東京散歩道

東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

東京お散歩教室は、首都圏の隠れた名所や穴場観光地、地元の名物などを紹介している、1人参加が中心の少人数制の街歩きの会。身近な街をお散歩して新たな発見とストレス解消をご提供するほか、趣味の仲間作りの場にもなっています。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は7月11日に開催した東京お散歩教室「再訪+α 東京テレポート~泉岳寺散歩」の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は東京テレポート駅から。

 

まずは、実物大ユニコーンガンダム立像へ。

 

 

実物大ユニコーンガンダム立像は、江東区青海1丁目、ダイバーシティ東京プラザ前のフェスティバル広場に平成29年(2017)9月24日から展示されている新しいガンダム立像。

『機動戦士ガンダムUC』は、『機動戦士ガンダム』から続く宇宙世紀を舞台とした物語の新章。

作家·福井晴敏による同名小説を平成22年(2010)から株式会社サンライズが映像化したアニメーション作品で、立像は全高19.7m、重量は49tあります。

また、ユニコーンモードからデストロイモードへの変身もでき、角の開閉、顔のモード変更、肩・腰・膝パーツの展開、サイコフレームの発光などが可能な限り再現されています。

 

実物大ユニコーンガンダム立像を見た後は、ダイバーシティ東京プラザに行って、おやつ・お土産購入タイム。

 

 

ダイバーシティ東京プラザでは、フリータイムを設けて、各々気になったお店で商品を購入。

 

お買い物タイムの次は、自由の女神像へ。

 

 

自由の女神像は、港区台場1丁目に立つ、フランス政府公認の自由の女神像のレプリカ像。

レプリカ像完成までの経緯は、まず「日本におけるフランス年」事業の一環として、パリの自由の女神像が1998年4月~1999年1月までの間、お台場海浜公園に初の海外公開として設置されました。

その優美な姿は日仏友好のシンボルとして多くの人々に愛され、フランスへの帰国が近づくにともない、復刻像の再建を望む声が強まりました。

そうした背景のもと、フジテレビと臨海副都心まちづくり協議会・二つの自由の像設置委員会が中心となって、復刻像の制作案をまとめ、オリジナル像所有者であるパリ市に申請。

日本におけるフランス年実行委員会、駐日フランス大使館の協力を得て、1999年3月、パリ市からの正式許可を受け、フランスに帰った「自由の女神像」の型取りが開始されました。

そして、2000年10月に完全復刻像が完成し、同年12月22日、お台場の自由の女神像が序幕されました。

 

自由の女神像の次は、アクアシティお台場へ。

 

 

アクアシティお台場は、港区台場1丁目にある、140店舗以上に及ぶショップやレストランなどで構成されている大型ショッピングセンター。

開業は平成12年(2000)4月で、運営は三菱地所プロパティマネジメント株式会社が行なっています。

施設はお台場海浜公園に隣接し、お台場を代表する商業スポットとして人気を集めています。

 

アクアシティお台場の次は、お台場海浜公園へ。

 

 

お台場海浜公園は、港区台場1丁目にある、旧防波堤と台場公園に囲まれた入り江を利用した東京都港湾局所管の海浜公園。

かつては貯木場でしたが、昭和40年代から公園としての整備が進み、昭和50年(1975)に開園。

平成8年(1996)にリニューアルして、現在のような形になりました。

園内には、神津島の砂を使用した人工の砂浜「おだいばビーチ」や、釣りができる磯浜があります。

 

お台場海浜公園の次は、台場公園へ。

 

 

台場公園は、港区台場1丁目にある都立公園。

ペリーの黒船来航に備えて東京湾上に作られた、第三台場(1854年完成)を利用して、昭和3年(1928)に開園しました。

お台場海浜公園から続く、東京湾に突き出た公園で、形は1辺が160mの正方形。

周囲は高さ5m~7mほどの石垣に囲まれ、その上に土手が築かれ、中央部分は低い窪地になっています。

北側には石組みの船着場跡があり、窪地には陣屋跡や弾薬庫跡などがあります。

 

 

この日は、台場公園の陣屋跡で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

台場公園の次は、レインボーブリッジへ。

 

 

