現代人と四国遍路
昨年2014年の四国霊場開創1200年開催、本年2015年の高野山開創1200年開催と弘法大師空海にまつわる記念行事が盛んに行われている。
メディアによる紹介、SNSによる伝播等により四国遍路八十八カ所・高野山という聖地に注目が集まり、現実においても多数の人々を全世界から吸い寄せ、魅了している。
四国遍路について見てみると、第一次遍路ブームは江戸時代におこっている。これは、当時の高野山念仏聖真念によるガイドブック『四国遍路道指南』、同じく真念による『四国遍路功徳記』に見て取れる。
日本国内の巡礼は、平安時代の貴族参詣(伊勢、吉野、高野山等)、鎌倉・室町時代の武士参詣を経て、江戸時代には、経済力の上昇をもとに民衆参詣の時代を各地で迎えた。特に四国遍路は貴族、武士の巡礼を経ずに宗教者から民衆へ移行し、民衆を担い手とする巡礼地となった。このような歴史的事情は、地理的条件とも相まって、四国遍路の性格に修行性の色合いを強く残している。
現代の遍路ブームは江戸時代以来の現象とみなされているから、歴史上第二次ブームというべきである。現代遍路の復興期をふりかえると、第二次世界大戦後の疲弊したわが国の社会経済の下では、遍路もまた疲弊したままであった。戦後経済の復興と科学技術の発達は、車の普及と道路網の整備によって車社会の状況を生み出した。戦後遍路が高度経済成長と平行して活況を呈したのは自然の成り行きである。それは、四国の道路事情の近代化や、遍路形態の変化、遍路宿の衰退といった客観的で外面的な変化をもたらしただけでなく、遍路体験の内容に変化を与え多様性・個人性・内面性をもたらしている。
遍路体験の多様性や個人性を示す現代遍路ブームは、広くは政治・経済・文化のグローバリゼーション、狭義には差し迫った超高齢化社会の到来、経済不況の中の閉塞感と根底のところで深くつながっている。現代社会は「変動が常態」であるとの意識を人々に抱かせており、変動する社会の中に生きる人々は「カオスのなかの秩序」をこの身において、絶えず再構成しなければならないという現状認識をもたざるをえない。現代社会の変動と人生設計の再構成の認識とはむすびつき、現代遍路ブームとも通底するものであると考えられる。
しかし、四国遍路への根強い支持はそれだけで成立するわけではない。「お四国」という聖地空間と遍路巡礼がもつ基本的特質が、いまなお、現代人の内的動機に呼応する側面をもちつづけているからこそ、四国遍路は人々を魅了しているのである。現代の四国遍路の特質は遍路の担い手や形態などを変容させつつ、実は遍路巡礼や聖地「お四国」の歴史の中でじっくり醸成されて、形成されてきたことが明らかである。だからこそ、現代社会に生き続けている遍路巡礼と聖地「お四国」の意味が、現代遍路にとって重要になっている。(注1)
次に「四国遍路の巡る景観に組み込まれた死に関わる風景の果たす役割」(注2)の研究資料をもとに、現代人の四国遍路の意義を見て行きたい。この研究題材を選んだ理由は、「死に関わる風景」という言葉にある。
ダライ・ラマ14世は「自分がかわる」というテーマの中で以下を説いている。
「私の修行の中核となるのは、相互依存性のもっとも微細なレベルに集中した「空性」の瞑想である。→曼荼羅を使って自分自身を次々と本尊の姿として観想する。→感覚的な意識が伝える情報に煩わされることのないレベルに心を集中する。→直観的な認識の訓練」
「死について考えること。→死を人生のごく普通の一過程として受け入れている。→死とは着古してくたびれた服をぬぐようなものだと考える。→死の瞬間にこそ、このうえなく深く有益な経験ができる。→修行を積んで高い境地に達した偉大な師たちが、瞑想しながらこの世を去るのはこのためである。→私は日に六回死について瞑想している。」
「私は、菩薩の理想と呼ばれるものに従い生きている。→この上ない智をそなえ、限りない慈悲を実践したいと熱望するのが菩薩である。」(注3)
合理主義、資本主義(拝金主義)、科学第一主義が主流である現在において、大多数の人間は「死」について深く思うことを停止し(忙がしくて考える暇がない)もしくは、敢て死に関して思惟することを避けている。(今年30年勤務した会社を辞め、今後僧侶として生きていくのにあたり、頻繁な飲み会の席で、あなたの生きている意味は何ですか?死についてどう考えていますか?という質問を多数おこなった結果より)というよりも、戦後日本の体制が教育を通し「死」について考えさせないような状況に追い込んでしまったのではないだろうか(政教分離)。病院のベットの上で死をむかえる間際になって初めて目を開き、死んだらどうなるのか。生きている間にあれをすべきであった。若くして、寿命を終える方は何で私が死ななくてならないのか。等々真面目に思惟するのではないだろうか。
