お散歩ナビゲーター小島信康です。
今回は只今開催中の東京お散歩教室「第201回 水天宮前~門前仲町散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。
出発は水天宮前駅から。
まずは、水天宮へ。



水天宮は、中央区日本橋蛎殻町2丁目に鎮座する、天御中主大神・安徳天皇・建礼門院・二位の尼を御祭神として祀る神社。
由緒は、文政元年(1818)、芝赤羽橋にあった有馬藩邸に当時の藩主第9代·有馬頼徳が久留米城下に鎮座していた水天宮の御分霊を藩邸内に祀ったことが始まり。
江戸時代の当社は藩邸内にあったため、庶民は普段参拝できず、門外より賽銭を投げ入れて参拝したといいます。
ただし、毎月5日の縁日に限り、殿様の計らいによって藩邸が開放され、参拝が許されました。
また当時、参拝に来た妊婦が鈴乃緒の鈴紐のお下がりをいただいて腹帯として安産を祈願したところ、ことのほか安産だったことから、人づてにこのご利益が広まりました。
当社はその後、明治維新により藩邸が接収され、有馬邸が青山に移るとともに青山へ、さらに明治5年(1872)、現在地に鎮座。
昭和5年(1930)に流れ造りの社殿が完成し、昭和42年(1967)には権現造りの社殿となりました。
現在の社殿は平成30年(2018)に江戸鎮座200年を迎えるにあたって、平成28年(2016)に境内地全面免震構造の建物として完成したもの。
また境内には日本橋七福神の弁財天である寳生辨財天も祀られています。
水天宮の次は、茶ノ木神社へ。

茶ノ木神社は、中央区日本橋人形町1丁目に鎮座する、倉稲魂大神を御祭神として祀る神社で、日本橋七福神の布袋尊。
由緒は、この土地は江戸時代、約3,000坪に及ぶ下総佐倉の城主·大老堀田家の中屋敷があった場所で、当社はその守護神として祀られたもの。
社の周囲に巡らされた土堤芝の上に丸く刈り込まれた茶の木の緑が見事であったといいます。
またその中屋敷内は勿論のこと、周囲の町方にも長年火災が起こらなかったため、いつのころからか火伏の神と崇められ、堀田家では年1回初午祭の当日だけ開門して、一般の参拝を自由にしました。
これにより「お茶ノ木様」の愛称で広く親しまれるようになりました。
茶ノ木神社の次は、人形焼本舗板倉屋へ。


こちらで出来立て熱々の人形焼きを購入し、食べ歩きスタート。
人形焼本舗板倉屋の次は、甘酒横丁へ。

甘酒横丁は、中央区にある商店街(甘酒横丁商店会)・通りの名前。
甘酒横丁の由来は、明治時代に今の甘酒横丁入口付近に「尾張屋」という甘酒屋があって、その小路を「甘酒屋横丁」と呼んでいたのが起源のようです。
そのころから、人形町にあった寄席や明治座の芝居帰りの見物客で賑わっていました。
そして、関東大震災の後、道路が広げられましたが、今でもこの道は「甘酒横丁」と呼ばれ親しまれています。
甘酒横丁に入ったところで、とうふの双葉へ。

こちらで人気の元祖あま酒を購入。
美味しくいただきました。
続いて、横丁からちょっとそれたところにある、人形町今半 惣菜本店へ。


こちらでは、各々気になったお惣菜を買って、お店の路地裏で頬張りました。
人形町今半 惣菜本店の次は、松島神社へ。

松島神社は、中央区日本橋人形町2丁目に鎮座する、稲荷大神、伊邪那岐神、伊邪那美神、日前大神(天照大神)、北野大神(菅原道真公)、手置帆負神、彦狭知神、淡島大神、八幡大神、猿田彦神、琴平大神、天日鷲神(大鳥大神)、大宮能売神(おかめさま)、大国主神(だいこくさま)を祀る神社。
創建年代は不詳ですが、口伝によると、元享元年(1321)以前、昔この辺りが入り海だった頃にあった小島に、下総国から移り住んだ柴田家の祖先が、邸内に諸神を勧請したのが起源といわれ、天正13年(1585)に邸宅を公開し、参拝の自由を許容したとき、島内が松樹鬱蒼としていたことから、「松島稲荷大明神」と称されました。
そして、正徳3年(1713)に新町が開かれたときは、社号にちなんで町名を松島町と命名。
明治7年(1874)には、「松島稲荷神社」として村社に列格。
大正5年(1916)に「松島神社」に改められました。
当社は、正月の日本橋七福神巡りや11月の酉の市のときに参拝客で賑わう他、願い事を書いて枕の下に入れて眠ると、素敵な夢が見られ、正夢になるという「良夢札」が人気を集めています。
松島神社の次は、清洲橋へ。

清洲橋は、隅田川に架かる清洲橋通りが通る自碇式鋼鉄製吊橋。
関東大震災の震災復興事業として永代橋とともに計画され、ドイツ·ケルン市にあったヒンデンブルグ橋をモデルとし、昭和3年(1928)3月に竣工。
「清洲」という名称は公募によるもので、建設当時の両岸、深川区清住町と日本橋区中洲町から採用されました。
そして、平成12年(2000)に土木学会の「第一回土木学会選奨土木遺産」に永代橋とともに選定。
平成19年(2007)6月には、勝鬨橋・永代橋とともに、都道府県の道路橋として初めて国の重要文化財に指定されました。

