曼荼羅の研究 科目試験「金剛界曼荼羅について」 | 「明海和尚のソマチット大楽護摩」

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ソマチット大楽護摩は、古代ソマチットを敷き詰めた護摩壇
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 「金剛界曼荼羅について」

                            20152006 香川伸明

 

 理趣経法(但し自行用)(注1)を日々行う際、道場観、十七段印明、礼佛、の段で如実に諸仏、曼荼羅を観想しなくてはならない。

 道場観では「観想せよ虚空の中にバン字あり如意宝珠と成る。五色の光を放つ。光の中にバン、ウン、タラク、キリク、アクの字あり。各々如意宝珠と成る。是れ遍照心中の五智の功徳なり。此の如意宝珠変じて法性の大日如来となる。定印に住して戴ける金剛宝冠の中に五智の佛坐し給えり。身色白月の暉の如く、千葉の大白蓮華王に坐し給ふ。此の蓮華は五鈷を以て茎とす。是れ一塵の中の土なり。又遍法界の身なり亦一切衆生の身なり。」まず、五色の光=バン、ウン、タラク、キリク、アクの字=五智の功徳=五智の佛が同義であり、金剛界曼荼羅の五佛を観想すれば良いことがわかる。『理趣経法撮要中院』によると「バン-水精(白)-大日-智拳印-中」「ウン-瑪瑙(赤)-阿閦-触地印-東」「タラク-摩尼(青)-宝生-与願印-南」「キリク-琥珀(黄)-弥陀-禅定印-西」「アク-瑠璃(黒)-不空-施無畏印-北」により種・印・尊の観想が出来る。如意宝珠から五色の光が放たれる場面は、ミラーボールのように五色がグルグルと躍動的に動くのを観想する(口伝)。尊形は、ポタラ宮リマラカン金剛界五仏像(注2)を参照にすると観想しやすい。

 十七段印明では、「金剛薩埵ウーン左拳腰に右拳胸に仰ぐ、大日如来アーク如来拳印、降三世ウン降三世、観自在キリク左蓮拳右金拳小指を立て左拳の小指より開いて順次八葉に、虚空蔵タラク外縛二頭宝形二大立、拳菩薩アク左拳下に仰げ右拳上に伏す、文殊室利アン左持花印右剣印、転法輪ウーン二拳合せ二頭合して円形二大立、虚空庫オン羯磨印左右二拳大指を以て小指を押す頭中無立て二手交、摧一切魔カク牙印、普賢ウーン金合、外金剛部チリ内五鈷印、七母女天ビュ右蓮拳頭指を鉤して召く左金拳腰に、三兄弟ソワ金合、四姉妹カン金合、五部具会バンウンウンウンウン外五鈷印、五秘密ウーン極喜三昧耶印」が述べられ、各尊の三昧に入り、種子を唱え、印契を結ぶ三密行を行う。以下、各十七段には曼荼羅が存在し、より深く瑜伽観想が行えるようになっていることがわかった。

 『理趣経』は「如是我聞~恭敬囲繞」を序分、「而為説法~執金剛位」を正宗分、「爾時一切如来~信受行」を流通分とする。各十七段は正宗分に含まれる。

 序文に於いて大日如来が欲界の頂きにある他化自在天で説法するが、その時の聴衆の代表者として八大菩薩が登場する。八大菩薩は、正宗分の三段~十段で各境地を述べることになる。この序分での曼荼羅が「説会曼荼羅」である。

 八大菩薩は、金剛手(理趣経第初段「大楽の法門」)=金剛薩埵(初会金剛頂経)、観自在(理第四段「観照の法門」)=金剛法(初)、虚空蔵(理第五段「富の法門」)=金剛宝(初)、金剛拳(理第六段「実働の法門」)=金剛拳(初)、文殊師利(理第七段「転字輪の法門」)=金剛利(初)、纔発心転法輪(理第八段「入大輪の法門」)=金剛因(初)、虚空庫(理第九段「供養の法門」)=金剛業(初)、摧一切魔(理第十段「忿怒の法門」)=金剛牙(初)と金剛界曼荼羅の十六大菩薩と対応している。(注3)後の礼拝の段で金剛界三十七尊を観想するが、前述「  」内の『理趣経』における菩薩の境地を加味すると更に深い三昧に入れる。

