霊能者サマンサの霊体験<明松庵>

霊能者サマンサの霊体験<明松庵>

明松庵は、東京都新宿区西新宿にあります。世界の霊能者サマンサ(僧侶:明松)のお店です。
http://myoshoan.info/

霊能者であり僧侶のサマンサです。
私は、人や場、出来事に宿る目に見えない領域を読み解き、神仏や魂意識と対話しながら、多くのご相談に向き合ってきました。

このブログでは、霊的な体験談や日々の気づきを通して、「本来の自分を取り戻すための視点」を静かに綴っています。
恐れや依存を煽ることなく、生き方の助けとなる言葉をお届けできれば幸いです。

年に4回の『心霊の世界』講演会、5月に日帰りのパワースポット巡り、7月はヒルトン東京で納涼会を開催します。

明松庵 ℡ 03-3344-3755 受付:11時~18時 水・土日祝を除く
*時短営業、臨時休業日あり(明松庵LINEでご確認頂けます)

1755年オーストリアのハプスブルク家に生まれたマリー・アントワネットは、フランス国王ルイ16世の王妃となり、華やかな宮廷文化の中心にいました。ドレスや髪型、宝飾品など。彼女が選んだものは、当時の流行そのものになっていきました。

しかし、その華やかな人生はフランス革命によって大きく変わります。最後には断頭台へ送られ、1793年38歳でその生涯を閉じました。

 

そんな彼女には、よく知られている不思議な話があります。

革命による逃亡の失敗後、髪が一夜にして白くなったという話です。実際には、処刑の前夜に白くなったという説だけではなく、1791年のヴァレンヌ逃亡事件から戻った後だったという記録もあるようです。科学的には、髪そのものが一晩で突然すべて白くなることには疑問が呈されています。興味深いのは、人は極限の恐怖や苦しみを経験するとき、身体にまでその影響が現れることがあるということ。

 

そして、もう一つ。サマンサはマリー・アントワネットに、少し不思議な縁を感じています。私自身の魂の記憶を辿ると、彼女の時代につながります。

「マリー・アントワネットがそのまま現在の私になった」という単純な話でありません。

魂というものは、一つの人生だけで完結するものではありません。

人間の肉体は生まれて、成長し、老い、最後には死を迎えます。しかし、魂はその経験を携えながら次の人生へ進んでいくのです。

 

人は誰でも、過去生と現在の自分に似た感覚が残っていることがあります。サマンサの場合なら、宝石やゴールド、美しいものへのこだわりです。そして、死というものに対する感覚です。

華やかなものを好みながらも、死を必要以上に恐れません。そんな部分にサマンサは前世を思い、不思議なつながりを感じるのです。

つづく

晴れた週末、サマンサは横浜へ出かけました。

目的は、横浜美術館で開催されている「マリー・アントワネット・スタイル」。18世紀のフランス王妃、マリー・アントワネットの装いやジュエリー、家具などを通して、その「スタイル」が現代までどのように受け継がれてきたのかを紹介する展覧会です。

ヴィクトリア&アルバート博物館が企画した世界巡回展で、日本では横浜美術館だけの開催。ドレスや宝飾品など、王妃の時代から現代のオートクチュールまで、長い時間を超えて「美」がどのように変化してきたのかを見ることができます。

 

サマンサは、宝石やゴールド、美しい装飾、そこに込められた人の思い、こういうものが好きです。単に高価だから好きなのではありません。長い年月を経てもなお人を惹きつけるものには必ず理由があります。

ジュエリーひとつを見ても、そこには「誰が身につけたのか」「どんな時代を通ってきたのか」という物語があります。

 

サマンサは霊能者として、もう一つ気になることがあります。

物には人の思いが残ることがあります。人が強い思いを込めて長く大切にしたものには、その人の人生の一部が重なっていることがあるのです。サマンサが長く人の魂と向き合ってきて視ていることです。

 

すべての物に何かが宿るという単純な話ではありません。

しかし、サマンサは古い宝石や歴史のある品を見ると、単なる「美術品」としてだけではなく、その向こうに人の人生が視えるのです。

つづく

魂が怖れているものは、他人の存在ではありません。

本当は、「自分には価値がないのではないか」という怖れです。そのため、他者を認めることができなかったのです。

 

しかし、自分の価値は、誰かと比較することで生まれるものではありません。誰かに認められたから価値があるのでもありません。誰かより優れているから価値があるのでもありません。

自分という人間を自分が認めることから始まります。自分を認められるようになると、他人を認めることが怖くなくなります。

 

さらに、他者を尊重できるようになったとき。

今まで出会えなかったような人との縁が人生に入ってくることがあります。

 