初日は、清洲橋の前で記念写真。
皆さん、撮影ご協力有難うございました。
清洲橋の次は、清澄庭園へ。




清澄庭園は、江東区清澄3丁目にある都立庭園。
歴史は、一説には江戸の豪商·紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられており、享保年間(1716~1736)に下総国·関宿藩主久世大和守の下屋敷となり、庭園のもとが形造られました。
そして、明治11年(1878)に岩崎彌太郎がこの邸地を含む一帯3万坪を取得し、社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園を計画。
明治13年(1880)に「深川親睦園」を開園しました。
造園工事はその後も進められ、隅田川の水を引いた大泉水をはじめ、池の周囲には築山や全国の名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成。
大正12年(1923)の関東大震災では甚大な被害を受けますが、大正13年(1924)、東半分が岩崎家から東京市に寄付され、「清澄庭園」として復旧。
整備して、昭和7年(1932)7月に東京市の公園として開園しました。
また昭和52年(1977)には、庭園の西側に隣接する敷地を開放公園として追加開園。
清澄庭園は、昭和54年(1979)3月31日に、東京都の名勝に指定されました。
清澄庭園の次は、旧東京市営店舗向住宅へ。

旧東京市営店舗向住宅は、江東区清澄3丁目にある建物群。
関東大震災後の復興事業の一環として、東京市が昭和3年(1928)に建設した店舗付住宅です。
清澄通りに沿って約250mにわたって立ち並ぶ鉄筋コンクリート造の長屋で、建設から100年近く経過した今もなお実際に店舗付住宅として使用されており、人気のあるカフェやギャラリーなども入居しています。
旧東京市営店舗向住宅の次は、深川 伊勢屋 平野店へ。


深川 伊勢屋 平野店は、江東区平野1丁目にある和菓子店。
こちらで各々気になったお団子や大福を買って、2回目のおやつタイム。
おやつタイムの次は、採荼庵跡へ。

採荼庵跡は、江東区深川1丁目にある江東区登録史跡。
採荼庵は、松尾芭蕉の門人で、パトロンとして知られた杉山杉風の庵室。
芭蕉は『おくの細道』の旅に出る前に、住んでいた芭蕉庵を手放し、しばらく採荼庵で過ごしました。
そして、元禄2年(1689)3月27日に、採荼庵から出発し、船で隅田川をのぼり、千住大橋のたもとから奥州へと旅立ちました。
採荼庵跡の次は、心行寺へ。



心行寺は、江東区深川2丁目にある、双修山養源院と号し、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院。
由緒は、光蓮社団誉一路屋道上人が開山、岩国城主·吉川監物の室·養源院殿が開基となって、元和2年(1616)に八丁堀に創建。
寛永10年(1633)に現在地に移転しました。
本堂は、旧本堂が大正12年(1923)9月の関東大震災によって焼失し、昭和7年(1932)に再建された本堂も、昭和20年(1945)3月の戦災で再び焼失。
現本堂は、昭和42年(1967)に完成し、昭和43年(1968)に落慶しました。
また心行寺は深川七福神の福禄寿としても知られ、境内には福禄寿を安置する六角堂もあります。
心行寺の次は、法乗院へ。



法乗院は、江東区深川2丁目にある、賢臺山と号し、大日如来を本尊とする真言宗豊山派の寺院。
御府内八十八ヶ所の74番目札所であり、「深川ゑんま堂」として信仰を集めています。
由緒は、寛永6年(1629)、深川富吉町に創建。
寛永18年(1641)に現在地に移りました。
深川ゑんま堂は、戯作者·為永春水の『春暁八幡佳年』や、歌舞伎狂言作者·河竹黙阿弥の『梅雨小袖昔八丈』など、江戸の町人気質を盛り込んだ、文芸や芝居の作品中に窺い知ることができるほか、近年は、平成元年(1989)に建立された、特殊賽銭箱に賽銭を入れると説法を聞くことができる、ハイテクゑんま座像があることでも知られています。
法乗院の次は、辰巳新道へ。


辰巳新道は、江東区門前仲町2丁目にある、狭いY字の路地に昭和の面影を色濃く残す、居酒屋や小料理屋がひしめく飲み屋横丁です。
辰巳新道の次は、成田山東京別院深川不動堂へ。


成田山東京別院深川不動堂は、江東区富岡1丁目にある真言宗智山派成田山新勝寺の東京別院。
通称「深川不動尊」、「深川不動堂」と呼ばれています。
江戸時代、元禄年間(1688~1704)は江戸市民を中心に不動尊信仰が急激に広まりました。
それにより、成田山新勝寺は信徒数も増え、いよいよ成田山の不動明王を江戸で拝観したいという町人の気運が高まり、ついに元禄16年(1703)、江戸で1回目の成田不動の出開帳が富岡八幡宮の別当·永代寺で行なわれました。
これが深川不動堂の始まりです。
明治に入ると、永代寺は神仏分離令によって廃寺(後に再興)となり、旧境内は深川公園になりました。
しかし、不動尊信仰は止むことがなく、明治11年(1878)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、深川不動堂として存続することが東京府より認められ、明治14年(1881)には本堂が完成。
その後、関東大震災、東京大空襲と、本堂は2度にわたって焼失しますが、本尊(大日大聖不動明王)は焼失を免れました。
そして、昭和25年(1950)、千葉県本埜村(現在の印西市)の龍腹寺にあった地蔵堂を深川に移築して本堂とし、深川不動堂は甦りました。
さらに、平成14年(2002)には内仏殿が落慶し、平成24年(2012)9月には外壁に梵字(不動明王真言)を散りばめた新本堂が落慶しました。
こんなふうにあちこち巡って、門前仲町駅に到着し、お散歩は終了。

その後、有志のメンバーさんと、やきとん日吉 門前仲町店で懇親会を開いて、解散となりました。
ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。
それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。
東京お散歩教室
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