西小山~洗足池散歩 10月6日(土)・7日(日)・8日(月) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は10月6日(土)・7日(日)・8日(月)に開催した

東京お散歩教室「第123回 西小山~洗足池散歩」の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は西小山駅から。

 

まずは、小山八幡神社へ。

 

 

小山八幡神社は、品川区荏原7丁目に鎮座する、誉田別尊を御祭神として祀る神社。

創建に関する詳細は不詳ですが、言い伝えによると、長元3年(1030)頃に

源頼信がこの地に誉田別尊を氏神として奉斎したのが始まりといい

旧小山村の鎮守として崇敬を集めてきました。

また、小山の名のとおり、区内随一の高台(標高約35m)で、眺めが良く

「しながわ百景」に選ばれています。

 

小山八幡神社の次は、厳島神社へ。

 

 

厳島神社は、品川区小山7丁目に鎮座する神社。

由緒など詳細は不明ですが、「小山厳島神社」と称されており

境内にはカルガモが棲む弁天池があります。

この弁天池は、丘に降った雨水が湧き出たもので

かつてこの辺りは「池の谷」と呼ばれていました。

 

厳島神社の次は、宮野古民家自然園へ。

 

 

宮野古民家自然園は、目黒区原町2丁目にある

平成7年(1995)12月に開園した古民家施設。

宮野家の主屋が建てられたのは、およそ230年前といわれ

家運を隆盛させた四代目・鎌吉(1838~1915)は、主屋の改築や茶室新築などを行い

前当主は茅葺きの屋根を銅板葺きにしました。

また、屋敷林は、都市化された目黒にあって武蔵野の原風景を留めるほか

園内には民具展示室もあり、宮野家が使用していた生活用具を中心に展示。

貴重な郷土資料・民俗資料の数々を見学することができます。

 

宮野古民家自然園の次は、清水窪弁財天へ。

 

 

清水窪弁財天は、大田区北千束1丁目に祀られている

天八大龍王神を主神とする弁財天。

由緒は、土地の所有者である岸田家の先祖が

江戸時代初期に、この地の発展を祈願して奉斎。

境内には、洗足池の水源の一つ「清水窪湧水」があり

「東京の名湧水57選」に選ばれています。

 

 

7日は、清水窪弁財天で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

清水窪弁財天の次は、妙徳稲荷神社へ。

 

 

妙徳稲荷神社は、大田区北千束1丁目に祀られている稲荷神社。

「妙徳稲荷大善神」と記された奉納のぼりが立っていますが、由緒など詳細は不明です。

 

妙徳稲荷神社の次は、松坂屋へ。

 

 

松坂屋は、大田区北千束1丁目、大岡山北口商店街にある

松坂屋という店名なのに、近江牛にこだわった精肉店。

こちらで、コロッケやメンチを買って、一回目のおやつタイム。

 

松坂屋の次は、東京工業大学博物館へ。

 

 

東京工業大学博物館は、目黒区大岡山2丁目

東京工業大学の大岡山キャンパスにある、東京工業大学の教育と研究の歴史的成果

先端研究や社会への応用実績、卒業生の社会における成果などを広く発信するため

平成23年(2011)4月に開設された大学博物館。

展示室は、東京工業大学百年記念館の地下1階と地上2階にあります。

通常は平日のみ開館ですが、6日と7日は「工大祭」のため、公開されていました。

 

東京工業大学博物館の次は、ベッカライ・ヒンメルへ。

 

 

ベッカライ・ヒンメルは、大田区北千束3丁目にある

クラプフェンなどのドイツパンが人気のパン屋さん。

こちらで、それぞれ気になったパンを買って、二回目のおやつタイム。

 

ベッカライ・ヒンメルの次は、洗足池へ。

 

 

洗足池は、大田区南千束2丁目にある、清水窪湧水などを水源とする

都内屈指の広さを有する淡水池。

春は桜、秋は紅葉を満喫することができ、冬は渡り鳥の楽園になります。

また、池を含む一帯は、大田区立洗足池公園となっています。

 

洗足池に着いたところで、ここからは池畔の見どころ巡り。

 

まずは、千束八幡神社へ。

 

 

千束八幡神社は、大田区南千束2丁目に鎮座する

品陀和気之命(応神天皇)を御祭神として祀る神社。

由緒は、貞観2年(860)に千束郷の総鎮守として宇佐八幡から勧請したのが始まりで

平将門の乱の際に鎮守副将軍として派遣された藤原忠方が

乱後、千束八幡を氏神として池畔に館を構えて、池上姓を名乗ったといい

後三年の役では、奥州討伐に向かう源義家が戦勝祈願したとの言い伝えも。

他にも、治承4年(1180)、源頼朝が安房国から鎌倉へ向かう途中

この地に宿営したところ、逞しい野生馬が現れ、捕らえたという伝承が残っています。

これが、後に宇治川の先陣争いで佐々木高綱を乗せ、梶原景季の磨墨と競うことになる

名馬「池月」で、頼朝軍はこれを吉兆とし、旗を高く掲げて喜んだといいます。

この故事から、千束八幡神社は「旗挙げ八幡」とも称され

本殿の横には、池月を描いた大きな絵馬があるほか、境内に池月の像も置かれています。

 

