密教の原理(4) | 「明海和尚のソマチット大楽護摩」

「明海和尚のソマチット大楽護摩」

ソマチット大楽護摩は、古代ソマチットを敷き詰めた護摩壇
で毎朝4時から2時間かけ護摩を焚きカルマ浄化、種々護摩祈願を行なっている。

 2ー2 浄厳和尚の定・慧

 

 浄厳の定・慧に至る道(条件)を探るとやはり『真言行者初心修行作法』通論3則 に尽きると考える。特に下記の2点である。

 第1に真言の字義に通達すること。

 第2に本不生の義を解すること。

 この内容を確認していく為に、第1については『悉曇三密鈔』。第2については『真言修行大要鈔』を元に検討を加えて行きたい。最初に真言の字義に通達することに関して『悉曇三密鈔(42)』43歳(天和元年1681)撰を検討する。『三密鈔』に関し、和尚の考えが『浄厳大和尚行状記』蓮体録に記載されている。

 和尚は真言の字義に通達するため、32歳の時に悉曇、声明を学び25巻の本書を悉く研究した。和尚が常に言うには、故徳言う、悉曇を知らない者は半真言師であると。私は言いたい。悉曇を解しない者は真言師ではないと。それ密教が諸宗に超過して勝れているのは阿字本不生義を宗旨としているからではないか。阿字は悉曇の字母である。故に疏家(善無畏三蔵)は処々に阿字門に入ると釈し、「自心を覚するに本より已来生せず。即ち是れ成仏にして而も実には覚もなく成も無し」と説き、本不生を覚れば即ち是れ仏であると釈されている。これは悉曇の字母阿字の釈ではないか。また灌頂の大事、諸尊の種子真言なども悉曇を解しなければその深義を知る事が出来ない。だから大師は、顕教の人は字相字義などの重々の義を知らないと釈しておられる。いわんや大師の大悉曇章、御請来の悉曇字義、大師御著作の声字義、吽字義等の意趣は悉曇を肝心とされておられるではないかと。このように言って常に徒弟のために悉曇の字義句義について敷演されるありさまは旋転無窮にして、あたかも無礙自在の弁才を得て思いのままに説法されているご様子であった。三密鈔の中で字義門を祥悉に釈されているのはこのような理由によるのであ(43)。

 悉曇を知らないものは、半真言師どころではなく、真言師ではない。と言い切ると共に、疏家の説く阿字本不生、祖師の教えの中での悉曇の位置づけ、行法のなかでの悉曇の重要性を説く。空海が入唐した大きな理由として、大日経に記されている悉曇を学び、密教の真髄を知りたいという事があげられる。悉曇が理解できないことは、密教が理解出来ないことを意味する。

『三密鈔』の第八に字相字義門として四重秘譯を展開している。

  浅略:字相とは童蒙の知る所。字義とは法性の実義。

  深秘:一字能く一義を詮するを字相とす。一相を除遣して無相に證入するを名付けて字義とす。

  秘中深:字相とは不可得義。字義とは圓明の心体なり。

  秘秘中深秘:能所不二圓明の字体を名付けて事相とし、還って能所を在して字体能く義用を詮するを各々字義とい(44)。

 字相字義と共に各門各章において発音に関しても詳細に説かれる。つまり字相(身)・声明(口)・字義(意)の悉曇三密を説く。この悉曇の能力は儀軌の校合、及び『通用字輪観口訣』に説かれる無分別観による大空三昧の境地に至る重要なポイントになる。

 次に、本不生の義を解することに関して『真言修行大要鈔(45)』52歳(元禄3年1690)撰を検討する。本不生の義を解する事。この大要鈔は、問、答の形式で真言修行の大要を述べている。第一問で阿字観に関し問答があり、1阿息観(聲)、2阿字観(字)、3阿字本不生(実義)が説明され、以下のように本不生の実義が説かれる。

 あらゆる天地の間の万物は本有にして始めもなく終わりもない。常住にして動転することなく遷変することなしと知る。是を本不生の実義と言う也。但し此の義は甚深幽玄にしてかりそめに知らるる處にあらず。唯、佛のみ能く此の真実を明め玉へり(46)。

 最後から2問目の問答で、本不生の義をどうしても理解できない者は、どのように修行すべきかとの問いが発せられる。答えとして、日常常に、万事着衣喫飯までも節りに触れる事に随いて是れにはかぎらずと念ずべし。中道により喜怒哀楽愛悪欲等の境界に我心を動かされず、逆に我が心が能く諸法を使って自由自在を得て、煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏の位となる。実に貴くべき事であるとする。六大を本体として万法皆此れ六大を体とす六大の處に万法挙げて有りと立てるなり。此の故に一微塵までも万法を具して本有常恒なり(47)。

