下落合~中野散歩 12月19日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「年末企画 下落合~中野散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は下落合駅から。

 

まずは、下落合弁財天へ。

 

 

下落合弁財天は、新宿区下落合4丁目にある弁財天。

閑静な住宅街の中に祀られている小さな弁財天で、社は水たまりのような池の中にあり、社前に参拝用の小橋が架かっています。

参道脇には、弁財天の裏手一帯で宅地造成中に発見された「史跡 下落合横穴墓群跡」についての説明板がありますが、弁財天に関する記載はなく、由緒等は不明です。

 

下落合弁財天の次は、薬王院へ。

 

 

薬王院は、新宿区下落合4丁目にある、瑠璃山と号する真言宗豊山派の寺院。

開山は鎌倉時代、願行上人によるものと伝えられており、奈良県にある長谷寺の末寺で、「東長谷寺」と称されています。

また、長谷寺から移植された牡丹(約40種、1,000株)が有名で、牡丹寺とも呼ばれ、シーズン中(4月末から5月上旬)は大勢の見物客で賑わいます。

 

薬王院の次は、佐伯祐三アトリエ記念館へ。

 

 

途中、この辺りの土地の高低差を実感できる、薬王院脇の階段坂を通過。

坂上には、可愛らしいうさぎとフクロウのオブジェが立っています。

 

 

さらに進んだところにある、下落合4丁目の階段坂で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

 

佐伯祐三アトリエ記念館は、新宿区中落合2丁目にある、大正時代から昭和初期にかけて活躍した洋画家・佐伯祐三(1898~1928)のアトリエを整備して、平成22年(2010)4月から公開を始めた記念館。

佐伯祐三がこの地にアトリエ付住宅を新築したのは大正10年(1921)。

その後、大正12年(1923)、彼は家族とともにフランスに渡り、パリの街並みを数多く描きました。

しかし、大正15年(1926)に健康上の理由などで帰国。

再びフランスに渡る昭和2年(1927)までの約2年間は、このアトリエで連作『下落合風景』を描いています。

そして、2度目の滞仏中に30歳という若さで亡くなるまで、彼は精力的に創作活動を続けました。

この「佐伯祐三アトリエの地」は、彼が日本でアトリエを構え創作活動の拠点とした唯一の場所であり、現存するアトリエは、北側の大きな採光窓など、当時の典型的なアトリエ建築を今に伝える貴重な建物となっています。

 

佐伯祐三アトリエ記念館の次は、おゝき屋へ。

 

 

途中、かば公園に寄り道したり…。

 

 

フジオ・プロダクションの前を通って、バカボンのパパ像をチェックしたり…。

 

 

おゝき屋は、新宿区中落合1丁目にある和菓子店。

こちらで、おやつ&お土産を購入。

 

おゝき屋の次は、林芙美子記念館へ。

 

 

林芙美子記念館は、新宿区中井2丁目にある、『放浪記』や『浮雲』などの代表作で知られる作家・林芙美子が、昭和16年(1941)8月から、亡くなる昭和26年(1951)6月まで住んでいた家と庭を一般公開している記念館。

林芙美子は昭和5年(1930)に落合に移り住み、昭和14年(1939)にこの土地を購入し、新居を建設を開始。

建設当時、建坪の制限があったため、林芙美子名義の生活棟と画家であった夫・手塚緑敏(通称「りょくびん」)名義のアトリエ棟をそれぞれ建てて、その後つなぎ合わせました。

林芙美子は自ら建築を学び、設計者や大工を連れて京都の民家を見学したり、材木を見に行ったりと、新居建築に非常に熱心だったといわれ、設計は近代日本建築運動のリーダーのひとりであり、モダニズム建築デザインと同時に和風建築の名手であった山口文象が手がけました。

 

 

林芙美子記念館を見学した後は、眺めが素晴らしい四の坂を上って、中井御霊神社へ。

 

 

中井御霊神社は、新宿区中井2丁目にある、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后・仁徳天皇・武甕槌命を御祭神として祀る神社。

創建は不明ですが、古くから落合村中井の鎮守でした。

社殿は、本殿・幣殿・拝殿からなる複合社殿で、本殿は、棟札の記録から享保3年(1718)から文化7年(1810)の建造と考えられ、拝殿は、古文書の記録より、明治29年(1896)以前の建造。

幣殿は、大正時代の建造と伝えられています。

また、狛犬は、正徳5年(1715)に下落合村の氏子等によって奉納されたもので、現存する新宿区内最古のものです。

拝殿内には、江戸時代に奉納された備射祭絵馬(区指定有形民俗文化財)が掲げられており、備射祭の様子が描かれています。

備射祭は、正月の弓神事で、的に向かって矢を射て、その年の豊凶を占い、豊作を祈る行事。

毎年1月13日の午後に行われます。

また当社には、備射祭で使う的を描くためのコンパスとして用いる分木(区指定有形民俗文化財)も保存。

分木は2本あり、1本は永禄6年(1563)、もう1本には元和6年(1620)の年紀が入っており、備射祭の歴史の古さがわかります。

他にも、江戸時代、農民が雨乞いの行事に用いた「雨乞のむしろ旗」(区指定有形民俗文化財)や古文書など、多数の民俗資料を所有しています。

 

