東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

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東京お散歩教室 http://tokyo-osampo.com
“大人のためのプチ遠足” “徒歩での東京見どころ巡り”

一人でも気軽に参加できる街歩きの会「東京お散歩教室」

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・殆どの方が、お一人でご参加されています。
・初めての方や2,3回目の新人さんも毎回大勢いらしてます。

・ご夫婦やお友達同士での参加も歓迎します。

★「参加してみたいけど、1人では不安」という方、こちらの記事 をご覧ください★

お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室第147回 下赤塚~成増散歩」のご案内です。

 

第147回は板橋区の赤塚や成増の高低差を体感しながら、点在する見どころを巡ります。

 

コースは下記の通り。
≪下赤塚駅~松月院大堂・八幡神社~赤塚植物園~乗蓮寺~赤塚不動の滝~赤塚城本丸跡~赤塚溜池公園~板橋区郷土資料館~赤塚氷川神社~菅原神社~成増駅≫

 

その他、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

東京お散歩教室は、歩いて街の見どころを巡る、少人数制の大人の遠足。

 

参加者の9割が現役世代のおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「穴場観光」「街歩き」「タウンウォッチング」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、お気軽にご参加ください。

 

東京お散歩教室

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お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第146回 芝公園~田町散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は芝公園駅から。

 

まずは、芝東照宮へ。

 

 

芝東照宮は、港区芝公園4丁目に鎮座する、徳川家康を御祭神として祀る神社。

日光東照宮・久能山東照宮・上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つに数えられ、もとは、増上寺の山内に元和3年(1617)に建てられた、徳川家康の寿像を祭祀する社殿「安国殿」が起源。

明治の神仏分離令により、増上寺から切り離され、芝東照宮となりました。

その後、戦災で寿像と3代将軍・徳川家光が植えたものと伝わるご神木のイチョウ以外、全てを焼失。

昭和44年(1969)に現社殿に再建されました。

 

芝東照宮の次は、首尾稲荷大明神へ。

 

 

首尾稲荷大明神は、港区芝大門2丁目に鎮座する、倉稲魂神・大宮能賣神・太田神を御祭神として祀る神社。
創建は古く、古文書によれば、難病に悩んでいた住民・田村三郎兵衛の夢枕に神様が立ち、稲荷大神の御神威によって助かったことを深く感謝。

そこで稲荷大神を勧請し「首尾稲荷」と称し、文化13年(1816)、京都伏見稲荷大社より正一位の神階を授与されたといいます。

以来、町内の守護神として崇められ、社殿は戦後、損傷が著しかったため、昭和54年(1979)に再建されました。

 

首尾稲荷大明神の次は、尾崎紅葉生誕の地へ。

 

 

尾崎紅葉生誕の地は、港区芝大門2丁目にある旧跡。

この地は『金色夜叉』などの小説で有名な作家・尾崎紅葉の生誕の地で、彼は慶応3年(1867)12月16日、芝中門前2丁目25番地(現・港区芝大門2丁目7番4号)にあった首尾稲荷神社のそばの家で、伊勢屋こと根付師の尾崎谷斎の長男として生まれ、4歳のときに母を失い、芝神明町8番地(現・港区浜松町1丁目18番14号)の母の実家・荒木家に養われることになるまで、この地に住みました。

 

尾崎紅葉生誕の地の次は、芝神明商店街へ。

 

 

芝神明商店街は港区芝大門1丁目にある商店街。

途中、商店街と芝大神宮の参道が交差する場所があり、参道の方に曲がると芝大神宮が鎮座。

辺りは、古くから増上寺や芝大神宮の門前町として栄えた場所で、オフィス街にも囲まれていることから、老舗と新しい店が混在しています。

 

芝神明商店街の次は、芝大神宮へ。

 

 

芝大神宮は、港区芝大門1丁目に鎮座する、天照皇大御神と豊受大御神の二柱を主祭神として祀る東京十社の一社。

社伝によれば、寛弘2年(1005)に伊勢の内外両宮を勧請して創建したといわれ、当初は飯倉山(現・芝公園)に鎮座していましたが、増上寺の移転に伴い、慶長3年(1598)に現在地に奉遷。