 そして以下の三密加持の徳用を説く。

 真言には一字に無量の義を具し一印に無辺の徳をあらわし一心の中に諸尊を観想す又纔に両手の十指を以て無量無辺の密印を結顕し一の舌を動かして恒紗の真言を唱うるに其印其真言に亦各無辺の徳用を備えたり(48)。

 本不生の義を体得するには、教理を学ぶだけでは理解できない。本不生の義を体得するため日々の密教行法を継続し行い、教理・事相の説くところを信じて行法を研鑽し向上させ大空位の境地を目指すことである。

 

  2ー3 浄厳和尚の実践

 

 浄厳の説く戒、定、慧を体得するための実践法として新安祥寺流の四度行法があげられる。浄厳が確立した四度加行・正行の体系を確認し、行法作法の中で最重視される、入我我入観、正念誦、字輪観の三種秘観に焦点をあて実践内容を考察してく。  

 加行の階梯と日数(49)

 1、受明灌頂

 加行=三七日1日三時 初夜(午後6時より12時まで)

 胎蔵礼懺1巻 後夜(午前4時より10時まで)金界礼懺一巻 日中(正午より2時まで)光明真言1千80遍

  灌頂=加行了り翌日齊前に受三昧耶戒 同夜入壇

 2、胎蔵一尊法

  加行=50日1日三時 浄厳作『七支念誦随行法』を修す。

  初行=3、5、7日の間浄厳作『大日経随行一尊供養念誦儀』を試行す

  正行=一七日1日三時 右供養儀軌を行ず

 3、金剛界一尊法

  加行=50日1日三時 浄厳作『要略念誦法』を修す

  初行=3、5、7日の間浄厳作『随行一尊供養念誦要記』または『別行次第』を試行す

  正行=一七日間1日三時 右供養法を修す

 4、金剛界大法

  加行=三七日1日三時 『随行一尊法』あるいは『別行次第』を行ず

  正行=五七日1日一時 浄厳作『金剛界供養念誦要法』を修す

 5、胎蔵界大法

  加行=一七日1日三時 『大日経随行一尊供養念誦儀』を行ず

  正行=七七日1日一時 浄厳作『胎蔵界念誦次第』を修す

 6、護摩

  加行=三七日1日三時 『金界随行法』または『別行次第』を修す

  正行=三七日1日一時 浄厳作『息災護摩私記』を行ず

 7、許可

  加行=三七日1日一時 金界大法を修し散念誦に台大日の言1千80遍を加える

  灌頂=良辰を選び金胎合行に修す

 8、伝法

  加行=百日あるいは50日1日二時に護摩を行ず 朝には胎蔵の略行により夕には金界の略行によって護摩を修す あるいは両界の大法を各々七七日毎日一時修するもよし

  灌頂=初胎後金に行ず 

 現在、真言宗各派の四度行法の中では、中院流が日数、行法内容とも充実していると評価されているが、新安祥寺流の四度次第の内容、及び上記の階梯と日数を確認すると、受明灌頂から伝法まで連続で行った場合、360日を要し、次第の冊数も中院流の3倍以上であり、特に金剛界大法、胎蔵界大法、護摩の正行は1日一時であり、一座に1日がかりで取り組む内容、物量であり中院流と比べても質・量とも大きく上回る。更に、次第のみでは理解が困難であったり、行法の間違いを無くすために、それぞれの次第に口訣書、私鈔、私記が以下のように存在している。

 『七支念誦随行法』(59歳撰述)には『七支念誦随行法口訣』(61歳撰述)。『大日経随行一尊供養念誦儀』(53歳撰述)、『随行一尊供養念誦要記』(51歳撰述)には『随行一尊供養念誦要記私鈔』(56-62歳撰述)。『別行次第』(45歳撰述)には『別行次第秘記』(45歳撰述)。『金剛界供養念誦要法』(58歳撰述)には『金剛界軌訣』(宝厳写)。『胎蔵界念誦次第』(49歳撰述)には『胎蔵界念誦次第口訣』(真常写)。『息災護摩私記』(53歳撰述)には『息災護摩口訣』(弘詮写)。

 三種秘観に関し詳細に説かれるのは、次第では『別行次第』(45歳撰述)、『大日経随行一尊供養念誦儀』(53歳撰述)、『随行一尊供養念誦要記』(51歳撰述)、『金剛界供養念誦要法』(58歳撰述)、『胎蔵界念誦次第』(49歳撰述)である。口訣では『別行次第秘記』(45歳撰述)並びに『随行一尊供養念誦要記私鈔』(恵曦の補記)である。また、両部大法の『金剛界供養念誦要法』(58歳撰述)、『胎蔵界念誦次第』(49歳撰述)の次第に対する『金剛界軌訣』(宝厳写)、『胎蔵界念誦次第口訣』(真常写)口訣の中には三種秘観に関しての記述はない。ここでは、『別行次第』(45歳撰述)、『別行次第秘記』(45歳撰述)と『随行一尊供養念誦要記』(51歳撰述)、『随行一尊供養念誦要記私鈔』(恵曦の補記)の三種秘観に関する部分の考察を行う。以下『別行次第』を(別次第)、『別行次第秘記』を(別秘記)、『随行一尊供養念誦要記』を(随次第)、『随行一尊供養念誦要記私鈔』を(随私鈔)と略す。