レインボーブリッジは、港区芝浦地区とお台場地区(港区台場及び江東区有明)を結ぶ吊り橋。

都心と開発が進む臨海副都心を結ぶことを目的として、昭和62年(1987)に着工、平成5年(1993)に竣工し、同年8月26日に開通しました。

橋長は798m、幅は49mで、塔高は126m、橋桁高は52mあり、「レインボーブリッジ」という名前は、一般公募により決められたもので、正式名称は「首都高速11号台場線・東京港連絡橋(臨港道路)」。

橋は上下2層構造になっており、上層は首都高速11号台場線、下層には中央部に新交通システムゆりかもめ、その両側に一般道路東京都道482号台場青海線が通っています。

また、下層の両外側には歩道があり、歩いて渡ることもできます。

 

レインボーブリッジに着いたところで、レインボープロムナードへ。

 

 

レインボープロムナードは、レインボーブリッジ下層の東京都道482号台場青海線の歩道のこと。

通行可能時間は、4~10月が9:00~21:00、11~3月が10:00~18:00(最終入場は30分前まで)。

毎月第3月曜日(祝祭日に当たるときは翌日)、年末年始、強風時は通行できません。

コースは、東京都心や晴海・豊洲地区を望む「ノースルート」と、東京湾・お台場を望む「サウスルート」があります。

ただ、橋上では台場寄りのP31橋脚にある通路を除き車道横断はできず、また自転車は進入禁止のため、専用の貸し出し台車に乗せて手押しで通行するか、輪行袋などに収納して、荷物として携帯することになっています。

ちなみに、平成12年(2000)3月までは有料(大人300円・中学生100円)でしたが、以降は無料になりました。

 

レインボープロムナードのサウスルートを歩き、橋を渡り切った後は、高輪橋架道橋下区道へ。

 

 

高輪橋架道橋下区道は、港区の高輪橋架道橋下を通る高輪地区と港南地区を結ぶ区道。

明治初期、この地域は海で新橋~横浜間に鉄道が開通したとき、当時の海岸線から50mほど沖合に高輪築堤を築き、そこに線路を敷設。

高輪橋架道橋は運河から海へと出る水路があった名残で、後年海側も埋め立てが進んで、人や車が行き来するガードになりました。

そして、令和2年(2020)4月12日~令和14年(2032)3月まで(予定)、高輪ゲートウェイ駅を中核とした周辺地区の「TAKANAWA GATEWAY CITY」の開発に伴い車道が閉鎖。

架道橋道の北側に並行するように新放水路のパイプカルバートが敷設されたことをうけ、令和5年(2023)10月19日より架道橋の南側壁裏を抜けていた暗渠放水路を道路に切り替えました。

これにより高輪橋架道橋の旧路は全て撤去。

なお、放水路跡通路は高さが約2.6mあり、壁の上半分をセメント補強で白塗りし、新たに白色灯照明も設置されたことにより、旧道時代のような圧迫感は軽減。

歩行者・自転車のみ通行可となっています。

なお、この放水路も架道橋下道同様、高輪築堤に伴う旧水路を活かしたもので、壁面に石垣構造を見ることができます。

 

高輪橋架道橋下区道の次は、MoN Takanawa: The Museum of Narrativesへ。

 

 

MoN Takanawa: The Museum of Narrativesは、港区のTAKANAWA GATEWAY CITY内に令和8年(2026)3月28日にオープンした文化の実験的ミュージアム。

一般財団法人JR東日本文化創造財団が運営し、建築家·隈研吾が外装デザインを担当。

施設のコンセプトは「100年先へ文化をつなぐ」で、伝統、アート、テクノロジーを掛け合わせ、多様な物語(ナラティブ)を紡ぎ出す、国際的な文化発信・創造の拠点であり、建築とデザインは木材をふんだんに使用した流麗な螺旋状の外観が特徴。

「都市の中に緑の丘をつくる」というコンセプトに基づいています。

また、その美しさとサステナビリティが評価され、ユネスコなどが主催する世界的建築賞「Prix Versailles(ベルサイユ賞)」の世界で最も美しいミュージアムにも選出されました。

さらに、体験型プログラムとして、年に2回の「テーマ(問い)」を掲げ、地下3階から地上6階の館内にある、全面LEDパネルのシアター空間(Box1000)や約100畳の畳エリア、テラスなどを駆使し、分野を横断する多彩な展覧会やライブパフォーマンスを展開しています。