人との縁は、自分の心を映す鏡でもあります。

もしも、「尊敬できる人がいない」「周囲にはたいした人がいない」と感じることが多いとしたら。

「私は、私自身を本当に認めているだろうか」と自分自身に問いかけてみてください。

 

人を認められない自分を感じたとき、責める必要はありません。その奥には、自分を守ろうとしている心があるからです。

その心に気づいたとき、自分を安心させてあげればよいのです。

「大丈夫。私には、私の価値がある」そう自分に言えるようになったときには、他者の素晴らしさが見えるようになります。

 

それを意識するだけで、「私は、私が大好き」と自然に思える自分になっていくでしょう。

そのとき初めて人の素晴らしさを心から喜べる、人を尊敬できる自分に出会えるのですから・・・。

サマンサは、最初に認めるべきなのは自分自身だと思っています。

自分の失敗も、自分の弱さも、自分の不器用さも、自分が頑張ってきたことも、誰にも評価されなかった努力も。すべて含めて「私は私でいい」と認めることです。

 

人から褒められたから自分には価値がある。誰かに必要とされたから自分には存在意義がある。そんなふうに他人の評価を自分の価値の基準にしてしまうと、いつまでも心が安定しません。

誰かに勝った日は自信がある。誰かに負けた日は自信がなくなる。そんな人生になってしまいます。

 

自分の価値を決めるのは自分です。

「私は自分のことが好き」と心から思えるようになったらどうでしょう。自分の良いところも、悪いところも、弱いところも、頑張っているところも。すべて含めて「私は私が好き」と思えるようになったら。

 

そのとき、誰かが輝いていても怖くなくなります。

「あの人は素晴らしい」と、素直に認められるようになります。なぜなら、他人の輝きが自分の輝きを奪うものではないと分かるからです。

 

そして、その瞬間から人間関係も変わっていきます。

尊敬できる人に出会う、素直に学べる人に出会う、自分を高めてくれる人に出会う。今までとは違う縁が、少しずつ生まれてくるでしょう。

つづく

先日、東京宝塚劇場でミュージカル・ゴシック『ポーの一族』を観てきました。

原作は、萩尾望都さんの名作『ポーの一族』。発表から50年以上の時を経ても、世代を超えて読み継がれている作品です。

物語の中心にいるのは、永遠の時を生きる「バンパネラ」となった少年エドガー。人間としての生を終えながら死ぬこともできず、時空を超えて旅を続けていきます。

そこには、永遠の命という言葉からは想像しにくい、深い孤独と哀しみがあります。

 

人は誰でも、できるだけ長く生きたいと思うものです。しかし、もし「死ねない」としたら・・・。

それは本当に幸せなことなのでしょうか。

舞台を観ながら、そんなことを考えていました。

 

人間にとって「生きる」ということは、単純に命が長ければ良いということではありません。出会いがあり、別れがあり、愛する人を失い、そして自分自身もいつか、この世を離れていく。

限りがあるからこそ、一日一日の時間に意味が生まれるのかもしれません。

 

霊能者として人の魂に向き合っていると、亡くなった方への想い、生きている方の後悔、伝えられなかった言葉など、目には見えない「心の残り」を感じることがあります。

そして僧侶としては、死を単なる終わりとしてではなく、人が生きることと切り離せないものとして考えます。

『ポーの一族』には、まさにその「生と死の境界」が幻想的な物語として描かれているように感じました。

 

舞台には霊媒師も登場します。

その場面も、霊能者であるサマンサにとっては、また違った角度から興味深く観ることができました。

宝塚については詳しいわけではないサマンサです。

けれども豪華な舞台装置、衣装、そして生演奏による歌声と踊り。その美しさは言葉では表現しきれないほどでした。物語の世界に引き込まれながら、素晴らしい舞台に感動しました。

 

そして劇場を出てから、ふと思いました。

私たちは「永遠に生きたい」と願う一方で、限りある時間をどれほど大切に生きているでしょうか。

長く生きることよりも「今日をどう生きたか」のほうが魂にとっては大切なのかもしれません。人生には終わりがあるからこそ、今という時間があります。

そして、今をどう生きるかによって、その人の人生の意味も変わっていきます。

 

『ポーの一族』は、幻想的で美しい物語でありながら、私たちに「生きるとは何か」「死とは何か」を静かに問いかけてくる作品でした。

皆さんも、舞台を観るチャンスはなくとも、機会があればぜひ原作に触れてみてください。もしかすると、物語を楽しむだけではなく、ご自身の「生き方」について何か一つ気づくことがあるかもしれません。

 

見えない世界を考えることは、決して死について考えることだけではありません。

むしろ、自分が今ここに生きている意味を考えることなのです。

それもまた、心霊の世界を知る一つの入口なのかもしれませんから・・・。

  

 

 

 