 上記の関係は、金剛界曼荼羅の特性である「互相渉入」を意味する。宗叡請来の「説会曼荼羅」では毘盧遮那如来を中尊とし八大菩薩が囲繞し、第二重には、四隅に内の四供養、四方に四摂、第三重に四隅に外の四供養を三昧耶形で描く。

 初段「金剛薩埵」「大楽の法門」は、十七清浄句と十七尊曼荼羅が説かれる。この曼荼羅は金剛界九会曼荼羅の「理趣会」として取り上げられている。ここにも「互相渉入」の特徴が如実に出ている。

(十七清浄句・真実経文句・理趣釈曼荼羅・理趣釈真言)による対応が下記である。

(妙適・N/A・金剛薩埵・om)(欲箭・薩・欲金剛・ma)(触・王・金剛髻離吉羅・ha)(愛縛・愛・愛金剛・su)(一切自在主・喜・金剛傲・kha)(見・嬉・意生金剛・va)(適悦・鬘・適悦金剛・jra)(愛・歌・貪金剛・sa)(慢・舞・金剛慢・tva)(荘厳・華・春金剛・jah)(意滋澤・香・雲金剛・hum)(光明・灯・秋金剛・vam)(身楽・塗・冬金剛・hoh)(色・鉤・色金剛・su)(声・索・声金剛・ra)(香・鎖・香金剛・ta)(味・鈴・味金剛・stvam)

 『理趣経』十七清浄句と十七尊曼荼羅と、『初会金剛頂経』の阿閦四親近、八供養、四摂、の関係がわかり観想の手助けとなる。真言は、三種秘観で行う本尊加持の内、極喜三昧耶印の(愛染明王の)真言と一致する。口伝では胸中にある三毒である貪瞋痴を打ち壊すと教わったが、奥には十七清浄句があることがわかった。

 曼荼羅は金剛薩埵を中尊とする五秘密尊、四隅に外の四供養、第二重には四隅に内の四供養と、四門に四摂を置く。

 第二段「大日如来」「証悟の法門」では、「大円鏡智」「平等性智」「妙観察智」「成所作智」の四智を説く。

 『理趣経』では各段において『大日経』『初会金剛頂経』いずれでも説かれていない「読誦」の功徳を以下のように説く。「金剛手を初めとする諸菩薩たちよ。いまだ悟りにいたらない衆生の中で、誰かが、如来の四種の智慧を現実社会に具現させる般若の教えを聞き、『理趣経』を読誦し、心に留め置くならば、その人はたとえ無量の重罪を現に犯すことがあっても来世に、地獄、餓鬼、畜生などの悪い生に生まれ変わることはない。それだけではなく必ず現世において悟りの座につき、速やかにこの上もない悟りにいたりつくことができる。」(注4)この経文を根拠に真言行者は朝勤行、法要で『理趣経』を読誦する。

 宗叡請来の曼荼羅は、毘盧遮那を中尊として、その四周を金剛薩埵、虚空蔵、観自在、金剛羯磨の四菩薩が取り囲み、その四隅には内の四供養を配し、いずれも尊形で画き、外院は外の四供養と四摂の菩薩は三昧耶形で画いている。

 第三段「降三世」「降伏の法門」の経文には、「降三世」の名称は出ず「釈迦牟尼如来」が出る。また『理趣経』の三段~六段は金剛界の四佛が教主となる構成を持つ。

 ここで出現する、釈迦、阿閦、降三世、金剛手の関係はどうなっているのだろうか。『金剛頂経』では、普賢と金剛薩埵、金剛手は同体と目される。『金剛頂経』の初会の第二品は降三世品で、大日如来が金剛薩埵(金剛手)の姿をとり、大自在天と烏摩妃を征服し、帰順させる物語を説く。この金剛手は降三世と同体である。また、阿閦如来は釈迦牟尼が成道にあたって降魔のために触地印を結び、魔を退散させた。以上の考察より釈迦、金剛薩埵(金剛手)、阿閦、降三世が同体とされる。(注5)ここでも、金剛頂系列の佛の関係が根底に貫流している。