 

MoN Takanawa: The Museum of Narrativesの次は、高輪大木戸跡へ。

 

 

高輪大木戸跡は、港区高輪2丁目に所在する国の史跡。

大木戸とは、江戸時代、街道上の江戸内外の境界に設けられた簡易な関所のこと。

高輪大木戸は、宝永7年(1710)に芝口門に造られたのが起源で、享保9年(1724)に現在地に移設。

江戸の南の入口として、道幅約六間(約10m)の旧東海道の両側に石垣を築き、夜間は閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能を果たしていました。

そして、天和2年(1682)には、札の辻(現在の港区芝5-29-16)から、高札場も移されました。

旅人の送迎もここで行われ、付近には茶屋もありましたが、江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、現在は、幅5.4m、長さ7.3m、高さ3.6mの石垣のみが残されています。

 

こんなふうにあちこち巡って、泉岳寺駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと「てらけん本家 泉岳寺駅前店」で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は7月4日に開催した東京お散歩教室「再訪 王子周辺ぐるっと散歩」の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は王子駅北口から。

 

まずは、洋紙発祥の地碑へ。

 

 

洋紙発祥の地碑は、北区王子1丁目に立つ記念碑。

日本の洋紙生産は、明治6年(1873)にヨーロッパの先進文明を視察して帰国した渋沢栄一(1840~1931)が「抄紙会社」を設立し、王子に製紙工場を造ったことから始まりました。

田園の中、煙を吐く煉瓦造の工場は、当時の錦絵にも描かれ、東京の新名所となり、日本の製紙業に大きな役割を果たしましたが、昭和20年(1945)、戦災によりその歴史を閉じました。

この碑は、工場創立80周年を記念し、昭和28年(1953)に、王子製紙の跡地に建てられたものです。

 

洋紙発祥の地碑の次は、お札と切手の博物館へ。

 

 

お札と切手の博物館は、北区王子1丁目、独立行政法人国立印刷局内にある、お札と切手関係の専門博物館。

印刷局創立100年を記念して、昭和46年(1971)に新宿区市谷に開設。

平成23年(2011)に北区王子に移転しました。

展示室は1階と2階に分かれており、1階展示室は、新しい日本銀行券の紹介コーナーや偽造防止技術の歴史についての展示、1億円の重さ体験コーナーなどがあり、2階展示室は、歴代の日本のお札や切手を展示し、社会背景の変化や技術の進歩によるデザインの移り変わりを見ることができるほか、世界のお札や切手も多数展示されています。

また、国立印刷局では、旅券(パスポート)・官報・諸証券も製造しており、これらを紹介するコーナーもあります。

 

お札と切手の博物館の次は、あすかパークレールへ。

 

 

あすかパークレールは、平成21年(2009)7月より運行を開始した、無料で乗車できる「飛鳥山公園モノレール」の愛称。

公園入り口駅から山頂駅までの高低差17.4m、レール延長48mを2分で結んでいます。

運転は無人で、年末年始、整備点検日等を除いて年中無休。

運行時間は午前10時から午後4時まで。

利用者はエレベーターと同じ要領でボタンを押し、モノレール「アスカルゴ」の昇降操作を行います。

定員はイス席6人、立ち席10人の16人乗り。

車両内は冷暖房完備で、車イス・ベビーカーでの利用も可能です。

 

あすかパークレールの次は、飛鳥山公園へ。

 

 

飛鳥山公園は、北区にある区立公園。

8代将軍·徳川吉宗が享保の改革の一環として、花見の行楽地として整備・造成を行ったことが始まりで、明治6年(1873)、太政官布達により、上野公園・芝公園・浅草公園・深川公園と共に日本最初の公園に指定。

主な施設として、「北区飛鳥山博物館」・「紙の博物館」・「渋沢史料館」などがあります。

また、園内に残る渋沢栄一の旧邸(晩香廬・青淵文庫)は国の重要文化財に指定されています。

 

飛鳥山公園を散策しながら、続いて渋沢史料館へ。

 

 

渋沢史料館は、北区西ケ原2丁目、飛鳥山公園内にある博物館。

渋沢栄一の活動を広く紹介する博物館として、昭和57年(1982)に開館。

かつて栄一が住んでいた旧渋沢邸跡に建ち、公益財団法人渋沢栄一記念財団が運営を行い、栄一の生涯と事績に関する資料を収蔵・展示しています。

また、関連イベントなども随時開催しています。

 

