家の中で、若い女性の話し声が聞こえたというXさん。
ご夫婦二人暮らしの住まいです。留守中に誰かが入り込まない限り、起こり得ない出来事でした。
気味の悪さを覚えながらも、彼女は玄関の鍵を開け、静かに中へ入りました。
当然ながら、そこに人影はありません。声も、すでに消えていました。
「あの声は、何だったのでしょうか」
空耳とは思えない、そう語る彼女の表情には確かな違和感が残っていました。
サマンサが視たのは、4~5人ほどの存在が集う様子でした。
まるで公民館に集まる住民たちのように、輪をつくり、語らう気配。どうやら不定期に“集会”が開かれているようでした。
Xさんがこのマンションに越して三年。
以前の住人が去り、しばらく空室となっていた時間があったといいます。その「空白の時間」に、彼らは集まり始めたのでしょう。
興味深いのは、彼らの意識の中にXさんの存在がほとんど映っていなかったことです。
まるで、そこが今も“誰のものでもない場所”であるかのように。
私は静かに伝えました。
「ここは、すでに人の暮らす場です。どうか、場所を変えてください」と。
すると意外にも、彼らは執着を見せることなく、あっさりと他の空き家へと移っていきました。
空き家や留守宅というのは、単に人が住んでいない空間ではありません。
人の気配が途絶えた場所には、別の“気”が入り込みやすくなります。
それは、生きた人間だけとは限らないのです。
大切なのは、住まいに「ここに人がいる」という明確な意志を宿すこと。
日々の掃除、灯り、声、祈り。
それらは単なる生活行為ではなく、空間に輪郭を与える営みでもあります。
空白をつくらないこと。
それは、家だけでなく、心も同じです。
気づかぬうちに生まれた“内なる空き家”に、どのような思念が集っているのか。
ときに立ち止まり、自らの内側を整えることも、霊的な衛生のひとつと言えるでしょう。
住まいも、心も、主(あるじ)を明らかに。
それが、静かな日常を守る知恵なのですから・・・。