バンクーバーに語学留学していた日本人女性が行方不明になり、遺体が発見されるという痛ましい事件がありました。
カナダ在住の友人たちの捜索依頼や情報提供を求めるFacebookでの投稿を目にして、無事の帰還を祈っていましたが、残念ながら最悪の結果になってしまいました。
容疑者はいるものの事件の経緯が明らかになっていない状況ですが、ご家族の悲しみや心労は想像にあまりあるものです。
そんな中、先日「バンクーバー日本人留学生の事件に思うこと」というブログ記事を目にしました。
こちらのブログはカナダで子育てをされている方が書いているものです。
英語を話しているとき(話そうとしているとき)に私たちの判断力には何が起っているのか、重要なことが書かれているので、海外在住の方、また日本在住でも外国語で人を見極める立場にある人はぜひお読みください。
一部を転載します。
自分は変なやつにはひっかからない、
ちゃんと気づけるっていうあなたのいつもの判断力、判断基準は
日本語を話しているときのもの。
英語を話しているときは正しく操作してない、
それをどうか知っていてください。自覚していてください。
「英語を話しているときは正しく操作していない」という部分には、もちろん英語の習熟度がどのくらいか、海外在住歴やどのくらいの濃い経験をしてきているか、英語と日本語をどの程度自在に操れているか、など様々な要素が絡み合ってくるので、一概には言えない部分もあるかと思います。
でも、国際結婚を目指して婚活をしている方のなかでも、「もしその人が日本人だったら」という質問をしたら「いや、もし日本人だったら(そういった属性や条件の)その人とは結婚しません」と明確に言えるのに、「外国人だから」そういった条件はリセットになってしまう・・・という場合があるのです。
これも、ある意味で、このブログ記事で解説されている「外国語を話す自分に対する劣等感が無意識のバイアスとなっている」ということもあり得るのではないかという気がします。
「そうか、そういう可能性もあるのかもしれない」と思うだけでも、これからいろいろな場面で出会う人々を少し冷静な目で見られるかもしれません。