリニューアルオープン。

集会室などとして使われています。

 

 

松馨閣2階には展望所があり、みんなで暫し、庭園鑑賞をしました。

 

肥後細川庭園の次は、神田川ベーカリーへ。

 

 

神田川ベーカリーは、豊島区高田1丁目の路地にある、地元で人気の小さなパン屋さん。

こちらで何人かのメンバーさんが、お土産をご購入。

 

神田川ベーカリーの次は、甘泉園公園へ。

 

 

甘泉園公園は、新宿区西早稲田3丁目にある、面積14,235.35㎡の新宿区立唯一の回遊式庭園。

「甘泉園」という名は、園内の湧き水が清冽でお茶に適していたからといわれています。

この地は、宝永年間(1704~1711)に徳川御三家の一つ、尾張徳川家の拝領地となり、安永3年(1774)に、徳川御三卿の一つ、初代清水家の下屋敷が置かれたところ。

明治以降は、子爵相馬邸の庭園として整備され、昭和13年(1938)、早稲田大学に移譲。

戦後、東京都が土地を買収し、改修の手を加え、昭和44年(1969)、新宿区に移管されました。

公園は、神田川に沿って東西にのびる段丘の高低差を利用したつくりとなっていて、ツツジやアジサイ、新緑や紅葉、冬の雪吊りなど、四季折々の景観が楽しめます。

また、「みどりの新宿30選」や「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。

 

甘泉園公園の次は、水稲荷神社へ。

 

 

水稲荷神社は、新宿区西早稲田3丁目にある、倉稲魂大神を主祭神とし、佐田彦大神と大宮姫大神を相殿として祀る神社。

創建は天慶4年(941)、平安中期の鎮守府将軍·藤原秀郷が、旧社地(早稲田大学構内)の「富塚」という古墳の上に稲荷大神を勧請。

「富塚稲荷」、「将軍稲荷」と呼ばれたのが始まりといいます。

その後、天文19年(1550)には牛込主膳正時国が、天和2年(1682)には佐藤駿河守信次が社殿を造営。

元禄15年(1702)4月、神主の夢想により、大椋の下から霊水が湧出。

この霊水によって江戸市中で流行っていた眼病が治ったことと、そのときの御神託に「我を信仰する者には火難を免れしむべし」とあったことから、以後「水稲荷」と称されるようになりました。

また、天明8年(1788)に京都で発生した「天明の大火」で御所が炎上したとき、「江戸の水稲荷」と称する老翁が防火に努め、その功績が認められ「関東稲荷惣領職」を賜りました。

近年は、昭和20年(1945)5月の空襲で社殿、御神木の大椋とともに焼失。

しかし、翌年社殿は再建されました。

そして、昭和38年(1963)、早稲田大学との土地交換により、現在地に遷座。

その際、「富塚古墳」や江戸中最古の富士塚「高田富士」も移築されました。

境内には、社殿の他、浅間神社、三島神社、水神社、大国社、高木神社、北野神社といった境内社が多数ある他、参道には、赤穂浪士の一人として有名な堀部武庸の高田馬場の決闘での助太刀を称える「堀部武庸加功遺跡之碑」があり、参拝客だけでなく、歴史愛好家も訪れるスポットになっています。

 

こんなふうに、あちこち巡って高田馬場駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと「ミライザカ 高田馬場駅前店」で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「第194回 護国寺~高田馬場散歩」のご案内です。

 

第194回は、関口・目白台に点在する見どころ巡り。

 

コースは下記の通りです。
《護国寺駅~護国寺~カトリック関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)~関口芭蕉庵~水神社~肥後細川庭園~甘泉園公園~水稲荷神社~高田馬場駅》

 

以下、教室のホームページが開けない会員様へ。

 

【日程】5月3日(土)・10日(土)・17日(土)

 

【集合時間】12:30 

《4時間程度のお散歩。昼食は済ませてお越しください。おやつタイムあり》

 

【集合場所】東京メトロ有楽町線「護国寺駅」1番出口 教室の緑の手旗が目印

 

【参加費】2,000円(レジュメ付き)

《見学場所に有料施設はありません》

 

