四国遍路と弘法大師信仰との関わりについて
1、弘法大師信仰(個的信仰からの解明)
弘法大師空海は、十八才の春に大学に入学し、「二九にして愧市に遊聴す。雪蛍の猶怠るに取り拉ぎ、縄錐の勉めざるに怒る」とあるよう寒暖昼夜を問わず勉学に研鑽する。一年後「我が習う所の上古の俗教は眼前にしてすべて利弼なし。真の福田を仏の教えに仰がんには如かじ」と火の燃えるような仏教への志願が心底に動き「軽肥流水を見ては即ち電幻の歎き忽ちに起り、支離懸鶉を視ては因果の悲しみ休せず。眼に触れて我れを勧む。誰れか能く風を係がん」とお世話になった親族父母には申し訳ないがと『聾瞽指帰』を書き、出家求法の道に出る。勤操大徳より授かった「求聞持法」を大峰山、阿波の大竜ヶ嶽、土佐室戸の神明窟・御廚戸、伊予の石鎚山、播磨の国を通り伊豆の修善寺と苦修練行を行い、二十才の時、和泉国槇尾山寺において勤操大徳に就いて出家得度し教海、後間もなく如空とする。その後、大安寺学徒の一人として三論、法相唯識、具舎、成実、律、華厳、法華天台などを学び、二年後の二十二才、延暦十四年四月九日に南都東大寺の戒壇で具足戒を受け名を改めて空海と名乗る。(注1)
十八才の一番多感な時期から二十二才の生き方を決める時点(教海、如空、空海と名を更新したことでも重要な体験を漸次に経験したことがわかる。)の間に、空海は大自然の懐に飛び込み、時には自然の脅威に命の強さ弱さを教えられ、時には西の彼方の海に沈む真っ赤な太陽に空しさと如来の慈悲を感じ、終には空と海のはざまから飛来してきた熾烈な光に身を包まれる。
「真言密教は、一言でいわば神秘体験の宗教であるといえる。心眼を開いて遍く観照する時、生きとし生ける、有りとし有らゆる、すべてのものを包み生かしている大宇宙は、それ自身絶対にして無限、しかも永遠に生き通せる大実在であることが体解出来る。しかしそれは肉眼や五官の感覚や知覚では到底捉え得ないから神秘といい、しかもそれは厳然と在って、すべてを生み出す本源として体験出来るから実在という。この大実在を心に深く知るを覚りといい、そこから魂の悦びも心の安らぎも生れるし、またその境界に住して自他のために祈れば、真実の利益効験となって現成する。」(注2)
空海は二十才前後に虚空蔵求門持法により上記神秘体験を感得し次のステップを歩み出す。夢のお告げによる、大和国久米寺での『大日経』の発見、密教求法の為の入唐、恵果阿闍梨からの両部大法の相承、真言密教の創設と運営、そして最後に入定留身という覚者としての事実がある。入定留身に関してはチベット(後期密教)にも以下のように説明され、覚者にとっては自然な通過点である事がわかる。。
「限りない思いやりの心を得るため、究極の本質を獲得する条件は、何か。→方法はいくつもあるが、アヌヨーガ(呼吸と脈菅と滴をもとにして本来の智慧を生ず)、カーラチャクラ(大楽と空性により究極の本質を実現する)アティヨーガ(究極の真実を直接把握する)→これらの技法をもちいると、人間の構成要素が光のなかに解消する。→チベットの伝統で、偉大なる行者たちが死に際して実現する「虹の身体」である。」
また、「夢のお告げによる、」とある。空海以外にも、夢のお告げで云々という話は多数きく、また昔は、灌頂の許可を受けるには、前行で夢に仏菩薩が顕現しないと許可が出ない。というように「(生理的)夢」というのは重要な位置づけである。この「夢」の原理は以下のように説かれる。
「意識→①脳の働きに限定しない→瞑想や観想は心に繊細で深い状態をもたらし、生理的なはたらきの過程を変化させることもできる。②物理的な身体につながっているが従属はしていない→意識は経験を生み出す。「夢という経験」は実体的なものに基づく感情ではないが幸せや苦しみを感じる。→意識を維持している原因と条件は身体から独立しているため、身体という基盤は必要ない。③どんな意識も一瞬前の意識から生じる→私たちが人間と呼んでいるものも意識の連続体という概念を与えられた存在である。」(注3)
以上のことは、凡人からすると、通常ではあり得ないことであり、不思議としか思えない世界である。しかし、密教教理に従い、日々実践すれば可能性はある。弘法大師空海が実例として存在するからである。
ここに、大師信仰が誕生する。大師信仰の対象は凡人が不思議だと感じる、お大師様の数々の奇跡(いのちのあり方)全てが対象となる。このような数々の信仰が積み重なり、大師信仰という歴史が刻まれて行く。
一口に大師信仰といっても、千年以上の歴史の中でさまざまな形態を見せて今日まで続いているので、一言では定義できないが、例えば、大師伝説・四国遍路(同行二人)・高野山信仰・入定信仰・厄除け大師信仰・遊行大師信仰などがある。しかも、それらのさまざまな大師信仰は、必ずしも互いに整合しているわけではない。その意味では、思想的には矛盾した内容を含んだ信仰形態といえる。(注4)
2、四国遍路(巡礼の構造と四国遍路の特質)