史料館を見学後、旧渋沢庭園へ。

 

 

旧渋沢庭園は、飛鳥山公園の一角にある、曖依村荘と名付けられた渋沢栄一の旧宅跡。

はじめ渋沢栄一が王子製紙の工場を訪問した際、王子権現(王子神社)付近を散策したところ、眺望が良かったことから西ケ原の地を気に入り、明治12年(1879)に別荘地とし、明治34年(1901)に庭園を含めた敷地面積8,470坪(約28,000㎡)の本邸が完成。

その後、栄一の長寿の祝いの都度、建物が設けられ、明治42年(1909)5月に古稀(70歳)祝いとして平壌から愛蓮堂が移築され、大正6年(1917)に喜寿(77歳)祝いとして晩香廬、大正14年(1925)に傘寿(80歳)祝いとして青淵文庫が贈られました。

子爵·渋沢栄一は昭和6年(1931)に亡くなりますが、栄一の長男·篤二が病弱であったため、篤二の長男で、栄一の嫡孫である敬三が2代当主として家督と子爵位を継承。

栄一から遺言を預かった渋沢子爵家当主·敬三によって邸宅内の土地と建造物は財団法人竜門社(後の公益財団法人渋沢栄一記念財団)に寄贈され、昭和8年(1933)から一般公開を開始。

昭和20年(1945)には、内閣総理大臣官舎第二別館となりましたが、同年の空襲により日本館と西洋館からなる本館など主要な建物は焼失。

そして、時代が下ると敷地の分割が進みましたが、晩香廬と青淵文庫の周辺は庭園の姿が維持され、平成4年(1992)からは北区が管理。

現在は旧渋沢庭園として一般公開されています。

 

旧渋沢庭園では、まず晩香廬を見学。

 

 

晩香廬は、渋沢栄一の77歳の喜寿を祝い、合資会社清水組(現在の清水建設)の清水満之助が長年の厚誼を謝して、大正6年(1917)に贈った小亭。

建物は応接部分と厨房、化粧室部分をエントランスで繋いだ構成で、構造材には栗の木が用いられています。

また、外壁は隅部に茶褐色のタイルがコーナー・ストーン状に張られ、壁は淡いクリーム色の西京壁で落ち着いた渋い表現となっています。

さらに、応接室の空間は勾配の付いた舟底状の天井、腰羽目の萩茎の立簾、暖炉左右の淡貝を使った小窓など、建築家·田辺淳吉のきめこまかな意匠の冴えを見ることができます。

なお、晩香廬の名は、バンガローの音に当てはめ、栄一自作の漢詩の一節「菊花晩節香」から採ったといわれます。

そして、栄一はこの場所をレセプションルームとして愛用し、国内外の賓客をもてなしました。

 

晩香廬の次は、青淵文庫へ。

 

 

青淵文庫は、渋沢栄一(雅号·青淵)の80歳の傘寿と子爵に昇格した祝いを兼ねて、門下生の団体「竜門社」が大正14年(1925)に贈呈した建物。

栄一が収集した「論語」関係の書籍の収蔵と閲覧を目的とした小規模な建築で、設計者は田辺淳吉。

建物の外壁には月出石(伊豆天城産の白色安山岩)を貼り、列柱を持つ中央開口部には、色付けした陶板が用いられています。

さらに、上部の窓には渋沢家の家紋「丸に違い柏」と祝意を表す「寿」、竜門社を示す「竜」をデザインしたステンドグラスがはめ込まれ、色鮮やかな壁面が構成されており、内部には1階に閲覧室、記念品陳列室、2階に書庫があり、床のモザイクや植物紋様をあしらった装飾が随所に見られ、照明器具を含めて華麗な空間が表現されています。

 

青淵文庫を出た後は、「渋沢×北区 飛鳥山おみやげ館」でおやつ&お土産購入タイム。

 

 

こちらでは、各々気になった商品を購入。

私は渋沢百訓饅頭をその場で食べました。

 

お買い物の後は、飛鳥の小径へ。

 

 

飛鳥の小径は、飛鳥山公園の北側、JR線路沿いの小径。

約10種類、1,300株ほどの紫陽花が植えられていますが、既にピークは過ぎていました。

 

