こんばんは(^-^)/
今回は22日(日)に開催しました東京お散歩教室
「日本橋・人形町・浜町散歩」の様子を簡単にご紹介します。
出発は日本橋駅から。
まずは日本橋川に架かる日本橋へ。
橋の両端に置かれている東京市の紋章を抱えた獅子像。
獅子は守護を表しています。
獅子像の下に掲げられた「日本橋」と記された銘板は
徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜の揮毫によるものです。
日本橋の各部をチェックした後は、日本橋室町のメインストリートである
中央通りをぶらぶら。
日本橋三越本店や三井本館といった東京を代表する
近代建築の外観を眺めながら日本銀行へ。
日本銀行本店本館の横に、寄り添うようにして建つ日本銀行本店別館。
こちらは、日本銀行増築計画のもと、本館を設計した辰野金吾の弟子
長野宇平治の設計によって、昭和初期に建てられました。
美しい建物群を鑑賞した後は、日本銀行金融機関研究所内にある
貨幣博物館を見学。
館内では、古貨幣収集家であった田中啓文氏のコレクションを中心に
貨幣に関する様々な資料を見ることができますが、撮影は不可。
唯一、展示室外のロビーに撮影可能なコーナーがあり
そちらで、石貨と一緒に記念写真を撮ってもらいました。
貨幣博物館を出た後は、日本橋小伝馬町エリアの見どころ探訪。
十思スクエアで伝馬町牢屋敷の模型を見せていただこうと伺ったところ
閉まっていたため、まずは身延別院をお参り。
身延別院で油かけ大黒天神に参拝しようとしたら
なんと、年に一度の大掃除中とのことで
大黒様は油まみれならぬ、泡まみれ(^_^;)
そして、大黒様にかけていたあの油の正体が
リノールサラダ油だったということも判明!
大変貴重なシーンを見せていただきました。
身延別院の次は、向かいにある十思公園へ。
このあたり一帯は、江戸時代、伝馬町牢屋敷があったところで
安政の大獄で牢送りとなった吉田松陰は、この地で処刑されました。
そのため、園内には「吉田松陰終焉之地碑」や「吉田松陰顕彰碑」
「辞世の碑」が立っています。
十思公園内の史跡を幾つか案内した後は、大安楽寺へ。
高野山真言宗の寺院「大安楽寺」。
この場所も、かつて伝馬町牢屋敷があった場所です。
創建は明治8年(1875)。
高野山から出て、麻布市兵衛町の不動院の住職となった山科俊海和尚が
この地で燐火を見て、彷徨う霊を感じ、処刑された勤皇の志士や
刑死者たちを弔うために、大倉喜八郎と安田善次郎の寄進を受けて
寺は建立されたとのこと。
境内には、延命地蔵菩薩像や江戸八臂弁財天などが安置されています。
江戸八臂弁財天の隣に祀られている弁財天使神。
石狩川神居古潭峡の石で、白蛇の化石だそうです。
“古来アイヌの酋長のシンボルとされ
「撫で石として厄除、息災、招福の石として」信仰された。”との
説明文があったので、皆さん、撫でていかれました。
日本橋小伝馬町の見どころ巡りの後は、椙森神社へ。
日本橋堀留町にある伍社稲荷大神をご祭神として祀る椙森神社。
日本橋七福神の恵比寿神でもあります。
訪問時は、静かな佇まいを見せていましたが
年明け以降は、七福神巡りをする人たちで、大いに賑わいそうです。
椙森神社をお参りした後は、日本橋人形町エリアへ。
江戸情緒が残る人形町の路地で記念写真。
皆さん、ご協力有難うございました(^-^)/
記念撮影の後は、大観音寺へ。
観音菩薩像の頭部「鉄造菩薩頭」をご本尊として祀る
聖観音宗の寺院「大観音寺」。
鉄造菩薩頭は、毎月11日と17日のご開帳日以外は
秘仏となっているため、普段は閉ざされた扉の前に立つ
「お前立ち」の観音様にお参りすることになります。
境内の一角に祀られている護法韋駄天尊。
駿足の韋駄天が、仏舎利を盗んだ鬼神を追いかけ取り戻したことから
近年は、マラソンランナーなどのパワースポットにもなっているとか。。
大観音寺を参拝した後は、甘酒横丁やその周辺で食べ歩きを体験!
「双葉」の甘酒や「人形町今半 惣菜本店」の惣菜を味わった後
私を入れて、ちょうど10人だったので、「人形町亀井堂」に行って
10個入りの人形焼を買って、みんなで一つずつ食べたりしました。
食べ歩きの後は、浜町公園を通り抜け、隅田川テラスへ。
今回はペースが速かったため、日が暮れきる前に隅田川テラスに到着。
川沿いを北上して、薬研堀不動院へと向かいました。
最後は、真言宗智山派の大本山、川崎大師平間寺の東京別院である
薬研堀不動院に立ち寄り、東日本橋駅でお散歩終了、解散となりました。
ご参加くださいました皆様、長時間お付き合いいただき
誠に有難うございました。
それでは、次回のお散歩も、またどうぞよろしくお願い致します。
東京お散歩教室