都市伝説 vol.75 【 パリの消えた貴婦人 】 | Let's easily go!気楽に☆行こう!

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1889年のパリの街は活気に沸いていた。

フランス革命100周年を記念する第4回万国博覧会が開催されていたのである。

この日のために建造された高さ約312メートルのエッフェル塔を最大の呼び物に、

博覧会への参加国は35カ国、5月から10月までの開催期間中の来場者は3,225万人。

商店や宿泊施設にとっては絶好の稼ぎ時であった。


そんなパリの街を海外旅行中の一組の母娘が訪れた。

二人はそれまでインドを訪問しており、パリに寄ったのは博覧会を見物するためであったが、

母親は体調が優れないらしく、ホテルに着くや否や、病状はかなり深刻な様相を呈してきた。

ホテル付の医者にも手に負えず、他の医師の応援が必要だという。

しかし医師は容態の変化に備える必要があり、この場を離れるわけにはいかない。

娘は自分で医者を探すべくホテルを飛び出した。

馬車の御者は事態を理解していないのか、それとも所詮他人事かと思っているのか、

馬車の走りは精彩を欠いていた。

のろのろとパリの街を右往左往し、ようやく頼りになりそうな医者を見つけて

ホテルに戻ったときには、既に数時間が経過していた。

娘はホテルの従業員に母の具合を尋ねる。しかし彼は思わぬ言葉を口にした。


「お客様はお一人で宿泊されておりますが」


従業員が言うには、娘は一人で宿泊しているのであり、母親など連れてきていないのだという。

そんな筈はないという彼女の訴えにも彼は首を傾げるばかり。

一体何の冗談なのか。実際に母がいる部屋に行けばわかると、

娘は従業員らを連れて自室に向かった。

だが、扉を開けて彼女は愕然とする。壁紙や調度品……部屋の何から何までが異なっており、

母親の姿は影も形もなかった。

持っていた鍵と扉の鍵穴は一致する。部屋を間違えたわけではない。

母を診察した医者に聞けばわかるはずだと、娘はホテル付の医者をつかまえて問い質した。

しかし彼もまた、「そのような方を診た覚えはありません」と、

従業員同様に母親の存在を否定。

娘はホテル中の人間に母の行方を尋ねたが、誰一人として母親の行方はおろか、

そのような人が宿泊していた事実すら知らないと答えるばかりであった。

こうして母親の痕跡はパリから消えうせた。

哀れな娘は気が狂い、精神病院に入れられたと伝えられている。



真相は次のようなものであった。

母親はインドでペストにかかっており、ホテルに着いた直後に息を引き取っていたのである。

だが万博の最中、このような事実が知れ渡ったら街中が混乱し、

ホテルの営業は大打撃、パリの威信にも傷がつく。

そこでホテルはパリ当局と共謀して、娘を外に出している間に母親を別の場所に隔離し、

突貫工事で部屋を改装、関係者全員で口裏を合わせ、最初からそんな人物が

存在しなかったかのように振舞ったのだった。







上記記事はまったくの「都市伝説」です。

この話の出典は推理小説家エドワード・D・ホックの「革服の男の謎」という短編

(『サム・ホーソーンの事件簿Ⅳ』(創元推理文庫、木村二郎訳)に

収録)に、次のような記述があります。






待合室の本棚をあけて、アレグザンダー・ウルコットの『ローマが燃えるあいだ』

というエッセイ集を選んだ。

その中の「消えた貴婦人」というエッセイは、若いイギリス女性とその病弱な母親の伝説を

扱っていた。その親子はインドからイギリスに戻る途中、1889年のパリ万国博覧会を訪れた。

滞在していたホテルで母親が消えたが、従業員は母親の存在を否定した。

2人の部屋には見覚えのない家具と壁紙があった。母親のいた形跡はまったくなかった。

最後に、その母親がインドでかかったペストで急死したことを、

イギリス大使館の若い男が突きとめた。パニックで旅行客がパリから逃げ出し、

万国博覧会を台無しにするという事態をさけるために、

みんなで沈黙を守ることが必要だったのだ。

最後の脚注で、この話の出典は1889年のパリ万国博覧会開催中に発刊された

《デトロイト・フリー・プレス紙》のコラムであると、ウルコットは書いていた。

しかし、そのコラムの筆者は自分でその話を作りあげたのか、

それとも、どこかで聞いたのか覚えてはいなかったらしい。





<終わり>