飛鳥の小径で紫陽花観賞をした後は、王子神社へ。

 

 

王子神社は、北区王子本町1丁目に鎮座する東京十社の一社。

旧称は「王子権現」で、「王子」という地名の由来にもなっている神社。

御祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大御神・速玉之男命・事解之男命の五柱で、総称して「王子大神」と呼ばれており、開運招福、運気の回生、厄除け、家内安全、身体健全、交通安全や子供に関する祈願に神徳あらたかです。

創建は不明ですが、平安時代、源義家が奥州征伐の折、当社の社頭で慰霊祈願を行い、甲冑を納めたという故事もあり、その後、元亨2年(1322)、領主·豊島氏が紀州熊野三社より王子大神を迎えて、「若一王子宮」として奉斉。

熊野にならって社殿を再興しました。

それよりこの地は王子という地名になったといわれています。

そして、戦国時代は北条氏が崇敬し、江戸時代に入ると将軍祈願所に定められ、3代将軍·徳川家光が社殿を新造。

儒学者·林羅山に命じて『若一王子縁起』絵巻三巻を作らせ奉納し、その後も社殿の造営・修繕は続き、「王子権現」の名で江戸の名所の一つとなり、明治元年(1868)には准勅祭社に選ばれました。

社殿は戦災焼失後、昭和39年(1964)と昭和57年(1982)の2回の造営を経て再建された権現造の建物。

その他、北区指定無形民俗文化財(民俗芸能)「王子田楽」を奉納する8月の祭礼や、12月の熊手市などの風物詩をはじめ、天然記念物として東京都指定文化財となった大イチョウ、理容業界の神様とされる関神社と毛塚があることでも知られています。

 

王子神社の次は、狸家へ。

 

 

狸家は、北区王子本町1丁目にある和菓子店。

王子といえば、狐を連想しますが、こちらでは狸が最中になって売られています。

 

狸家の次は、石鍋商店へ。

 

 

石鍋商店は、北区岸町1丁目にある明治20年(1887)創業の甘味処。

久寿餅が有名で、何人かのメンバーさんがお土産に購入されていました。

 

石鍋商店の次は、王子稲荷神社の予定でしたが、名主の滝公園の閉園時間が迫っていたので、先にそちらへ。

 

 

名主の滝公園は、北区岸町1丁目に所在する区立公園。

名主の滝は、江戸時代後期に王子村の名主·畑野孫八が屋敷内に滝を開き、茶を栽培し、一般の人々に開放したのが始まりで、名称もそれに由来しています。

明治中頃には、畑野家から貿易商·垣内徳三郎の所有となり、栃木の塩原の景観を模して庭石を入れ、ヤマモミジなどを植栽し、渓流をつくって、庭園として公開。

昭和13年(1938)には、株式会社精養軒に所有が移り、食堂やプールも設けられましたが、戦災で焼失。

その後、昭和35年(1960)に東京都によって再公開され、昭和50年(1975)に北区に移管されました。

園内は、男滝・女滝・独鈷の滝・勇玉の滝の4つの滝からなり、地下水をポンプで汲み上げて水を流しています。

(近年は男滝のみが稼働していましたが、公園再生整備工事に伴い、現在は男滝も停止中です)

 

名主の滝公園の次は、王子稲荷神社へ。

 

 

王子稲荷神社は、北区岸町1丁目に鎮座する、宇迦之御魂神・宇気母智之神・和久産巣日神を御祭神として祀る、衣食住の祖神で、産業の守護神。

古くは「岸稲荷」と称し、平安時代中期の武将·源頼義が関東稲荷総司として深く信仰していたという社伝が残っています。

そして、豊島氏が領主の時代に地名が王子と改まり、「王子稲荷神社」に改称。

戦国時代は北条氏が尊崇しました。

また、江戸時代には金輪寺が別当として、明治維新まで王子権現(王子神社)と共に管掌し、徳川将軍家の祈願所として大いに栄え、3代将軍·徳川家光が社殿を造営、5代将軍·綱吉と10代将軍·家治が修繕をした後、11代将軍·家斉が文政5年(1822)に社殿を新規再建。

