東村山ぐるっと散歩 3月14日(日) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第155回 東村山ぐるっと散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は東村山駅から。

 

まずは、駅前に立つ、志村けんの木をチェック。

 

 

志村けんの木は、東村山市本町2丁目に立つ記念樹。

東村山市出身のコメディアン・志村けんさんが「東村山音頭」などを通じて、東村山の名を全国に広めた功績に対し、昭和51年(1976)、市が感謝状を贈呈。

これをきっかけに、東村山駅東口ロータリーに市の木である「けやき」3本を植樹。

このけやきを「志村けんの木」と呼んでいます。

また、市制施行50周年を記念し、市内の新しい名所の一つとして、志村けんさん直筆の記念樹看板を設置しました。

 

志村けんの木の次は、いとう屋 本店へ。

 

 

いとう屋 本店は、東村山市諏訪町1丁目にある、和菓子屋や細巻きなどを売っている店。

価格も安く、美味しそうだということで、メンバーさんがおやつ&お土産を購入。

 

いとう屋 本店の次は、諏訪神社へ。

 

 

諏訪神社は、東村山市諏訪町1丁目に鎮座する、建御名方命を御祭神として祀る諏訪町の鎮守。

前川の洪水の時に流れ着いた御神体を桜井利兵衛が祀ったと伝えられ、古くは「諏訪明神」といい、徳蔵寺に当てた諏訪明神関係の古文書に貞享2年(1685)の日付が明記されていることから、貞享2年(1685)頃に創建したといわれています。

また、明治時代の神仏分離までは徳蔵寺が別当寺として管理しており、明治の学制施行後、東村山市立化成小学校の開校時(明治8年)、境内の大部分の敷地を提供して現在地へ遷座。

昭和初期に浅間神社を合祀しました。

社殿の奥に納められている本殿は、間口が106㎝、棟高253㎝の見世棚造。

屋根は板葺で厚板を二枚重ねに葺いた錣葺という古風な葺き方をしており、記録等は発見されていませんが、その様式から江戸時代初期の建築と推定され、本殿正面虹梁上部の蟇股に豊作を祈願する鎌を交差させた絵様が彫られています。

 

諏訪神社の次は、東村山ふるさと歴史館へ。

 

 

東村山ふるさと歴史館は、東村山市諏訪町1丁目にある歴史館。

建物は、東村山市と関係が深い、古代の「東山道武蔵路」や中世の「鎌倉街道」といった「みち」をテーマにした展示施設として、平成8年(1996)に開館。

館内常設展示では、原始・古代・中世・近世・現代に沿って、各時代に通っていた「みち」を主軸とし、市内で発掘された土器や石器、板碑や古文書、民具などを展示する他、ロビーには下宅部遺跡出土の縄文時代後期(約3,500年前)丸木舟未成品が展示されています。

(館内撮影は可能ですが、SNS等への掲載は不可のため、外観のみアップ)

 

東村山ふるさと歴史館の次は、手作りパンの店 マドンナへ。

 

 

手作りパンの店 マドンナは、東村山市諏訪町1丁目あるパン店。

様々な手作りパンが売られていて、ここでもおやつ&お土産を購入。

 

手作りパンの店 マドンナの次は、徳蔵寺へ。

 

 

徳蔵寺は、東村山市諏方町1丁目にある、白衣観世音菩薩を本尊とする、臨済宗大徳寺派の寺院。

創立は永禄3年(1560)、開山は元和年間(1615~1624)と伝えられ、江戸時代中期に永春庵を八国山より徳蔵寺境内へ移し、その後、「元弘の板碑」も移され、板碑は国の重要文化財に指定されました。

現在「元弘の板碑」は、昭和43年(1968)に建設された板碑保存館に保管されています。

 

 

板碑保存館は、徳蔵寺に保管されていた板碑・石器・土器等を保存するため、昭和43年(1968)9月に鉄筋、校倉造り、2階建ての保存館が完成。

その後、平成15年(2003)1月に内外装の改修工事が完了。

1階に石器・土器、国分寺瓦、古銭、埴輪などを、2階に「元弘の板碑」を中心に、板碑約170基、宝篋印塔、五輪塔、道標などを展示しています。

 

 

通称「元弘の板碑」(元弘三年斎藤盛貞等戦死供養碑)といわれるこの板碑は、鎌倉幕府滅亡数日前の元弘3年(1333)5月15日の銘が刻まれ、元弘の変で戦死した飽間斎藤一族3名の菩提を弔った供養碑です。

元弘3年(1333)5月8日、後醍醐天皇の勅命を受けて新田庄生品明神(現在の群馬県太田市)で鎌倉幕府討幕の兵を挙げた新田義貞は、鎌倉街道を南下して小手指ヶ原・久米川・分倍河原・関戸の合戦を経て鎌倉に侵攻、5月22日に幕府を滅亡させました。

鎌倉街道の沿道には戦死者を弔う板碑や供養塔が数多く残されていますが、元弘の板碑のように戦没日や場所まで記されたものは珍しく、『太平記』巻十に伝える5月15日の分倍河原合戦をはじめとする新田軍の鎌倉総攻撃を史実として裏付ける貴重な資料として、国の重要文化財(古文書)に指定されています。

 

徳蔵寺板碑保存館の次は、北川緑道へ。

 

 

北川緑道は、東村山市諏訪町2丁目にある、北川に沿ってのびる緑道。

北川は東京都東大和市の多摩湖に源を発し、東京都立狭山自然公園内から東方向へ流れ、八国山緑地の麓にある北山公園の南側に沿って、埼玉県所沢市との境の柳瀬川の二瀬橋付近で柳瀬川に合流する、荒川水系柳瀬川の支流です。