鎌倉時代は、源頼朝より社地の寄贈を受け、江戸時代は、徳川幕府の篤い保護のもと、「関東のお伊勢さま」として関東一円の庶民の信仰を集めました。

また、古くは「飯倉神明宮」、「芝神明宮」と称されていましたが、明治5年(1872)に「芝大神宮」に改称。

社殿は、昭和20年(1945)5月の空襲で旧社殿が焼失後、戦後二度にわたって造営が行われ、平成17年(2005)、鎮座1000年を祝う「芝大神宮壱千年祭」斎行の際に、社務所等の改築が完了し、現在の姿に。

例大祭は、9月16日を中心に、9月11日から21日まで、神輿渡御などの各種神事が行われますが、それらが長期間「だらだら」続くため、古来より「だらだら祭り」といわれ、期間中、生姜を授与していることから、「生姜祭り」とも呼ばれています。

 

芝大神宮の次は、芝榮太樓へ。

 

 

芝榮太樓は、芝神明商店街にある創業明治18年(1885)の榮太樓総本鋪の暖簾分けの支店。

こちらで、それぞれ気になる和菓子をおやつ&お土産用に購入。

 

 

続いて、大門駅構内にある神戸屋 大門駅店でおやつ用のパンを調達し、旧芝離宮恩賜庭園へ。

 

 

旧芝離宮恩賜庭園は、港区海岸1丁目にある、開園面積約43,175㎡を有する池泉回遊式の都立庭園で、小石川後楽園とともに、現存する最も古い大名庭園の一つ。

かつて、この地は海面でしたが、明暦(1655~1658)の頃に埋め立てられ、延宝6年(1678)、老中・大久保忠朝の邸地に。

この忠朝の上屋敷内に作庭された大名庭園「楽壽園」がもともとの起源といわれ、楽壽園には、水辺庭園特有の潮入り式の池があり、潮の干満によって景色が変化するよう工夫されていたようで(現在は淡水)、その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷に。

さらに、明治4年(1871)には、有栖川宮家の所有になりましたが、明治8年(1875)に宮内省が買い上げ、明治9年(1876)、芝離宮となるも、大正12年(1923)の関東大震災で、迎賓館として使われていた洋館を焼失。

そして、大正13年(1924)1月に、昭和天皇御成婚記念として東京市に下賜され、同年4月に旧芝離宮恩賜庭園として一般に公開。

その後、昭和54年(1979)年6月には文化財保護法により、国の名勝に指定されました。

 

 

旧芝離宮恩賜庭園では、まず休憩スペースでおやつタイム。

 

 

そして、散策中、桜の木をバックに記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

旧芝離宮恩賜庭園の次は、竹芝ふ頭へ。

 

 

竹芝ふ頭は、港区海岸1丁目にある東京港の旅客ターミナルの一つ。

東京港の前身である江戸湊は、江戸庶民に必要な消費物資の流通拠点として大変重要な役割を果たしていましたが、東京湾の開港は昭和16年(1941)まで実現せず、築港は明治時代に隅田川口改良工事として始まり、水路の浚渫と、その浚渫土砂による月島や芝浦の埋立造成が進められました。

その後、陸上交通網が崩壊した大正12年(1923)の関東大震災を契機に、東京港の重要性が認識され、ふ頭建設が急ピッチで進み、大正14年(1925)に日の出、昭和7年(1932)に芝浦、昭和9年(1934)に竹芝ふ頭が完成。

現在の竹芝ふ頭は、延長465m、水深7.5mあり、伊豆諸島・小笠原諸島への人や物資の玄関口「竹芝客船ターミナル」になっています。

 

 

竹芝ふ頭の次は、芝浦運河の親水テラスを歩きながら、重箱堀へ。

 

 

重箱堀は、芝浦運河沿いに建設されたシーバンスS館の南側にある大正2年(1913)に作られた石積護岸。

四角い形をしていることから「重箱堀」と呼ばれるようになったといわれていますが、明治時代の芝浦はまだ東京湾に面した行楽地として賑わっていた場所で、かつては料亭や旅館が軒を連ね、明治11年(1878)には、蘭方医・鐘ヶ江晴朝が東京府知事から許可を得て、都内初の海水浴場が開設された場所でした。

 

重箱堀の次は、芝浦妙法稲荷神社へ。

 

 

芝浦妙法稲荷神社は、港区芝浦1丁目に鎮座する、御祭神仏として本佛釈尊と芝浦妙法稲荷を祀る氏神様。

創建は昭和48年(1973)8月で、もとは、かつて東京倉庫運輸株式会社の敷地内にザクロの木とともにあった祠を昭和46年(1971)、倉庫改装のため、この機に移築遷座することとなり、「芝浦妙法稲荷」と命名。

