いくつかの本を 交互に読んでいる  今日はこれ…と

猫ちゃん エッセー集…

浅田次郎の『民子』が収録された本など 2冊

-----------

 

Amazonで アドラーの教えを探した時見つけた 中国人作家・劉慈欣の

『三体』…購入躊躇していたら

昨日 市の図書館で見つけた (>ω<)

 

ついでに中国のノーベル文学賞作家・高行健の『母』を借りた

ちなみに高行健は天安門事件でフランスに逃げ 以来 国籍はフランス

生まれは 猫ママの大好きな俳優 赖艺(ライ・イー) と同じ 江西省の贛州

私が アドラーに出会うきっかけを作った俳優と同じ贛州出身なのが

なにげに嬉しい⸜(๑’ᵕ’๑)⸝ 

 

受賞作 『霊山』は 以前読もうとして数頁でリタイヤした 

『母』は 冒頭の母を始めとする短編集

発声練習兼ねて 『母』を音読していたら 途中から 涙で読めなくなった

文章がとても気に入った   『霊山』 もう一回挑戦しよう

 

 

 

『三体』は50頁程読んだ

SF小説だが 冒頭 紅衛兵のお話  内容が凄まじい…

いきなり 思想に酔ったうら若き女性が 銃殺される場面から始まる

次に 大学学長である主人公の父が 教え子の学生や女の紅衛兵たちに

なぶり殺しにされるシーン… ここで 一旦止め …

こんなこと 実際にあったことだと思う

中国の陳 凱歌(チェン・カイコウ)監督も自分の父を吊るしあげたと書いていた…

 

 

 

--------------------------------------------------

 

今日は 第一夜までで視聴が止まっていた

岸見一郎著 『嫌われる勇気 - 自己啓発の源流「アドラー」の教え』を

第三夜まで 視聴(Audible) / 第五夜構成   

 

 

 

面白い!! それで? それで?と 聴いていたくなる

哲学者と若者の対話形式 

若者の質問が 中学生でも そうそう…と同調しそう…

特に悩める少年 少女には とってもいいメッセージなんじゃないかと思う

 

だが このタイトルが気になっていたので 調べると

筆者曰く  下記のような理由だった 

-------------------------------
SNSなど書き込む際 メッセージに対して「いいね!」を期待する
そのため つい“受ける”メッセージを書いてしまう

インターネットやスマートフォンが普及して
人と繋がる機会が増える中、嫌われることを恐れる人が増えているように思う
だからこそ 嫌われる勇気というタイトルが一番響くのではないかと考えた
そして なるべく多くの人が読んでみたいと思うようなタイトルを選んだ

自分の主張を伝えることには責任がある
主張に対し 必ず反発する人がいて 摩擦が生じるのは当然
だが それを理解する必要がある

「おかしいことはおかしい」と言える人が増えた方がいい
みんながやさしくて 人を傷つけない方向に行くと 社会自体が大変なことになる
気が付いたら指摘するべき  

それはおかしいんじゃないかと言える社会の方がいい…と

 

--------------------------------------------------------
 

今日視聴した 第二夜~第三夜で 面白いと思った哲学者のメッセージ

 

哲学者;

悩みを消し去るには 宇宙の中に一人生きるしかない
孤独を感じるのは あなたを取り巻く 他者 社会 共同体から
疎外されていると実感するからこそ孤独なのです

我々は孤独を感じるにも 他者を必要とします
人は社会的な文脈に置いてのみ 個人になるのです


若者; 宇宙の中に一人存在していれば個人でもないし孤独も感じない?