中井御霊神社の次は、落合公園へ。

 

 

落合公園は、新宿区中井1丁目にある区立公園。

こちらで、おゝき屋で買ったお菓子を食べて、ホッと一息。

 

おやつタイムの後は、櫻ヶ池不動院へ。

 

 

櫻ヶ池不動院は、中野区上高田4丁目にある、真言宗豊山派日照山東光寺の別院。

創建年代等は不詳ですが、享保年間(1716~1736)頃には、榛名・大山・武州御嶽・三峯の講中の代参者が当地で禊ぎ清めたといいます。

以前は櫻ヶ池不動講によって管理されていましたが、諸般の情勢の変化に伴い、不動尊の永代護持を付託して、昭和62年(1987)に東光寺に寄進。

別院となりました。

 

櫻ヶ池不動院の次は、上高田氷川神社へ。

 

 

上高田氷川神社は、中野区上高田4丁目にある素戔嗚尊を御祭神として祀る神社。

上高田一円の鎮守として、享徳2年(1453)に大宮氷川神社より勧請したのがはじまりとされ、長禄年間(1457~1460)には、太田道灌がしばしば参詣し、松一株を植栽したといわれています。

かつては小規模な神社でしたが、大正11年(1922)に氏子から土地の寄進を受け、境内地が拡大。

翌年には、社殿新築計画が立ち上がり、直ちに着工され、大正15年10月(1926)に遷座祭が執り行われました。

現在の姿がほぼ完成したのは、この頃のことです。

 

上高田氷川神社の次は、「たきび」のうた発祥の地へ。

 

 

「かきねの かきねの まがりかど…」で始まる童謡『たきび』のうたの作詞者である巽聖歌(1905~1973)は、この詩が作られた昭和5,6年頃から約13年の間、現在の上高田4丁目に家を借りて住んでいました。

聖歌は、この辺りを散歩しながら『たきび』のうたの詩情をわかせていたといわれており、今でも垣根が続くこの一角(上高田3丁目)は、懐かしい武蔵野の面影を偲ぶことができる場所に。

片隅には、教育委員会の説明板が立っています。

 

「たきび」のうた発祥の地の次は、新井薬師 梅照院へ。

 

 

新井薬師 梅照院は、中野区新井5丁目にある真言宗豊山派の寺院。

正式名称は新井山梅照院薬王寺で、一般には「新井薬師」として知られており、高尾山薬王院・日向薬師(伊勢原市)・峰の薬師(相模原市)とともに武相四大薬師に数えられています。

本尊は薬師如来と如意輪観音の二仏一体の黄金仏。

秘仏となっており、12年に一度、寅年のときのみ御開帳されます。

この本尊は弘法大師の作といわれ、もとは武将・新田家代々の守護仏でした。

しかし、鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱で消失し、その後、天正14年(1586)に発見。

この尊像を安置するために行春という僧が建立したお堂が新井薬師の始まりとされ、江戸時代になると、2代将軍・徳川秀忠の五女で後水尾天皇の皇后・徳川和子(東福門院)が患った悪質な眼病が、祈願して快癒したことから、「目の薬師」と呼ばれ、有名になりました。

こうしたことから、新井薬師は、現在も都内有数の著名寺院として、眼病平癒や子育て祈願に訪れる人たちで、いつも賑わいを見せています。

 

新井薬師 梅照院の次は、PAPABUBBLE(パパブブレ)中野店へ。

 

 

PAPABUBBLE 中野店は、中野区新井1丁目の薬師あいロード商店街にある、バルセロナ発祥のアートキャンディショップ。

こちらでお土産購入と同時に、キャンディの製造工程をガラス越しに見学させていただきました。

 

PAPABUBBLE 中野店の次は、中野ブロードウェイへ。

 

 

中野ブロードウェイは、中野区中野5丁目にある、地上10階、地下3階の複合ビルで、低層階はショッピングセンター、中・高層階は集合住宅になっており、中野駅北口開発の一環として、昭和41年(1966)に中野サンモール商店街に続く商業複合施設「コープ・ブロードウェイ・センター」として開業。

5階以上の住宅施設は、屋上にプールや庭園などを備えた住居戸数251戸の高級マンションで、1960年代から70年代にかけては、青島幸男や沢田研二といった著名人が大勢住んでいました。

一方、商業施設である「中野ブロードウェイセンター」は、地下1階から地上1階までは、食品や生活雑貨を取り扱う商店街となっており、地上2階から4階までは、かつては美容院や飲食店、輸入雑貨店やネイルサロン、洋品店など多彩な店舗が並んでいましたが、近年、中野ブロードウェイが“サブカルチャーの聖地”と呼ばれるようになった理由に挙げられる、多くの漫画・アニメ・音楽・おもちゃ・レンタルショーケース等に関するマニア向けの専門店が数多くオープン。

また、最近は高級腕時計を扱う販売店の進出が進み、様相は大きく変わりました。

 

 

中野ブロードウェイでは、地下1階にある巨大ソフトクリームで有名なデイリーチコの8段重ねのソフトクリームにメンバーさんが挑戦。

溶ける前に見事コーンまで完食し、我々を感動させてくれました。

 

こんなふうにあちこちご案内して、中野駅でお散歩終了。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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