白金高輪~広尾散歩 12月5日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

こんばんは(^-^)/


今回は12月5日(土)から始まりました東京お散歩教室

白金高輪~広尾散歩 」の初日の様子を簡単にご紹介します。


出発は白金高輪駅から。




港区白金2丁目にある立行寺。

立行寺は、寛永7年(1630)、旗本大久保彦左衛門(大久保忠教)によって

麻布六本木に創建された法華宗陣門流の寺院。

寛文8年(1668)、旧地が火災に遭い現在地に移転しました。

境内には、大久保彦左衛門の墓や魚屋一心太助の墓があり

「大久保寺」の名で知られています。


立行寺の次は、白金氷川神社へ。




港区白金2丁目にある白金氷川神社。

白金氷川神社は、素盞嗚尊・日本武尊・櫛稲田姫尊をご祭神として祀る神社。

神社が鎮座するこの場所は、日本武尊が東征した折、大宮の氷川神社を遥拝した

場所だといわれており、その地に白金の総鎮守として、白鳳時代に創建されたと

伝えられています。




白金氷川神社の境内社「建武神社」。

建武神社は、後醍醐天皇・護良親王・楠木正成といった南朝ゆかりの人たちを

ご祭神として祀る神社。

白金氷川神社の境内には、他に稲荷神社もあります。


白金氷川神社の次は、コッホ・北里神社へ。




港区白金5丁目にあるコッホ・北里神社。

コッホ・北里神社は、学校法人北里研究所の敷地内にある神社で

ドイツの細菌学者ローベルト・コッホ博士と北里柴三郎をご祭神として祀っています。

もとは、北里研究所の創設者である北里柴三郎が、コッホ博士の死後

尊敬していた博士を祀った祠堂(コッホ祠)を建てたのがはじまりで

後に北里柴三郎を祀った北里祠と合祀。

外国人を祀る珍しい神社として、神社巡りが好きな人たちの間で注目を集めています。


コッホ・北里神社の次は、雷神山児童遊園へ。





途中で立ち寄った「大久保だんご」。

こちらは白金6丁目にある昔ながらの和菓子店。

皆さん、お団子を買って、雷神山児童遊園で試食をしました。




港区白金6丁目にある雷神山児童遊園。

雷神山児童遊園は、昭和25年11月15日に開園した区立の児童遊園。

この場所は、応徳年間(1084~1087)に疫病が流行したとき、これを鎮めるために

雷神を祀った雷神社が建てられた場所で、以来この土地は雷神山と呼ばれ

病気平癒祈願の人が大勢参拝したといわれています。

そして戦後、雷神社は氷川神社に合祀され、跡地は児童遊園になりました。

園内には「雷神誕生の碑」があり、雷神山の地名と旧参道の桜並木が

神社時代を偲ばせています。


雷神山児童遊園の次は、光林寺へ。





途中でご案内した白金5丁目に残る懐かしい街並み。

白金の意外な一面に皆さん驚かれていました。




古川に架かる狸橋。

狸橋は、昭和53年9月に竣工した港区白金5丁目と南麻布4丁目を結ぶ道路橋。

橋のたもとには、不思議な昔話がもととなる橋名の由来を刻んだ碑が立っています。





港区南麻布4丁目にある光林寺。

光林寺は、慈眼山と号す臨済宗妙心寺派の禅刹で、丸亀藩主京極高豊が開基となり

盤珪国師が延宝6年(1678)麻布谷町に創建。

元禄7年(1694)に現在地に移転したといわれています。




光林寺の墓地にある「史跡 ヒュースケン墓」。

この地に眠るヘンリー・ヒュースケンは、アメリカ総領事ハリスの通訳兼書記官として

安政3年(1856)に来日したオランダ人。

ハリスの片腕として日米修好通商条約の締結交渉に活躍した他

プロイセン王国との修好条約締結にも協力しましたが、万延元年12月(1861年1月)

中ノ橋付近で攘夷派の浪士に襲われて死亡。

享年28歳でした。

ヒュースケンはカトリック教徒でしたので、墓は土葬が必要でしたが

当時御府内では土葬が禁止されていたため、江戸府外であった光林寺に葬られました。


光林寺の次は、東京都立中央図書館へ。




途中、私お気に入りの釣堀坂を通過。

付近に釣堀が2つあったことが坂名の由来らしいのですが、現在は1つだけで

坂の北方に「麻布つり堀衆楽園」があります。




港区南麻布5丁目にある東京都立中央図書館。

東京都立中央図書館は、有栖川宮記念公園内にある公共図書館で

昭和48年に都立日比谷図書館の蔵書を引き継いで開館。

蔵書数は国内の公立図書館では最大級の約188万冊を所蔵しており

このうち新しい図書を中心に約35万冊を開架しています。


今回のお散歩ツアーでは、4階企画展示室で開催中の
「アナタは何からできている?―健康なからだへのみちしるべ―」という企画展示を見学。

見学後、建物をバックに記念写真を撮らせていただきました。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。