【お試し体験】初めての方のお試し体験参加費は500円(レジュメ付き)です。

 

【お申込み】LINE・XのDM・メール等で開催前日22時までにお申込みください。

《メールアドレス info[at]tokyo-osampo.com [at]は@に変えてください》

 

↓はお散歩コースの写真をピックアップしたものです。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

また、お散歩の後、懇親会も開いていますので、こちらもお楽しみいただけるかと思います。

(参加はご希望者のみ。お酒が飲めない方も多数参加されています)

 

 

東京お散歩教室は、街の見どころをのんびり歩いて巡る、大人の遠足。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「友達作り」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、是非ご検討なさってみてください。

 

何卒よろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第193回 武蔵小金井~国分寺散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は武蔵小金井駅から。

 

まずは、駅前にある「亀屋本店」へ。

 

 

何人かのメンバーさんがおやつを購入し、お散歩スタート。

 

 

出発したところで、満面の笑みを浮かべる「しあわせ地蔵」をチェック。

 

続いて、「ならは 農工大通り店」へ。

 

 

こちらでも、おやつやお土産を購入し、黄金の水へ。

 

 

黄金の水は、小金井市本町1丁目にある水汲み場。

小金井市の地名は「黄金に値する豊かな水が湧く」ことに由来するといわれています。

そこで、小金井市中央商店街協同組合がこの名水・湧水という地域資源を活用した商店街づくりに着目し、六地蔵の敷地内に深井戸を掘って、地下水を商店街活性化に役立てることにしました。

深井戸天然水は市民公募で「六地蔵のめぐみ 黄金井の水」と命名され、敷地のデザインも法政大学工学部と東京学芸大学の研究室の協力によって進められ、平成18年(2006)10月より提供を開始。

黄金の水の利用方法は、水汲み場にあるプッシュ式の蛇口を押せば、コップ1杯分の水が出てきますが、自宅などで飲食用に使いたい場合は、「菊屋文具店」「亀屋本店」「プランクスコーヒー」で蛇口用水栓を500円で購入するシステムとなっており、利用にあたっては登録が必要となります。

 

黄金の水の次は、滄浪泉園へ。

 

 

途中、「ポルシェ洋菓子店」に立ち寄り。

こちらでも何人かのメンバーさんが、おやつやお土産を購入。

 

 

滄浪泉園は、小金井市貫井南町3丁目にある庭園。

この庭園はもとは、明治・大正期に三井銀行の役員、外交官、衆議院議員などを歴任した波多野承五郎の別荘の庭園で、小金井市の歴史とともに歩んできた「はけと湧水」をたくみに生かした由緒ある緑地です。

名前の由来は、大正8年(1919)、この庭で遊んだ犬養毅元首相が友人である波多野氏のために名づけたといわれ、「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清清と豊かな水の湧き出る泉のある庭」という意味を持ち、石の門標文字は犬養毅元首相自筆によるもの。

昭和40年代には開発計画が起こりましたが、市民の熱心な保存運動により、昭和52年(1977)、都市緑地保全法に基づく「緑地保全地区」として指定を受け、東京都が買収し、小金井市が管理する有料の「自然緑地」として残すことができました。

当初は33,000㎡余りあったといわれる庭園も今では3分の1程度になってしまいましたが、園内は武蔵野の面影をとどめ、野鳥の鳴き声が絶えることなく、こんこんと湧く清水をたたえた池にはカモなども飛来。

なお、現在、庭園内は都市緑地法に基づく「特別緑地保全地区」として、木・竹の伐採は規制されています。

 

 

滄浪泉園を一回りしたところで記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

滄浪泉園の次は、三楽公園へ。

 

 

公園で一息ついて、おやつタイム。

 

おやつタイムの後は、三楽の森へ。

 

 

三楽の森は、小金井市貫井南町3丁目にある公共緑地。

日本電気株式会社(NEC Corporation)の創業に関わった前田武四郎の別荘「三楽荘」があった場所を平成3年(1991)に小金井市が借り受けて整備した緑地です。

古多摩川が削り残した国分寺崖線上にあり、豊かな自然が残されています。

 