 まず、各撰述書の特徴であるが、(別次第)を三種秘観の最初の基本形とすると(別次第)の語句の内容、考え方、理論を詳細に解説したものが(別秘記)である。その後三種秘観の口訣として新たに撰述されたものはなく、浄厳の三種秘観の解釈、理論はこの時点45歳でほぼ完成したと見て良い。(随次第)は、(別秘記)で説かれた内容のうち重要な部分を追加した次第である。(随私鈔)の三種秘観の部分は恵曦の補記であり、大部分が浄厳から相伝された(別秘記)の写しである。ただし要所要所で浄厳の口伝内容を補完記載している。結論として三種秘観の解釈、理論は(別秘記)に記述されていると見る。 

 次に三種秘観に関し(別次第)と(随次第)の変化点は、本尊加持に関し(別次第)では入我我入観、正念誦、字輪観の後にそれぞれ本尊加持が存在したが、(随次第)では正念誦後の本尊加持が削除されている。これは『金剛界供養念誦要法』(58歳撰述)、『胎蔵界念誦次第』(49歳撰述)においても削除されている。削除理由として(随私鈔)に下記の通りに説明される。

 是れ上の入我我入に加持印成するなり観ずる所の我即ち本尊と成ること也。或る伝入我我入の後、正念誦の後、字輪観の後、此の三處の本尊加持は次の如く本尊の身口意の三密を成就すと云々。開山和尚言わく此の口伝未だ快からず。何者入我我入観麁論門には則ち唯身密なれども實には三大具足し無碍平等なり。次の二種は倶に是念誦なり。謂く正念誦は是れ蓮金の二念誦字輪観は三摩地念誦なり。(但し初めは三摩地念誦、後は真實念誦)何ぞ分けて二度為し是れ故に今儀軌に依り正念誦の後の本尊加持を除いて直に字輪観に入る也(50)。つまり、入我我入観は身密というが実は身口意の三密によるものであり、正念誦は三摩地念誦であり、字輪観は真実念誦であり儀軌に説かれる通り正念誦の後に本尊加持を入れて念誦を途切らせることはない。よって削除するということである。浄厳が念誦を重視していることが理解できる。

 では、浄厳の三種秘観の理論、実践方法を以下、確認する。基礎資料は(別次第)、(随次第)及び(別秘記)を使用する。

 1、入我我入観

 (別次第)(随次第)とも妙観察智の説明より始まるが、(別秘記)では、語密念誦が最重要であり、念誦を行うにはまず、心(我)、佛、衆生、三平等観をなす。三平等観の場として3者とも遍法界に存在するということが重要である。そしてこの遍法界をキーワードに、四智の理論が展開され、入我我入観で何故妙観察智の定印を結ぶのかが(別秘記)に説かれる。

 凡そ四智の行相、大圓鏡智は一法界を圓滿す、平等性智は一如平等の理、妙観察智は邪正を分別して不謬不妄の智なり、成所作智は業用を成就して所作空からざる徳也。

 然るに今差別智の印契を以って平等の観門に用いることは、自宗の所立は平等と言うと雖も混同して一なるに非ず。心佛衆生の十法界其の相は別なるに似たりと雖も性には全く同一なり。差より無差に入らんが為に妙観察智の印を結ぶ也(51)。

 四智、五智は因位の九識から転じた金剛界大日如来の内証の智である。

 大圓鏡智は第八阿頼耶識を転じて得る所の圓明無垢の智であり、大圓鏡の萬像を写すが如く一切諸法を明に照見する徳用がある。平等性智は第七末那識が転じた智であり、末那識は愛慢癡見等の煩悩と相応して差別見を生ずるが、果位に至れば却って自他生佛一切の差別見を離れて諸法の平等性を照見する。妙観察智は、第六意識転じて妙に所化衆生の機類を観察して説法し、彼等の疑惑を断除する。成所作智は、前五識転じて化他の所作事業を成辨する(52)。

