宮本武蔵 (其之弐) | 天空の鷹 (URIEL)

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天と地の和合を祈り、陰と陽の調和を願う・・・。
 
天地に、きゆらかすは、さゆらかす
  神我がも、神こそは、きねきこゆ、きゆらかす
神の御息吹、天のみあらし、地のまくしき、
  きゆらかす・・・

万理の道、山あり谷ありといえども
     見上げる空は一つにして、しかも果てなし・・・ 」


          (五輪書、空之巻「万理一空」宮本武蔵)

月の光・・・-5

私は時代劇の中で、この宮本武蔵が一番好きである。 世の歴史の中での大名の様に偉くはないが、かといって、弱くもない。 物事の流れを読み取る点でも頭がキレる人物と言える。
大小二刀を以っての‘二刀流’は、武器でさえ使い方をよく理解していると言えるだろう。 闘い方の論理的見地は、優れている。 昔はそういった武士がたまに出てくる。 例えば刀1本で向き合っても、剣の勝負でありながら、空手の様に殴る、蹴るという事も取り入れて敵を倒す者も居たらしい。 考えてみれば刀での勝負といえども‘手’や‘足’も使えるのだから、刀だけにこだわる事なく闘えば良い訳だ。 二刀流ではないが、抜いた刀の後に残る鞘(さや)も武器として使う者も居た。 ‘武芸十八般’を巧みに使うという事ではないか。

月の光・・・-4 「大海に道なし、ただ一剣を以って進むのみ・・・ 」

「武士は何事においても、人にすぐるることを基本とする。
剣術のみを鍛錬しても、まことの剣の道を知ることはできない。 大きな所から小さな所を知り、或いは浅き所から深き所を知るごとく、おのれのめざす道とはまったく異なる方向から本質がつかみとれることもある。」
(五輪書「地之巻」宮本武蔵)

「まことの道を知らない者は、自分では正しい道と思っていても、周りから見ると誤った道を歩いている事がしばしばある。」
(五輪書「空之巻」宮本武蔵)

「まっすぐな心を持ち、常に努力して学んで行けば、おのずと全く迷いの無い、心の澄み切った状態に到達することができる。」
(五輪書「空之巻」宮本武蔵)


月の光・・・-6

「よろずに依この心なし。」

「一生の間、欲心思わず。」

「善悪に他をねたむ心なし。」

「仏神は貴し、仏神をたのまず。」

「常に兵法の道をはなれず。」

(独行道=とっこうどう より、)

「五輪書」があまりにも有名であるが、実は隠れたところに武蔵が書き残しているものが色々とあるのだ。 上記の4項目は「独行道」の一部である。
それに前回述べていた「兵法三十五箇条」もある。



「兵法三十五箇条」の一部を紹介する。

☆身のかかりのこと

「身の構え方は、顔をうつむけず、あおむかず、身体を傾けず、ゆがまず。」

「胸を出すのではなく、腹を出し、腰をかがめず、ひざをかためず。」

「身を真向きにして体の幅を広く見せるべし。」

☆足ぶみのこと

「足の使い方は、時によって歩幅の大小、足を運ぶ速さの違いはあっても、常に歩くように使うべし。」

これは主君細川忠利より、武蔵の学んで来た事を書にして欲しいとの事に依って書いたものであったが、寛永18年(1641)その細川忠利は死去する。
忠利の死後、武蔵は熊本郊外の霊厳堂にこもる。 武蔵は洞窟の中で新たな構想を練っていた。
力が全てであった武蔵の時代、数々の戦いに臨んで来た生涯を振り返り、三十五箇条の兵法書も捧げる相手の主君も亡くなり、自己の半生を考える毎日であった。

自分が極めた剣の道は全てに通じる筈。 それを書き残しておきたい。自分が極めた道を、剣の使い手のみならず、多くの人々に役立つ形で残したい。 そう考えたのであった。

正保2年(1645)4月 武蔵は霊厳堂で死ぬことを覚悟する。 しかし、細川藩の家老の説得で城下へ戻った。 病床でありながらも執筆を続け、正保2年(1645)5月12日・・・
宮本武蔵 「五輪書」 をついに完成させた。 迷いの無い、澄み切った心。それこそが武蔵が極めた「空」の概念であった。

正保2年5月19日 宮本武蔵 死去(享年62)

第一巻「地之巻」武士の基本的な心構え。
第二巻「水之巻」一対一の立会いの心得。
第三巻「火之巻」戦場での実践的な戦い方の極意。
第四巻「風之巻」他の流派との剣術の比較。
第五巻「空之巻」会得した剣の道の神髄。

時を経て・・・ 「五輪書」はアメリカでベストセラーになった。
          <BookofFiveRings>

300年の流れからアメリカ人を始めとする外国人が、日本人とは何か? サムライとは? 武士道とは? 心構えとは? 戦いとは? 境地とは? 何を極めるのか? どう極めるのか?
ありとあらゆる事がそこに記されている。 人としての在り方。 歩む道・・・。
外国ではビジネス書として人気を博している。

月の光・・・-Bまた、ブルース・リーも実は武蔵の影響を凄く受けているのが知られている。
映画の中で、船に乗ってハンの要塞島に向かうシーンは、モロに武蔵が巌流島に向かうシーンと同じであり、地下の要塞で2本の棒を使って闘う場面も二刀流の‘一本より二本の有利’の論理的観点からである。
ジークンドーの練習でも必ず二本の棒を用いている。
ヌンチャクが看板的武器であるが、これも日本の俳優の倉田保昭からのプレゼンがきっかけとなっている。
またB・リーは武蔵が説いている‘水’の理論を述べている。 さらに「本物の日本刀が欲しい」とも言っていた事がある。
おそらくB・リーがアメリカに渡ってから‘哲学’や‘思想’を色々と学ぶ様になった若い時に 「五輪書」にも出会ったと思われる。