新馬場駅周辺ぐるっと散歩 12月10日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

こんばんは(^_^)

 

今回は12月10日(土)に開催しました東京お散歩教室

新馬場駅周辺ぐるっと散歩」の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は新馬場駅から。

 

まずは、品川神社へ。

 

 

品川神社は、品川区北品川3丁目に鎮座する神社。

元准勅祭社で東京十社の一つに数えられるほか、東海七福神の大黒天でもあります。

由緒は、源頼朝が文治3年(1187)に安房国の洲崎神社から、海上交通安全と祈願成就の

守護神として天比理乃咩命を勧請して祀り、品川大明神と称したのが創始といいます。

そして、元応元年(1319)に二階堂道蘊が宇賀之売命を、さらに文明10年(1478)に

太田道灌が素戔嗚尊をそれぞれ祀りました。

また、慶長5年(1600)に、徳川家康が関ヶ原の戦いに出陣した際、当社で戦勝祈願をし

その後、祈願成就の御礼として、「天下一嘗の面」や「葵神輿」などを奉納。

徳川家が尊崇する特別な神社として、神紋も徳川家の家紋である「丸に三つ葉葵」と

定められ、「御修復所」として厚い庇護を受けました。

 

また、品川神社は歴史もさることながら、見どころも豊富。

特に今回は、パワースポットとして注目を集めているポイントを順番にご案内しました。

 

 

東京三鳥居といわれている「双龍鳥居」。

一方に昇龍、もう一方に降龍が彫られており、このような双龍鳥居は

たくさん神社がある都内でも、こちらを入れて3ヶ所しかないのだとか。

鳥居に巻き付く龍の姿は、迫力があり、力強さが感じられます。

 

 

霊峰富士を模した富士塚「品川富士」。

5合目以降は登山道も険しくなりますが、山頂からの眺めは格別です!

 

 

そして、最も注目を集めているパワースポット「一粒萬倍の泉(御神水)」。

こちらは、境内末社「阿那稲荷社」の下社内にあるのですが

龍の口から流れ出る御神水が、商売繁盛・金運アップに効くということで、ネットでも話題に。

近々ブレイク必至の感があります。

 

 

参拝&パワースポット巡りを済ませた後は、本殿裏手からぐるっと回ったところ

境外にある板垣退助のお墓をチェックして、品川神社を後にしました。

 

品川神社の次は、旧小泉長屋へ。

 

 

現在、北品川公園がある辺り一帯は、寛文4年(1664)に旗本の板倉主税の抱地となり

元禄検地の後、祐心という者が譲り受け、村民の持地となりました。

そして、寛延(1748~1750)の頃、小泉屋金左衛門が買得し、貸長屋を建てたといいます。

これが小泉長屋の起源で、辺りは今でも井戸が活躍し、かつての長屋時代の面影を

今日に伝えています。

 

旧小泉長屋の次は、養願寺へ。

 

 

養願寺は、品川区北品川2丁目にある、「明鏡山善光院」と号す天台宗の寺院。

東海七福神の布袋尊です。

創建は正安元年(1299)で、本尊である虚空蔵菩薩は空海作と伝えられています。

また、本尊の脇には阿弥陀三尊が安置されていますが、その中の銅造阿弥陀如来立像は

鎌倉時代の制作と推定されるもので、区指定有形文化財になっています。

さらに、万治元年(1658)に発願造立された木造不動三尊像三躯も

区指定有形文化財になっています。

 

養願寺の次は、一心寺へ。

 

 

一心寺は、品川区北品川2丁目にある、「豊盛山延命院」と号す真言宗智山派の寺院。

江戸三十三観音霊場30番札所で、東海七福神の寿老人です。

当山は、安政2年(1855)に大老・井伊直弼が開山し、町民代表などによって

建立されたといわれています。

そして、昭和なって、中興の祖といわれる僧正・弘道大和尚が成田山の分身の不動明王を

本尊にしたことにから、「品川成田不動尊」と称されるようになりました。

縁日は毎月28日で、このとき施される「ほうろく灸」が人々の人気となっています。

 

一心寺の次は、聖蹟公園へ。

 

 

