自意識なんかいらん!
これを意識していると、
行動が軽やかになります✨
ですが‼️
「意識の向け方」
これ、前までの私にとって、
難しかったなぁと思い出しました。
私の場合は、
「◯◯って意識を持つようにしよう」
と思うと。
やらなきゃ、やらなきゃ
出来てるか?出来てないんじゃないか?
と、
極限まで追い詰める🤣🤣🤣
でも、今思うのは、
「思い詰める」ことと
「意識を向ける」ことは違う。
「思い詰める」は、思考的!
不安で煽り、追い詰める形で、
私を動かそうとする。
あと、
そこまで追い詰めたがるということは、
「脅さないと動かない」みたいな•••?
自分自身への信頼がかなり低い気がします
一方。
「意識を向ける」は、感覚的!
俯瞰の視点から、全体を見渡す。
バランスを感じて、整えていく感じ。
天秤の上に、
・やったほうがいいメリット
・メリットとは無関係な意見
2つのお皿に何か乗っているのを
眺めるような感じ。
「追い詰める」よりも、
適当で、大雑把で、曖昧。
↑
書きながら、ここに思い込みもあった!
と気づきました。
しばし横道に逸れます❣️
スカイツリーこんなにじっくり見たの初めて😍
「追い詰める」よりも、適当で、大雑把で、曖昧。
そんな感覚がありつつ。
自分で言葉にして眺めてみると•••
私、重たさの方が、
価値がある気がしていたーー😳😳
重たさがある方が•••
苦労や苦しみって、無いより、ある時の方が、
私がんばっている✨
真剣に取り組んでいる、気がする。
やってる感、手応えがある、気がする。
そんな思い込みがあったから、
激しく追い詰めていたのかもしれませーん😱😱😱
苦労や苦しみとかなくても、
やるときゃやるよー🤣🤣
「重たさのがすごい、偉い」
そのへんてこ設定、
疑えーーー
毎日通ってるけど。久しぶりに丸の内側から眺める。
こんな感じで、
思考ベースに慣れていると、
「重たさ」、「苦しさ」
と共に在る。
これがデフォルトになっているため、
「感覚」ベースの軽やかさは、
心許なく、軽視するというか•••
頼りなく感じていた
と思います。
事実はそんなことないのですが😅
私が感覚的なことへの信頼を育む
土台となったことは•••
感じたことに気づく。
常に「何感じてる?」って問うと、
「感じなきゃ、わからなきゃ」
プレッシャーを感じてわからなくなるので😅
「感じた瞬間」をキャッチする。
キャッチしたものは徐々に薄まっていくけど、
キャッチしたことを疑わない。気のせいにしない。
存在させる、認める。
感じたことをバカにしない。
素直に感じてみると、
意味不明だったり、私のキャラじゃない、とか。
「私がこんなこと感じるのが恥ずかしい」
ってことがよくあったのですが。
それらをバカにしない。
「そう感じてしまった。。。」と、
存在させてあげる。
感じたことを許す。
「こんなこと思ったらダメ」って言葉ではなくて。
ムカっ💢と感じたことあったとして。
いかに相手や出来事が悪いか、
(自分を正当化できる理由探し)
考えているかを観察する。
もし、正当化しようとしていたら、
正当化(私は正しい)って後ろ盾がないと、
怒りは感じちゃダメ、としている•••
ってことに気づき。
否定や禁止なく、感じさせてあげる。
感じたことを表現する。
「私は、こう感じたよ」
それを表現することで、
自分の感覚を表現するのが楽しくなりました。
感覚で話せる人と語り合うと、
「感じること」って
ひとりひとり「違いがある」だけで、
「間違いはない」って確信も深まった❣️
感覚への信頼を育む過程で
より、感覚を細やかに感じることができ。
その派生として、
「意識を向ける」も「卒なくこなす」ように
気軽に出来るようになってきています✨