 

6日は、「名馬 池月之像」と一緒に記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

千束八幡神社の次は、洗足池弁財天へ。

 

 

洗足池弁財天は、大田区南千束2丁目に鎮座する、市杵島姫命を御祭神として祀る厳島神社。

千束八幡神社の摂社で、古来より洗足池の守護神として、池の北端の小島に祀られていましたが

長い年月の間に池中に没してしまい、昭和の初め頃より、多くの人々の夢枕に弁財天が出現。

これが契機となって、社殿建立の話が具体化し、昭和9年(1934)7月、洗足風致協会の手により

築島遷宮されました。

 

洗足池弁財天の次は、洗足池公園水生植物園へ。

 

 

洗足池公園水生植物園は、洗足池の北端にある小さな植物園。

木橋を渡りながら水生植物を観察することができます。

 

 

8日は、水生植物園脇の休憩デッキで記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

洗足池公園水生植物園の次は、留魂祠へ。

 

 

留魂祠は、大田区南千束2丁目にある、南洲西郷隆盛先生を御祭神として祀る小祠。

明治維新の英傑、西郷隆盛と勝海舟は、大政奉還後の江戸城明け渡し交渉によって

江戸を戦火より救い、東京の礎を築いたことでも知られていますが

西郷は、明治10年(1877)の西南戦争で敗れ自決。

勝はその死をいたみ、詩とその筆跡を遺すため、明治12年(1879)に

「西郷隆盛(南洲)留魂詩碑」を建立し、さらに、明治16年(1883)

勝から同志たちに留魂詩碑の存在が明かされると、彼らはその傍らに小祠を建て

「留魂祠」と名付けて西郷の霊を祀りました。

そして、大正2年(1913)、浄光寺(葛飾区)にあった詩碑と留魂祠が当地に移設。

留魂祠のまわりには、他にも「南洲先生建碑記」「勝海舟追慕碑」「徳富蘇峰詩碑」があります。

 

留魂祠の次は、勝海舟夫妻墓所へ。

 

 

勝海舟夫妻墓所は、大田区南千束2丁目にある区指定史跡。

勝海舟(1823~1899)は、官軍の本陣がおかれた池上本門寺に赴く途中

洗足池畔に憩い、風景にうたれ、その縁でここに別荘「洗足軒」を構えました。

そして、遺言により当地に葬られ、青山墓地に葬られた妻・民子の墓も後に移設され

昭和49年(1974)2月に大田区指定文化財となりました。

 

勝海舟夫妻墓所の次は、妙福寺へ。

 

 

途中、鳳凰閣(旧清明文庫)内に整備中の(仮称)勝海舟記念館の工事現場をチェック。

こちらは、2019年の夏に開館する予定です。

 

 

妙福寺は、大田区南千束2丁目、洗足池の畔にある日蓮宗の寺院。

もとは日蓮ゆかりの草庵「御松庵」があったところで

御松庵は、日蓮が池上宗仲の館(現在の池上本門寺)に向かう途中

この地で休憩し、老松に法衣をかけて、池の水で手足を洗ったことがきっかけとなり創建。

このことから、池が「洗足池」と呼ばれるようになったといいます。

また、境内には、この伝説を受け継ぐ、「日蓮上人袈裟掛けの松」があります。

 

妙福寺の次は、勝海舟別邸跡へ。

 

 

勝海舟別邸跡は、大田区南千束1丁目にある、勝海舟別邸「洗足軒」跡地。

洗足軒は、勝海舟が官軍との交渉のために池上本門寺へ行く途中

通りかかった洗足池の景色にひかれ、後に農学者・津田仙の仲介で土地を求め

明治24年(1891)に建築した別邸で、ここには茅葺き農家風の建物がありましたが

戦後焼失してしまい、跡地は大田区立大森第六中学校になっています。

 

勝海舟別邸跡の次は、洗足池架道開渠へ。

 

 

洗足池架道開渠は、大田区上池台2丁目にある、都内で一番低いといわれる

東急池上線の鉄道高架橋。

大人は屈まなければ通れない低さで、なぜこのような形状になったのか

理由や経緯は不明です。

 

こんなふうに、あちこちご案内して、洗足池駅でお散歩は終了。

 

 

そして、ご希望されたメンバーさんと、6日と8日は「ととしぐれ 旗の台」

7日は「三代目 鳥メロ 旗の台店」で打ち上げをして、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、長時間お付き合いいただき、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願い致します。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com