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こんにちは マダムサトコです。 本日は ”一切 遺産を渡さない ひどい親に絶望”というお話です。

 

本日は 創世記 27章39節 から読んでいきましょう。

父 イサクは答えて彼に言った 「見よ。 お前の住むところでは、地は肥えることなく、 上から天の露もない。

 

 

いやー 親としては実の子供にこんなこと言いますかね? 痩せ細った土地で雨も降らないようなところに住む、まあ 逆に行ってみれば 今で言う 砂漠に住むという予言でもあると言えますね。 地上から得られるものはないので放牧をするにも難しい、 また農業をするにも難しい、ということですね。

 

40節 お前は己の件によって生き、 お前の弟に仕えることになる。お前が奮い立つならば、お前は彼のくびきを、自分の首から 研ぎ捨てるであろう 。」

 

 

これもまた自分の子供に言うようなことですかね? これは己の剣によって生きというのは、まあこの言葉通り 戦いによって生きていくという意味ですね。 

 

与えられる場所が富んでもいないし、 雨も降らないというところであれば、もう 盗賊 というのは 言い過ぎ かもしれませんけども、 他人を攻撃し他人の持っているものを奪って生きていくしかないということなんですよね。

 

そんなひどいイサクの物言いに、さらに「お前の弟に使えることになる」と、これはまた死人に鞭打つという言葉が 日本語ではありますけれども、エサウに鞭打つというか、 悪い 話を聞かされている上にさらに悪い 話を聞かされてしまうという、「これ、本当に親の言葉ですか??」 と言いたくなるような言葉ですね。

 

そして「お前が奮い立つならお前は彼のくびきを自分の首から時捨てるであろう」、 これは「お前がその気になるのならば、 弟 ヤコブからいろんなものを取られたという悔しさやまた心の屈折を、自分の首からつまり自分の頭 それはすなわち 自分の心からとき捨てるであろうって、 つまり 忘れてやれようっていうことですか???

 

これはそうすると イサク が言っていること っていうのは、

 

安定して豊かな生活が送れるような土地には住まずに、人を攻撃して 人のものを奪う人生を生きて、 でもお前の弟がしたことは忘れてやれよ。

 

って、イサクは 本当にエサウの親ですか????と思うような イサクの言葉ですよね。

 

なんでイサク が こんなこと言ったんだろうか、ということをちょっと検証してみたいと思います。

 

 イサクはエサウ が取ってくる 獲物の料理が好きだったというのはありますけれども、 本当は エサウのことを人間としては好きじゃなかった。自分の後継者としては とても認められないということを思っていた。んじゃないかなと思いますね。

 

その理由の一つが、エサウは野を駆け回る人であり、 ヤコブは神への祈り また神との対話を好んだ性格であったというところだと思います。

 

イサク自身が 何の突出した才能もないのに、神様の恵みだけで井戸を掘り当てていく、という人生だったんですけれども

 

 

 

 

 その人生について イサク は非常に神との対話を重視していた。水脈 なんて言う人間の目には見えないものを与えてくださる 神 神との対話を重視する人生、というのが非常に大切である。 それゆえに 自分の 築き上げてきた財産は、神を第一とするものに 引き継ぎたい。

 

このような気持ち 感情があっても全くおかしいとは思いませんね。 そしてエサウ に「お前はこの辺りに住むんじゃない。 もし 住むならお前は弟に仕えることになるんだぞ。 そして 弟のしたこと また この一族のことも もうすっかり忘れて、 お前一人で生きていけ」いやーこれ遺言としては本当にきつい言葉ですね。

 

本日は ”一切遺産を渡さない ひどい親に絶望”というお話です。

 

本日は 遺産相続のシーンの中でも「何で俺にはもらえずに!あいつばっかりにあげるの!!理不尽じゃん!!!」 と、これを聞いてる 多くの皆さんも同じような境遇に陥ったり、 まあ 自分ではないにしろも お友達がそういう状況になったり、 遺産相続の理不尽さというのは 長年 生きていればどこか かしこで聞いたり また 感じたりすることがあるんじゃないでしょうか。

 

今日の箇所というのは まさにその部分ですね。 エサウ は自分が ヤコブ 弟よりも 父に好かれているという自覚もあったでしょう し、お父さんが好きな 狩りの獲物を取ってくるという親孝行も何回もしてたことでしょう。 それでも自分ではなく弟に全財産を全部あげた。 もう日本であれば 民事訴訟ですよね。大騒ぎになって何年も何年も裁判が続く ケースになるかと思います。

 

けれども この 聖書の話では「どうしてエサウでなく ヤコブにあげたのか」ということは先ほども お話ししました通り、 ヤコブの方が神様との距離が近い、 神様への信仰心があったという その1点 なんですね。

 

神を見上げて 生きるものと、神を崇めず生きるもの。 もしかしたら イサクは餌をが取ってくる 獲物は好きだったんだけども、 それ以外はエサウは イサク に対して親を親とも思わない言動もしていたかもしれませんし、 聖書には書いてないのでわからないですけれども 何かしら イサク がエサウには遺産は与えないと 決める 何かがあったかもしれませんね。

 

ということで 本日の箇所が面白かった 興味が持てたという方はアメブロでのフォロー、youtubeでの 高評価チャンネル登録 お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。その他 Twitter や Instagram なども行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

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