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東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「第184回 赤羽橋~田町散歩」のご案内です。

 

第184回は、港区。

港区東部に点在する、古墳、神社、公園、寺院、庭園、埠頭、運河、歴史的建造物などをご紹介します。

 

コースは下記の通りです。
≪赤羽橋駅~芝丸山古墳~芝東照宮~港区立芝公園~増上寺~芝大神宮~旧芝離宮恩賜庭園~竹芝ふ頭~重箱堀~港区立伝統文化交流館~田町駅≫

 

その他、日程・時間・参加費等、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

また、お散歩の後、懇親会も開いていますので、こちらもお楽しみいただけるかと思います。

(参加はご希望者のみ。お酒が飲めない方も多数参加されています)

 

 

東京お散歩教室は、街の見どころをのんびり歩いて巡る、大人の遠足。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「友達作り」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、是非ご検討なさってみてください。

 

何卒よろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第183回 川口周辺ぐるっと散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は川口駅東口から。

 

まずは、キュポ・ラ広場へ。

 

 

キュポ・ラ広場は、川口市川口1丁目にある広場で正式名称は「川口駅東口公共広場」。

川口1丁目市街地再開発組合施行の市街地再開発事業により、市民の憩いの場、中心市街地の活性化を図る場所として整備されたもので、広場名称「キュポ・ラ」は、英語でCUPO・LAと書き、CUはCULTURE「文化」、POはPOWER「力」、LAはLAND「土地」を表しており、公募により決まりました。

また、川口の地場産業である鋳物の溶解炉「キューポラ」にちなんでのネーミングでもあります。

広さは約3,000㎡の大きさで、周囲には樹木を植栽するとともに、休憩ベンチやモニュメント(『伝統のものづくり』、『働く歓び』)を設置。

中央には各種イベントが開催できるスペースがあります。

 

キュポ・ラ広場の次は、太郎焼本舗へ。

 

 

こちらで早速おやつタイム。

熱々の川口名物太郎焼きをみんなで頬張りました。

 

太郎焼本舗の次は、SL青葉通りへ。

 

 

現在、アリオ川口や大規模マンション群で構成されている「リボンシティ」がある場所は、平成15年(2003)に閉鎖されるまでサッポロビール埼玉工場があったところで、川口駅と工場を結ぶ専用線が敷かれていました。

「SL青葉通り」はその線路跡付近(※)にある道の名称で、通りの両脇には蒸気機関車の部品をモチーフにした鋳物のオブジェが配置されています。
※引き込み線は、実際はもっと線路際にあったといわれています。

 

SL青葉通りで鋳物のオブジェを見た後は、川口市立アートギャラリー・アトリアへ。

 

 

川口市立アートギャラリー・アトリアは、川口市並木元町に所在するアート施設。

リボンシティの開発事業に伴い、サッポロビールが市民への恩返しと今後の川口の発展を願って寄贈した施設で、平成18年(2006)4月にオープン。

令和5年(2023)4月1日より21世紀文化芸術研究室が市から指定管理を受け、管理・運営業務を担当。決まった収蔵品はなく、市民に対して開かれたアートの場を提供しています。

 

こちらで、企画展「アトリアで、春」を鑑賞した後、旧田中家住宅へ。

 

 

途中、栄町にある梅乃家に寄って、おやつ&お土産用の和菓子を購入。

 

 

旧田中家住宅は、川口市末広1丁目にある、平成18年(2006)に国登録有形文化財、平成30年(2018)に国指定重要文化財に指定された歴史的建造物。

旧田中家住宅は大正12年(1923)に竣工した煉瓦造3階建の洋館と昭和9年(1934)に増築された和館のほか、文庫蔵、煉瓦塀、茶室、池泉回遊式庭園により構成された邸宅で、味噌醸造、材木商等を営む資産家であった4代目·田中德兵衞(1875~1947)は、職業柄、建築資材にはこだわりがあり、当時入手できる最高級の木材を用いました。

例えば、洋館2階の座敷に使用されている黒柿は1万本の柿の木の中から1本という、非常に希少な木材。

煉瓦は建築現場の近くで専門の職人に焼かせたものを使用し、調度品はヨーロッパから取り寄せたものや、日本の企業に特注したものが内装を飾り、建築費用の総額は18万円といわれています。

これは現在(平成19年)の金額にするとおよそ2億5千万円となり、この建物がいかに破格であったかを窺い知ることができます。

 

旧田中家住宅でも、企画展「アトリアで、春」が同時開催されていて、和洋折衷の豪華な邸宅とアートのコラボをじっくり鑑賞しました。

 

旧田中家住宅の次は、錫杖寺へ。

 

 

途中、川口元郷駅付近で見ごろを迎えた安行桜の並木をチェック。

 