また、たまたま廃社なっていた芝浦稲荷から、社と狐2体、灯篭2基、手洗い1基などを貰い受ける話になったとき、地元住民の因縁を生かし社屋を竹芝橋稲荷と合祀することとし、芝浦全地域の氏神として復活。

竹芝橋稲荷が法華経有縁の姫神ということで、昭和57年(1982)にブロンズ製金色の釈尊座像を祀り具体的に神仏混淆を表現。

次いで昭和62年(1987)には、仏舎利も奉安されました。

 

芝浦妙法稲荷神の次は、新芝運河沿緑地へ。

 

 

新芝運河沿緑地は、埋立によって消えた自然環境を取り戻すために創出された緑地で、親水性のある構造とするため、古い埋立護岸の前に新たな護岸を整備し、水辺空間を創出。

水に親しめるよう護岸の高さをできる限り低くしたり、一部を階段式に切り下げて、震災時に小型船の船着場として活用できるようにもしています。

また、植栽やガス灯などの設置、道路と一体性のある緑地整備なども行っています。

 

新芝運河沿緑地を散策中、『リバーサイド トリオ』をチェック。

 

 

『リバーサイド トリオ』は港区芝浦1丁目、新芝運河沿緑地に設置された、野外彫刻を次々に発表している彫刻家で写真家の黒川晃彦氏によって、平成4年(1992)に制作された人物モニュメント。

私も一緒に写真を撮ってもらいました。

 

 

『リバーサイド トリオ』を鑑賞後、運河の上を駆け抜ける東京モノレールを見て、田町駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと居酒屋で、お腹を満たして解散。

 

大人の遠足、全行程終了となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

今コース、28日(土)・29日(日)も開催を予定しております。

 

大変な時期ですが、少しは外に出て気晴らしをしたいとお考えの健康な皆さん、よろしければ少人数での街歩き、体験してみてください。

 

よろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

 

今回は、先日開催を終えた「リバイバル 三軒茶屋~宮の坂散歩」に参加された方々のご感想と記念写真です。

 

では、まず感想ツイートから。

 

 

 

 

 

 

続いて、記念写真。

 

 

皆様、写真撮影等ご協力、誠に有難うございました。

 

次は「第146回 芝公園~田町散歩

 

東京お散歩教室は男女ともに一人で気軽に参加できる、少人数制の歩きによる大人の遠足イベント。

 

散歩や街歩き、穴場観光にご興味ある方、一緒に身近な街の素敵発見に出かけましょう!

 

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お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は3月20日(金)~29日(日)に予定している、東京お散歩教室「第146回 芝公園~田町散歩」のご案内です。

 

第146回は、港区の神社・庭園・ベイエリア周辺の見どころを巡ります。

 

コースは下記の通り。
≪芝公園駅~芝東照宮~首尾稲荷大明神~尾崎紅葉生誕の地~芝神明商店街~芝大神宮~旧芝離宮恩賜庭園~竹芝ふ頭~重箱堀~芝浦妙法稲荷神社~田町駅≫

 

その他、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

東京お散歩教室は、歩いて街の見どころを巡る、少人数制の大人の遠足イベント。

 

参加者の9割が現役世代のおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社を参拝したり、しています。

 

「穴場観光」「街歩き」「タウンウォッチング」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、お気軽にご参加ください。

 

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お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「リバイバル 三軒茶屋~宮の坂散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は三軒茶屋駅から。

 

まずは、ゴリラビルへ。

 

 

ゴリラビルは、世田谷区太子堂3丁目、茶沢通り沿いにある、昭和54年(1979)3月竣工の地上3階建てのビル。

手のひらに少女を乗せた巨大なゴリラが屋上にいることから、太子堂の珍スポットとなっています。

また、2階には、「K- 1ジム三軒茶屋シルバーウルフ」が入っています。

 

ゴリラビルの次は、太子堂八幡神社へ。

 

 

太子堂八幡神社は、世田谷区太子堂5丁目に鎮座する、誉田別尊(応神天皇)を御祭神として祀る神社。

創建年代は不詳ですが、平安時代後期、源頼義・義家親子が陸奥国の豪族・安倍氏の征討に向かう途中、当社で戦勝祈願をしたと伝えられており、後の文禄年間(1592~1596)に八幡神社として体裁が整えられました。

境内には、昭和11~12年(1936~1937)に新築整備された社殿、鳥居、神楽殿、社務所がある他、境内社として稲荷神社、出羽三山神社・鹽しお竈がま神社、弁天社が祀られています。