聖蹟公園は、品川区北品川2丁目にある、「東海道品川宿本陣跡」として

区の指定史跡になっている公園。

品川宿は、東海道五十三次の第1番目の宿駅で、東海道を行き来する参勤交代の

諸大名や、公家・門跡などの宿泊・休憩所として大いに賑わったところ。

ここには、大名や公家が使用した本陣がありました。

そして、明治5年の宿駅制度廃止後は、警視庁病院などに利用されました。

また、当地は明治元年に明治天皇行幸の際の行在所となった場所でもあり

公園名はそれに因んでいます。

 

聖蹟公園の次は、寄木神社へ。

 

 

寄木神社は、品川区東品川1丁目に鎮座する神社。

ご祭神は日本武尊と弟橘姫で、相殿として西宮大神、大己貴命、少彦名命を祀っています。

由緒は、日本武尊が東征の折、相模国の海中で船が沈没寸前となり、荒海を鎮めるため

弟橘姫が入水し難を逃れました。

そのとき破損した船の木片が品川浦に漂着し、これを漁民らが祀ったのが起源といいます。

 

 

この日は運良く、管理されている方のご厚意で、石蔵造りの本殿内の二枚扉内側にある

「鏝絵天鈿女命功績図」(品川区指定有形文化財)を見せていただくことにo(^▽^)o

「鏝絵天鈿女命功績図」は、左官の名工・入江長八の手によるもので

向かって左扉上部に天照大神、下部に天鈿女命が描かれ

右扉には猿田彦命が描かれています。

 

寄木神社の次は、品川宿交流館本宿お休み処へ。

 

 

品川宿交流館本宿お休み処は、品川区北品川2丁目にある

「旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会」が管理・運営する施設。

平成21年1月のオープン以来、品川宿についての情報発信拠点、無料休憩処

観光センターとして、多くの人々に利用されています。

また、1階には駄菓子屋「またあした」があり、地元の子供たちの交流の場にもなっています。

 

品川宿交流館本宿お休み処の次は、「品川菓匠 孝庵」に立ち寄り。

 

 

「品川菓匠 孝庵」は、品川区北品川2丁目、品川橋のほど近くにある

ケーキと焼菓子のお店。

こちらで、品川宿の名前に因んだオリジナルロールケーキ「宿場ロール」や

それぞれ気になったスイーツを購入して、品川橋の橋上にある憩いのスペースで

試食会をしました。

 

おやつタイムの次は、荏原神社へ。

 

 

荏原神社は、品川区北品川2丁目に鎮座する、高龗神を主祭神に、天照皇大神
須佐男之神、豊受姫之命、手力雄之神、大鳥大神を配祀する神社。
また、東海七福神の恵比須神も祀っています。
由緒は、和銅2年(709)に奈良の丹生川上神社より高龗神(龍神)を勧請して創建。
長元2年(1029)に神明宮、宝治元年(1247)に京都の八坂神社より牛頭天王を勧請。
古より「品川の龍神さま」として、源氏、徳川氏、上杉氏等、多くの武家から信仰され
南品川の鎮守として崇敬を集め、明治時代には准勅祭社に指定されました。
社号は、古くは「貴船社」、「天王社」、「貴布禰大明神」、「品川大明神」などと
称されましたが、旧荏原郡の中で最も由緒のある神社であったことから
明治8年に荏原郡の名を冠した現社号になりました。
境内は、弘化元年(1844)に造営された社殿を中心に、神楽殿や境内社があり
参道には恵比須像を安置。
また、屋根には龍が棲んでいて、参詣者をそっと見守っています。

 

荏原神社の次は、海徳寺へ。

 

 

海徳寺は、品川区南品川1丁目にある、「自覚山松陽院」と号す日蓮宗の寺院。

本尊は三宝祖師像です。

由緒は、大永2年(1522)に、この地に住んでいた鳥海和泉守という者が

松陽院日増を迎えて自宅を寺にしたことが起源といい

境内には、寛延4年(1751)に完成した、区内屈指の古い建物である本堂をはじめ

「ホームラン地蔵」や「軍艦千歳殉難者之碑」などがあります。

 

そして今回は、海徳寺の境内で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

 