 

緑道散歩の次は、北山公園へ。

 

 

北山公園は、東村山市野口町3,4丁目にある市立公園。

園内は、映画『となりのトトロ』の舞台ともいわれている八国山を背景にした、自然豊かな公園で新東京百景の一つ。

豊かな水と緑に囲まれ、初夏には約600種類8千株10万本の花菖蒲が咲き乱れます。

また、秋には「曼珠沙華の会」がボランティアで手入れをした曼珠沙華が開花するなど、季節ごとの花が楽しめます。

その他、多くの野草が自生しており、池やその周辺には多くの野鳥が集まり、羽を休める姿などを見ることもできます。

 

 

北山公園でおやつタイム。

私は手作りパンの店 マドンナで買った、志村けんさんの顔が描かれたクリームパンを食べました。

 

 

おやつタイムの後は、園内に咲き残っていた梅の花を観賞。

 

続いて、正福寺へ。

 

 

正福寺は、東村山市野口町4丁目ある、金剛山と号し、千手観音菩薩を本尊とする、臨済宗建長寺派(建長寺の末寺)の禅宗寺院。

創建年代については不詳ですが、中国南宋の僧・石渓心月(仏海禅師)により勧請開山されたと伝えられ、開基については、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼とする説と鎌倉幕府第8代執権・北条時宗とする説があります。

また、境内にある応永14年(1407)建立とされる地蔵堂は、建造物として国宝指定。

その他、元禄14年(1701)の建立であると判明した山門は、江戸時代の伽藍の遺構を示す貴重な禅宗様建築物として市指定有形文化財に指定されています。

 

 

国宝の地蔵堂は地蔵菩薩立像他を安置する仏殿で、昭和8年(1933)の修理で発見された墨書から、山号が金剛山で、建立年代が応永14年(1407)であることが確定しました。

また、立体的な内部の構成、装飾細部の意匠まで、鎌倉の円覚寺舎利殿に大変よく似ており、室町前期の中規模禅宗仏殿の典型といえ、杮(木の薄板)葺の入母屋造の屋根は強い反りがあり、放射状に広がる扇垂木と三手先の詰組組物によって支えられています。

平面は、三間(約5.4m)四方に一間(約1.82m)の裳階(庇)を廻し、裳階の開口部は花頭窓や弓欄間、内開きの桟唐戸など、禅宗様の意匠を用いています。

内部は土間で、中央の奥に本尊を安置する須弥壇が設けられており、堂内に安置されている地蔵菩薩立像「正福寺千体地蔵堂本尊」(1811年制作)は、同じく堂内に奉納された「正福寺千体小地蔵尊像」とともに、市の文化財に指定されています。

 

 

境内に保存されている市指定有形民俗文化財「貞和の板碑」。

こちらは貞和5年(1349)年、法名が帰源という人物によって、逆修供養として生前に自分の冥福を祈願し造立されたもので、高さ300㎝、幅51~58.5㎝あり、完全な形をとどめるものとしては都内最大級の緑泥片岩製の板碑。

この板碑は、昭和2年(1927)に正福寺境内に移建されたもので、かつては前川の橋として使われ、「経文橋」または「念仏橋」とも呼ばれていました。

 

 

文化財を見学後、正福寺地蔵堂の前で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

正福寺の次は、大善院へ。

 

 

大善院は、東村山市野口町4丁目にある、恵日山と号し、阿弥陀如来を本尊とする、通称「野口不動尊」の名で崇敬を集める天台宗の寺院。

由緒は、かつて圓通寺(八王子市)の塔頭として、天正元年(1573)には寺格を有し、その後、明治32年(1899)、東村山の地に移り、大善院の名称で本堂を建立するに至りました。

そして、明治39年(1906)に不動明王を安置し、さらに、昭和5年(1930)、境内に高さ7mの山を築き、唐金製不動明王三十六童子を安置。

この三十六童子は、不動明王の手足となって働き、我々の願いを叶え、衆生救済の手伝いをしてくださるといわれています。

 

 

また、境内には七福神も祀られており、私たちもみんなでお参りしてまわりました。

 

大善院の次は、弁天池公園へ。

 

 

弁天池公園は、東村山市野口町4丁目にある市立の都市公園。

自然の湧水を巧みに利用した池を特色とし、園内中央には出世弁財天女宮が鎮座しています。

 

弁天池公園の次は、猿田彦神社へ。

 

 

猿田彦神社は、東村山市野口町1丁目に鎮座する、猿田彦大神を御祭神として祀る神社。

由緒は、明治28年(1895)8月に東村山停車場が開業して以来、人口が増えた地域の人々の結びつきをはかるために、旧道の辻にあった庚申さまを地区の鎮守と定め、祀ったものです。

 

猿田彦神社の次は、東村山停車場の碑へ。

 

 

東村山停車場の碑は、東村山市野口町1丁目に立つ、市有形民俗文化財や東村山30景の一つにもなっている記念碑。

明治27年(1894)12月、国分寺と久米川仮停車場(現在の久米川駅とは別で、東村山駅北方にあった仮設駅)の間で、川越鉄道(現在の西武鉄道)が暫定開業。

翌明治28年(1895)3月、鉄道は川越まで開通し、仮設駅は撤去されることとなりましたが、これからは鉄道が必要と考えた住民の運動で同年8月に東村山停車場がつくられました。

記念碑は東村山の発展のもととなった鉄道の開通と駅開業を記念して建てられたものです。

 

こんなふうにあちこちご案内して、東村山駅でお散歩終了。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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