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こんにちはマダムサトコです。 本日は”人生の伴侶を選ぶ際に最も大切なことは何か”ということをお話しします。

 

本日は 創世記24章1節から読んでいきましょう。 

アブラハムは年を重ねて、 老人になっていた。主は あらゆる面でアブラハム を祝福しておられた。 

 

 

ここに改めて「 年を重ねて 老人になっていた」と書いてありますけれども、 いやいや生まれ故郷を出た 75歳 そこですでに今の感覚では老人 なんですけれども!と 私たちは 思ってしまいますねw。

 

この老人になっていたと書かれていた時のアブラハムの年齢というのは書いてありません。わかるのは90歳で子供を産んだ サラが127歳で死んだというところで、子供を産んでから37年経っている。子供が生まれた時 アブラハムは100歳でしたので、サラが亡くなった時は 137歳。 それからまた何年か月日が経っているということだと思います。

 

「主はあらゆる面でアブラハム を祝福しておられた」とあります。 

 

これはまず健康的な面ですね。 この聖書から読み取る年齢でも すでに150歳近い年齢であった、 その年齢まで生きているということはやはり 健康がまず第一に恵まれていたんだと思います。 

 

そしてお金や財産ですね。 食うに困らず、また人を使うに困らず、 子孫に引き継いでいく 財産もしっかりとある。 

 

こう考えますと、この当時のあらゆる面での祝福というのは 今の私たちが望むことと全く変わりがないんだな ということがわかりますね。

 

2節 その頃、 アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長の下僕に、こう言った。「 あなたの手を 私の腿の下に入れてくれ。 

 

 

まずこの最年長の下僕というのは 創世記15章2節に出てきた 

 

 

このダマスコ のエリエゼルだろうと思います。 この時はアブラハムにはイサク がおらず、 自分の資産はこのダマスコのエリエゼルに継がせるのだろうな、と思っていますね。

この最年長の下僕に「あなたの手を私のももの下に入れてくれ」と言ってます。 現代で考えると「ちょっと!いやいやいやいやwww」と言いたくなるようなシーンですけれども、

 

これはつまり 男性器 という男性で最も大切な機関の付近、 つまり 相手を傷つけようと思うのならいつでもできるような箇所ですね。 ここに手を入れさせるわけですから、入れさせる側のアブラハムがどれほど その相手を信頼しているかということを表すのに まあ 最適?ですかね。 

 

そしてそういう相手の生死を握るような箇所に手を入れても良いと言われるのは、「それほどまでに お前を信頼しているよ」 という表れであり、 相手が「そこに手を入れさせるほど私を信頼してくれるんだ」 という心を知り相手を信頼する。 このようなお互いの信頼関係を示す行為だということが ここから考えられるのではないでしょうか。

 

3節 私はあなたに、天の神 地の神である主にかけて誓わせる。 私が一緒に住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない 。

 

 

これは「イサクの妻を カナン人の中から選んではいけない」ということですね。

 

私が一緒に住んでいると聞くと まるで”年寄りのおじいさんが若い女の子を囲って”とか 現代的には考えてしまいますけれども、 アブラハムはヘブロンという カナンのど真ん中に外国人として住んでいるわけですから、 その周りに住んでいる人たち、自分たちと共に生活をしているという意味で この一緒に住んでいると書いてあるかと思います。

 

そして「天の神 地の神である主にかけて誓わせる」とあります。 つまり エリエゼルに「絶対にイサクにカナン人の娘から妻をめとってはならない」と言ってるわけですね。

 

これにはやはり 民族の純潔主義だったり、 この当時のカナンの宗教というのが 偶像礼拝 だったり、 乳飲み子 赤ちゃんですね これを燃やして神様に捧げるという 邪教、 こういった恐ろしい 邪教を信仰する人々から妻を選んではならない、ということも兼ねているようです。

 

まあ 平たく 現代風に言いますと、「おかしな宗教を信じている人たちの中にいる どこの馬の骨かわからないような女と私の大切な一人息子である イサクを結婚させてはならない」 まあこんなような言い方になるでしょうね。

 

4節 あなたは私の生まれ故郷に行き、 私の息子 イサクのために妻を迎えなさい。」

 

 

自分の生まれ故郷であれば そのようなおかしな宗教はないし、 この地を出て大いに富豪なったアブラハムの話というのは、故郷に錦を飾ることは行わなくとも 伝聞 噂で話は流れていたでしょうから、「何かしら いい人が見つかるかもしれない」 まあこのような 期待があったかもしれないですね。

 

本日の箇所は”人生の伴侶を選ぶ際に最も大切なことは何か”ということを語っています。 ここで 最も大切だと語られているのはおかしな宗教に狂っている人たちではなく、「 真の神を知るもの」、 これが自分の大切な息子を結婚させる 相手の一番大切な条件だということが ここに見え隠れします。 

 

なぜでしょうか。 なぜアブラハムはその神を知ること、 また信仰心を最も大切にしていたのでしょうか。

 

それはこの一節に書いてありますね。主はあらゆる面でアブラハム を祝福しておられた。

 

 

正しい神を知り 正しい神を信じることで、 アブラハムは年を重ねてもなお あらゆる面で恵まれた人生を送っている。

 

このために イサクの妻におかしなことを信じている どこの馬の骨の娘かもわからないようなものを妻にしたくないという気持ちが非常に大きかったということですね。

 

現在では結婚と言いますと 恋愛結婚ということが まあまあ 基本的にあるんですけれども、 実際はどうでしょうかね。 燃えて激しい恋に落ちて 「もうどうにでもなれ」という形で結婚した人たちよりも、お互いのバックグラウンドや物の考え方がよく似ていて、 また信仰心を拠り所として相手と 人間関係を築いていくという関係の方が、燃え上がるような男女の求め合いというようなロマンチック さはないにしろ、人間として穏やかに生きていく上で後者の方がいいのかなということはもしかしたら あるかもしれないですね。

 

それでは今日はここまでです ご視聴 誠にありがとうございました。 

 

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