海徳寺では、本殿にお参りした後、ホームラン地蔵を案内。

ホームラン地蔵は、バットを抱き、ボールを持った少年のお墓で

正式名は「和夫地蔵」といいます。

名前の由来は、元巨人軍の王貞治選手が新人の頃

心臓病の少年にホームラン王になることを約束。

少年は14歳で亡くなりましたが、王選手は度々お墓参りをし

ホームラン世界記録を樹立したときも報告に訪れました。

 

海徳寺の次は、願行寺へ。

 

 

願行寺は、品川区南品川2丁目にある、阿弥陀三尊を本尊とする浄土宗の寺院。

境内は、文化年間(1804~1818)に再建された宝形造の本堂をはじめ

法界堂や庫裏があるほか、地蔵堂には、地蔵の身体を縄で縛ると、病や災難などの

苦しみを代わりに引き受けてくれる有難い地蔵尊「しばり地蔵」を安置。

こちらでは、いつの頃からか、願をかける人が首を一つ持ち帰って祈願し

願いが叶ったら首を二つにして返しているため、地蔵尊のまわりには

いくつもの首が並んでいます。

 

願行寺の次は、日本ペイント明治記念館へ。

 

 

途中、大龍寺の門前にある奇妙な段差道をご案内。

こちらは、かつてこの辺りを流れていた品川用水の跡です。

 

 

日本ペイント明治記念館は、品川区南品川4丁目にある企業ミュージアム。

明治14年に日本の塗料工業の鼻祖として設立された「光明社」の事業を受け継ぎ

現在地に日本ペイント製造株式会社(現・日本ペイント株式会社)が

設立されたのが明治31年。

建物は、明治42年に竣工した日本最古の油ワニス工場で、昭和56年に創業100周年を

迎えた際に、機械類や関係文書などを展示する記念館となりました。

 

日本ペイント明治記念館の次は、清光院へ。

 

 

清光院は、品川区南品川4丁目にある臨済宗大徳寺派の寺院。

由緒は、慶安3年(1650)に、肥後宇土藩の藩主・細川行孝が、母を開基として

建立したと伝えられており、もとは東海寺の塔頭でしたが、明治維新以後、独立。

都内でも少数となった貴重な大名墓地「奥平家墓域」が区の指定史跡になっています。

 

 

奥平家は、徳川家の譜代大名で、初代・奥平信昌(貞昌)は美濃において10万石を領し

その後、幾度かの転封の後、豊前の中津藩主として幕末まで続いた大名家。

墓域には、信昌の長男・奥平家昌以下、各代にわたる89基の墓碑が配列されており

特に家昌夫妻と姉の雲松院の墓3基は、3mを超える見事な五輪塔です。

 

清光院の次は、東海寺へ。

 

 

東海寺は、品川区北品川3丁目にある、万松山と号す臨済宗大徳寺派の寺院。

由緒は、寛永16年(1639)に徳川家光が沢庵宗彭を招聘して創建。

臨済宗大徳寺派の江戸触頭として広大な寺域(約157,000㎡)を有し、元禄7年(1694)に

全焼したときは、徳川綱吉と生母桂昌院によって再建され、大伽藍が整備されるなど

幕府の手厚い保護を受けていました。

しかし、明治維新後、寺領が新政府に接収され衰退。

現在の東海寺は、塔頭だった「玄性院」(元は臨川院)が、旧跡を引き継いだもので

墓地(東海寺大山墓地)は、北品川4丁目の旧境内地にあり、沢庵宗彭をはじめ、賀茂真淵

服部南郭、井上勝、渋川春海、島倉千代子らの墓があります。

 

東海寺の次は、子供の森公園へ。

 

 

子供の森公園は、品川区北品川3丁目にある、有料子供専用野球場と

遊戯ゾーンからなる公園。

遊戯ゾーンには、8体の恐竜像が置かれていて、「かいじゅう公園」の愛称で

地域の人々から親しまれています。

 

こんなふうに、様々な見どころを巡って、新馬場駅に戻り、お散歩は終了。

 

 

そして、ご希望された方々と品川駅まで移動して、いつもの居酒屋さんで

お鍋を囲みながら、今年一年を楽しく振り返りました(^◇^)

 

ご参加くださいました皆様、長時間お付き合いいただき、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願い致します。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

 

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