般若心経秘鍵 設題2「空海の密教的な般若心経」 | 「明海和尚のソマチット大楽護摩」

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空海の密教的な『般若心経』の理解について述べなさい。

 

 設題一で一般大乗仏教で解釈される『般若心経』について以下の結論を得た。

 一、五蘊が空であることを認知することにより、大乗仏教が成り立つ基本の一つである「慈悲」(苦しみを取り除き、幸せを与える)が成立する。

 二、「色不異空 空不異色」が理論的世界であるのに対し、「色即是空 空即是色」は、生きた体験として実感の上で確実に掴まれた世界であり、「色不異空 空不異色」とは千里を隔てている境地である。

 三、釈尊の教えに則った実践と智慧は決して離れるものではなく、そこから湧出する智慧は「一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に。」

 この三点はまさしく大乗仏教の基本である。

 この三点を空海の密教的な『般若心経』(以下『般若心経秘鍵』)ではどのような解釈となるのかをまず把握する。

 一、空海は、「観自在菩薩行二深般若波羅蜜多一時照二見五蘊皆空一度二一切苦厄一」の部分に関し「人法総通分」とする。またこの分では「因行証入時」の五を明かす。五転は時↓方便であるがこれを略して、「時」が入涅槃までの差別を表すと説く。

 まず、「観自在菩薩」の解釈を曼茶羅で表現される観自在菩薩ではなく、「華厳」「三論」「法相」「声聞」「縁覚」「天台」「真言」七宗の行人(自ら修する所の法に観逹自在であるから観自在と名づける。)と捉える。また、これらの行人は本覚(如来蔵)の菩提を「因」としている。

 次に、「行二深般若波羅蜜多」」を「行」とし、般若波羅蜜多の行を修するとする。般若波羅蜜多には文字般若と観照般若(能観の智)と実相般若(所観の理)の三種があり、今これを「能所観法」と理解する。能所とは、能動と受動、行為の主客と客体を意味する。

 次に、「照二見五蘊皆空一」を「証」とする。「証」とは修行によって証する智をいい、五薀が皆空であることを照見するのは観照般若の功能を示す証菩提であると説く。

 次に、「度二一切苦厄一」を「入」とし、般若の行によって得る所の果であり、入涅槃を意味する。前の証菩提は「智」を以て体とし、入涅槃は「理」を以て体とする。

 次に、「時」は般若の教によって修行する人が涅槃に至るまでの時分を示す。修行者が七宗に分かれるからその智も無量であり、修行の時も多くの差別があることを意味する。

 最後に、以上の内容をまとめ、頌を説く。

 「観人智慧を修して 深く五衆の空を照す 歴劫修念の者 煩を離れて一心通ず。」

この中、「観人」は七宗の行人(修行者)、「智慧」は般若波羅蜜多、「五衆」は五蘊、「修念」は妄執を離れる、「一心通ず」は一心の本源に通達する意を明かしている。(注1)「一心」には『釈摩訶衍論』に説かれる「一心二法」「真如ー真如の一心は一に因るが故に一なり。生滅ー生滅の一心は多に因るが故に一なりと言う。」にも通じている。

 ここまでの一般大乗と密教との違いを見ると、一般大乗が主観的であり、密教の方が客観的である。

 一般大乗の方は、『般若心経』を読誦、写経する方々の解釈により万人の解釈が成り立つ。「空」ということが何を意味するのかが、万人により考えられ体験され各人が獲得する世界である。

 それに対し、空海の密教世界は、果からの教え、仏の境地はこうであるという世界が客観的に展開される。修行者が七種類に区分され、各々の修行法により時間は異なるが本源は極められる、とする。華厳の行人は見聞・解行・証果海の三生、三論・法相・菩薩の三乗は三大無数劫、天台は三劫、声聞は六十劫、縁覚は百劫、真言は妄執(三妄執を超えて自証を成就する)と定義され真言密教が優れていると明かす。ただし、果の教えであるため凡夫にとり理解し難い部分が多々ある。

 二、「色不レ異レ空、空不レ異レ色、色即是空、空即是色、受想行識亦復如レ是」を「分別諸乗分の一」とし、五乗六宗を示す。五乗六宗とは以下の通りである。

 「建ー普賢ー顕教の華厳」「絶ー文殊ー三論」「相ー弥勒ー法相」「二ー声縁二乗ー小乗二乗」「一ー観音の内証ー天台」

 次に、「建」は建立如来の三摩地門で、不空訳『理趣釈』の「一切平等建立如来とは是れ普賢菩薩の異名なり」より「建立如来とは普賢菩薩の秘号なり」と述べ、「一切平等」は円融の義であり、普賢菩薩は円融の三法を以て宗とすると述べる。円融の三法とは三種無碍円融の義である。

 「色不レ異レ空」は事事無碍の義(次の句に「空は色に異ならず。」とあるので空=色で事事)を示す。「色」は事、「空」は理である。「空不レ異レ色」は理理無碍の義を示す。「色即是空、空即是色、」は事理無碍円融の義を明かすとする。ただし、以上の解釈は浅略の義である。

