きのうの記事の続きです。
「バウンダリー(自分と他人の境界線)を引く」というと、「冷たい・・」と感じる人もいるようです。
わたしはわたし、あなたはあなたなんて、きっちり線をひけるものではないのでは?それだと人間関係せちがらくならないか?という声もあるかもしれませんね。
これはバウンダリーが誤解される点のひとつでもあるのです。
例えば、いつも寝坊してバスに乗れず、学校に遅れないように親に車で送ってもらっている中学生がいたとしましょう。
寝坊してバスに乗り遅れる。これは誰の問題でしょうか?
本来なら、本人の問題のはずです。でも、ここで親がきっちりとバウンダリーを引かず、いつもいつも子供をレスキューしていたら、どうなるでしょうか。
寝坊するという行為の結果を、本人が味わうことなく、そのまま大人になることになります。
このまま大学に行ったり社会に出たりして、基本的な生活習慣が身についていないために一番困るのは誰でしょうか。
バウンダリーを明確にする、今まであいまいだったのならきっちりと引きなおす、ということは、「これは誰の問題か?」ということをはっきりさせ、その問題の持ち主にお返しすることでもあります。
そうすることによって初めて、その問題の持ち主が、自分の行為の帰結(この場合は寝坊する→バスに乗り遅れる→遅刻する)を味わい、その結果「このままでいいのか?」「遅刻しないためにはどうしたらいいのか?」を自分の問題として考えることになります。
この「それは誰の問題なのか?」と考える習慣は、子どもが小さいときから頭にいれておくと、あとあと色々なことが楽になります。
例えば、子どもが「退屈だ~」と親に言ってきたとします。
自分の時間を楽しく過ごすことに責任があるのは本人です。まだ子どもが小さいうちは「XXをしてみたら?」と提案をしてみるのもいいですが、ある程度の年齢になったら、自分をハッピーにするのは自分の責任だということを教えるためにも、あえて「自分で何か楽しいことを見つけてごらん」と促すことも必要です。
それをせずに、いつも先回りして「子どもがやって楽しいこと」を用意しておくと、「自分を楽しませるのはお母さんの仕事」と勘違いされかねません。
「何をしたら、自分はハッピーなのか?」と考える機会や、いろいろと試してみて自分で見つけ出すという経験がなければ、いざ大学での専攻を選ぶとか、仕事を選ぶといったときになって「自分は何が好きなのか?」「何がやりたいのか?」という質問に答えることは難しいのではないでしょうか。
バウンダリーを明確にすることは、周りの人に「自分の人生に責任を持つこと」を促すことでもあるのです。