三楽の森の次は、真明寺へ。

 

 

真明寺は、小金井市貫井南町3丁目にある、大日如来を本尊として祀る新義真言宗豊山派の寺院で、多摩新四国八十八ヶ所霊場の第三十番札所。

創建については明らかではありませんが、かつて本寺であった府中市の妙光院の記録によると、永禄12年(1569)に阿闍梨·海宥によって中興されたことから、室町時代後期までには既に存在していたものと推測されます。

そして、小金井市誌では、この地に移築されたのは延宝6年(1678)だといい、尊祐法師が真明寺の前身と近くにあった大日堂を合わせたとされています。

またかつては、貫井神社の別当寺でもありました。

 

真明寺の次は、貫井神社へ。

 

 

貫井神社は、小金井市貫井南町3丁目に鎮座する、市杵島姫命と大己貴命を御祭神として祀る神社。

創立は天正18年(1590)といわれ、湧水の出る当地に水の神である水神様を「貫井弁財天」と称え奉祀。

氏神様として人々の崇敬を集めるも明治維新の際の神仏分離令により、明治8年(1875)に「厳島神社」と改称。

さらに貫井村字一ノ久保に鎮座する貫井神社を合祀し、以後、村社「貫井神社」と称するようになりました。

また、旧本殿は宝永6年(1709)に改築されたもので、総﨔建築に立派な彫刻を施し、文化財として重きをなしてきましたが、昭和60年(1985)7月16日に火災に遭い焼失。

そこで、昭和61年(1986)12月23日、総桧材流造の本殿を復元。

併せて渡廊・玉垣・神橋も復元竣工しました。

 

貫井神社の次は、新次郎池へ。

 

 

新次郎池は、国分寺市南町1丁目、「東経の森」(東京経済大学国分寺キャンパス)内にある池。

池は東京経済大学第4代学長·北澤新次郎の時代に整備され、そこから「新次郎池」と命名。

湧水は池を取り囲むように5ヶ所から湧出し、かつては山葵田として利用されていましたが、現在は学生や周辺住民の憩いの場になっています。

湧水の水量は、その年の雨量と時期によって異なりますが、最も多い時期は夏から秋で、雨が少ない時期は冬頃から少なくなり始め、春先には湧水が減少します。

新次郎池に流れ出る水は、国分寺崖線下にみられる国分寺市の一番東側にある湧水で、平成15年(2003)に「東京の名湧水57選」に選定されました。

 

新次郎池の次は、殿ヶ谷戸庭園へ。

 

 

殿ヶ谷戸庭園は、国分寺市南町2丁目にある、公益財団法人東京都公園協会が管理している都立庭園。

殿ヶ谷戸庭園は、もとは明治期から昭和初期にかけて活動した実業家で政治家、満鉄副総裁にもなった江口定篠の別邸で、赤坂の庭師·仙石荘太郎の手によって、大正2年(1913)から大正4年(1915)にかけて作庭され、「随冝園」と命名されました。

そして、昭和4年(1929)に、三菱財閥の岩崎彦弥太が別邸として買い取り、津田鑿の設計によって、本館や茶室(紅葉亭)などが追加整備され、和洋折衷の回遊式林泉庭園が完成。

その後、昭和49年(1974)に東京都が買収し、整備後、昭和54年(1979)4月に有料庭園として公開されました。

庭園は、国分寺崖線の南の縁にあり、典型的な段丘崖を含んだ地形に造られているため、武蔵野台地と崖線の自然植生が良好な状態で保存されています。

そうしたことから、昔武蔵野に自生していた野草や昆虫などの小さな生き物を数多く見ることができます。

また、園内の次郎弁天池には、水量豊かな湧き水の窪地があり、崖線から湧き出る清水は、野川の水源の一部になっています。

殿ヶ谷戸庭園は「同時代に作庭された類以の武蔵野の別荘庭園の中でも当時の風致景観を最もよく残しており、その芸術上の価値は高い」と称され、平成23年(2011)9月に国の名勝に指定されました。

 

こんなふうに、あちこち巡って国分寺駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと「鶏十兵衛 国分寺店」で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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