また、境内の片隅では可愛らしい「幸せうさぎ」が飼われていて、参拝者の人気を集めています。

 

太子堂八幡神社の次は、若林稲荷神社へ。

 

 

若林稲荷神社は、世田谷区若林2丁目に鎮座する、倉稲魂命と天照大御神を御祭神として祀る神社。

かつては福寿稲荷といい、そこに天祖神社(神明社)が合祀されたもので、明和6年(1769)に地頭(領主)より社領を奉納されていること、また、元禄5年(1692)の手水鉢が残されていることから、江戸時代初期から中期にかけての創建と推測されています。

 

若林稲荷神社の次は、松陰神社へ。

 

 

途中、遮断機のない若林踏切(交差点)で環七を横断する東急世田谷線のミニ車両をチェック。

 

 

松陰神社は、世田谷区若林4丁目に鎮座する、吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰)を御祭神として祀る神社。

吉田松陰は、安政6年(1859)10月27日に安政の大獄に連座し、江戸伝馬町の獄中で30歳の若さで刑死。

小塚原回向院に埋葬されましたが、文久3年(1863)に、彼の門下生であった高杉晋作、伊藤博文らによって、毛利藩藩主・毛利大膳大夫の所領で大夫山と呼ばれていたこの地に改葬。

明治15年(1882)11月21日に、門下の人々が墓畔に社を築いて松陰の御霊を祀り、神社創建となりました。

現在の社殿は昭和2~3年(1927~1928)にかけて造営されたもので、境内には、社殿の他、吉田松陰先生他烈士墓所、松下村塾を模した建物、ブロンズの吉田松陰先生像などがあります。

 

松陰神社の次は、松陰神社通り商店街へ。

 

 

松陰神社通り商店街は、東急世田谷線・松陰神社前駅を挟んで南北に伸びる商店街。

松陰神社通り松栄会商店街振興組合が管理を行っており、松陰神社の参道にあることから、商店街の活性化策として、山口県萩市や萩市内の商店街と交流。

萩市、萩商工会議所、萩市観光協会、萩物産協会などの支援を得て、平成4年(1992)から毎年10月に「萩・世田谷 幕末維新祭り」を開催しています。

 

 

松陰神社通り商店街にある「肉の染谷」で一回目のおやつタイム。

それぞれ気になった揚げ物を買って、みんなで頬張りました。

 

松陰神社通り商店街の次は、世田谷代官屋敷へ。

 

 

世田谷代官屋敷は、世田谷区世田谷1丁目に保存されている、彦根藩世田谷領20ヵ村の代官を世襲した大場家の役宅。

大場代官屋敷とも呼ばれ、大名領の代官屋敷としては都内唯一の存在で、昭和27年(1952)に都史跡に、昭和53年(1978)には、住宅主屋と表門の2棟が、住宅建造物としては都内で初めて国の重要文化財に指定。

もともと大場家は、世田谷・吉良家の重臣で、天正年間(1573~1592)の初頭に大場信久がこの地に転居し、吉良家没落後は帰農していましたが、井伊家が世田谷領を拝領した際に、大場家は代官に起用されました。

屋敷の普請記録は、信久から7代目の大場六兵衛盛政が元文元年(1736)と翌年の二度にわたって改築を行ったのが初見で、その後も増築は続き、近代に入ると、主屋内部の改修がさらに進みましたが、昭和42年(1967)に住宅保存のための解体修理が行われ、往時の姿が復元されました。

 

世田谷代官屋敷の次は、世田谷区立郷土資料館へ。

 

 

世田谷区立郷土資料館は、世田谷区世田谷1丁目、世田谷代官屋敷に隣接して所在する資料館。

区政30周年事業の一環として昭和39年(1964)9月10日に開設された都内最初の公立地域博物館で、世田谷区に関する歴史や民俗資料などを収集し、それらに関する調査・研究と研究成果の展示や書籍の刊行など行っており、館内には、常設展示室、企画展示、図書閲覧コーナーや集会室が。

約3万5千年前から現代までの世田谷の歴史を楽しみながら学ぶことができます。

 

 

世田谷区立郷土資料館を見学後、世田谷代官屋敷をバックに記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

記念写真の後は、上町天祖神社へ。

 

 

