私がチベット密教に期待すること
「大きな特徴として、1642~1959の法王ダライラマによる神権政治がある。世界でも稀な仏教(密教)国家である。」(注1)
「十九世紀末から二十世紀初頭にかけてのチベットは、清朝と、英国、ロシアとの角逐の舞台となる。結果、1959年3月ダライ・ラマ十四世がインドに亡命、チベットは中国のチベット自地区となる。」(注2)
仏教発祥の地であるインド、伝来地である中国、日本、東南アジアにおいて、仏教の在り方は、元来あった宗教(ヒンドゥー教、儒教、道教、神道、イスラム教)とうまく折り合いをつけると共に、各時代の為政者の支持を仰ぎ繁栄、衰退を繰り返し、現在では世界に約5億人(Wikipedia 仏教、分布より)の信仰者を有している。
また、仏教の基本的なあり方は、出家して世間からはなれ、修行し、菩提を得ることにより、仏・法・僧の世界を形成し、世間の苦しみを救い、幸せを与えることである。現代社会の合理主義、金権主義(資本主義)の為政者とは、なかなか折り合いをつけにくい状況である。
特に日本では第二次世界大戦後、米国資本主義が世の中を席巻し、政教分離が徹底し、国の基盤である教育においても宗教は学問としての対象に位置づけられ、信仰は個人レベルでの活動に制限されている。
有一国家規模で支持されているのは、上座部仏教のタイ王国(国王が仏教の法王である)及びカンボジア、チベット仏教のブータン(立憲君主制)のみである。
この仏教信徒5億人のうちこの統計資料では中国の仏教徒が2.5億人含まれている。
龍谷大学の2007年3月28日の「中国仏教協会」の記事によると、「中国における仏教の現状は、漢語伝、パーリ語伝、チベット語伝仏教に分類でき、種類は顕教、密教がある。仏教徒は1億人、研究者等も含めると4億人以上となる。その内僧侶は20万人であり、出家者の証明発行は中国仏教協会が行っていて、出家証明発行は年間600人となっている。」とある。
このような状況の中で1959年に国家を失ったチベットは、現在までどのような道を歩み、今後どのように歩くのかを法王ダライ・ラマ14世の言葉を頼りに確認する。
資料は『ダライ・ラマ こころの自伝』(注3)を使用する。
本の序文でテンジン・ギャツォ(法王ダライ・ラマ14世)は人生で三つのつとめがある。と言う。
2008/12/4 ブリュッセル欧州議会での演説
一つは人間としてのつとめ。
二つめは僧侶としてのつとめ。
三つめはダライ・ラマとしてのつとめである。→チベット問題のために力を尽くす仕事。チベット人の正義を求める闘いにおいて、彼らの代弁者である。
第1部 ひとりの人間として
1989/12/10 ノーベル平和賞受賞スピーチ
「利他の精神」「愛と慈悲」「悲暴力」「人間の平等性」
2008/12/10 世界人権宣言60周年記念演説
「善や慈悲」「人間すべての平等性」「自分だけではなく他のすべてを思う広い心」「人間的な価値を広く認める」「あらゆる生き物に対する尊重と慈しみ」
2007/10/17 アメリカ議会黄金勲章受勲スピーチ
「相互依存性の理解」「人間特有の内なる力」「普遍的な責任」「非暴力」「異なる宗教間の理解」
1992/6/6 ブラジル、リオデジャネイロ地球サミット
「地球上すべての武装解除」
2008/6 台湾での演説
「慈悲と欲望・執着との違い」「自我を捨てる」「分け隔てのない思いやり」「思いやりの妨げが怒りと憎しみ」「思いやりと忍耐」「相対的な見方→私たちチベット人は無国籍の民です。チベット本土もつらい状況に満ちており、チベット人の誰もが逆境に立ち向かうことを余儀なくされている。しかし、こういった経験の中にも良いことはたくさんみつかる。」
第2部 僧侶として
ここでは、スピーチに限定せず、重要文書を抽出する。
1、自分がかわる
「私の修行の中核となるのは、相互依存性のもっとも微細なレベルに集中した「空性」の瞑想である。→曼荼羅を使って自分自身を次々と本尊の姿として観想する。→感覚的な意識が伝える情報に煩わされることのないレベルに心を集中する。→直観的な認識の訓練」
「死について考えること。→死を人生のごく普通の一過程として受け入れている。→死とは着古してくたびれた服をぬぐようなものだと考える。→死の瞬間にこそ、このうえなく深く有益な経験ができる。→修行を積んで高い境地に達した偉大な師たちが、瞑想しながらこの世を去るのはこのためである。」
「私は、菩薩の理想と呼ばれるものに従い生きている。→この上ない智をそなえ、限りない慈悲を実践したいと熱望するのが菩薩である。」
「政治と宗教が矛盾するとは思わない。→政治も宗教も良い動機に基づく行動が基本だ。」
「主要な伝統宗教がめざしているのは、実際に大きな寺や教会を建てることではなく、私たちの心のなかに善良で思いやりに満ちた寺院を築くことである。」
