密教史概説 設題1「チベット人によるインド密教の受容」 | 「明海和尚のソマチット大楽護摩」

「明海和尚のソマチット大楽護摩」

ソマチット大楽護摩は、古代ソマチットを敷き詰めた護摩壇
で毎朝4時から2時間かけ護摩を焚きカルマ浄化、種々護摩祈願を行なっている。

チベット人によるインド密教の受容について論じなさい。

 

 一、チベットの仏教史概略

 チベット仏教の歴史は前伝期(ガダル)と後伝期(チダル)に二分できる。

 前伝記(ガダル)は、古代チベット王国時代の仏教である。

 七世紀前半、ヤルルン王ソンツェン・ガムポ(581~649)のもとに、ネパールからティツン王女(トゥルナン寺建立)、唐から文成公主(ラモチェ寺建立)が嫁いだ。この二妃によりそれぞれの国の仏教信仰の種をチベット王国にもたらしたと考えられている。

 仏教がチベットの国教になるのは、法王ティソン・デツェン(742~797)による。インドの大学僧シャータラクシタが招かれチベット最初の僧院サムイェー寺の建設が始められた。また、その地鎮祭にはインド密教の行者パドマサンバヴァが招かれたと言われている。シャータラクシタは、後世のチベットでは、尊敬を込めてボーディサットヴァ(菩薩)と呼ばれる。一方、パドマサンバヴァは、超能力によってチベットに仏教を広めた聖者グル・リンポチェ(師宝)として絶大な尊崇を集めた。

 779年サムイェー寺の大本堂が完成するとシャータラクシタより六(または七)人のチベット人に具足戒が授けられ、ここにチベット最初の僧伽が発足した。

 また仏典翻訳の大事業もスタートする。インド語からチベット語に訳する場合に基準とすべき語彙を収録した「翻訳名義大集」が編集され、九世紀前半には最古の訳経目録『デンカルマ』が編集されている。(仏典翻訳の大事業は十七世紀末のカンギュル(経・律)部・テンギュル(論)部を備えた四版種(北京版・デルゲ版・ナルタン版・チョーネ版)のチベット大蔵経で大成となる。)

 古代チベット王国時代の仏教は、王室の手厚い保護の下、鎮護国家によって奉仕する王室仏教であった。密教は、呪殺などによって王室に害を及ぼしかねない危険な存在として、禁止されたと伝えられている。しかし、インドの密教がさまざまな形でチベットの大地に浸透し始めていたことは確かであり、それは敦煌文書のチベット語文献の中に『秘密衆会タントラ』のチベット語訳その他の密教の典籍が含まれていることからもわかる。

 国家としては、763年チベットは唐の都長安を一時的にも占領し、786年には敦煌を落として、河西回廊全域を制圧した。

 その後、三法王の一人と讃えられるティツク・デツェン(806~841)が没すると、彼の兄とも弟とも言われるダルマ・ウィドムテン(ランダルマ)が破仏を押し進め、彼が没すると、チベット王国は分裂を重ね、崩壊への道を辿る。

 王室や有力氏族の保護を失った仏教は、中央チベットから姿を消し、チベットの東と西で僅かに命脈を保つ身となった。

 後伝記(チダル)

 後伝記の始まりを画するのは、西チベットの大翻訳官リンチェン・サンポ(958~1055)の活動である。彼は、インド留学後にカシミールの師シュラッダーカラウァルマンらと共に重要な密教経典も多く含む多数の経典を翻訳した。また彼の手によって西チベット各地に多くの寺院が建立された。

 ヴィクラマシーラ寺の学頭アティーシャ(982~1054)がガーリー王の招請を受けて、1042年ごろにチベットにやってきて、各地で布教活動を行ったこともチベット仏教界に大きな影響を与えた。このようなことにより各地に教団結成の動きが生じる。

 アティーシャの弟子ドムトゥンがカーダム派を興し、これにサキャ派、カギュ派が続いた。古代王国時代の仏教の伝統を受け継ぐとするニンマ派も教団としての形を整え、十五世紀初頭にゲルク派が現れた。かくしてチベットに再び熱烈な仏教の時代が訪れ、仏教に関る学問や芸術は、最高度に発展する。

 各派の成り立ちを見ると、ニンマ派(紅帽派) パドマサンバヴァ(グル・リンポチェ(師宝))を開祖と崇め、自ら古代王国の仏教の伝統を受け継ぐ古派(ニンマ派)と称する。ニンマ派の文献は古代王国時代に隠された「埋蔵経典」(『古タントラ全集』や『リンチェン・テルズ』などに集成されている)がもとになっている。奥義として、十四世紀の大学者ロンチェンパによって体系化されたゾクチュン(大究竟)がある。

 サキャ派 1073年古代王国時代の貴族の流れを汲むと言われるクン氏のコンチョク・ギェルポ(1034~1102)が、ツァン州のサキャに一寺を建立し派を開いた。『ヘーヴァジラタントラ』を正依の経典の第一に掲げ、般若母タントラの密教に基盤を置いていたが、ソナム・ツェモの頃から一般大乗にも関心を強め、サキャ・パンディタに至って、因明(論理学)・律などの学習を取り入れ、学問寺の伝統を形成して、訳経事業にも力を注いだ。

