重い話が続きます、すみません
がんという病気で唯一良いと思える事は、病気がわかってから、最期を準備する時間が残されているケースが多いという事。
治療方法を考えるのと同じ位、最期について考えておくことは重要な事だと、遺族になってから思い知った。
私自身は全く最期の事は考えられていなくて、「ホスピスの予約を」と言われてもそれを受け入れられず、本人にも伝えられなかった。
そして、肺がんだった夫が肺炎を起した時も、
「私達は何人も患者を見てきている。これはターミナルケアなんです。」
と医師や看護師さんに言われても、その言葉の意味さえわからなかった。
(あなた方にとっては多勢の患者の中の一人でも、私達にとってはかけがえのない、たった一人の家族なんだよ…)
と説得にも応じられなかった。
「娘の中に父親の記憶が残らない事が、何よりも悲しい事なんです。」
「本人が望まない限り、一分一秒でも長く生きて欲しい。」
と延命を訴えていた。
でも、今になってみれば、死を受け入れられていなかったのは、本人ではなくて、私自身だったのだと気がつく。
亡くなる前の晩、「自分の気持ちが全然わかっていない。」と夫に言われた。
私が受け入れられていなかったから、本人はそれに合わせざるを得なくなっていただけだったのだろうと、今になってみれば思う。
それよりもだいぶ前に「無駄な延命はしないで。」って言われていたことも、その時は思い出せなかった。
何も考えられないまま、その時を迎えてしまった事を後悔している。
本人にとっても遺される者にとっても、穏やかに死を迎えられる事こそ一番の幸せだと、遺族になった今だから思う。
だから、今、病気をかかえている本人や家族、まだ病気とは無縁の方も一度は死と向き合ってみて欲しいと思う。
私が終末期の事を考え始めたのは、昨年の第8回がん患者大集会がきっかけでした。
そして、今日は第9回がん患者大集会が開催されます。
テーマは「がん患者が望む最期の迎え方」~在宅・ホスピス・病院・その他~です。
今回は神戸での開催ですが、Ustream配信がありますので、ご自宅からでもスマホからでもご覧になれます。
がんという病気と関係あるなしに関わらず、縁あってこのブログに辿りつかれた方、この機会に一緒に考えてみませんか?
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