 曼荼羅は、降三世を中尊に四方に忿怒薩埵・王・善哉・愛、四方に内の四供養、二重の四隅には外の四供養、四方には弓箭、剣、輪、三股叉が置かれる。

 四段観自在~十段摧一切魔は、品名と菩薩名が一致し、前述した各段の法門が説かれる。曼荼羅も各段の菩薩が中尊となり画かれる。

 十一段は「降三世教令輪品」「普集の法門」で、曼荼羅は、金剛手菩薩が中尊となり、十段までの五如来八大菩薩が説く出世間の真理の曼荼羅と十二段以降に説かれる世間の曼荼羅を統合した「真俗合明曼荼羅」が説かれる。(注5)

 十二段は「外金剛会品」「有情加持の法門」で、曼荼羅は摩醯首羅の如来形が中尊で八方天が取り囲む。 

 十三段は「七母女天集会品」「諸母天の法門」で曼荼羅は三面の忿怒形の摩訶迦羅が中尊で八母神が取り囲む。

 十四段は「三兄弟集会品」「三兄弟の法門」で曼荼羅は梵天、那羅延天、摩醯首羅天の順に右から画かれている。

 十五段は「四姉妹集会品」「四姉妹の法門」で曼荼羅は都牟盧天を四姉妹が取り囲む。

 十六段は「五部具会品」「各具の法門」である。『真実経文句』に「四部それぞれの中の曼荼羅に、五部の曼荼羅を具す」とある。この曼荼羅は広大で金剛智三蔵が画いた「金泥瑜伽曼荼羅」と言われ日本には請来されなかったが、チベットには「金剛頂の都部曼荼羅」として伝えられ、金剛界曼荼羅と同じ形式の曼荼羅が縦横十文字に並び、「互相渉入」思想が極限にまで発展した究極の大曼荼羅となる。(注6)

 十七段は「五秘密品」「神秘の法門」は初段と同様に全体像を示す。初段は十七清浄句

をもって説いたが、最終段では金剛薩埵を取り囲む欲、触、愛、慢の五尊の悟りをいう五秘密である大楽を説く。

 この曼荼羅は五尊が絡み合い、後期密教の曼荼羅のようである。

 礼佛では、「南無摩訶毘盧遮那佛、南無阿閦佛、南無宝生佛、南無無量寿佛、南無不空成就佛、南無四波羅蜜菩薩、南無十六大菩薩、南無八供養菩薩、南無四摂智菩薩、南無金剛界一切諸佛菩薩、南無大悲胎蔵界一切諸佛菩薩」と金剛界三十七尊を明瞭に観想し礼佛する。今までは、金剛界三十七尊が『理趣経』の説く世界とどのような関係があるか意識せずに、思い描いていたが、今回のレポートにより更に奥深い世界に入りこめた感がする。

 『初会金剛頂経』と『理趣経』間でこれだけの「相互渉入」の関係があるのだから他の十六会も学びさらに深める必要がある。

 最後に、観想をするにあたり、瑜伽行者と諸尊との位置関係であるが、東寺の「金剛界敷曼荼羅」桃山時代が参考となる。四佛四菩薩諸尊とも中尊に向かって坐している。チベットの砂曼荼羅でも同様である。壁掛けの曼荼羅(諸尊諸仏の頭部が上にある)の配置に惑わされてはいけない。

 

(注1)『理趣経法 五種別行立 一法界蘇哩耶法における』三井英光撰

(注2)『両界曼荼羅の誕生』田中公明著 2004年春秋社発行 145頁

(注3)『両界曼荼羅の誕生』田中公明著 2004年春秋社発行 151頁

(注4)『理趣経講讃』松長有慶著 平成18年大法輪閣発行 

(注5)『理趣経講讃』松長有慶著 平成18年大法輪閣発行 

(注6)『両界曼荼羅の誕生』田中公明著 2004年春秋社発行 180頁