東京都立中央図書館の次は、紅葉が見ごろを迎えた有栖川宮記念公園を散策。





有栖川宮記念公園があるこの場所は、江戸時代、盛岡南部藩の下屋敷だったところで

明治29年に皇族有栖川宮家の御用地となり、有栖川宮家廃絶後は

同家の祭祀を引き継いだ高松宮家の御用地となりました。

そして、昭和9年、高松宮家より東京市に下賜され、公園となった後、北東部を編入。

昭和50年には港区に移管され、区立公園となって、現在に至ります。

広さ67,131㎡を有する園内には、起伏に富んだ地形を生かした林泉式の庭園があり

この日は、紅葉観賞を楽しむ人たちで大変賑わっていました。


有栖川宮記念公園の次は、広尾稲荷神社へ。




港区南麻布4丁目にある広尾稲荷神社。

広尾稲荷神社は、慶長年間(1596~1615)に徳川秀忠が鷹狩りをした折

稲荷神社を勧請したのがはじまりとされ、古くは富士見稲荷や千蔵寺稲荷と

呼ばれていましたが、明治42年に現社号に改称。

社殿は、弘化2年(1845)の青山火事で旧社殿が焼失後、弘化4年(1847)に再建。

現在の拝殿はこのとき再建されたものです。

拝殿の天井には、頭から尾までを円状にくねらせた一頭の龍が描かれており

この「広尾稲荷拝殿天井墨龍図」は、幕末から明治時代に活躍した洋画家高橋由一が

本格的な油絵制作に取り組む以前に、狩野派の様式を基礎とする水墨画の技法によって

描いた数少ない作品の一つで、港区の有形文化財に指定されています。


広尾稲荷神社の次は、広尾散歩通りへ。




途中、ドラマの舞台にもなったフラワーショップ&カフェ

「フルール・ユニヴェセール&レ・グラン・ザルブル」のツリーハウスをチェック。

広尾の話題のスポットととして、写真を撮りに来る人も大勢いるようです。




新旧様々な店舗が並ぶ広尾散歩通り。

広尾散歩通りは、広尾商店街がある通りの愛称。

広尾商店街は、渋谷区広尾5丁目の商店・事業所約150店舗が加盟している

組合(広尾商店街振興組合)で、毎月第3日曜日の「朝市」、5月の「大鮪祭り」

10月の「広尾フェア」など、イベントも賑やかに実施されています。




広尾散歩通りのまわりには、こんな細い路地も!

路地の向こう側には、昔ながらの街並みが残っていて

ここでも、お洒落な街の意外な一面を見ることができます。


広尾散歩通り周辺をぶらぶらした後は、祥雲寺へ。




渋谷区広尾5丁目にある祥雲寺。

瑞泉山と号する臨済宗大徳寺派の祥雲寺は、福岡藩主黒田長政の菩提を弔うために

2代藩主黒田忠之が開基となり、長政が帰依していた龍岳宗劉を開山として

赤坂溜池の邸内に龍谷山興雲寺と称して、元和9年(1623)に創建。

寛永6年(1629)に麻布台に移り、瑞泉山祥雲寺と改称した後

寛文8年(1668)に現在地に移転したといいます。

当山は、福岡藩や黒田氏に縁のある数々の大名家や武家の墓所となっていることで

知られており、墓地には、「黒田長政の墓」、「大名墓地群」、「岡本玄冶墓」

「曲直瀬流一門医師の墓」、「文化人の墓」の他、明治時代、ペスト予防のために駆除された

鼠を供養する目的で建てられた「鼠塚」もあります。




渋谷区指定史跡となっている「黒田長政の墓」。

祥雲寺の墓地には、諸大名家や名士の墓が林立していますが

黒田長政の墓は、巨大な上に覆堂で守られているため、ひときわ立派です。


祥雲寺の次は、広尾弁天閣へ。




広尾弁天閣は、広尾5丁目にある弁天社。

詳細は不明ですが、町会長や民生委員を務めた故石塚佐治太郎氏が設けた社で

土地の守り神として崇敬を集めています。

また、広尾散歩通りと明治通りを結ぶ「弁天通り」の名称の由来にもなっています。


こんなふうに、あちこち見どころをご案内して、広尾駅でお散歩は終了。




その後、ご希望された皆さんと打ち上げをして解散となりました。


皆様、長時間お付き合いいただき誠に有難うございました。


それでは、次回のお散歩も、どうぞよろしくお願い致します。


東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com