「三密加持速疾顕」について説明しなさい。
「三密加持速疾顕者、謂三密者、一身密二語密三心密、法佛三密甚深微細、等覚十地不能見聞、故曰密」
この部分の現代語訳を確認すると、
「三つの根源的な作用とは、身体(身)、言語(語)、精神(意)という根源的なはたらきである。法佛の三つの作用は、たいへん奥ぶかく、繊細であるから、仏と同格とされる菩薩をはじめ、その他の菩薩には、見ることも聞くこともできない。そのために根源とか深遠(密)というのである。」岡村圭真(注1)
「(三種の行為形態)三密とは、第一には身体、第二には言葉、第三には心の、それぞれ深遠なはたらきである。真理の当体としての仏の身体・言葉・心の三種の活動は、きわめて奥深く、またこまやかであって、さとりの内容が仏と等しい菩薩や、それ以下の十段階の位で修行する菩薩も、見聞し、覚知することができない。それゆえに、(深遠なはたらき)密というのである。」頼富本宏(注2)
「三密とは、一には身に関する秘密、二には語に関する秘密、三には心にかんする秘密である。法身の仏の「なすこと」、「かたること」、「おもうこと」の三つの神秘の作用は、はなはだ深遠であり微細であって、通途仏教にいわゆる等覚位や十地の位に住する菩薩もこれを見聞することができない。ゆえにこれを「密」というのである。」栂尾祥雲(注3)
三者三様であるが、あえて、顕教と密教に分けると栂尾先生の現代語訳が一番、適切だと思う。岡村先生の「仏と同格とされる菩薩」、頼富先生の「さとりの内容が仏と等しい菩薩」「(深遠なはたらき)密」では「密」が曖昧になってしまう。
第九住心以下(通途仏教にいわゆる等覚位や十地の位に住する菩薩)では密教の三密は見聞することができないのである。の理解が良いと思う。
この事を明確に把握するため以下理解を深めていく。
『華厳経』「十地品」には、菩薩が初地から三無数刧の時間をかけ修行し、灌頂を受けて第十地(法雲地)に至り、「如来の秘密の境位」を知る。具体的には、身の秘密、口の秘密、心の秘密、時と非時とを弁別することの秘密、菩薩に授記を与えることの秘密、衆生を摂取する秘密等々の十種の秘密である。
この「如来秘密」の内、三密に関し、『密遮金剛経』では、「如来出現の因縁となる修行中の菩薩の生涯」も秘密として捉えられ、如来のみならず、因位の修業時代の如来(菩薩)の三業にも秘密性が敷衍され、「三密」があると説かれる。これは、大きな転機だと思う。
また、『如来不可思議秘密経』には衆生済度にあたる「菩薩の秘密」が説かれる。菩薩の全行動は、一般化されれば真如、法身に通じ、衆生に向かっての秘密の働きとして捉えられる。「三者の平等性の認識」という原理が「三密」の各々について明確に表現される。また、灌頂地の三昧に入ることによって、あらゆる仏国土の神秘、神変を、自らの身体、言語、心を通じて「加持」し、神変として顕現することになる。
ただし、この菩薩の三密は、「如来秘密」そのものが衆生自体に本然的にそなわる、という観点からの「三密」を意味しているわけではない。
次に、『菩提心論』の「旨陳の無自性」において以下が説かれる。
「まさに、次のように覚知すべきである。(中略)妄想が息みさえすれば、本来の心は空にして静寂のままにある。その心は本来的にあらゆる徳をそなえており、その作用は無碍に働き窮まりを知らない。(中略)このような智慧と慈悲を本質とする心を持つものは、法輪を転じて、自らの円満と他者の救済とを達成するのである。」
空海の「極無自性」の解釈では、「真如」不動の真実としての自性さえも捨ててこそ、縁起界に慈悲が発動しえる、本当の意味での無自性の自在性が慈悲の本源であることを述べている。
大乗菩薩にとって、「上求」「下化」の二方向性を持った菩提と衆生との関係性のなかに、自らの心が位置づけられる。菩提心とは、その意味で「菩提」と、それに関る「主体」つまり「自らの心」という実存的意味を持つ。また、「菩提心」は究極の如来秘密境界の顕現という誓願の具現化が顕著となる。智と慈悲という二側面が現実化することによってこそ、菩提心が菩提心たる意義を全うする。
「悲という根源を先として智慧を主として、現実に働く方便として相応するとき、(中略)如来と等しい最上の菩提心を発こす。」ここには、『大日経』に「菩提心を因と為し、大悲を根と為し、方便を究竟と為す。」という根源の大乗の慈悲観がある。
「発心のときも究極の如来の境地にあっても、その心に変わりがあるわけではない。このような見い出し難い心の最初の顕われこそが、大いなる難事である。自らを究極の菩提にあるとはいえずとも他を先にその境地に導くのも、それゆえにこそである。そういうわけで、まず最初の発心の顕れを深く敬うのである。」初発心とは、個体の発心ではない。本願が個体を通じて顕われ出す瞬間である。無上正等菩提の顕われの瞬間だからこそ、発阿耨多羅三藐三菩提心たりえる。『菩提心論』の主題にある「金剛頂瑜伽中に」とは、その同じ顕われが「金剛頂瑜伽」という方便をもってして、まさしく可能であることをいうものである。