 

錫杖寺は、川口市本町2丁目にある、宝珠山光照院と号し、地蔵菩薩を本尊として祀る真言宗智山派の寺院。

歴史は、天平12年(740)、行基が聖武天皇の命により光明皇后の病気平癒のため当地に草庵を結んだのが起源と伝えられ、その後、鎌倉幕府8代執権·北条時宗の帰依を受けた願行上人が草庵を再興。

寛正元年(1460)には、室町幕府8代将軍·足利義政により七堂伽藍が整備され、中興の祖·宥鎮和尚を晋住させました。

以降、醍醐三宝院直末で関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を有する名刹として栄え、元和8年(1622)には、江戸幕府2代将軍·徳川秀忠の日光参社の際の御膳所となり、以降歴代将軍により利用されました。

また、3代将軍·徳川家光からは、金子、材木を拝領し、御成門を建立するとともに、御朱印20石を賜るなど、川口宿の中核寺院として繁栄。

現在の本堂は昭和50年(1975)に新築されたもので、墓域には江戸城大奥最後の御年寄·瀧山の墓があります。

なお、山門は明治期に移築された旧宇都宮城のもので、戊辰戦争のときの刀傷や銃弾の跡が残っています。

 

 

錫杖寺をお参りした後、門前で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

錫杖寺の次は、川口市立文化財センターへ。

 

 

川口市立文化財センターは、川口市本町1丁目にある、市内の文化財を展示している郷土資料館。

発掘調査の出土品や鋳物に関する資料、神楽面といった民俗芸能に使う道具などが見学できるほか、体験学習などを通して、川口の歴史や文化を理解することができます。

※写真は許可を得て撮らせていただきました。

 

川口市立文化財センターの次は、川口神社へ。

 

 

川口神社は、川口市金山町に鎮座する、素戔嗚尊・菅原道真公・宇迦之御魂命・保食命・金山彦命を御祭神として祀る神社。

創始は天慶年間(938~947)に足立郡司判官代·武蔵武芝が大宮の氷川神社より分祀勧請したといい、もと「氷川社」と称し、川口町の鎭守氏神として崇敬を集め、暦応2年(1339)及び天文4年(1535)の板碑や室町初期の古神像、江戸期の棟札等が残されています。

また、江戸時代になると「氷川大明神」と尊称され、8代将軍·徳川吉宗が行った産米のための見沼開発における芝川落口の門樋工事において、工事成功祈願の後、成功の運びとなったことから、この神恩に感謝して神前に神鏡(市指定文化財)を奉納。

そして、明治6年(1873)に村社に指定された後、町内の天神社、稲荷社(三社)、 金山社を合祀して、明治42年(1909)社名を「川口神社」と改め、昭和8年(1933)の市制施行に伴い、川口市の総鎮守となりました。

なお、境内には境内社として、金山神社、梅ノ木天神社、杉山稲荷神社・第六天社・石神井社、八雲社、金刀比羅社、川口護国神社、浅間神社(富士塚)が祀られているほか、日露戦争の第二回旅順港閉塞作戦で福井丸に乗り組み、広瀬武夫らとともに戦死した、川口出身の海軍一等機関兵·小池幸三郎の胸像などがあります。

 

川口神社の次は、成田山川口分院へ。

 

 

成田山川口分院は、川口市本町3丁目にある、不動明王を本尊として祀る真言宗智山派の寺院で、通称は「川口不動院」。

創始は、もとは川口市舟戸の旧東明院持で、安永4年(1775)に川岸の守り仏として石仏の不動明王を建立したのが始まり。

そして、明治時代に利剣不動尊として金山町に移転。

さらに、明王寺として現在の本町に移転しました。

その後、昭和10年(1935)に旧本堂が完成すると、地場産業である鋳物工場の火の守り仏として信仰を集めるようになり、昭和20年(1945)に大本山成田山新勝寺の末寺となった後、昭和30年(1955)、松田照應貫首より分院の称号を許可され現在に至ります。

なお、現本堂は平成23年(2011)に完成した建物です。

 

成田山川口分院の次は、川口西公園へ。

 

 

川口西公園は、川口3,4丁目にある、通称「リリアパーク」と呼ばれている、面積約31,039㎡の都市公園。

川口駅と直結しており、駅近にして自然豊かな場所で、様々な彫刻やモニュメントを鑑賞しながら散策できます。

また、芝生広場ではイベントも行われ、桜の開花時期には大勢の花見客で賑わいます。

さらに、子供たちに人気の大型遊具や夏には水遊びもできる設備もあって、家族で楽しめるスポットになっています。

 

