川口周辺ぐるっと散歩 3月9日(土) | 東京散歩道

東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第183回 川口周辺ぐるっと散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は川口駅東口から。

 

まずは、キュポ・ラ広場へ。

 

 

キュポ・ラ広場は、川口市川口1丁目にある広場で正式名称は「川口駅東口公共広場」。

川口1丁目市街地再開発組合施行の市街地再開発事業により、市民の憩いの場、中心市街地の活性化を図る場所として整備されたもので、広場名称「キュポ・ラ」は、英語でCUPO・LAと書き、CUはCULTURE「文化」、POはPOWER「力」、LAはLAND「土地」を表しており、公募により決まりました。

また、川口の地場産業である鋳物の溶解炉「キューポラ」にちなんでのネーミングでもあります。

広さは約3,000㎡の大きさで、周囲には樹木を植栽するとともに、休憩ベンチやモニュメント(『伝統のものづくり』、『働く歓び』)を設置。

中央には各種イベントが開催できるスペースがあります。

 

キュポ・ラ広場の次は、太郎焼本舗へ。

 

 

こちらで早速おやつタイム。

熱々の川口名物太郎焼きをみんなで頬張りました。

 

太郎焼本舗の次は、SL青葉通りへ。

 

 

現在、アリオ川口や大規模マンション群で構成されている「リボンシティ」がある場所は、平成15年(2003)に閉鎖されるまでサッポロビール埼玉工場があったところで、川口駅と工場を結ぶ専用線が敷かれていました。

「SL青葉通り」はその線路跡付近(※)にある道の名称で、通りの両脇には蒸気機関車の部品をモチーフにした鋳物のオブジェが配置されています。
※引き込み線は、実際はもっと線路際にあったといわれています。

 

SL青葉通りで鋳物のオブジェを見た後は、川口市立アートギャラリー・アトリアへ。

 

 

川口市立アートギャラリー・アトリアは、川口市並木元町に所在するアート施設。

リボンシティの開発事業に伴い、サッポロビールが市民への恩返しと今後の川口の発展を願って寄贈した施設で、平成18年(2006)4月にオープン。

令和5年(2023)4月1日より21世紀文化芸術研究室が市から指定管理を受け、管理・運営業務を担当。決まった収蔵品はなく、市民に対して開かれたアートの場を提供しています。

 

こちらで、企画展「アトリアで、春」を鑑賞した後、旧田中家住宅へ。

 

 

途中、栄町にある梅乃家に寄って、おやつ&お土産用の和菓子を購入。

 

 

旧田中家住宅は、川口市末広1丁目にある、平成18年(2006)に国登録有形文化財、平成30年(2018)に国指定重要文化財に指定された歴史的建造物。

旧田中家住宅は大正12年(1923)に竣工した煉瓦造3階建の洋館と昭和9年(1934)に増築された和館のほか、文庫蔵、煉瓦塀、茶室、池泉回遊式庭園により構成された邸宅で、味噌醸造、材木商等を営む資産家であった4代目·田中德兵衞(1875~1947)は、職業柄、建築資材にはこだわりがあり、当時入手できる最高級の木材を用いました。

例えば、洋館2階の座敷に使用されている黒柿は1万本の柿の木の中から1本という、非常に希少な木材。

煉瓦は建築現場の近くで専門の職人に焼かせたものを使用し、調度品はヨーロッパから取り寄せたものや、日本の企業に特注したものが内装を飾り、建築費用の総額は18万円といわれています。

これは現在(平成19年)の金額にするとおよそ2億5千万円となり、この建物がいかに破格であったかを窺い知ることができます。

 

旧田中家住宅でも、企画展「アトリアで、春」が同時開催されていて、和洋折衷の豪華な邸宅とアートのコラボをじっくり鑑賞しました。

 

旧田中家住宅の次は、錫杖寺へ。

 

 

途中、川口元郷駅付近で見ごろを迎えた安行桜の並木をチェック。

 

 

錫杖寺は、川口市本町2丁目にある、宝珠山光照院と号し、地蔵菩薩を本尊として祀る真言宗智山派の寺院。

歴史は、天平12年(740)、行基が聖武天皇の命により光明皇后の病気平癒のため当地に草庵を結んだのが起源と伝えられ、その後、鎌倉幕府8代執権·北条時宗の帰依を受けた願行上人が草庵を再興。