上町天祖神社は、世田谷区世田谷1丁目に鎮座する、主祭神に天照大御神、相殿に倉稲魂命を祀る神社。

創建年代は不詳ですが、もと横根の伊勢森にあった稲荷社の祠を嘉永2年(1849)に現在地に移し、新たに祠をつくったといいます。

その後、明治42年(1909)に世田谷八幡宮に合祀され、一度廃止されますが、昭和6年(1931)、地元の要望で社殿が建てられ再建。

さらに、昭和29年(1954)に新社殿と社務所が完成し、宗教法人として設立登記がされました。

 

上町天祖神社の次は鹿港(ルーガン)へ。

 

 

鹿港は、世田谷区世田谷3丁目にある手作り中華まんの専門店。

ここの中華まんはどれも本当に美味しく、週末は大人買いする人たちで大抵行列が。

我々も並んで、おやつ用とお土産用の肉包(肉まん)を買い、近くの公園で試食。

皆さん、期待していた以上の味に、大感激されていました。

 

鹿港の次は、世田谷城阯公園へ。

 

 

世田谷城阯公園は、世田谷区豪徳寺2丁目に所在する、昭和15年(1940)に開園した面積約3,835㎡を有する区立公園。

世田谷城は、武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に烏山川が蛇行し、北には小支谷が入る平山城。

14世紀後半に吉良治家が居住したのが始まりといわれており、世田谷・吉良氏ははじめ、鎌倉公方に仕え、15世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、16世紀には北条氏と結びました。

その後、北条氏と上杉氏との勢力争いで、享禄3年(1530)に世田谷城は攻略されたと伝えられますが、後に吉良氏の手に復し、この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にありましたが、天正18年(1590)の豊臣氏の小田原攻略により、世田谷城も廃城。

公園は世田谷区内唯一の歴史公園で、東京都指定文化財になっており、園内には、昔の面影を残す土塁や丘、谷を見ることができます。

 

世田谷城阯公園の次は、豪徳寺へ。

 

 

豪徳寺は、世田谷区豪徳寺2丁目にある、大渓山と号し、釈迦如来を本尊として祀る寺院。

世田谷城主・吉良政忠が文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために建立した「弘徳院」が前身で、はじめは臨済宗に属していましたが、天正12年(1584)に曹洞宗に改宗。

そして、寛永10年(1633)に世田谷領を拝領した彦根藩主・井伊直孝が井伊家の菩提寺とし、万治2年(1659)に直孝が亡くなったとき、その法号にちなんで豪徳寺と改称。

直孝の娘・掃雲院は父の冥福を祈るため、多くの堂舎を建立、寄進し、豪徳寺を大伽藍を備えた寺観に改めました。

境内は、仏殿(1677年完成)、石灯籠二基、梵鐘(1679年完成)が昔のままの姿をとどめているほか、国指定史跡となっている「彦根藩主井伊家墓所」には、安政7年(1860)3月3日に江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓もあります。

また、豪徳寺は招き猫発祥の地といわれており、招福殿の横には、願いが成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納され、令和2年2月には招福猫児像も建立されました。

 

豪徳寺の次は、世田谷八幡宮へ。

 

 

途中、東急世田谷線・宮の坂駅前に静態保存されている、大正14年(1925)に製造され、晩年は江ノ電としても活躍した古い玉電の車両をチェック。

 

 

世田谷八幡宮は、世田谷区宮坂1丁目に鎮座する、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を御祭神として祀る神社。

由緒は、寛治5年(1091)、源義家が後三年の役の帰途、この地で豪雨に遭い、天候回復を待つために滞在。

そのとき義家は、今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護によるものと思い、宇佐神宮(大分県宇佐市)の御分霊を勧請。

その後、世田谷城主7代目・吉良頼康が天文15年(1546)に社殿を再興。

明治時代は郷社に列し、「宇佐神社」と改称しましたが、戦後、旧称である「世田谷八幡宮」に復しました。

境内には、昭和39年(1964)に改築された社殿をはじめ、厳島神社、世田谷招魂社、高良神社が境内社として鎮座。

他にも、奉納相撲用の土俵や力石などがあります。

 

こんなふうにあちこち見どころを巡って、宮の坂駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと豪徳寺駅近くの居酒屋さんで、軽く打ち上げをして解散。

 

大人の遠足、全行程終了となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

今コース、14日(土)も開催します。

 

新型コロナウイルスの件もあり、私も手探りの状態ですが、とりあえず開催できるうちは衛生面に気を遣いながらやってまいりますので、ご興味ある方はどうぞよろしくお願いいたします。

 

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