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こんにちは マダムサトコです。 本日は”あなたのその行動は本当に解決策になってますか?” というお話です。
本日は 創世記 28章5節から読んでいきましょう。
こうして イサク は ヤコブを送り出した。彼はパン アラムへ行って、 ヤコブとエサをの母 リベカの兄、 アラム人 ベトエルの子ラバのところに行った。
今いる居住地からリベカの実家というのは1000キロ ちょっと離れているところなんですけれども、 この5節の前の4節でお前が今 居留しているこの地を継がせてくださるようにと祈っているところを見ると
一時的に遠くを離れても「必ずヤコブはこの地に戻ってきます」 という宣言を イサクは神様にし、 それを ヤコブに聞かせたという状態ですね。 それを聞いて ヤコブ 自身は「自分がここの後継者である。 自分は必ず戻ってくる」という意識を持って出かけたんじゃないでしょうかね。
6節 エサウは、 イサク が ヤコブ を祝福し、彼をパタン アラムへ送り出して、そこから妻をめとるように、彼を祝福して彼に命じ、 カナンの娘たちから妻をめとってはならないと言ったこと、
7節 またヤコブが、父と母の言うことに聞き従ってパダン・ アラムに行ったことに気がついた 。
ここから見ると、エサウ というのは イサク リベカ ヤコブの近所に住んでいた。 同居はしていなかった。まあ奥さんがいますから、独立した住居を持って そちらに住んでいた。だからこそ ヤコブが出て行ったということを 「あいつを殺してやる」と言っていたにもかかわらず、 出て行った後に気がついたという記述になってますね。
そして もう1つ 気になるのが、この「気がついた」という点ですね。これは”同じ家に住んでいない家族の動向を知った”ということで、 イサク リベカ ヤコブの家からそれをエサウ に告げる者がいたんじゃないか。
つまり 家の中に”スパイ”っていうのは 言い過ぎなんですけれども、 家庭内のゴタゴタを他人にペラペラしゃべるような人間がいたんじゃないか、ということが推測されますね。
8節 エサウはまた、 カナンの娘たちが父のイサクの気に入らないのに気がついた。
笑っちゃいますね。 遅いよw! というところですね。 普通の親だったらエサウが「この女の子と結婚しようと思う」と連れてきた時に反対をしますよね。
そこで 「この地の娘たちを妻にめ取ってはならない」とか教えると思うんですけれどもね。 イサクはそれを教えなかったんでしょうかね。
もしくは、教えてもエサウが「もういいから、そういうの興味ないから」ということで強行突破した。まあどちらかだと思うんですけれども、結婚 何年か分かりませんが、”イサクの気に入らない嫁”というのに この期に及んで気がついた、というのが
やはりエサウ が他人の気持ちにはそんなに関心がなく、人がどう感じようと どう思おうとも 全く気にすることはない。 まあ 人間関係に対して敏感に対処することがない人間だ、というのも この記述からわかるかと思います。
もう1つの考え方として、 イサクとリベカ は弟の ヤコブが家督を継ぐという神様の言葉を聞いており、 エサウにヘテ人たちの娘から嫁を取らせることで ”神の言葉を守らなかった お前には何の家督も財産も与えない”という理由付け みたいなものをここでつけていたのかもしれませんね。
つまり イサクとリベカ というのは、結婚した時から神様に守られており、 またイサクの臨終の間際まで神様の言葉を聞いてそれに沿った生き方をしていたんだな、ということもまたわかるかもしれませんね。
9節 それで餌は イシュマエルのところに行き、 今ある妻たちの他に、アブラハムの子 イシュマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻として めとった。
これはエサウ の薄っぺらさがよくわかる記述ですね。「 お父さんが今の妻を気に入らないなら、 新しい妻をもらえばいいんだろう」という発想。 リベカ はそういった エサウの性格を 「これは 家督を継がせるのには十分じゃないな、ふさわしくないな」と思った 気持ちもよくわかりますね。
このイシュマエルというのは イサクの腹違いでして、15歳年上の まあ 兄弟 お兄さんということですね。 イシュマエルというのは イサク が生まれて 乳離れのお祝いをしているところでイサクをからかったと聖書には書いてあるんですけれども、 実は遊んでいるふりをして 赤ちゃんのイサクの首を絞めようとしたんじゃないかと私は思ってるんですね。
それを見たリベカ から怒って一族の居住区から追い出されて、
その後 イサク が イシュマエルに会ったのはアブラハムの葬儀、 なんと60歳過ぎの時でした。 そんな因縁もある相手である イシュマエル なんですけれども、エサウ というのは「親戚の家の娘から妻を寝取ればいいんだろうが」ということの本質が分かっていない。
本質というのは「神を崇める 信仰心を持っているもの、 そういった人間をめ取りなさい」 という言葉が やっぱりエサウには通じないんだな、 という ちょっと物悲しいシーンですね。
本日は”あなたのその行動は本当に解決策になってますか” というお話です。
この動画を見てらっしゃる 昭和の皆さんもまあそこそこ以上に長い人生を送っていらっしゃいますから、「 目の前の問題の対処のために 本質的ではないことをしてしまう」というご経験はまあ 私と同じぐらい たくさんお持ちなのではないでしょうか。
今日の箇所というのは まさに「それっぽいことをしとけばいいや」という態度で全く 的外れな行動をしてしまった。 そういった 自分の黒歴史を見るような気分で ここを私は読みました。
日本語にはやっつけ仕事 という言葉がありますね。 今目の前で 取り繕っておければ何でもいいやという意味なんですけれども、 人生はそれではなかなか 前進や改善をしないというのも 昭和の皆さんは よくご存じだと思います。
何事においても本質的な対応、 聖書的に言えば「神様に祈って その解決方法を与えてくださるように求める」こういった人生を送りたいものですね。
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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。
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