寛正元年(1460)には、室町幕府8代将軍·足利義政により七堂伽藍が整備され、中興の祖·宥鎮和尚を晋住させました。

以降、醍醐三宝院直末で関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を有する名刹として栄え、元和8年(1622)には、江戸幕府2代将軍·徳川秀忠の日光参社の際の御膳所となり、以降歴代将軍により利用されました。

また、3代将軍·徳川家光からは、金子、材木を拝領し、御成門を建立するとともに、御朱印20石を賜るなど、川口宿の中核寺院として繁栄。

現在の本堂は昭和50年(1975)に新築されたもので、墓域には江戸城大奥最後の御年寄·瀧山の墓があります。

なお、山門は明治期に移築された旧宇都宮城のもので、戊辰戦争のときの刀傷や銃弾の跡が残っています。

 

 

錫杖寺をお参りした後、門前で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

錫杖寺の次は、川口市立文化財センターへ。

 

 

川口市立文化財センターは、川口市本町1丁目にある、市内の文化財を展示している郷土資料館。

発掘調査の出土品や鋳物に関する資料、神楽面といった民俗芸能に使う道具などが見学できるほか、体験学習などを通して、川口の歴史や文化を理解することができます。

※写真は許可を得て撮らせていただきました。

 

川口市立文化財センターの次は、川口神社へ。

 

 

川口神社は、川口市金山町に鎮座する、素戔嗚尊・菅原道真公・宇迦之御魂命・保食命・金山彦命を御祭神として祀る神社。

創始は天慶年間(938~947)に足立郡司判官代·武蔵武芝が大宮の氷川神社より分祀勧請したといい、もと「氷川社」と称し、川口町の鎭守氏神として崇敬を集め、暦応2年(1339)及び天文4年(1535)の板碑や室町初期の古神像、江戸期の棟札等が残されています。

また、江戸時代になると「氷川大明神」と尊称され、8代将軍·徳川吉宗が行った産米のための見沼開発における芝川落口の門樋工事において、工事成功祈願の後、成功の運びとなったことから、この神恩に感謝して神前に神鏡(市指定文化財)を奉納。

そして、明治6年(1873)に村社に指定された後、町内の天神社、稲荷社(三社)、 金山社を合祀して、明治42年(1909)社名を「川口神社」と改め、昭和8年(1933)の市制施行に伴い、川口市の総鎮守となりました。

なお、境内には境内社として、金山神社、梅ノ木天神社、杉山稲荷神社・第六天社・石神井社、八雲社、金刀比羅社、川口護国神社、浅間神社(富士塚)が祀られているほか、日露戦争の第二回旅順港閉塞作戦で福井丸に乗り組み、広瀬武夫らとともに戦死した、川口出身の海軍一等機関兵·小池幸三郎の胸像などがあります。

 

川口神社の次は、成田山川口分院へ。

 

 

成田山川口分院は、川口市本町3丁目にある、不動明王を本尊として祀る真言宗智山派の寺院で、通称は「川口不動院」。

創始は、もとは川口市舟戸の旧東明院持で、安永4年(1775)に川岸の守り仏として石仏の不動明王を建立したのが始まり。

そして、明治時代に利剣不動尊として金山町に移転。

さらに、明王寺として現在の本町に移転しました。

その後、昭和10年(1935)に旧本堂が完成すると、地場産業である鋳物工場の火の守り仏として信仰を集めるようになり、昭和20年(1945)に大本山成田山新勝寺の末寺となった後、昭和30年(1955)、松田照應貫首より分院の称号を許可され現在に至ります。

なお、現本堂は平成23年(2011)に完成した建物です。

 

成田山川口分院の次は、川口西公園へ。

 

 

川口西公園は、川口3,4丁目にある、通称「リリアパーク」と呼ばれている、面積約31,039㎡の都市公園。

川口駅と直結しており、駅近にして自然豊かな場所で、様々な彫刻やモニュメントを鑑賞しながら散策できます。

また、芝生広場ではイベントも行われ、桜の開花時期には大勢の花見客で賑わいます。

さらに、子供たちに人気の大型遊具や夏には水遊びもできる設備もあって、家族で楽しめるスポットになっています。

 

こんなふうにあちこち巡って、川口駅西口でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと三代目 鳥メロ 川口東口店で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com