密教とはどのようなものであるかを述べなさい。
密教とはどのようなものであるかを空海の言葉により述べていく。やり方としては、
空海の著作の中で「密教」という言葉がどのように使用されているかにより把握する。(出典はすべて定本弘法大師全集、以下定本)
①大同元年(806)10月22日『御請来目録』(定本1巻37頁)唐から帰国した空海が、朝廷に上進した正式の留学報告書。「汝有密教之器努力努力。両部大法秘密印契是學得当矣。」汝、密教の器有り、努力努力。両部の大法、秘密の印契、是に因って学び得たり。
②弘仁4年(812)11月「叡山の澄法師の理趣釈経を求むるに答する書」(定本8巻201頁)『理趣釈経』1巻の借覧を請われた最澄に対して、密教受法のあるべき形を説いて『理趣釈経』の借与を拒否されたときの文章。「余難不敏。略示大師之訓旨。冀子。正汝智心。浄汝戯論。聴理趣之句義。密教之逗留。夫理趣妙句。無量無邊不可思議。」余、不敏なりといえども、略大師の訓旨を示さん。冀はくば、汝が智心を正しくし、汝が戯論を浄めて、理趣の句義、密教の逗留を聴け。其れ理趣の妙句は、無量無辺、不可思議なり。
③弘仁五年(814)閏七月『梵字悉曇字母并釈義』(定本5巻103~4頁)空海が七部十巻の典籍を、嵯峨天皇に献上されたなかの一巻。「又有五種総持。謂一者聞持。二者法持。三者義持。四者根持。五者蔵持。一聞持者謂耳聞此一字聲具識五乗之法経及顕密教之差別不漏不失。即不忘聴也。」又五種の総持有り。謂わく、一には聞持、二には法持、三には義持、四には根持、五には蔵持なり。一に聞持とは、謂わく、耳に此の一字の声を聞いて、具に五乗の法教、及び顕教・密教の差別を識って、漏らさず失はず。即ち忘聴せざるなり。
④弘仁六年(815)四月一日「諸の有縁の衆を勧め奉って秘密蔵の法を写し奉るべき文」(定本8巻173~4頁)ご縁のある人達に、空海みずから請来したところの密教経論三十五巻の書写を依頼されたときの文書で、「勧縁疏」と略称される。「一乗三乗分轡駆生。顕教密教逗機證滅。所謂顕教者。報應化身之経是也。密蔵者。法身如来之説是也。」一乗・三乗、轡を分って生を駆り、顕教・密教、機に逗って滅を証す。いわゆる顕教といっぱ、報応化身の経、是なり。密蔵といっぱ、法身如来の説、是なり。
⑤弘仁六年(815)『弁顕密二教論』(定本3巻75頁)顕教に対して密教がいかに勝れた教えであるかを、法身説法・果分可説・成仏の遅速など四つの点からあきらかにした著作。「若據秘蔵金剛頂経説如来變化身為地前菩薩及二乗凡夫等説三乗教法。他受用身為地上菩薩説顕一乗等並是顕教也。自性受用佛自受法楽故興自眷属各説三密門。謂之密教。此三密門者所謂如来内證智境界也。等覺十地不能入室。何況二乗凡夫。誰得昇堂。」若し、秘蔵金剛頂経の説に拠らば、如来の変化身は、地前の菩薩及び二乗の凡夫らの為に、三乗の教法を説きたまう。他受用身は、地上の菩薩の為に、顕の一乗等を説きたまう。並びに是れ顕教なり。自性受用の佛は、自受法楽の故に、自眷属とともに、おのおの三密門を説きたまう。之を密教と謂う。此の三密門といっぱ、いわゆる如来の内証智の境界なり。等覚・十地も室に入ることあたわず。何にいわんや、二乗・凡夫をや。誰か堂に昇ことを得ん。
⑥弘仁十年(819)五月「高野建立の初めの結界の時の啓白文」(定本8巻177~8頁)高野山に伽藍を建立するにあたり、結界の法を修して善神に擁護を願ったときの文章。「去延暦二十三年入彼大唐奉上大悲胎蔵及金剛海會両部大曼荼羅法並一百余部金剛乗平帰本朝。地無相応之地。時非正是之時。日月荏苒。忽過一紀。(中略)故天皇陛下。特下恩璽。此伽藍處。今為上報諸仏恩弘掲密教。下増五類天威抜済群生。一依金剛乗秘密教欲建立両部大曼荼羅。」去じ延暦二十三年を以って、彼の大唐に入る。大悲胎蔵、及び金剛海会、両部の大曼荼羅の法、並びに一百余部の金剛乗を奉請して、平かに本朝に帰れり。地に相応の地なく、時に正しく是なる時にあらず。日月荏苒として、忽ちに一紀を過ぎたり。(中略)是の故に、天皇陛下、特に恩璽を下して、此の伽藍の処を賜へり。今、上は諸仏の恩を報じて密教を弘掲し、下は五類の諸天を増して群生を抜済せんが為に、一金剛乗秘密教に依って、両部の大曼荼羅を建立せんと欲う。
⑦弘仁十三年(822)『太上天皇灌頂文』(定本5巻19頁)東大寺灌頂道場(真言院)において平城上皇に灌頂を授けたときの文書。「大覺慈父明見此。故随病与薬説種種法門。示其迷津指其帰源。狂酔軽量法楽浅深。二乗三乗之車随機而授。顕教密教之筏任器而施。順其教門戒亦不同。故龍猛菩薩説戒有五重云云」大覚の慈父、明かに此れを見たまう。故に、病に随って薬を与え、種々の法門を説き、其の迷津を示し、其の帰源を指す。狂酔の軽重にして、法薬の浅深なり、二乗・三乗の車は機に随って授け、顕教・密教の筏は器に任せて施す。其の教門に順って、戒もまた不同なり。故に、龍猛菩薩の説戒に五種有り、と云々。