 

哲学者;

おそらくは孤独という概念すら出てこないでしょう
言葉も必要ありませんし 論理もコモンセンス・共通感覚も必要なくなります
ですが そんなことはありえません
たとえ無人島に暮らしていたとしても 遠い海の向こうにいる誰かを考える
一人きりの夜であっても 誰かの寝息に耳をすます

どこかに誰かがいる限り 孤独は襲って来るはずです

 

アドラーは人間の悩みはすべて対人関係の悩みであると断言しているのですから
アドラー心理学の根底に流れる概念です
もしこの世界から対人関係がなくなってしまえば 

それこそ宇宙の中にただ一人で 他者がいなくなってしまえば
あらゆる悩みも消え去ってしまうでしょう

 

若者;そんなものは学者の詭弁にすぎません

哲学者;

もちろん対人関係を消してしまうことなどできません
人間はその本質に置いて他者の存在を前提としている
他者から切り離され 生きることなど原理的にありえない
宇宙の中に唯一人生きることができれば…

という前提が成立しないのはおっしゃる通りです

 

若者;

すべてが対人関係の悩みというのは極論です
あなたは対人関係から切りはなされた悩み 個人が個人としてもがき苦しむような悩み
自己に向けられた悩みをすべて否定されるのですか

 

哲学者;

個人だけで完結する悩み いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません
どんな種類の悩みであれ そこには必ず他者の影が介しています

 

若者;

先生 あなたはそれでも哲学者ですか
人間には対人関係なんかよりもっと高尚でもっと大きい悩みが存在します
幸福とはなにか 自由とはなにか そして人生の意味とはなにか
これらはまさに古代ギリシア以来 哲学者たちが問い続けてきたテーマではありませんか?
それがなんですって?
それを対人関係がすべてだと?! 

なんと俗っぽい答えでしょう 哲学者がきいてあきれますよ

 

哲学者;

では対人関係においてちょっと角度を変えたところから 話をしましょう
あなたは劣等感という言葉を御存知ですか

 

若者;

私は劣等感のかたまり
新聞などを通じて 同年代の人間が活躍している姿を見ると

どうしようもない劣等感をいだきますね
同じ時間を生きてきた人間が あれほど活躍しているのに

一体自分は何をやっているんだと
あるいは友人が幸せそうにしている姿を見たときなど

祝福する気持ちより先に 妬みや焦燥感が出てきます
学歴 職業 年収など…社会的立場についても どこもかしこも劣等感だらけ

▶解説;

劣等感…という言葉を現在語られているような文脈で使ったのはアドラーが最初だとされている

 

哲学者;

私は身長155mです アドラーも又これくらいの身長だったといいます
かつて私はあなたくらいの年齢まで 自分の身長について思い悩んでいました
もし人並みの身長があれば あと20cm いやせめて10cmでも身長が高ければ
なにか変わるんじゃないか…… だが友人に言われた
”お前には人をくつろがせる才能がある  他者を威圧しない(小柄だから…)


価値の転換です
155センチという身長は 劣等性ではない
主観的な劣等感   
客観的ものではなく 主観的な解釈


客観的な事実は動かすことはできません
主観的な解釈はいくらでも動かす事ができる 自分の手で選択可能
私達は主観的な世界の住人である…


価値とは社会的な文脈の中で成立しているのも
価値の問題も対人関係に還元されてゆく

人は無力な存在としてこの世に生を受ける
その無力な状態から脱したいという普遍的な欲求をもっている
アドラーはこれを優越性の追求と呼びました
向上したいと願うこと 理想の状態を追求することと 考えていただければよいでしょう

優越性の追求と対をなすのが劣等感
理想に到達していない自分… まるで劣っているかのような感覚を抱く
どちらも正常で健康な努力
劣等感は 努力や成長を促すきっかけにもなりうる

一方 劣等コップレクスとは

自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態
コンプレックスとは 複雑に絡み合った倒錯的な心理状態を表す用語
劣等感とは関係ない 同義ではない


お前の顔を気にしているのはお前だけ…(゚-゚ )(。_。 )
 

------------------------------

 

聴きながら 書き取ったところを 書いてみた

アドラー心理学は 勇気の心理学 使用の心理学

 

いいね!を期待せずに嫌われることを恐れないで

しっかり意見を言うことと

 

昨今のSNSの誹謗中傷…これを恐れない…ということに

なるのだろうか…勇気ってなんだろう (-"-;) ??

 

アドラーの教えを 最後まで視聴してみよう  


 

嫌われる勇気 ー 自己啓発の源流「アドラー」の教え①

 

嫌われる勇気 ー 自己啓発の源流「アドラー」の教え②