八棟造り極彩色の華麗な社殿が建てられましたが、昭和20年(1945)4月の空襲で本殿は大破。

現在の社殿は、拝殿・幣殿が文政5年(1822)のもので、本殿は昭和35年(1960)に再建されたものです。

また、昭和62年(1987)には、社殿の総塗り替えが165年ぶりに行われ、神楽殿も新規に建て替えられました。

 

王子稲荷神社の次は、北とぴあへ。

 

 

北とぴあは、北区王子1丁目に所在する、区の産業の発展と区民の文化水準の高揚を目的として、平成2年(1990)にオープンした複合文化施設。

館内には、ホール・会議室・研修室・音楽スタジオ・トレーニングルーム・消費生活センターといった、様々な施設があり、最上階の17階にある展望ロビーでは、南・東・北の三方が眺められるようになっていて、北区の景色を一望することができます。

 

こんなふうに、あちこち巡って王子駅でお散歩は終了。

 

その後、有志のメンバーさんと「てけてけ 王子北口駅前店」で懇親会を開催。

さらに懇親会の後、再び北とぴあの展望ロビーに行って、夜景観賞をしました。

 

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「再訪+α 東京テレポート~泉岳寺散歩」のご案内です。

 

次回は、歩いてレインボーブリッジを渡ったり、お台場や高輪の見どころを巡ります。

 

コースは下記の通りです。
≪東京テレポート駅~実物大ユニコーンガンダム立像~自由の女神像~アクアシティお台場~お台場海浜公園~台場公園~レインボーブリッジ~高輪橋架道橋下区道~MoN Takanawa~高輪大木戸跡~泉岳寺駅≫

 

その他、日程・時間・参加費等、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

また、お散歩の後、懇親会も開いていますので、こちらもお楽しみいただけるかと思います。

(参加はご希望者のみ。お酒が飲めない方も多数参加されています)

 

 

東京お散歩教室は、街の見どころをのんびり歩いて巡る、大人の遠足。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「友達作り」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、是非ご検討なさってみてください。

 

何卒よろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第204回 新橋周辺ぐるっと散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は新橋駅から。

まずは、巴裡 小川軒 新橋店へ。

 

 

こちらで各々気になった洋菓子を購入。

 

続いて、お〜いお茶ミュージアムへ。

 

 

お〜いお茶ミュージアムは、港区東新橋1丁目、令和6年(2024)5月1日に「お茶の文化創造博物館」との複合型施設として旧新橋停車場内にオープンした、伊藤園の「お~いお茶」の歴史やこだわりを体験できる無料の博物館。

9つのエリアで製造工程や俳句体験、お茶のアップサイクル技術などを学び、併設のカフェやショップも楽しめるお茶の文化発信拠点です。

 

お〜いお茶ミュージアムの次は、旧新橋停車場 鉄道歴史展示室へ。

 

 

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室は、港区東新橋1丁目にある、東日本鉄道文化財団が運営する鉄道関連の展示室で、建物は、明治5年(1872)10月14日に開業した日本初の鉄道ターミナル新橋停車場と同じ位置に、できるだけ忠実な姿で再現されています。

当時の駅舎は、アメリカ人R・P・ブリジェンスの設計による木骨石張り構造で、明治4年(1871)12月に完成。

しかし、大正3年(1914)に、新設の東京駅に旅客ターミナルとしての機能が移されたため、新橋停車場は貨物専用駅となり、汐留駅と改称されました。

その後、大正12年(1923)年9月1日の関東大震災で旧駅舎が焼失。

残存していたプラットホームや構内の諸設備も汐留駅改良工事のために解体されました。

昭和61年(1986)の汐留駅廃止後は、埋蔵文化財発掘調査が行われ、その結果、旧新橋停車場駅舎やプラットホームなど、構内諸設備の礎石が発掘されました。

そして、平成8年(1996)12月10日、駅舎とプラットホームの一部の遺構が史跡「旧新橋停車場跡」として国の指定を受けたため、史跡保護と鉄道発祥の往時を偲ぶために駅舎再建が決定。

平成15年(2003)4月10日、オープンとなりました。

 

 

鉄道歴史展示室内を見学した後は、プラットホームのまわりを見てまわり、おやつタイム。

 

 

巴裡 小川軒で買っておいた洋菓子をホームの脇にあるテーブルで座って食べました。

 