⑧弘仁十年(819)『即身成仏義』(定本3巻23頁)六大・四曼・三密などの思想をもって、即身成仏の理論と実践方法を体系的に説かれた空海思想の中心とみなされる著作。「如此経文皆以六大為能生似四法身三世間為所生。此所生法上達法身下及六道難麁細有隔大小有差然猶不出六大故。佛説六大為法界體性。諸顕教中似四大等為非情。密教則説此為如来三昧耶身。」かくのごとくの経文は、皆、六大を以って能生とし、四法身三世間を以って所生とす。此の所生の法は、上は法身に達し、下は六道に及べり。麁細隔てあり、大小差有りといえども、然れどもなお六大を出でず。故に、仏、六大を説いて、法界体性とす。諸の顕教の中には、四大等を以って非情とす。密教には、即ち此れを説いて、如来の三昧耶身とす。
⑨天長七年(830)ころ『秘密曼荼羅十住心論』(定本2巻322~3頁)十住心思想は、本能のままに生活して他を省みない道徳意識以前の状態から出発し、節食し他に施すといった道徳意識、神を信じ永遠の生命を願うといった宗教をもとめる心の芽生えをへて、宗教的自覚が小乗仏教・大乗仏教そして最高の教え・密教へと内面的に次第に深められていく心の状態を十の階梯にわかったものである。この当時、わが国に伝存していたすべての思想・宗教をいずれかの住心に配当しており、比較思想論・宗教論ともいわる空海思想を集大成した著作。「此一一字門具無量無辺顕密教義。一一聲一一字一一實相周遍法界。為一切諸尊三摩地門陀羅尼門。随衆生機根量開示顕教密教。密教者。大毘盧遮那十万頌経及金剛頂瑜伽十万頌経是也。顕教者。他受用應化佛釈迦如来所説五乗五蔵等経是也。」此の一一の字門に、無量無辺の顕密の教義を具す。一一の声、一一の字、一一の実相、法界に周遍して、一切諸尊の三摩地門・陀羅尼門たり。衆生の機根の量に随って、顕教・密教を開示す。密教といっぱ、大毘盧遮那十万頌の経、及び金剛頂瑜伽十万頌の経、是なり。顕教といっぱ、他受用・応化仏・釈迦如来所説の五乗・五蔵等の経、是なり。
⑩天長七年(830)ころ『秘蔵宝論』(定本3巻138~9頁)『十住心論』と前後して上進された本書は、『十住心論』の略論ともみなされているが、内容的には『十住心論』が九顕十密を、本書が九顕一密を説いているとされる。「師曰大而論之有二種也。一顕教法。二密教法。顕教中又二。言一乗三乗別故。一乗者如来他受用身従十地至初地所現報身所説一乗法是也。三乗者應化釈迦為二乗及地前菩薩等所説経是也。密教者自性法身大毘盧遮那如来与自眷属自受法楽故所説法是也。」師の曰く、大いに之を論ずるに、二種有り。一つには顕教の法、二つには密教の法なり。顕教の中に、又二つあり。言はく、一乗・三乗、別なるが故に。一乗といっぱ、如来の他受用身の、十地より初地に至まで現じたまう所の経、是なり。三乗といっぱ、応化の釈迦の、二乗及び地前の菩薩等の為に、説きたまう所の経、是なり。密教といっぱ、自性法身・大毘盧遮那如来、自眷属と自受法楽の故に、説きたまう経、是なり。いわゆる真言乗といっぱ是なり。
以上、十の文書に「密教」という言葉が記載されている。(1)
この内、「密教とは」について述べている文書は、④密蔵といっぱ、法身如来の説、是なり。⑤自性受用の佛は、自受法楽の故に、自眷属とともに、おのおの三密門を説きたまう。之を密教と謂う。此の三密門といっぱ、いわゆる如来の内証智の境界なり。⑧密教には、即ち此れを説いて、如来の三昧耶身とす。⑨密教といっぱ、大毘盧遮那十万頌の経、及び金剛頂瑜伽十万頌の経、是なり。⑩密教といっぱ、自性法身・大毘盧遮那如来、自眷属と自受法楽の故に、説きたまう経、是なり。いわゆる真言乗といっぱ是なり。
上記をまとめると、『大日経』『金剛頂経』の修得と実践が密教ということになる。
『大日経』:大乗思想の総合的な基盤のもとに、真言門の実践修法を体系化したもの。
『金剛頂経』:大乗思想が究極的に「金剛頂瑜伽」という修法に統合化されたもの。(2)
『大日経』『金剛頂経』いずれも教理の中心に菩提心という核をもっている。(3)
真言行者は真言門の菩薩と同じく勝義と世俗との菩提心を発して、真言を用い、月輪観、阿字観、五相成身観、五字厳身観などの瞑想修行を実践し三密加持(心、仏、衆生三者無差別での三密)・三昧耶(菩薩の過去の誓願は、今の自らの心に等しい)の境地に入り、利他行に専念して衆生の不利益をなさず、曼荼羅の仏菩薩の如く相互に価値を認めあって相互に関連性の下での自らのいのちを、いまここで生かすのが密教である。(4)
(1)『空海素描』武内孝善著 高野山大学通信教育室 95~100頁
(2)『密教学概論』生井智紹著 高野山大学通信教育室 38頁
(3)同上 46頁
(4)同上 70、71、93、112、128、163頁