 深秘の義は、普賢菩薩は、菩提心の徳を司り菩提心建立の義によって建立如来と名付ける。これにより空海は「是れ一切如来菩提心行願の身なり。」と深秘の義を説く。

 まとめの頌として、「色空本より不二なり。事理元より来同なり。無碍に三種を融ず。金水の喩其の宗なり。」一句の「本不二」とは色本より不二、空本より不二と二重に読み事事無碍と理理無碍を意味し、二句は事理無碍の義を明かし、三句は三種円融の義を明かし、四句は「金水の喩」で無碍の義を明かす。金水のうち「金」は金獅子の喩えで、黄金を以て作った獅子について地金の黄金を法界の体に、作り上げた獅子を法界の用に喩えて理事等の無碍円融の義を説く。ちなみに体=当体、相=様相、用=働きを意味する。「水」は水を以て理に、波を以て事に喩えて、波は水に即して動相を碍げず、水は波に即して湿徳を失わない意を以て事理混融し一多無碍する義を示す。(注2)

 一般大乗における「体験として実感の上で確実に掴まれた世界であり、「色不異空 空不異色」とは千里を隔てている境地である。」の「色即是空 空即是色」の世界はどこに行ってしまったのだろうか?空海の説く『般若心経』は曼荼羅的、もしくは辞書的に展開されるため、一字一句がその源にある経典儀軌の教えを理解しておかないと正しい理解は得れない。色=事(事相)であり空=理(教理)であるに関しても、これは空海の虚空蔵求聞持法を成就することにより得た神的な記憶力、理解力、プラス実践で身につけた智慧から涌出した結論であり、凡人にとっては何故の疑問しか生まれない。(多分次元が異なる)

 深秘の義である「是れ一切如来菩提心行願の身なり。」に関しても「菩提心」が何故「色即是空 空即是色」の世界に直結するのか理解が難しい。使用の仕方は違うが、頌にある「不二」=「摩訶衍不二」=「空」で説かれた方が理解しやすい。逆に、頌の最終句の金獅子の喩えの方が空に通じるものがあり理解しやすい。

 三、「是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減」の部分を、一般大乗では「六不」により中道を説き、不二、空に導く。空海は「分別諸乗分の二」とし、「絶」=無碍如来の三摩地門=文殊菩薩の密号=三論宗と説く。経文は六不を説くが、これは直に『中論』の説く八不(「不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不去・不来」)と見る。文殊菩薩は右手に大空の智慧を表示する利剣を持つ。この利剣は八不正観を以て八迷の戯論を断破し、五薀等の処方は空にして八迷を離れた中道実相であることを明かす。

 まとめの頌として、「八不に諸戯を絶つ 文殊は是れ彼の人なり 独空畢竟の理 義用最も幽真なり」とする。「独空畢竟」とは三論宗に相待空・絶待空・独空の空を説き、この中独空は相待を離れた究竟の極理=文殊菩薩の種字マン字大空、自性空を指す。「義用」とは、大空によって生じる智を「義」とし、智によって生ずる大悲等の万行を「用」とする。(注3)

 一般大乗における六不(不生・不滅・不垢・不浄・不増・不減)は「空」に準拠した上で中道に導いた。密教においては八不の「縁起」に準拠し、縁起を絶つ中で大空が見いだせると説く。「空」に準拠するか「縁起」に準拠するかの立場の違いであり、理解しやすい。

 以上、一般大乗で導き出された三つの結論に対し、一般大乗と密教における違いを考察してきた。どちらも目指す涅槃の世界は同一なのだが、歴史の積み上げにより密教はより理論的に解明される。一般大乗では「観自在菩薩」と「舎利子」が登場者であり、論点も「空」と「般若波羅蜜」にフォーカスされ非常にシンプルであった。

 『般若心経秘鍵』での登場者は、「文殊師利菩薩=金剛利菩薩」「般若波羅蜜多菩薩=金剛波羅蜜菩薩=金剛護菩薩」「大般若菩薩」「釈迦如来」「普賢菩薩」「文殊菩薩」「弥勒菩薩」「観自在菩薩」「縁覚」「声聞」と多様である。

 また、説かれる教理も以下のように多数になる。「定慧の二徳」「金胎両部理智の二徳」「三種無碍円融の義」「諸法皆空の理」「五蘊十二処十八界の三科の方を空ずる」「諸法の相状を明らかにするために説く百法」「理智不二境智一体の義」「天台所説の百界千如三諦一実の境」「般若無相の空理の上に建立する縁覚の法門」「般若無相の空理の上に建立する四諦の法門+無」「真言曼荼羅具足輪円の行果」「諸乗究竟菩提証入の義」

 この違いは何を意味するのだろうか。

 一般大乗は欣求浄土の立場であり、密教は如来説法の世界であるということである。この特徴は最後の「秘蔵真言分」の頌で表明される。特に最終句「一心是本居」にある。

 「一心とは般若菩薩の干栗多本心であり、般若心経の心であり、一切衆生の一心である。真言密教の実義は三界が直に三部三密の体性であり自心の宝処であると知り煩悩即菩提生死即涅槃と証悟することにある。」(注4)

 空海が、ここまで明確に真言(ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハ)に関し明かしたことは果の世界からの視点があったからである。

 

(注1、2、3、4)テキスト『般若心経秘鍵講説』(小田慈舟著『十巻章講説』下巻、高野山出版社、1985年)