こんなふうにあちこち巡って、川口駅西口でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと三代目 鳥メロ 川口東口店で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は東京お散歩教室「第183回 川口周辺ぐるっと散歩」のご案内です。

 

第183回は、埼玉県川口市。

川口駅周辺に点在する、アートスポット、近代建築、寺院、郷土資料館、神社、公園など、新旧バラエティーに富んだ見どころをご紹介します。

 

コースは下記の通りです。
≪川口駅~キュポ・ラ広場~川口市立アートギャラリー・アトリア~旧田中家住宅~錫杖寺~川口市立文化財センター~川口神社~成田山川口分院~川口西公園~川口駅≫

 

その他、日程・時間・参加費等、詳細は教室ホームページをご覧ください。

 

 

途中のおやつや、お土産購入も楽しみの一つ。

 

 

また、お散歩の後、懇親会も開いていますので、こちらもお楽しみいただけるかと思います。

(参加はご希望者のみ。お酒が飲めない方も多数参加されています)

 

 

東京お散歩教室は、街の見どころをのんびり歩いて巡る、大人の遠足。

 

参加者ほぼ全員がおひとりさまで、一人では入りにくい施設や穴場観光地などをみんなで訪ねたり、寺社をお参りしたりしています。

 

「街歩き」「タウンウォッチング」「健康」「ストレス解消」「友達作り」「穴場観光」「風景写真」などにご興味をお持ちの方、是非ご検討なさってみてください。

 

何卒よろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

上の記事は3年前のものですが、今も考え方に変わりはございません。

 

教室会員の皆様、ご一読いただけたら嬉しいです。

 

あと補足なのですが、今は2週間天気予報や10日間天気予報の数も増え、精度も前より高くなりました。

 

ですので、例えば、それらの予報をご覧になって、「来週末に申し込んだが、今週末の方が天気がよさそうなので参加日を前倒しで変更しよう。」といった、再お申し込みも受け付けます。

同一コース、月3回開催にしましたので、ここ最近の参加枠争奪戦は緩和され、お日にちの変更もしやすくなると思われます。

 

お散歩教室は参加日のご変更を何度されても大丈夫。

 

小雨でも雨散歩は無理という方、キャンセルで勿論かまいませんが、お日にち変更が可能であれば、振替参加ご一考のほど、何卒よろしくお願いいたします。

 

以上、会員様へのお知らせでした。

 

 

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お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第182回 千歳船橋~用賀散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は千歳船橋駅から。

 

まずは、駅前に置かれている、テヴィエの胸像を紹介。

 

 

テヴィエの胸像は、『屋根の上のバイオリン弾き』の開演707回を記念して、昭和57年(1982)10月に東宝が森繁久彌さんに寄贈したもので、これまで広島県の賀茂カントリークラブにありましたが、地域住民から「街のシンボルとなるものを作ってほしい」という要望を受け、森繁さんの家族が像を世田谷区に寄贈しました。

なお、生前、森繁さんは60年以上世田谷区に住み、同区の名誉区民でもありました。

 

テヴィエの胸像を見た後は、おやつの調達。

 

 

一軒目は、鹿の子のたい焼き。

そして、鹿の子のすぐそばにある、CHITOFUNA CUBE(ちとふなキューブ)へ。

 

 

買い物を済ませたところで最初の目的地である、東京農業大学「食と農」の博物館に向けて、お散歩スタート。

 

 

東京農業大学「食と農」の博物館は、世田谷区上用賀2丁目にある、学校法人東京農業大学と一般社団法人進化生物学研究所の協力のもと、平成16年(2004)4月に開館した博物館。

東京農業大学が明治24年(1891)の創立以来、長年培ってきた膨大な研究・教育実績を広く社会に発信するための施設で、農大の歴史、鶏の剥製標本コレクション、農大卒業生の蔵元紹介、酒瓶のオブジェや酒器のコレクション、古民家の再現ジオラマといった常設展示のほか、企画展示や講演会、各種講座や体験学習など、様々な取り組みを行っています。

なお、建物は1・2階が博物館、3・4階が進化生物学研究所となっており、博物館は無料で公開されています。

 

東京農業大学「食と農」の博物館の次は、進化生物学研究所バイオリウムへ。

 

 

進化生物学研究所バイオリウムは、世田谷区上用賀2丁目にある、一般財団法人進化生物学研究所が世界各地から収集した動植物コレクションを見学することができる、平成17年(2005)にオープンした「生き物空間」。

温室内では、熱帯果樹・水辺の植物・熱帯雨林の植物・マダガスカルの植物・アフリカの植物・オーストラリアのバオバブ・中南米の多肉植物・石油植物といった様々な熱帯植物を観賞できるほか、日本一の飼育数を誇るマダガスカル固有の原猿類(レムール類)をはじめ、アフリカ原産のケヅメリクガメなども観察できます。