「真実を「相対的な真実」と「究極的な真実」に分けてみるのが良い。→さまざまなものごとが生じ、変化し、そして終わるのが相対的。一切のものごとに共通する、固有の実体性を欠いた「空」というあり方を究極的という。→ものごとの空性は想像や概念などではなく、まさに、ここにある現実とつながっている。」
「仏教における真実に関する分析は、量子物理学の導き出す結論とにており、この世界のもっとも小さな構成要素である素粒子は、物質として確かに存在するが、究極的な安定性をもたない。おなじように仏教においても、ものごとは他に依存することで存在し、それ自体には固有性も独立性も欠けている。→相互依存はすべてのものごとにあてはまる。→因果関係、業はこの現象世界を支配する法則である。→原因と結果に応じて、ものごとに動きのある変化の流れを作り出す。→ただし、ものごとを生じさせる原因については、物質を構成する要素と同じように、なにか確固たる変わることのない固有の原因はない。→絶え間なく動きつづけるこの世界において、変化はものごとにそなわった性質である。」
「意識→①能の働きに限定しない→瞑想や観想は心に繊細で深い状態をもたらし、生理的なはたらきの過程を変化させることもできる。②物理的な身体につながっているが従属はしていない→意識は経験を生み出す。夢という経験は実体的なものに基づく感情ではないが幸せや苦しみを感じる。→意識を維持している原因と条件は身体から独立しているため、身体という基盤は必要ない。③どんな意識も一瞬前の意識から生じる→私たちが人間と呼んでいるものも意識の連続体という概念を与えられた存在である。」
「苦しみを根絶するには→意識の連続体に、第二の本質となるような安定した長所を養うことが必要である。→この長所は真実をありのままに知る感覚から生まれる。→これらの長所は意識そのものに結びついているため、結果として智慧が生じる。→仏教は、感情の乱れである煩悩と、もっとも微細なレベルの無智を取り除くために役立つ理解をもたらしてくれる。」
「インドの大学僧アーリヤデーヴァの言葉で、「初めに、すべての否定的な行為を捨てる必要があります。そしてなかばでは、自己執着を滅し、終わりには、すべての極端、見解、概念を捨てなくてはならない」→これを実現するには、智慧と内面の成熟をうまく結びつけなくてはならない。→理論上の理解や、知的な確信だけでは不十分である。→日常生活という教えの実践の場において自分自身でよく考えることが必要である。瞑想は、新しい見方に慣れ親しむための段階的なプロセスである。」
「限りない思いやりの心を得るため、究極の本質を獲得する条件は、何か。→方法はいくつもあるが、アヌヨーガ(呼吸と脈菅と滴をもとにして本来の智慧を生ず)、カーラチャクラ(大楽と空性により究極の本質を実現する)アティヨーガ(究極の真実を直接は悪する)→これらの技法をもちいると、人間の構成要素が光のなかに解消する。→チベットの伝統で、偉大なる行者たちが死に際して実現する「虹の身体」である。」
2、世界を変える
2001/10/24 フランス、ストラスプールの欧州会議での演説
「人類はひとつ。→世界はますます相互の依存を強めている→個人の利益を求める時には、他の人の利益も考える。→地球規模の責任感を育む必要がある。」
2003/3/11ダラムサラでの演説
「願わくば、一切の戦争がなくなるように願う。祈る。私たちの祈りがなんらかの助けになるかどうかはわからないが、具体的に出来るのは祈りしかない。」
第3部 チベット問題に関しては、紙面が許さないため、次の詩頌で代弁とする。
世界の苦しみをなくすため、ここにとどまることができますように
守ってもらえぬ人々の擁護者となろう
旅ゆく人々の舵取りとなり
向こう岸に渡りたいと望む人々の
堤に、舟に、橋になろう
島を探す人々の島となり
灯りを欲する人々の灯りとなり
臥所を求める人々の臥所となろう
命あるものたちが望む
のぞみを叶える宝珠に
大きな宝の壷に
願いを遂げる真言に
効験あらたかな妙薬に
すべてを可能にしてくれる樹に
豊かさを生み出す牛になろう
宇宙があるかぎり
心をもつ生きものがいるかぎり
私もまた、ここにとどまって
生類すべての苦しみを滅することができますように
この詩頌を呼んだ20年後に猊下は、
「私の最後には、慈悲で心をいっぱいに満たし、この詩頌を思い出しながら、この人生を離れてゆきたい」
と語っている。
現代の空海である。
高野山大学にも猊下のお弟子様が二名留学されてきた。
チベット密教と直に交流できる場が出来た。
何かお役にたてることがあれば幸いです。
(注1)『チベット密教』立川武蔵、頼富本宏編 春秋社 1999年8月12日発行
(注2)『チベットの密教と文化』奥山直司著 高野山大学通信教育室 2004年
(注3)『ダライ・ラマ こころの自伝』Sofia Stril-Rever編 春秋社 2011年7月30日発行