毎日、ほんの数分でも構いません。朝、手を合わせて、「南無大師遍照金剛」と唱える。

不安なときには、ゆっくり御真言を唱える。そして、唱え終わったら、「今日、自分ができることを一つやろう」と立ち上がる。

それでいいのです。

 

祈りとは、現実から逃げるためのものではありません。現実を生き抜くために、心を整えるもの。そして時には、私たちには説明できないほど不思議な出来事が起こります。

それをサマンサは「奇跡」と呼びます。

 

ただし、奇跡は奇跡だけを待っている人のところに来るのではありません。自分にできることをしながら、最後まで希望を捨てない。その心の中に、見えない力が働くことがあるのです。

 

暗闇の中で、サハさんが9日間唱え続けたマントラ。そして、救出された日がクリシュナ神の誕生を祝う日だったという偶然。それを単なる偶然として片づけることもできるでしょう。

しかし、サマンサはそこに、「人間の心を支える祈りの力」について考える、大切なきっかけがあるように思います。

 

皆さんも、迷ったときに心へ戻る「一つの言葉」を持ってみてください。

その言葉が、いつか暗闇の中であなた自身を支える灯りになるかもしれませんから・・・。

真言宗で大切な「南無大師遍照金剛」。高野山真言宗では、弘法大師空海をお慕いするとき「南無大師遍照金剛」と唱えます。これは、御法号として大切にされている言葉です。

 

「南無」とは、帰依する、敬い、身をゆだねるという意味。「大師」は弘法大師。「遍照金剛」は、弘法大師空海に対する尊称です。

ですから、「南無大師遍照金剛」と唱えることは、単に幸運をお願いする言葉ではありません。

弘法大師の教えを心に置き、「どう生きるべきか」「自分は今、何をするべきなのか」を自分自身に問い直す祈りでもあるのです。

 

迷ったときに、「南無大師遍照金剛」と唱えてみてください。

何か特別な声が聞こえてくるとは限りません。突然、問題が消えるわけでもありません。

しかし、何度も唱えているうちに、さっきまで感情に振り回されていた自分が、少し離れたところから自分自身を見られるようになることがあります。

それだけでも、人は大きく変わります。

 

見えない力とは、何なのか。

サマンサは霊能者として、目に見えない世界について、これまで多くの相談を受けてきました。しかし、目に見えないものを信じるということは、現実を見なくなることではありません。

 

むしろ反対です。見えないものを大切にする人ほど「今、自分が何をするべきなのか」を考えなければなりません。

祈ったから何もしなくていい、ではない。御真言を唱えたから努力しなくていい、でもない。人事を尽くしたうえで、最後は自分ではどうにもできないものを神仏にお預けする。

その姿勢が、「祈り」なのだと思っています。

 

サハさんも、災害が起きたときに仲間を助けるという、自分にできることをしました。

その後、暗闇の中で自分にできることがほとんどなくなった。そこで、祈った。

この順番が大切なのです。

 

人事を尽くす。心を乱さない。そして、最後は大いなるものに委ねる。これは、災害のような極限状態だけに必要な考え方ではありません。私たちの日常にも、そのまま当てはまります。

 

「唱える言葉」を一つ持っておく。

人生には、自分ではどうにもできないことがあります。どれだけ努力しても、相手の気持ちは変えられない。どれだけ考えても、未来は分からない。どれだけ心配しても、起きていない出来事を先回りして防ぐことはできない。

 

そんなとき、人は心の中に「戻る場所」が必要になります。

その一つが、マントラなのです。

つづく

私たちの生活にも、マントラは使えます。

「真言なんて難しそう」そう思う人もいるかもしれません。けれど、難しく考える必要はありません。

 

朝起きたとき。家を出る前。仕事を始める前。眠る前。不安になったとき。神社やお寺にお参りしたとき。静かに呼吸を整えながら、御真言を唱えてみる。

最初は意味を全部理解できなくても構いません。大切なのは、雑念だらけの頭で何時間も悩み続けるのではなく、一定の言葉に心を戻していくことです。

 

では、どのような御真言がよいのでしょうか。

サマンサがおすすめする、日常の御真言。

まず、日々の心を整えるという意味では、「光明真言」(おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだらまに はんどま じんばら はらばりたや うん)をおすすめします。

光明真言は、真言宗で大切にされている真言の一つです。

心が暗くなったとき、先が見えなくなったとき、自分の中にある迷いや執着を少し手放したいとき。

静かに唱えることで、自分の心を仏さまの智慧の方向へ向けていく。そんな祈りとして受け止めてください。

 

また、不安や恐怖が強いときには、不動明王の御真言(のうまくさんまんだ ばざら だん せんだまかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん)もよいでしょう。

