「名字すら同一にできなくて夫婦がうまくやっていけるのか」 | 「成功する国際結婚の秘訣」ブログ

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全米ベストセラーの翻訳書「異性の心を上手に透視する方法」の翻訳者&「国際結婚一年生」著者、パートナーシップ専門コーチ・塚越悦子のブログ

「夫婦同姓は違憲ではない」という判決結果についての感想が書かれているSNSの投稿やブログ記事をいくつか読みました。

そのなかに、「夫婦で名字すら一緒にできないのに、ほかのさまざまな問題を夫婦で話しあって解決することができるのか」というものがありました。

これはパッと見ると「たしかにそうかもしれない」と思ってしまいそうな言説かもしれません。

でも、「親密さ」は「考え方が同じであること」ではないというブログ記事にも書いたとおり、夫婦だから、家族だから同じ考えであるはず(あるいは、同じ考えでなければならない)というのは言ってみれば思いこみです。

いつも書いているように、自分のクローンと結婚するのでないかぎり「考え方がすべて同じ」なんていうパートナーはまずいません。だからすべての結婚はそれ自体が異文化体験なのです。

国際結婚のカップルのご相談を受けてきている私からすると、うまくいっている夫婦は考え方が同じ(似ている)からうまくいっているのではありません。

そうではなく、
「私たちはこことここについて考え方が違いますね。それはときには摩擦を生み出すこともあります。でも、それでもハッピーに一緒にいられる方法を考えましょう」という、パートナーシップについてのコミットメントを持ち、それを実現させるためのコミュニケーションスキルを苦労しながら身に着けた人たちなのです。

考え方が同じ人とうまくやっていくのはある意味、簡単です。

考え方が違う人ともうまくやっていけるかどうか?がチャレンジであり、その大変なほうの道を選ぶ人にとっては、それが自分を人間的に成長させてくれるものでもあるのではないでしょうか。

また「名字くらいで」というフレーズを「夫婦の中で起こる問題としては、名字はあまり大きなことではないですよね」という意味あいで使う人もいるかもしれません。

個人的には、名字について合意できないこと自体よりも、そのような言い方で、相手の人がどのような理由であれ大事に思っていることについて「私にとってそれは大事ではありませんよ、それにこだわっているあなたはXXXな人です(XXXには任意の言葉が入ります)」と言ってしまうことのほうが問題だと感じます。

自分にとっては小さなことだと感じることでも、相手が大事にしていることを尊重したり、お互いへの敬意をもったまま議論できるかどうかで、その人となりがわかるでしょう。

ちなみに、国際結婚であれば、外国人には日本の戸籍がないため選択制になっているので夫婦別姓問題で悩む必要はありません。姓を変えてもいいし、変えなくてもOKです。

でも、結婚することになる相手とは、この夫婦別姓問題をはじめとして、「自分が大切にしていること」で「相手と考え方が違うこと」を敢えて話題にして、相手が意見の違うあなたにどういう態度をとり、話しあうのかを観察するのは、非常に大事なことだと思います。

そこで「XXくらいで・・・」という言い方をする人かどうか?は、夫婦としてパートナーとして平和に暮らせるかどうかを見極めるのに大事なポイントになるでしょう。

その意味では、別姓を選択できればいいのにな~と思っている人は、「名字すら同一にできなくて夫婦はうまくやっていけない」と言い切る人とは一緒にならないほうがいいのかもしれませんね。