 この所見に従うならば、平等性智に至るためにその前段階である妙観察智の印を結ぶということであろうか。著者が考えるには、差から無差に至るには麁から微細の視点(原子、電子、量子レベルでは皆平等)、つまり極微細レベルでは全て平等、同一性があるという平等性智を認識、体得した上で萬物の営みを正見する妙観察智の印を結ぶということである。次に入我我入する本尊は、月輪の上に種子を観じ、三昧耶行、羯磨形を観じ、道場観で観じた三三平等(佛、我、衆生の三密身口意が全て平等)である本尊である。またここで重要なのは、本尊の身口意、種三尊、内証の三摩地をどれだけ観行できるかである。更には三三平等に追加し、三大が以下のように(別次第)に説かれる。

 六大無礙にして常恒に相応するが故に心、佛、衆生の三密各々法界に遍じて互相加入し彼此摂持して感応道交し速疾に顕得す(53)。

上記では何が三大であるか(別秘記)を解読しなくてはわからないが、(随次第)には、三大がわかりやすく理解できるよう次のように説かれる。

 是れ法性たる六大、無障無礙の故に、常住不変故に、相応渉入の故に(體大平等)。心佛及び衆生、互相輪圓して足り(相大平等)。各々三密の用、彼此互いに加入し、自他相い摂持して、生佛合して感応すれば、速疾に悉地することを得(用大平等)(54)。

 上記は(別秘記)に記載されている内容が(随次第)に取り入れられた事例である。またこの文章は空海の即身成仏の偈、即身部分の体相用と同意であることがわかる。入我我入観の考え方、理論の総括として(別秘記)に以下の文書がある。

 六大の體性凡聖に周遍して平等一味なるが故に身口意また遍法界也。(道理紙上に現證殫し難し也。)復次に身(地水火)口(風空)意(識)即ち六大なるが故に周遍の理疑う可きに非ず。復次に大(地水火)三(識)法(風空)羯(六に通づ)即ち六大即ち身(大羯)語(法)意(三)故に、種(法)三(名の如く)尊(大羯)三秘密四曼遍法界也。四曼三密遍法界の義ここに極め成しぬ(55)。では、以上の理論、考え方を理解した上で、次第により、日々の行法を継続実践すると何が起こるのかを(別秘記)の内容を確認し要約する。我(心)、佛、衆生、及び各々の身口意は微細レベルでは三三平等であるが、実際には我と佛では大きな差がある。では入我我入でどのような事が起こるのだろうか。

 我が身で諸佛に入ることは、我が身で諸佛に帰命することである。諸仏が我が身に入ることは諸佛が我を摂護することである。我が口業で諸仏の口業に入ることは、諸佛の功徳を賛嘆することであり、諸佛の口業が我に入ることは、諸佛が説法教授して我を加持することである。我が意業実相の理で諸佛の意業実相の理に入れば、我れ諸仏の心、及び自心を知る。諸佛が意業実相の理で我が意業実相の理に入れば、諸佛は観照門を開示する。この観法を継続実践すると、三力により我は煩悩を浄め正覚を成す。同時に衆生を度し、利他の功徳を積む。この際の無数の如来の功徳は不可説不可説であり、この不可説不可説の功徳を以って諸如来が我が身に入れば諸佛は法界藏を開き、無量の功徳を我が身に施与する。そして我が本来の本有の功徳と先の所修の功徳で諸佛の身に入れば諸佛を供養することになり大圓鏡智の圓明無垢の境地に至ることができる(56)。

 そして決して忘れてならないのが、(随次第)に述べられる化他の実践である。

 亦復、諸の衆生の身心の體性と我及び諸佛の身心の體性と無二無別なりと雖も、然も一切衆生は盲冥にして自覚せず。長く生死に輪廻す。我れ今悲愍を發して修する所の三密の行、自ずから諸衆生の福智の二荘厳と成る(57)。

 この心構え無くして大圓鏡智の圓明無垢の境地に至ることは不可能である。

 2、正念誦

 (随次第)は、念誦法として九種のやり方、階梯を説く。下記に意訳する。

 1、本尊の種子の字を観じる、一つ出来るごとに字を加えていく。2、相好等分明な本尊を前に観じる。3、あるいは、本尊の相好を観じ自身に巡らす。4、我及び本尊分明に相対して座すと思い、集中して諦誠に念珠を行う。5、あるいは字を本尊と化し、6、あるいは種子の義を観じ、本不生と相応せよ。7、本尊の心月輪の中央から右旋回で本尊の陀羅尼を観じ、陀羅尼一文字ごとに五色の光明を放つと観じ、本尊の口より行者の口裏に入り、行者の心月輪の中央から右旋回で布置する。是れは、如来の神力加持の護念の所で行者の無始の煩悩業障の垢を除く。また再び行者の口より五色の光明を放つ陀羅尼が出て、本尊の足裏から入り本尊の心月輪の中央から右旋回で布置する。字字連続して珠鬘の如く想え。8、我が口から出る陀羅尼の文字がそれぞれ金色の佛となり法界に遍満し虚空と等同となる。皆、本誓力を以って随類音聲を出して最勝の妙法を演べ、一切衆生を暁らしめ、阿字不生の理に開示悟入せしめ給うと観ずる。9、真言の字を行者の身中の支分に配置すると共に本尊の身の上の布字と念誦の真言の数とを、具に一念の中に於いて、一時に観見せよ。集中して行え(58)。