不動明王は、迷いや煩悩に揺れ動く人を、強い智慧の力によって導く仏さまです。

「怖いから、怖くなくしてください」というだけではありません。「怖くても、正しい方向へ進める自分にしてください」そういう祈りです。

 

病気や健康について心配するときには、薬師如来の御真言(おん ころころ せんだり まとうぎ そわか)を唱えるという方法もあります。

そして、誰かを思いやりたいとき。家族の無事を願うとき。亡くなった人を思うとき。観音さまの御真言(おん あろりきゃ そわか)を唱えるのもよいでしょう。

 

ただし、御真言にはそれぞれ仏さまとの深い関係があります。

ですから、何でも自己流に「願いを叶える言葉」として扱うのではなく、その仏さまが何を教えてくださっているのかを知ることが大切です。

つづく

 

P.S 滋賀県の「とも栄」のお菓子が、新宿と池袋にやってきます。新宿高島屋、和菓子魂 ”wagashi spirit”は、10月1日(木)~6日(火)まで。東武池袋店は、11月12日(木)~18日(水)まで。

「とも栄」を応援に行きたいと思います。

明松庵では、今年も専門医である耳鼻咽喉科の先生にお越しいただき、インフルエンザの予防接種を行います。

新型コロナワクチンの接種をご希望の方は、別途お申し出ください。

 

霊能者として日々、目に見えない世界と向き合っているサマンサですが、だからこそいつも大切にしていることがあります。

それは、目に見えないものだけを気にするのではなく、目に見える身体もきちんと大切にすること。「病気にならないように」と願うだけではなく、できる予防をしておく。

これは、とても現実的なことですが、実は自分の人生を大切にするための基本でもあります。

 

心の不安も、身体の不調も、起きてから慌てて対処するより、日頃からできることを少しずつしておく。サマンサは、霊的なことも現実の生活も、どちらか一方だけでは成り立たないと思っています。

 

身体が疲れていれば心も揺れやすくなります。

反対に、心に大きな負担を抱えていると身体にも影響が出ることがあります。

だからこそ、「自分を守る」ということを特別なことだと思わないでほしいのです。

 

今回の予防接種もその一つです。

今年もサマンサと一緒に接種を受けられる方は、ご予約ください。

ご予約は、会員様とそのご紹介者様に限らせていただきます。

 

受診日:2026年10月8日(木)

持ち物:保険証

時間割による予約制となります。

医院の方々へのご負担を少なくするためにも、接種を希望される方はどうぞお早めにご予約ください。

ご予約およびご不明な点は、お気軽に明松庵までお問い合わせください。

℡ 03-3344-3755(水曜日・土日祝を除く11時~18時)

※時短営業・臨時休業日がございます。明松庵LINEにてご確認ください。

 

自分の身体を守ることも、自分の人生を大切にすること。

目に見えない世界を知ろうとする人ほど、目の前にある現実を疎かにしてはいけない。サマンサはそう考えています。

そして、心と身体、見える世界と見えない世界。その両方を整えていくことが、これからの人生を穏やかに歩いていくための一つの智慧なのですから・・・。

サマンサはここに、マントラの大切な働きの一つがあると思います。

マントラは、単なる言葉ではありません。

信仰を持つ人にとって、それは神仏とのつながりを確認するための言葉です。

不安になったとき、「私は一人ではない」そう自分の心に言い聞かせるように、神仏の御名を唱える。

すると、外の状況は何も変わっていなくても、自分の内側にある恐怖との向き合い方が変わってくることがあります。

 

これは、普段の生活でも同じです。

仕事で追い詰められたとき。人間関係で心が疲れたとき。病気や将来のことで不安になったとき。何をしても答えが出ないとき。人は「考えれば考えるほど」苦しくなることがあります。

そんなとき、一度考えることを止め、一定の言葉を静かに繰り返す。それだけでも、乱れていた心を整えるきっかけになります。

 

マントラは「奇跡を起こす呪文」ではありません。

ここは、誤解してほしくないところです。

マントラを唱えれば、何でも願いが叶う。事故に遭わない。病気が治る。お金が入る。嫌な人がいなくなる。そういう単純なものではありません。

 

では、なぜ昔から人は真言を唱えてきたのでしょう。

サマンサは、「自分の心を、正しい方向へ戻すため」ということが大きいと思っています。

心が乱れていると、判断も乱れます。恐怖に支配されれば、普段ならしない行動を取ることもあります。

 

反対に、心が落ち着けば、「今、自分がするべきことは何か」を考えられるようになる。

つまり、祈りは現実から逃げるためのものではなく、現実に向き合うための心を整えるものでもあるのです。

 

サハさんの場合も、マントラを唱えることによって恐怖に飲み込まれず、救助を信じながら、その場で生き抜く力を保つことにつながったようです。

つづく