遍路実習 科目試験「現代人の大師信仰とは何か」 | 「明海和尚のソマチット大楽護摩」

「明海和尚のソマチット大楽護摩」

ソマチット大楽護摩は、古代ソマチットを敷き詰めた護摩壇
で毎朝4時から2時間かけ護摩を焚きカルマ浄化、種々護摩祈願を行なっている。

長期の遍路を通して感じた、現代人にとっての大師信仰とはなにか、について述べなさい。

 

 実質18日間(8/7~8/11、8/25~9/8)の四国遍路(札所1番~39番)を行った。真夏(熱中症対策)ということもあり、夜、早朝の徒行が大部分という変則的な遍路となった。振り返って見ると、

 1、人との出会い(一緒に歩いた方)は、7人であった。

 2、宿泊は、野宿が12回、善根宿が2回、民宿等が4回であった。

 3、托鉢、ご接待の回数は、21回であった。

 まず、遍路を通じての自分(現代人)の大師信仰について述べる。

 今回の目的は、「同行二人」とはどういう事なのか?、今後、僧侶として生きていくうえでの「菩薩行」とは一体何なのか?を遍路を通して見つめてみたい。である。遍路の動機としては、空海の修行の追体験の部類に入る。自分に野宿、托鉢行を科し、健康に留意しながら歩けるだけ歩き、疲れきったら寝るである。また、過去2回行なった四国遍路の経験から札所の朱印制度は朝7:00~夕5:00までという時間規制があり、お遍路自体が時間に追われてしまうという大きな弊害があるため、お参りした札所は写真を撮る。という時間に束縛されない方法とした。

 結果として、私における「同行二人」とは、「一所懸命行えば、自然と道が開かれる。」である。四国遍路は最終札所の八十八番を目指して歩くという明確な目標が設定されているため、途中の計画は全く必要ない。歩き疲れたら寝て、お腹が空いたら食べ、大汗かいて気持悪かったら水を浴び、道中での人とのご縁を大切にして、自然を肌身に感じ歩くだけである。今日はここまで行こうとか、夕食はこれを食べようとか、こまかな計画を持たない。日常からの脱却が、「同行二人」の扉が開かれるチャンスを生むことになる。

 実例を見ると、8/26 5:40 20番鶴林寺の麓を出発し、7:03に鶴林寺お参り、10:13に21番大龍寺に到着。2時間弱お参りし、16:55 22番平等寺に到着してお参り。台風通過後すぐのため、峠道も滑りやすく、マムシにも会い、疲労度は頂点に達していた。さあどうしようか道をとぼとぼ歩いていたら、軽トラの叔父さんが車を停め、「すぐそばに善根宿があるよ。行ってみたらいいよ。」と声をかけて下さった。なるほど、一所懸命やれば、向こうから近づいてきてくれるのだ。この体験が今後の遍路に大きく作用する。決して焦る(心配する)ことなく、精一杯やって、お大師様のお沙汰を待てばいいのだ。運に見放されても必ず打開策は出てくる(救われる)。この後の遍路行においてもこの法則は証明された。

 今回出会った歩き遍路の方々も基本は、空海の修行の追体験の分類に入るお遍路であった。一人は番外も入れ百八札所を徒歩(基本野宿)で巡礼し、一ヶ寺ごとに念珠の玉を購入し、終了時に念珠にするという方もいた。お大師様への崇高な思いを示す1つのやり方だと思う。お札を書いてご縁の方にお渡しする。朱印帳を作る。大師信仰の意思表示である。

 また、托鉢、ご接待でもいろいろな体験が持てた。暑い炎天下の歩きの中で小学生が追いかけてきて、50円玉2つと、10円玉3つでジュースでも飲んで下さいとご接待してくれたのには驚いた。苦しみを除き、幸せをあたえる。慈悲行そのもである。この心なくして仏道は成立しない。

 お遍路さんは、「同行二人」の精神で四国を巡ることにより、上記のような体験をえる。また四国遍路は病院にも喩えられる。痛みを除き生きる力(幸せ)を生む。大師信仰により現代人はさらに心豊かに生きていける。

 お大師様、貴重な体験をありがとうございました。

合掌。