次に、「第三に三摩地の菩提心とはどういうものであろうか。(中略)それは、あるがままに普賢の大菩提心の境界に住することである、と知るべきである。(中略)あらゆる生きものは、ことごとく普賢菩提の心を有しており、自らの心を見れば、そのすがたは月輪のごとくなのである。なぜ月輪を喩えとするかというと、満月の円かな光のかたちが、まさに菩提心のすがたにたぐいするものだからである。」真言門の菩薩の修行法として三密の瑜伽が説かれる。『菩提心論』の「金剛頂瑜伽中」という限定は、まさしく以下の三摩地の菩提心の修習にほかならない。その具体的な観法は、自らの心を月輪として観想する月輪観が、まず自らの本源の普賢菩提心に住するためのものとして明かにされる。
「それゆえに、観行をなそうとするものは、まず最初に阿字の光をもって(中略)阿字の意味するところは、あらゆる存在の不生性である。」本来の輝く心を具体的に阿字という本源の音を示す悉曇文字を通じて、菩提そのものと等置して観想いていく。
いわゆる「阿字」観から展開する「阿字」の五転といわれる理論である。この理論が空海にとっても『菩提心論』理解に必須の理論であった。なぜなら、このような「声字義」は『大日経』にユニークな理論であり、『金剛頂経』には見られないからである。それを伝えるのが「百字果相応品」などの悉曇文字の密教的解釈による理解であり「果海」を示すものであるからである。
「およそ、真言門の瑜伽修習の観を修するものは、すべからく三密の行を具に修して、五相からなる仏身の成就の意義を証し、さとるべきである。」
「いわゆる三密とは、如来秘密境界の第一に身体的働きであり、諸尊格の標である印契を結んで、聖衆を自らの身に招き顕わすというようなことである。第二に言語的作用とは、密かに真言を誦し、音節や文字の深い意味を明瞭にし、しかも錯誤のないように仏の境界を顕わし出すがごときである。第三に心的作用とは、瑜伽三昧の境界に心を定めて、白浄の菩提の円満月輪の具体の相を通じて、自らの菩提心を観想修習するなどのごときである。」真言門の行とは、この三密行にほかならない。それが菩薩の行として標榜されるのが、真言門の菩薩への「身語意平等句の法門」つまり「三三昧耶の法門」である。空海は「法仏自内証の法」という密教の基準として捉える。(4)
以上を理解、修得したうえで、
(イ)『金剛頂経一字頂輪王瑜伽一切時処念誦成仏儀軌』
(ロ)『成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌』
(ハ)『金剛頂瑜伽金剛薩埵五秘密修行念誦儀軌』
を昼夜四時において、間断なく作意し修習すると、現身に五つの神通をうることができ、漸次に修練すると、この肉身を捨てずして進んで仏位に入ることができる。具には経軌に説くが如くである。
「加持」とは、如来の大悲と衆生の信心とを表したものである。仏日の影が衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水がよく仏日を感ずるを持と名づけるのである。行者もしよくこの理趣を観念すると、三密の相応のゆえに、現身にすみやかに、本有の三身を顕現し、これを身につけることができる。ゆえに、「速疾に顕わる」というのである。(3)
では次に、儀軌(ハ)を確認する。(国訳秘密儀軌を使用する)
①儀軌の目的 「金剛頂経百千頌十八会の瑜伽の如きは、頓に如来の内功徳を證することを演べたまふ秘要なり。夫れ菩薩の道を修行して無上菩提を證成せんとならば、一切有情を利益し安楽するを以て妙道と為す。云々。」
②二乗の危険性 「二乗の人は道果を證すと難も、無辺の有情に於て為めに利益安楽を作すこと能わず。云々。」
③顕教の時間を要すること 「久しく三大無数刧を経て然して後に無上菩提を證成す。其の中間に於て十進九退す、云々。」
④『即身成仏義』引用部分 「若し毘盧遮那仏~金剛薩埵の位を證せしむ」
⑤四佛礼 ⑥捨 ⑦観仏 ⑧金剛起 ⑨五大願 ⑩四無量心 ⑪勝願 ⑫印母を説く ⑬開心 ⑭入智 ⑮合智 ⑯普賢三昧耶 ⑰極喜 ⑱大智印言 ⑲四印 ⑳標記 云々。
最終段「菩提心を因となす。因に二種あり、無辺の衆生を度するを因となし、無上菩提を果となす、復た次に大悲を根となし兼ねて大悲心に住して二乗境界の風も動揺すること能はざる所、みな大方便に由る、方便とは三密の金剛を以て増上縁となして、能く毘盧遮那清浄の三身の果位を證す。」
以上より、「三密加持速疾顕」を習得するには、無自性を基盤に「二経一論」を理解したうえ瑜伽に住さなくてはならないことがわかった。
(1)『即身成仏義を読む』岡村圭真著 高野山大学通信教育室 2005年3月1日発行
(2)『空海コレクション2』「即身成仏義」頼富本宏著 筑摩書房 2004年11月10日発行
(3)『現代語の十巻章と解説』栂尾祥雲著 高野山出版社 昭和50年1月21日再発行
(4)『密教・自身の探求 『菩提心論』を読む』生井智紹著 大法輪閣 平成20年8月10日発行