 入我我入観で四曼三密遍法界の義を了解、体得した後に、種三尊が念誦によりダイナミックに動き始めることがわかる。(別次第)では、上記7、8の階梯が正念誦として記述されている。入我我入観と同じく(別秘記)に記載されている重要な項目が(随次第)に取り入れられた事例である。(別秘記)では儀軌の引用をはじめ約2千字弱で念誦観が記載されているが、(随次第)では、是れを270文字に凝縮している。逆に言えば、(別次第)(随次第)に記載されている内容は(別秘記)の中でも最重要項目がピックアップされているということである。(別秘記)を丹念に読み、習熟し、実践して初めて(別次第)(随次第)の意味がわかるのである。例をあげると前述した(随次第)の7番目の(別秘記)の説明として、三密の構成が以下のように説かれる。

 是れ則ち本尊行者の三密、相應無碍渉入の義也。謂く本尊のみ口自り出るは是れ口密。行者の頂き自り入るは、是れ身密。我が心月輪に至るは是れ意密也。復次に我が口自り出るは是れ口密。本尊のみ足自り入るは、是れ身密。尊の心月輪に至るは是れ意密也(59)。

前述した(随次第)の8番目に関し(別秘記)では観智軌が引用される。

 此れは觀智の軌に本づく也。彼の軌に云く、次にまさに専の注して観づべし。舌の端に於いて八葉の蓮華有り。花の上に結跏趺坐せり佛有り。猶定に在るが如し想え妙法蓮華経の一一文字佛のみ口従り出て、皆金色と作る。具に光明有って虚空に明遍す。想え一文の一の字皆変じて佛身と為って虚空に遍満して持経者を囲繞すと。又云く、其の持経者、其の力分に随って或は一品を誦し或は全に一部、緩くならず、急ならざん。此の観を作す時、漸く身心軽安調暢を覚うべし。若し能く久長に是の観行を作す時は則ち定中に於いて了々に一切如来甚深の法を説きたもうて見上ることを得ん(60)。

前述した(随次第)9番目の布字に関して(別秘記)は以下のように記述している。

 此の中に身上の布字とは、オン(頭上、白色)シャ(両目、色は日月の如く)レイ(頸上、琉璃色)ソ(心、色は晈素の如く)レイ(両肩、黄金色)ソン(臍、黄白)デイ(両膝、浅黄)ソワ(両脛、赤黄)カ(両足、満月)是の如く身分に布して之を誦せよ(61)。

 これらの内容を知って観行、念誦を行うのと、知らないで行うのでは全く念誦のあり方が異なってくる。(随次第)では、この後に4種類の念誦の唱え方(音聲念誦、金剛念誦、三摩地念誦、真実念誦)、数珠の擦り方が記載される。(別秘記)に数珠の擦り方、数珠の種類に関する記述はあるが、念誦の唱え方の記述はない。(随私鈔)を見ても(随次第)と同じ内容が記載されているのみである。念誦のやり方に関しては『七支念誦随行法口訣』(61歳撰述)の2段目に詳細が説かれている。また、念誦の目的は(随次第)8番目の「本誓力を以って随類音聲を出して最勝の妙法を演べ、一切衆生を暁らしめ、阿字不生の理に開示悟入せしめ給うと観ずる。」の利他部分にある。これは最初と最後に唱える發願の偈頌に表されている。

  我欲抜濟無餘界 一切有情諸苦難 本来具足薩般若 法界三昧早現前並びに

  修集念誦法 以此勝福田 一切諸有情 速成本尊身

(別秘記)の正念誦の最後の文句に次の記述がある。  

  憲深僧正の云く、入我我入は自覚自證の成道。正念誦は化他説法の儀式。字輪観は自證化他覺行圓満の意也。圓明の中に於いて順逆に之を観ずる此の意也(62)。

我、佛、衆生、三平等のうち特に衆生の成仏に主眼が向けられていることがわかる。このことは念誦観行に通逹することは即ち衆生を化他することであり、衆生に対する加持祈祷の原理が含まれていることを意味する。

 3、字輪観

 字輪観に関しては、(別次第)(随次第)とも通用五大による観想となる。(随次第)に説かれる内容を確認し要約する。

 1、月輪の中に於ける五大の順逆による観想。(ア、バ、ラ、カ、キャ、キャ、カ、ラ、バ、ア、アン、バン、ラン、カン、キャン、キャン、カン、ラン、バン、アン)