施設は、「食と農」の博物館と一体化されており、無料で見学できますが、有料のバイオリウムツアーも開催されています。

 

進化生物学研究所バイオリウムの次は、馬事公苑へ。

 

 

馬事公苑に着いたところで、まずは、おやつタイム。

出発時に買った、たい焼き、ちとふなキューブ、そして、馬事公苑内にあるCAFE STANDのソフトクリームなどをみんなで頬張りました。

 

おやつタイムの後は、馬事公苑内を散策。

 

 

馬事公苑は、世田谷区上用賀2丁目にある、日本中央競馬会(JRA)が運営する馬事普及の拠点かつ、馬術訓練、馬術競技会開催の場。

開設は、昭和15年(1940)に予定されていた東京オリンピックに向けて、日本の馬術選手を育成する目的で昭和15年(1940)9月に開苑。

同大会は日中戦争の影響で中止となりましたが、昭和39年(1964)の東京オリンピックでは馬術競技が開催され、東京への招致が決まった2020年夏季オリンピック・パラリンピックでも、競技会場の一つに選定。

馬場馬術競技及び障害馬術競技並びにパラ・ドレッサージュ(障害者馬場馬術)競技が行われることとなり、平成28年(2016)12月31日をもって会場整備に伴う工事のため休苑。

平成29年(2017)、栃木県宇都宮市に事業所を移転し、「JRA馬事公苑宇都宮事業所」として事業を行ってきました。

その後、新型コロナ禍に伴い、東京オリンピックは1年延期して令和3年(2021)に開催。

用賀の本苑は令和5年(2023)11月3日にリニューアルオープンしました。

 

馬事公苑の次は、砧公園へ。

 

 

砧公園は、世田谷区に所在する、昭和32年(1957)4月1日に開園した面積約391,777㎡(平成27年7月1日現在)ある都立公園。

前身は紀元2600年記念事業として都市計画決定された大緑地で、戦時中は防空緑地、戦後は都営のゴルフ場として開放。

当初の造成テーマは、「家族ぐるみで楽しめる公園」で、この基本計画に沿って、自然の地形を活かし、芝生の広場と樹林で構成されるファミリーパーク区域と運動施設区域とに整備。

また、園内を谷戸川が南北に貫流しており、一番上流には吊り橋が架かっています。

 

 

今回、砧公園では梅林の様子をチェック。

ちらほら咲き始めてはいましたが、本格的な開花は、これからといった感じでした。

 

 

梅を観賞後、記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

記念写真の後は、世田谷美術館へ。

 

 

世田谷美術館は、砧公園の一角にある、昭和61年(1986)3月に開館した区立美術館。

アンリ・ルソーを代表とする素朴派や区ゆかりの美術家の作品などを展示する収蔵品展(ミュージアムコレクション)や大規模な企画展を行うほか、音楽会などの催し物やワークショップ、美術大学などの講座も開催。

また、区民が創作した美術作品の発表の場として区民ギャラリーの貸出しも行っています。

 

世田谷美術館でミュージアムコレクション展を鑑賞後、砧公園を出て、用賀プロムナードへ。

 

 

用賀プロムナードは、用賀駅北口から砧公園まで続く、「いらか道」(いらか=甍)の愛称で親しまれている遊歩道。

「自由な空間であること」、「五感に訴える空間であること」、「日本の道であること」といったコンセプトのもと、日本を代表する建築家ユニット「象設計集団」が設計・デザインを行い、昭和61年(1986)に竣工。

敷き詰められた様々なデザインの淡路瓦には、百人一首の和歌が刻まれているほか、各所にオブジェが配され、駅から世田谷美術館への導入路としての役割を果たしています。

 

用賀プロムナードの次は、無量寺へ。

 

 

無量寺は、世田谷区用賀4丁目にある、正称「崇鎮山観音院無量寺」と号す、浄土宗の寺院。

本尊は阿弥陀如来坐像です。

無量寺の創建は、光蓮社明誉上人無量寿広和尚が文禄元年(1592)に開山。

また、本堂左の観音堂に安置されている観音像は、天正年間(1573~1592)に品川の浜で網にかかった十一面観世音菩薩像を譲り受けた用賀の住人·高橋六右衛門尉直住が、夢告を受けて無量寺に奉納したといわれるもので、12年に一度、午の年に御開帳が行われ、「用賀観音」の呼び名で親しまれています。

また、境内は木々が多く、本堂前には樹齢100年を超える大銀杏が聳え立ち、寺の風景は「せたがや百景」の一つに数えられています。

 

こんなふうにあちこち巡って、用賀駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと鳥貴族 用賀店で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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