私たちは自分の人生を常にできること、つまり「する」を基準に考えています。社会もまた「する」を基準にして成り立っています。
かたや歳を重ね「老い」により人の手が必要になると、ひたすら「できなくなる」と感じます。
「する」を視点にしている限り、老いの過程は後退といったマイナスなものになります。
まるで老いることは不能になることで、辛い人生のはじまりのようです。
私たちは、生まれてきた子どもに多くの「する」を求めません。
居てくれるだけで、私のもとへ来てくれただけでありがたいからです。
そこで、たとえ老いて「できなくなる」ことがさくさんでも、「ある」に変えてみませんか。
「ある」、この人がただ居てくれる幸せです。
その人が幸せで居てくれますように、と祈れる私は嬉しいのですから・・・。