 2、五大字義の順逆による観想。(諸法本不生、自性離言説、清浄無垢染、因業不可得、等虚空無相、等虚空無相、因業不可得、清浄無垢染、自性離言説、諸法本不生。)

 3、五大字義の展転相摂順逆による観想。(諸法本不生故に自性離言説、自性離言説故に清浄無垢染、清浄無垢染故に遠離於因縁、遠離於因縁故に等同於虚空、等同於虚 空故に遠離於因縁、遠離於因縁故に清浄無垢染、清浄無垢染故に自性離言説、自性離言説故に諸法本不生。)

 4、順の中にア字を以って残りの4字を摂する観想。(法本不生故に自性離言説、法本不生故に清浄無垢染、法本不生故に遠離於因縁、法本不生故に等同於虚空)

 5、順の中にバ字を以って残りの4字を摂する観想。(法離言説故に亦復本不生、法離言説故に亦復無垢染、法離言説故に遠離於因縁、法離言説故に亦復等虚空)

 6、順の中にラ字を以って残りの4字を摂する観想。

 7、順の中にカ字を以って残りの4字を摂する観想。 

 8、順の中にキャ字を以って残りの4字を摂する観想。 

 9、月輪観の広観斂観による観想。 

 10、五字嚴身観による観想。 

 11、五輪の特性による観想。(アン字・地・堅性、バン字・水・湿性、ラン字・火・煙性、カン字・風・動性、キャン字・空、一切無礙。)

 12、法界率覩波、五分法身(戒定慧解脱及び解脱知見)による観想。

 13、阿字観による観想(63)。

 字輪観の理論、考え方に関しては「1ー1 新安祥寺流四度次第成立に関連する事柄等」の考察『通用字輪観口訣』で述べたので略す。最後に浄厳は次のように字輪観に関し述べ記述を終了している。

 私に云く、今此の字輪観の中に、自ら五種の観有り。一には月輪布字(唯し字相に約す)二には順逆、字義、三には巻舒月輪、四には五支布字、五には無分別観也。是れ則ち次の發心、修行、菩提、涅槃、方便の五転に当たるなり。第五の無分別観を大疏の第六には正観心佛性(字義無分別観)入如来定(月輪無分別観)と云へり。而も豈に須く漸く四處を超えて方に究竟に至らん故に、是れ初發心の行者の速疾頓悟の観行なり。復次に理法身説法斯の位に在す。謂く能所を忘して分別無きは、心識縁用無きが故に、理法身なり。唯し五大のみ在するを以っての故なり。縁用を絶すと雖も猶氣息有り。是れ説法なり。故に理法身の説法となす。又、此の字輪観は、意密平等の観門、意無盡荘厳藏なり(64)。

 以上、三種秘観に関し、内容を意訳、考察してきたが、やはり重要なのはこの教えを日々の行法の中に生かすことである。観想する際に上記内容を反映させ、次第の字義が不明瞭な場合には、『別行次第秘記』を紐解き理解しその内容が体得できるまで不退転の菩提心で繰り返し行うしかない。

 

  2ー4 浄厳和尚の民衆教化

 

 蓮体著『平生雅訓十七条』『浄厳大和尚霊徳記』に日常の浄厳の生活状況、日々の弟子への訓戒、加持祈祷の効験等が記載されている。考察すると、浄厳の民衆教化は戒を基盤とした正法興隆である。

 和尚は平生栄華を願わず、織目のあらい木綿の衣を着、多くは紙子の衣を着ておられ、食物は施齊であるが平生は一汁一菜かあるいは無菜である。沙門は、剃髪染衣して家々の門に立って乞食するのが当たり前である。悪衣悪食を恥じることがあろうか。修学をすべて廃して権門勢家に走り、日が高く昇ってからやっと起き、夜晩く群り集まって雑談しながら食事をし、戯言を言って笑い戯れ、囲碁蹴鞠を遊びとするそういう者をどうして沙門といえようか。国家の大賊である。今の人は持戒は苦行であって難行であるという。持戒は難行でなない。ただ信心がないからである。出来ないのではない、しないのだ。その心に誠がないからだ、かりそめにも誠があるならば、どうして如来が制定された戒法に背こうか(65)。と述べる。菩薩戒を受けた一千余人、三帰戒を受けた六十万人を数える人々は自ら純粋に高潔な和尚を信じ、慕い、ありがたいご縁を授かったことがわかる。