世界各国に巡礼地があり巡礼がある。四国遍路も当然、巡礼の一形態である。巡礼とは字が示す如く、巡り参拝することである。日本で巡礼の表現が使用されたのは、円仁の『入唐求法巡礼行記』(九世紀中頃)だといわれる。五台山を目指し、各地の寺院、聖地を巡って歩いたので巡礼という語を題名に用いている。それに対し、伊勢詣、高野山参りのように遠方の一カ所を目指す参詣というものもある。どちらにしても、巡礼とは、「日常空間と時間から一時脱却し、非日常時間、空間に滞在し、神聖性に近接し、再び日常時空に復帰する行動で、その過程にはしばしば苦行性を伴う。」つまり、ある状態から別の状態へと変化する状況にある人間には、なんらかの儀礼的処置、下記のような通過的儀礼が施されることである。
[一段階目] 旧来の状態からの分離。
[二段階目] 旧状態から分離はしたもののいまだ新しい状態に加入していない中間的な
移行の状態。
[三段階目] 新しい状態に加入した再統合の状態。
作家井上靖の旅観を見てみると、「旅に出て、人は初めて眺め、感じ、考える立場に立つことが出来る。旅行者の立場に自分を置くことによって、決まりきった生活から自分を解放することによって、五感はそれ本来の機能を取り戻してくるかのようにである。旅はいいものである。」とある。この「五感はそれ本来の機能を取り戻す」という指摘は、実は巡礼においても重要なポイントである。
人類学者岩田慶治は、「巡礼地とは、自分の在所を確かめる場であり、その試みが巡礼という行為である。神々の在所を巡って、人間の在所に戻る。そして自分の足もとは「他ならぬここだ」と確認する。巡礼は「一種の自己確認の手続きであると同時に、自分の在所を納得するための手続き」なのである。」としている。
上記二つを、先ほどの三段階の通過的儀礼に内包させると空海の「求聞持法を大峰山、阿波の大竜ヶ嶽、土佐室戸の神明窟・御廚戸、伊予の石鎚山、播磨の国を通り伊豆の修善寺と苦修練行を行い、」もまさに巡礼となる。
次に、巡礼する場所、「聖地」とはどのような場所なのであろうか。聖地とは、「場所」に関係するか、「人物(神)」に関係するかのどちらかであり、その「場所」とは、精神的な磁気作用を持つ場所であり、(a)奇跡的な病気治癒がなされること、(b)超自然的存在の出現がある場所、(c)地形的に聖なる感情を起こさせるような特徴を持つこと、(d)簡単には近づけない場所であること、の四つの要素を持っていることがあげられる。
時間軸(歴史)から見ると聖地は「重層を成して聖なる太古性から種々の異なる聖なるものが乗っていく」場所である。つまり遥か古き時代から山の神、海の神、が宿るとされ、崇められる場所である。またこのような場所は、仏教、神道、土着信仰の聖地として多重的に存在する事例が多々ある。
また、巡礼の種類であるが、(a)形式から見ると、直線型と曲線型、(b)方法とレベルから見ると、個人型と集団型、(c)巡礼での行動内容から見ると、達人型と一般型、の三つに分類できる。四国遍路は(a)一国打ち(直線型)と通しうち(曲線型)、(b)ひとり遍路(個人型)と参拝団(集団型)、(c)修行目的(達人型)と参詣・旅行(一般型)、と平均的に全てを網羅する、全ての要求に対応できる巡礼地だとわかる。
地理的にみても、関西・中国地方、紀伊半島、九州地方と各地からの入口があり。現在では一番札所からの順打ち、八十八番からの逆打ちとパターン化される傾向にあるが、戦前には「路次の勝手に」とあるよう巡礼者の意志で自由にいろいろな地点から巡礼を開始出来た。
巡礼方法についても、現在では、菅笠をかぶり、白装束を纏い、金剛杖を持ち、納札入れをかけ、札所ごとに般若心経を唱え納札するが一般的であるが、「遍路はどういうふうな参詣のしかたをしなければならないという定めはない」(西端さかえ著『四国八十八札所遍路記』)とあるようにもっと自由なものであった。
最後に四国遍路の大きな特徴として巡礼者を支援する体制があることである。「ご接待」という言葉に代表される地元民の行為である。この行為の観念には(a)遍路者即弘法大師、つまり接待は弘法大師への布施である(b)先祖供養、縁者の命日などに接待する(c)遍路者に代理として巡礼してもらう(d)遍路者への慰労。があげられるが、メインは(a)であって、衛門三郎伝説に見られるが如くである。(注5)
このように見てくると、四国遍路は各地各地での巡礼地として存在する可能性もあったかも知れないが、弘法大師空海の存在により全てが統合され曼荼羅のような世界が生まれた。とみるべきである。
(注1)『入定留身 大師の生涯』三井英光著 法蔵館 昭和56年5月21日発行
(注2)『教理と行証 真言密教の基本』三井英光著 法蔵館 昭和54年6月21日発行
(注3)『ダライ・ラマ こころの自伝』Sofia Stril-Rever編 春秋社 2011年7月30日発行
(注4)『遍路学』第1章 村上保壽著 高野山大学通信教育室 2004年3月1日発行
(注5)『四国遍路の宗教学的研究』星野英紀著 法蔵館 2001年11月10日発行