石をぶつけられたタクシーは、幸いにも事故や怪我もなく難を逃れました。
かといって、石が当たりフロントガラスを割られる惨事に見舞われる理由がありました。
その車は、人身事故を起こす予定になっていました。
タクシーには人をはねる、という未来があったのです。
フロントガラスは石ではなく、はねられた人間が当たり割れることになっていました。
彼のいたずらで邪気祓いされたのです。
幼い子どもの「悪ふざけ」や「いたずら」の類を大人たちは本気になって責めません。
叱ったとしても、責めることなく正しい教えを与えます。
大人は、彼らの魂が無邪気であることを知っているからです。
難を逃れた彼らは、邪気祓いと知り、その恩に報いようとするのです。
つづく