 元禄時代の庶民は6割近くが浄土系、2割が法華系の信者であり、残りが、真言、天台、禅、律、法相となる。真言は浄土念仏に対し、光明真言による功徳を打ち立てる。このような状況の中、浄厳は結縁灌頂の庶民化を進める。『浄厳大和尚行状記』には元禄10年閏2月19日より3月9日に至るまで結縁灌頂を行う。これはたびたびの灌頂に種々の利益があるので、近国の信男信女らが灌頂講を結成した。講社に入るものは15万余人である。これによって3年に1度恒規として行じたもうことを和尚に要請した(66)。とある。信者から和尚に何卒とお願いをしているのである。浄厳は結縁灌頂と共に真言伝授も行っている。光明真言の伝授には、已結縁灌頂者が17日間の間潔齊して五辛酒肉煙草をも禁止させて後に授けた。もし次に余尊の真言を授かりたいと願う者があれば、光明真言を10万遍誦じ満行後に授けた。もし、臨終の大事を受けたいという者があると、三七日潔齊させ毎日光明真言を千遍誦えさせた後に授けた(67)」「和尚は未灌頂者には光明真言を伝授しない。越三昧耶の罪を犯すからである。そこで未灌頂の人には必ず大金剛輪陀羅尼を授けた後に諸々の真言を伝授した。何故ならこの真言を七遍誦せば金剛界大曼荼羅に入って灌頂を受け金剛薩埵と同等になって三世無障碍智戒を具足するのと同じ功徳があると説かれているからである(68)。」

 浄厳の持戒者としての姿がよくわかる。民衆教化を行ったというより、民衆の願いに応えたというのが正しい捉え方である。

 

 

 

  結論

 

 浄厳和尚の生き様をみて、自身のあり方を日常生活で高めることが、今後の僧侶の道として、大切だと考える。また、自利利他共に実践することが重要である。

  1、戒律の実践

 現時点での自身の経験や能力から、自分が実行できる具体的な内容を立案することである。まずは、現在の自身に見合った立案となる。

 浄厳和尚の生きた江戸時代と現在の平成では僧侶の生きる環境が大きく違う。浄厳は真言三密加持の法力、自在無礙の方便力を得るには戒を第一におく。また、顕密共の戒律を重視する。現代社会で実行できる内容を浄厳の戒律よりピックアップする。さらには実行する際の注意点も記載する。浄厳は生活基本から戒の智へ一歩一歩遡り三密加持の効験を示すが、この論文では果から因へと精神・意識のあり方から現代社会で現実に実行できる内容を探る。『受法最要』より

 三十には、常に菩提心を捨てるな。我は菩提心を求める金剛薩埵であり如来と一体無二である。菩薩として利他行に励め(69)。

 現実の生活に於いて種々の問題、選択、判断が迫られる場面が多々ある。その際決断する前に我は金剛薩埵であるとの観を起こし物事の判別をつけ行動することである。現代の僧侶は、ほとんどが現代社会の仕組みに組み込まれている。結婚し家族を持つのが一般的である。世間一般の規範に基づき生活している。付き合いの中でお酒を飲む場合もある。肉を食す場合もあるであろう。ただしその場合の目的が金剛薩埵として菩提を求める行いに叶っているかどうかを判断する必要がある。

 三十三には、他人に対して不利益なことをするな(70)。原文では不饒益とあり饒の意味はゆたか、益はあふれるであり、不で否定され、さらに作すべからず。と二重否定される。人の豊かさが多くなるような行いをしなさい。でも良いわけだが、あえて二重否定を使うのは、積極的に善行を積むのではなく、相手の立場にたち不利益なことはするなである。喩えばであるが、理趣経に説かれる大欲を非常に良い教えであるので、相手のレベルも考慮せずに教え、貪欲、色欲の地獄に落とし込むようなものである。時には沈黙も金になるということである。

 『真言行者初心修行作法』より

 真言行者は必ず、八斎戒を守ること。不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒、正午以降は食事をしない、娯楽、装飾を愛ない。ベットに寝ない。を月の内十日は守ること(71)。

 本来の戒のあり方は、一から百までのものを杓子定規に守るものではない。未成年の初心者で右も左もわからないのならいざ知らず、人生五十を過ぎ、人間の機微が理解できる行者にとっては戒をいかにコントロールし目標である阿字本不生の大空位三昧にいかにして近づき、体得するかである。真言の字義に通達しその枢鍵たる本不生義を解すこと。三密平等、生仏不二、諸法本不生の実義を知ること(72)。に関しては、知識として暗記し答えることも重要ではあるが、神秘体験を味わい智慧のレベルにまで持ち上げるのを今の課題とする。以上より、現代社会における戒のあり方は、我が今現在、金剛薩埵として、正しいことを行えば良い。 

 2、現代における民衆教化

 SNSでスピリチュアル系のサイトを確認すると、万を超えるブログ、メルマガ等により精神世界に対する様々な意見が発信されている。ほとんどが悩み、苦しみからの解放を願う要望に対し、占い、コーチング、イメージング、引き寄せの法則、etc.世界の東西を問わない種々様々な方法により各人の苦悩解決を目指す方法が述べられている。