おやつタイムの後は、アドミュージアム東京へ。

 

 

アドミュージアム東京は、港区東新橋1丁目、カレッタ汐留にある広告とマーケティングの総合的な資料館。

アドミュージアム東京は、広告界に大きな功績を残した電通の4代目社長·吉田秀雄の功績を称えて設立された公益財団法人吉田秀雄記念事業財団が、マーケティングと広告の理論と技術の発展を目的として、彼の生誕100年にあたる平成14年(2002)12月1日に、日本で唯一の広告ミュージアムとして開館した施設で、平成29年(2017)12月1日、開館15周年を記念してリニューアルオープン。

館内は常設展示として、江戸時代から今日に至るまでの世相と広告の歴史が一覧できる他、様々な企画展やイベントも行われています。

 

アドミュージアム東京の次は、SKY VIEWへ。

 

 

SKY VIEWは、港区東新橋1丁目にある、平成14年(2002)12月1日にオープンした、文化施設を併設した複合商業施設「カレッタ汐留」の46階にある無料展望スペース。

地上約200mからの東京湾の絶景や浜離宮恩賜庭園を一望することが可能です。

 

SKY VIEWの次は、浜離宮恩賜庭園へ。

 

 

入園して、まずは三百年の松をチェック。

 

 

その後、園内にある濱見世へ行って、再びおやつを食べ、それから園内を散策。

 

 

浜離宮恩賜庭園は、中央区浜離宮庭園にある、海水を引き入れた潮入の池と2つの鴨場をもつ、開園面積約250,215㎡の都立庭園。

この地は、寛永年間(1624~1644)までは、徳川将軍家の鷹狩場で、一面芦原でした。

ここに初めて屋敷を建てたのは、4代将軍·徳川家綱の弟で甲府宰相の松平綱重。

承応3年(1654)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。

その後、綱重の子供の綱豊(徳川家宣)が6代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も「浜御殿」と改められました。

以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、11代将軍·徳川家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成。

そして、明治維新の後は皇室の離宮となり、名前も「浜離宮」となりました。

その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失したり、樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年(1945)11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ、昭和21年(1946)4月に有料公開されるに至りました。

なお、国の文化財保護法に基づき、昭和23年(1948)12月には国の名勝及び史跡に、昭和27年(1952)11月には周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。

 

浜離宮恩賜庭園を散策した後は、イタリア街へ。

 

 

イタリア街は、港区東新橋2丁目にある、汐留シオサイト5区(西街区)の愛称。

東京都が発令した汐留土地区画整理事業を発端に、旧汐留町会を中心とした住民組織は、銀座や六本木とは差別化された、商業を基軸に業務・住居などが共存するコミュニティとして、独自の街づくりを目指しました。

そこで日本と交流が深く、様々な情報を世界に発信しているイタリア共和国を参考に基盤をつくることが決定。

特にレッジョ・エミリアというエミリア=ロマーニャ州にある小さなイタリア北部の都市の外観や生活様式を手本として街づくりが進められ、平成19年(2007)にグランドオープン。

街を代表する施設として、三井ガーデンホテル汐留イタリア街があります。

 

イタリア街の次は、鹽竈神社と塩釜公園へ。

 

 

鹽竈神社は、港区新橋5丁目に鎮座する、鹽土老翁・武甕槌命・経津主命を御祭神として祀る神社。

由緒は、当地は江戸時代、仙台藩主·伊達家の中屋敷があったところで、神社は元禄8年(1695)に現在の東新橋にあった伊達家上屋敷内に、領地の鹽竈神社本社の分霊を祀ったのが始まりとされ、これが安政3年(1856)に現在地に遷座。

邸内社として祀られましたが、後に一般にも参拝が許され、安産の神様として信仰を集めました。

一方、塩釜公園は、関東大震災後、町民の災害時の避難場所と子どもたちの遊び場を兼ねたスペースとして、昭和5年(1930)に東京で唯一の町立公園として開園。

その後、昭和46年(1971)に港区が区立公園として整備。

昭和59年(1984)に全面リニューアルし、現在の姿になりました。

 

鹽竈神社の次は、田村銀杏稲荷大明神へ。

 

 

