「小江戸」川越散歩 12月21日(土)&12月22日(日) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は先日開催を終えました『年末企画 「小江戸」川越散歩』の2日間の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は本川越駅から。

 

まずは、中院へ。

 

 

中院は、天長7年(830)、慈覚大師円仁によって創立された天台宗の寺院。

星野山無量寿寺の中にあった三院(北院・中院・南院)の一つで、当初は現在の仙波東照宮の地にありましたが、寛永10年(1633)、東照宮建築の際に現在地に移転。

境内に島崎藤村の義母・加藤みきの墓があるほか、狭山茶発祥の地としても知られています。

 

中院の次は、仙波東照宮へ。

 

 

仙波東照宮は、元和2年(1616)、駿府で徳川家康が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院で4日間の法要が営まれました。

そこから、この地に家康を御祭神として祀るため、寛永10年(1633)に建立されたのが起源。

社殿は徳川家光の命で寛永17年(1640)に再建され、国指定重要文化財に指定されています。

 

 

仙波東照宮を参拝後、境内にある開運だんごを試食。

 

続いて、喜多院へ。

 

 

喜多院は、天台宗の寺院で山号は星野山。

天長7年(830)、淳和天皇の命で慈覚大師円仁が建立。

当初は「無量寿寺」と号し、阿弥陀如来を本尊とし、良源(元三大師)を祀り、「川越大師」の別名でも知られています。

また、慶長4年(1599)に27世を継いだ天海僧正が徳川家康の厚い信頼を得、そこから大いに栄え、寺号も天海僧正の入寺の際に「喜多院」と改められ、寛永15年(1638)の火災後の再建時には、江戸城紅葉山の別殿を移築して、客殿や書院等にあてました。

 

 

喜多院では、まず本堂に参拝し、その後、有料エリアである移築された「徳川家光誕生の間」や「春日局化粧の間」を見学。

建物内は撮影不可ですが、お庭の撮影はOKでした。

 

徳川家光誕生の間と春日局化粧の間を見た後は、五百羅漢へ。

 

 

五百羅漢は、喜多院にある天明2年(1782)から約50年をかけて作られた全533体の石像。

どれも表情豊かで、中には鼻眼鏡をかけている羅漢さんもいました。

 

喜多院の次は、成田山川越別院本行院へ。

 

 

成田山川越別院本行院は、不動明王を本尊として祀る、成田山新勝寺の別院で真言宗智山派の寺院。

地元では「川越のお不動様」として親しまれています。

由緒は、両目を失明した石川照温が成田山新勝寺での修行で、これを完治。

出家して、諸国巡歴の末、ここ川越の地に本行院を再興し、嘉永6年(1853)、成田山新勝寺の別院になったといいます。

 

 

本行院では、写真の「隠れた幸せ不動を探せ」といった催しが行われていたので、我々も挑戦。

見事発見し、「幸せ不動シールお守り」を拝受することができました。

 

成田山川越別院本行院の次は、熊野神社へ。

 

 

熊野神社は、天正18年(1590)、蓮馨寺二世・然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まるといわれる神社で、もとは蓮馨寺の一部でしたが、明治2年(1869)の神仏分離により寺の管理を離れ独立した神社に。

御祭神は伊弉諾尊・事解之男命・速玉之男命の三柱で、境内には、もと蓮馨寺に縁のあった加祐稲荷神社、厳島神社、宝池、秋葉神社、大鷲神社のほか、むすびの庭などもあって、いつも賑わっています。

 

 

熊野神社では、毎年加祐稲荷神社に属する「運試し輪投げ」に挑戦。

残念ながら、今年は成功者は誰も出ませんでした。

 

熊野神社の次は、大正浪漫夢通りへ。

 

 

大正浪漫夢通りは、かつては「銀座商店街」と呼ばれたアーケードのある商店街で、平成7年(1995)にアーケードが外され、御影石の石畳を敷き、電線を地中化。

大正ロマンの香り漂うレトロモダンな街並み「大正浪漫夢通り」に生まれ変わりました。

 

 

大正浪漫夢通りでは、途中「川越タルト」を試食。

 

 

そして、22日は大正浪漫夢通りを抜けて、仲町観光案内所の前で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

記念写真の後は、旧山崎家別邸へ。

 

 

旧山崎家別邸は、川越の老舗菓子店「亀屋」の5代目・山崎嘉七の隠居所として、大正14年(1925)に完成した建物で、設計は丸の内赤煉瓦オフィス街の設計を行った建築家・保岡勝也が担当。

敷地内には木造モルタル仕上げ洋瓦葺きの洋館と数奇屋造りの和室を備えた和館で構成された和洋折衷の母屋をはじめ、庭園や茶室もあり、建物は平成12年(2000)4月に市指定文化財となった後、令和元年9月30日に母屋が国の重要文化財(建造物)に指定。

庭園は国登録記念物(名勝地)に指定されています。

 

 

21日は、旧山崎家別邸入り口前で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

旧山崎家別邸の次は、時の鐘へ。

 

 

時の鐘は、寛永年間(1624~1644)に川越城主・酒井忠勝が、城下に建てたものが最初といわれており、現在の鐘楼は、明治26年(1893)の川越大火の翌年に再建されたもので、高さ約16メートルの3層構造の塔。

寛永の創建から「時」を告げてきた川越のシンボルであり、現在、1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)、自動鐘撞機を使って蔵造りの町並みに鐘の音を響かせています。

 

 

時の鐘に着いたところで、まずは小休止。

フリータイムを設け、各々好きなものを召し上がっていただきました。

 

時の鐘の次は、菓子屋横丁へ。

 

 

菓子屋横丁は、元々明治の初めから菓子を製造していましたが、関東大震災後、東京に代わって駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねるほどに。

現在は約20軒の店舗が集まり、横丁が醸し出す雰囲気と下町風の菓子の懐かしい香りが漂うスポットとして、環境省が実施した「かおり風景100選」に選ばれています。

 

菓子屋横丁の次は、一番街 蔵造りの町並みを散策。

 

 

一番街 蔵造りの町並みの出現は、明治26年(1893)の川越大火がきっかけ。

この火災では、町の全戸数の3分の1以上が焼失し、そんな大火の中で焼け残ったのが、蔵造りの建物でした。

このことにより、耐火性に優れていた土蔵が見直され、次々に蔵造りの店舗が建てられ、明治末期には蔵造りの町並みが完成。

川越の蔵は倉庫としての蔵ではなく、「店蔵」として使われているところが大きな特徴です。

 

一番街 蔵造りの町並みをぶらついた後、小江戸蔵里へ。

 

 

小江戸蔵里は、明治8年(1875)に創業した旧鏡山酒造の建物を、当時の面影を残しつつ改修して、平成22年(2010)10月に誕生。

施設は明治・大正・昭和の時代に建てられた酒蔵を改装した、「おみやげ処」(明治蔵)、「まかない処」(大正蔵)、「ききざけ処」(昭和蔵)の3つの蔵と「つどい処」(展示蔵)からなっており、これらの蔵は国の登録有形文化財に指定されています。

 

小江戸蔵里でお土産を買って、本川越駅に戻り、お散歩終了。

 

 

その後、両日有志のメンバーさんと打ち上げをして解散となりました。

 

以上が、『年末企画 「小江戸」川越散歩』の様子ですが、今回はこちらで参加された方の感想をご紹介。

 

 

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、12月28日(土)から始まる「第141回 三越前~東京散歩」もよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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