 カギュ派 インドに行き、著名な密教者ナーローパーやマイトリーパーに師事したマルパ(1012~1097)が鼻祖となる。彼の弟子の中にはヒマラヤの苦行聖者・宗教詩人として名高いミラレーパ(1040~1123)がいる。ミラレーパの教えを受け継いだガムポパ(1079~1153)は、アティーシャに由来するカーダム派の教義を取り入れ、カギュ派を組織しなおした。ガムポパの系統からは、パクモドゥ、カルマ、タルン、

ティグン、ドゥク、カルマなど多くの支派が誕生した。

 ゲルク派(黄帽派) 1409年、ツォンカパ(1357~1419)がガンデン寺を開いて派を創始した。彼は、アティーシャ、プトンに私淑したが、重点の置き方は両学匠とは異なり密教では、『秘密集会タントラ』の聖者流を究竟のものとする。代表的著作に『菩提道次第』『真言道次第』などがある。彼の門下からは優秀な学僧が輩出されゲルク派の勢いは高まり、サキャ時代に強力になっていたカルマ派と激烈な抗争が展開された。

 ダライ・ラマ制

 ダライ・ラマ政権は、1642年に成立して以来、1959年に起きたチベット動乱によるダライ・ラマ十四世のインド亡命に至る約三百年間の間チベットを支配し、内陸アジアに広がる広大なチベット仏教圏にその影響力を行使してきた。ダライ・ラマは、ゲルク派の活仏(転生ラマ)の一人であり、チベット仏教の最高権威、チベット民族の指導者である。また、法王を支えた政府組織はゲルク派主導のもので、官僚組織は僧官と貴族である俗官とが、組み合わされて同じ職務に就くというユニークなものであった。また特徴的なのは「観音の化身」とされている点で、それを目に見える形で作り上げた壮大なモニュメントが観音の浄土としての宮殿ポタラ宮である。 

 チベット仏教史全体を通じて、チベットがインド仏教から受け取った最大のものは、密教(真言大乗)であった。その密教は、タントラ仏教とも呼ばれるインド後期密教、インド・チベット密教の分類でいえば無上瑜伽の密教をベースとするものであり、この点が、インド中期密教の『大日経』『初会の金剛頂経』(『真実摂経』)等を最重要視するわが国の密教とは異なっている。

 チベット仏教には、密教だけでなく、高度に練り上げられた一般大乗の学問大系があることを忘れてはならない。ゲルク派の修学の例をあげれば、科目は、一般大乗の五科目、すなわち論理学・般若・中観・小乗戒・『俱舎論』を、それぞれ順に三、四年をかけて学ぶ。学習を終えるのに約20年はかかる。すべての科目を修めた者にはゲシェー(博士)の学位が与えられる。密教はその後に学ぶものとされている。

 インド仏教の有力な後継者であるチベット人に託された課題は、インド以来の一般大乗と密教との兼修の習慣に従って、両者をいかに統合止揚するかに最大の努力をはらった。

 政治的には、十三世紀にはモンゴル、フビライ・ハーン(1260即位)、元朝の影響下でのサキャ政権、十四世紀の古代チベット王国に倣うパクモドゥ政権、ゲルク派総帥ダライ・ラマ五世(1617~1682)によるチベット再統一、十六世紀の清朝の介入と鎖国体制を経て1985年、ダライ・ラマ十三世(1876~1933)が大権を把握する。

 十九世紀末から二十世紀初頭にかけてのチベットは、清朝と、英国、ロシアとの角逐の舞台となる。結果、1959年3月ダライ・ラマ十四世がインドに亡命、チベットは中国のチベット自治区となる。(1)

 二、『時輪(カーラチャクラ)タントラ』

 チベット仏教は、日本にはないインド後期密教が忠実に受容されている。この時期に成立した聖典群が「無上瑜伽タントラ」と称せられ、最高の評価を与えられている。

 後期密教を代表する聖典は、『秘密集会タントラ』を中心とする父タントラと、『ヘーヴァジュラ』『サンヴァラ』などを中心とする母タントラ、最後に成立し不二タントラとされる『時輪タントラ』である。

 後期密教の修道体系は、生起次第と究竟次第に大別される。これらの二次第は双修を原則とし、まず生起次第を実修してから、究竟次第に進むのが常道とされている。

 生起次第は、曼荼羅や本尊との合一を中心とした行法である。行者は阿闍梨の指導のもと、灌頂を受けて本尊の姿を観想し、本尊と自己の一致をはかる。このような行法は日本の真言密教の『金剛頂経』に説かれた「五相成身観」や三十七尊出生などの瑜伽観法が、インドでさらに発展して成立したものである。ただし、生起次第では、仏菩薩の加持によって本尊との合一が一時的に体験されるが、本尊との合一を終了し、本尊をはじめとする曼荼羅界会の聖衆を浄土に奉送する「発遣」の次第が説かれるように、行者が完全に仏になりきったわけではないとされる。

 これに対して、究竟次第は、生起次第によってシュミレートされた生と死のプロセスを現世で本当に体験する行法である。「六支瑜伽」により、行者は最高の不変大楽と空身の成就を体現(成仏)することとなる。(2)

 

(1)『チベットの密教と文化』奥山直司著 高野山大学通信教育室 2004年

(2)『超密教時輪タントラ』田中公明著 東方出版 1994年12月1日発行