田村銀杏稲荷大明神は、港区新橋4丁目に鎮座する稲荷神社。

この辺りは奥州一関藩主·田村右京大夫建顕の上屋敷があった場所。

塀の外側には浅野内匠頭の切腹の場を見ていただろうという大イチョウがそびえていましたが、関東大震災で焼失。

その後、危ないので切り倒され、その切り株の上に「田村銀杏稲荷大明神」が祀られました。

しかし、それも第二次世界大戦で焼失の憂き目に遭い、姿を消しました。

それから半世紀以上を経て、都の環状二号線が旧田村邸跡を切り裂くように通ることになりました。

新橋の古い街並みや家屋が次々に壊されていく中、由緒あるこの地の歴史を後世に伝えようと地元の有志によって田村邸の角に「田村銀杏稲荷大明神」が復活。

さらにその後の再開発により、失ってしまうのですが、数年を経て「御菓子司 新正堂」の工場の柱の中に復活しました。

 

田村銀杏稲荷大明神の次は、御菓子司 新正堂へ。

 

 

途中、淺野内匠頭終焉之地碑をチェック。

 

 

御菓子司 新正堂は、忠臣蔵ゆかりの地で生まれたユニークな和菓子「切腹最中」が、「謝罪の手土産」として全国的に有名な和菓子店。

こちらで各々気になった和菓子をお土産に購入しました。

 

新正堂の次は、日比谷神社へ。

 

 

日比谷神社は、港区東新橋2丁目に鎮座する、豊受大神と祓戸四柱大神(瀬織津比賣大神・速開都比賣大神・気吹戸主大神・速佐須良比賣大神)を御祭神として祀る神社。

由緒は、もとは日比谷公園内にあった大塚山に鎮座し、「旅泊稲荷明神」と称していましたが、江戸城拡張にあたり、慶長年間(1596~1615)に氏子とともに芝口(現在の東新橋)に移され、明治5年(1872)、村社に列格。

その後、関東大震災の影響で、昭和3年(1928)の都市計画区割整理の対象となり、愛宕下町2丁目に換地されて、現在の新橋4丁目に社殿を造営。

さらに、都市道路計画(環状2号線)の建設により、平成21年(2009)に現在地に遷座しました。

 

日比谷神社の次は、烏森神社へ。

 

 

途中、烏森神社の参道で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

 

烏森神社は、港区新橋2丁目に鎮座する、倉稲魂命・天鈿女命・瓊々杵尊を御祭神として祀る神社。

由緒は、天慶3年(940)に平将門が乱を起こしたとき、鎮守府将軍·藤原秀郷が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えました。

その矢によって、速やかに乱を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れて、神鳥の群がるところが霊地であるとお告げをしました。

そこで現在地である桜田村の森に来たところ、お告げどおり烏が群がっていたので、そこに神社を創建したのが始まりといい、享徳4年(1455)には、室町幕府の関東管領で、古河公方といわれた足利成氏が戦勝祈願をし、その祈願状は今日も社宝として伝えられています。

江戸時代は、椙森神社(日本橋)、柳森神社(神田)とともに、「江戸三森」の一つに数えられ、明治6年(1873)、社号を「烏森稲荷社」から「烏森神社」に改称。

昭和46年(1971)に新社殿が完成し、現在に至ります。

また境内には「きやり塚(木遣塚)」が立ち、「心願色みくじ」なるものが頒布されています。

 

こんなふうにあちこち巡って、新橋駅西口広場(SL広場)に到着し、お散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと、ミライザカ 新橋銀座口ガード下店で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「第204回 新橋周辺ぐるっと散歩」のご案内です。

 

第204回は、新橋・汐留界隈に点在する見どころ巡り。

 

コースは下記の通りです。
≪新橋駅~お〜いお茶ミュージアム~旧新橋停車場 鉄道歴史展示室~アドミュージアム東京~SKY VIEW~浜離宮恩賜庭園~イタリア街~鹽竈神社~田村銀杏稲荷大明神~日比谷神社~烏森神社~新橋駅≫

 

その他、日程・時間・参加費等、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

また、お散歩の後、懇親会も開いていますので、こちらもお楽しみいただけるかと思います。

(参加はご希望者のみ。お酒が飲めない方も多数参加されています)

 

 

東京お散歩教室は、街の見どころをのんびり歩いて巡る、大人の遠足。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「友達作り」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、是非ご検討なさってみてください。

 

何卒よろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com