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こんにちはマダムサトコです。 本日は ”聖書 豆知識版 ラクダの能力”についてお話しいたします。

 

本日は 創世記24章9節 から読んでいきましょう。

それで 下僕は、その手を 主人である アブラハムのももの下に入れ、このことについて彼に誓った。

 

 

 ももの下に手を入れて という約束の仕方については この投稿を

 

 

 

 

ご覧いただきたいんですけれども、その当時忠誠を誓う また忠誠を誓わせる方法としてまた証しとしてこのような行動をしていました。

 

当時 60歳から80歳ぐらいだった、 もう 現代で言うと 初老から後期高齢者ですね、 その年齢になっている エリエゼル なんですけれども 偉大な民族の祖である アブラハムの唯一の子イサクの嫁探し という大役が任されたわけです。

 

10節 下部は主人のラクダの中から10頭のラクダを取り、そして出かけた。 また主人のあらゆる 貴重な品々を持って行った。 彼は立って アラム ナハライムのナホルの町に行った。

 

 

ここで ラクダというのが出てきていますので、ラクダについて ちょっと 豆知識をここで披露したいと思います。

 

ラクダはどれくらいの速さで歩く もしくは走るのか ご存知でしょうか。

ラクダというのは 人が乗ってない状態、 つまり ラクダだけで走らせると時速25km ぐらいだそうです。 マラソンランナーの平均時速がおよそ22km ということなので、マラソンランナーよりも早く走るということが ここからわかりますね。

 

1頭でだいたい200キロほど物が運べるということですので、 10頭 と言うとなんと2000キロの荷物が運べるということですね。 それは しかし人間が乗っていくわけですから、人間の体重だとか 人間の食料、 また ラクダの食料なども 考えますと90%がまあそのような旅に必要な荷物の重量だったとすると、 それでも200キロほどの あらゆる 貴重品を携えて旅に出たんじゃないかなと 勝手に想像してしまいます。

 

また アブラハムが住んでいたヘブロンからウル、アブラハムの故郷まで、 このチャンネルでは伝統的にアブラハムの故郷と言われている ユーフラテス川の加工に近いウルとしておきますけども

 

 

そこまで片道 大体1000kmほど。 ラクダは人がいない状態では時速25km ぐらいで走るんですけれども、 人や荷物を載せていると時速15km ぐらい。 またこれは連帯、 繋がってですね 歩いて行きますのでもうちょっとゆっくりになったんじゃないかと思います。 まあざっくり 1時間 12.5km ぐらい歩くとして、 砂漠で日照りの暑い時間を避けて朝や 夕方の歩きやすい時間だけを歩くと考えると、 まあ 1日6時間ぐらい歩いたんじゃないかと想定します。すると 1日だいたい 75km ぐらい進んだんじゃないかなと思います。

 

片道1000km を 75キロで割ると だいたい13日ぐらい14日ぐらい、 2週間ぐらいですね 片道 かけて行ったんじゃないかなと思います。 聖書には そんな記述は一切ないんですけれども、 何 kg ぐらい 荷物があって何時間かかってなんて計算するのは時間に追われた現代人っぽいなあと 我ながら思います。

 

そして向かった場所 アラーム ナハライムですけれども、メソポタミアというギリシャ語を ヘブライ語では このアラーム ナハ ライム と訳す そうです。 メソポタミアと聞くと 昭和の歴史を勉強した私としては チグリス・ユーフラテス川でとかそういう風に思います。 まあ アブラハムの出身地であるとされている ユーフラテス川の河口に近いウル、 まあまあ 現在の地理的にもまあ ガッチはするかなというところですね。

 

1つ不思議なのが盗賊には合わなかったのかな?という下世話な勘繰り ですね。 砂漠と言うと盗賊や 山賊 などが小隊がゆらゆらと動いているところに襲いかかるという 図をうっかり想像してしまい。 しかもこのエリエゼルのグループは あらゆる 貴重な品々を持っていたわけですから、 絶対 襲われたはずだろう!と思いますね。

 

これも 前回お話しした通り、 神様がアブラハムの故郷である ウルに到着するまで主は御使いをあなたの前に使わされる

 

 

つまり ”この道中も神様によって守られていた”んだろうなということが分かりますね。

 

本日は 聖書 豆知識 版 ラクダの能力について、 まるで 添乗員のように 豆知識 披露 という感じになりますね。 また当時の 旅行というものがどのようなものだったかということも この姿から想像できます。

 

まあ 当時は 今のように 砂漠が広がってなかったんじゃないかという言い方もされてますので、 今のような 灼熱地獄の砂漠を延々と歩くということはなかったかもしれません けれども、 現代の車と違って 何時間も 延々と移動を続けられるわけではないし、 現代の車以上に 燃費のかかるラクダ ですから そのラクダの餌も担いでいく という大変な旅行の姿ですね。

 

まあこういったところから旅行というのは非常に大変な活動だったわけですね。 お金もかかる時間もかかる、安全も担保されなければならないということで、旅行の価値というのが非常に高かったし またリスクも高いものでした。

 

けれども 現在では最長でも12時間ぐらい飛行機に乗れば地球を半周 ぐらいはできますし、 どこそこで食料がなくなったら困るかもなんて心配は一切不要ですし、 エリエゼルのように 任務を負って ではなく遊びに行く 観光に行くとして旅行ができる。

 

そして 添乗員という仕事も 昭和から平成前半にかけて、そういった文化の進歩に合わせて生まれてきた 仕事なんだな、 と 今日久しぶりにそんなことを考えてみました。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

 

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