著者は言う。四国を巡る遍路は一体何を見ているのだろうか。多数の遍路が人には見えない何かを得て帰って行く。日常風景では見えない何らかの仕掛けが遍路の景観にあるのではないかと考えた。「人の人生」はすなわち「人の死」の問題を抜きに考えられない。「自分の生」の問題は、対局にある「自分の死」を意識しなければその性質が浮き彫りにならない。遍路が「死」の感覚を思い起こしながらも、「生」の問題を頭に置いて遍歴する。遍歴の途次にある「景観」は一体遍路にどういう思考の背景を提供するのだろうか。それが果たして「死」の香りがするものなのだろうか。
また、遍路を理解するのに、二つの方法を考えた。一つは宗教の立場である。曼荼羅のように仏教世界の地図を四国遍路の寺院に想定して、仏教倫理として考える立場であり、もう一方は、教理とは離れたところにある庶民感覚で遍路をとらえる立場である。ここでは主に後者の立場で遍路の持つ特徴を考える。
①山中の遍路道と札所寺院
風景として言えば、山は平野から突き出している地形で、その高まりかたは低い場所から見るとその地方のランドマークとして見上げる存在である。山道が急なため、遍路転がしなどの名をもらって、難所とされる遍路道がある。山の中に立地する寺院は人の住む集落から切り離されている。寺院運営は厳しいが、多大な犠牲を払ってもその場所に霊場を営む必然性を備えている。
②岩山にある札所寺院
岩山のある寺院は多くの場合、背後に屹立した岩峰を含むか、または寺院が屹立した岩のある山岳の中腹に立地している。その景色の形成の過程に超自然の霊力の存在を信じ、それを神の力と考え、その霊的な力の込められた岩が自分たちの日常生活の守護的存在として見える。岩山と洞窟は日常では経験することの出来ないある種の恐怖の空間を提供し、遍路に非日常的な経験を促すことにより、感性の面から日常生活の中での固定観念の打破を促すのではないだろうか。
③海岸の遍路道と札所寺院
景色として、海を含む風景は別の世界へ誘うような浮き浮きする気持を醸し出した。海の見える景色は安心の気持ちと直結していた。
④亜熱帯景観の札所寺院
遍路道を歩いていて、突然風景が変わるのは室戸岬と足摺岬に至る途中である。周囲の樹木層が変わり亜熱帯に近似する風景である。それは暖かくて、別の世界に来たという感情と強く呼応した。ここは遍路が現世とは違った人生の倫理・悟りをひらける場所である。
⑤盆地の札所寺院
不思議な気持を抱かせる場所である。天国のイメージであり、高地にある別天地である。急な山の斜面で他の地域と隔てられた一つのミクロコスモスをここに見た。このように遍路道は他から隔絶した小世界をうまく遍路の札所に取り込んでいる。同じような地形は高野山である。山の上にひらけた別世界という感覚が特に歩いて登った人にはするであろう。弘法大師が開祖の伝説を持つ札所に、高野山の地形とよく似た場所が選ばれるのも理由がないことではない。
⑥町の中の札所寺院と遍路道
遍路を日常生活に戻してくれるところである。それまでの遍路道を歩いている姿と、町で休息している姿の対比が遍路にとっての正反対の姿のように見えた。
⑦農村の札所寺院と遍路道
農村では、遍路は人と接する喜びを感じることが多い。道を尋ねてもその返事は慈愛にあふれたものだし、多くの方々からお接待も頂いた。
⑧現代遍路にとって最悪と感じる遍路道
歩道の区別のないトンネルが最悪の遍路道である。
⑨四国遍路の景観の特徴
札所を中心に考えるよりもそれをつないでいる遍路道の方が、ものを考えるヒントをくれた。感銘を与えるという点で聖地を考えると、こちらの方が聖地といえるのではないだろうか。
以上研究本論を見て来た。「景観は、一体遍路にどういう思考の背景を提供するのだろうか。それが果たして「死」の香りがするものなのだろうか。」がどのように解明されるのかをワクワクしながら読み進めたが、あくまでも著者自身が遍路を実践して得た記述であり、客観的な「景色」の記述を見いだすのは困難であった。「死」にたいする景色の言及もなく、遍路であれば当然感じている記述が紙面をさいている。著者の「まとめ」に「私自身の主観による景色の説明によることにより、私が抱いた景観の論理を説明しようとした。科学的と言われる方法ではないので、どれだけ説得力があるか未知数である。」
とある。一番最初にこれを表記して欲しかった。ーーーー。
しかし、結論はどうであれこの着眼点は素晴らしいと思う。私も様々な「景色」を「死」から「生」に思惟できる人間となっていきたい。
(注1)『遍路学』第3章 加賀美智子著 高野山大学通信教育室 2004年3月1日発行
(注2)『景観としての遍路道と遍路行程の変化』稲田道彦著 香川大学 平成13年2月発行
(注3)『ダライ・ラマ こころの自伝』Sofia Stril-Rever編 春秋社 2011年7月30日発行