 真言密教は、阿字観という密教瞑想法がある。『真言修行大要鈔』の初段で浄厳は阿字観ほど優れた要道はないと明言している。また真言密教の布教方法(民衆教化)として阿字観瞑想が本山に認められ世界に対し布教が押し進められている。阿字観は阿字本不生を体得する修法であり、六大無礙四曼不離、三三平等、三密加持、の真言密教の根本教理が全て含まれている。阿字観瞑想を現代社会の苦悩解決のために推し広めるのは間違いではない。今回の浄厳和尚の思想形成と実践の中から得た密教教理をさらに深め、日々の行法を実践し阿字観瞑想に通逹し、阿字観瞑想の普及により世の中のお役に立つことをここに約束する。

 

 

 

脚注

(1)松長有慶『密教の歴史』平楽寺書店、1969。p.270

(2)上田霊城『浄厳和尚伝記史料集』名著出版、1979。

(3)蓮体和尚撰 上田霊城通釈『浄厳大和尚行状記』総本山。霊雲寺、1999。pp.14-16

(4)上田霊城 「新安流成立過程の研究(上)」『密教文化』第136号 高野山大学出版部。p.6

(5)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。中巻pp.252-274

(6)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。中巻p.261

(7)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。中巻p.265

(8)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。中巻pp.269-271

(9)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。中巻pp.271-272

(10)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。中巻pp.273-274

(11)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻pp.16-45

(12)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻1ー巻6

(13)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻1p.1

(14)浄厳『別行次第』高野山八葉学会、1912。1巻

(15)浄厳『別行次第』高野山八葉学会、1912。p.2

(16)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻1pp.8-9

(17)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻2p.26

(18)浄厳『別行次第』高野山八葉学会、1912。pp.6-7

(19)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻2pp.28-30

(20)空海『定本弘法大師全集』密教文化研究所、1993。第2巻p.307

  (21)浄厳『別行次第』高野山八葉学会、1912。pp.8-10

(22)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻3p.40

(23)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻3pp.40-41

(24)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻3p.41

(25)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻3p.45

(26)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻3pp.48-49

(27)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻3p.50

(28)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻pp.1-15

(29)浄厳『新安流諸尊法聖教』総本山霊雲寺、1988。

(30)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。中巻pp.233-251

(31)蓮体和尚撰 上田霊城通釈『浄厳大和尚行状記』総本山。霊雲寺、1999。p.144

(32)蓮体和尚撰 上田霊城通釈『浄厳大和尚行状記』総本山。霊雲寺、1999。pp.73-75

(33)蓮体和尚撰 上田霊城通釈『浄厳大和尚行状記』総本山。霊雲寺、1999。pp.129-130

(34)密教辞典編集会『密教大辞典 縮刷版』法蔵館、1931。

(35)諸菩薩部 秘密儀軌 震5『観自在大悲成就瑜伽蓮華部念誦法門』高野山大学図書館 

(36)蓮体和尚撰 上田霊城通釈『浄厳大和尚行状記』総本山。霊雲寺、1999。pp.22-23

(37)谷川泰教『ブッダの伝記ーその資料と解釈ー』高野山大学通信教育室、2008。p.161

(38)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻pp.16-45

(39)浄厳『新安流諸尊法聖教』総本山霊雲寺、1988。『三昧耶戒印明等秘訣 草本』

(40)浄厳『妙極堂教誡』獨酔散人快長所蔵 高野山大学図書館 421/ミ/10

(41)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻pp.46-71

(42)浄厳『悉曇三密鈔』高野山大学図書館 451/シ/154(b)-1

(43)蓮体和尚撰 上田霊城通釈『浄厳大和尚行状記』総本山。霊雲寺、1999。pp.14-15

(44)浄厳『悉曇三密鈔』高野山大学図書館 下之中pp.78-83

(45)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻pp.1-15

(46)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻pp.1-2

(47)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻pp.13-14

(48)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻p.14

(49)上田霊城『真言密教事相概説ー四度部ー』同朋舎出版、1986。pp.64-65

(50)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻p.300

(51)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻6p.99

(52)密教辞典編集会『密教大辞典 縮刷版』法蔵館、1931。p.907

  (53)浄厳『別行次第』高野山八葉学会、1912。p.19

(54)浄厳『新安流諸尊法聖教』総本山霊雲寺、1988。『随行一尊供養念誦要記』巻下

(55)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻6p.101

(56)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻6p.101

(57)浄厳『新安流諸尊法聖教』総本山霊雲寺、1988。『随行一尊供養念誦要記』巻下

(58)浄厳『新安流諸尊法聖教』総本山霊雲寺、1988。『随行一尊供養念誦要記』巻下

(59)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻6p.109

(60)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻6p.110

(61)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻6p.111

(62)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻6pp.114-115

(63)浄厳『新安流諸尊法聖教』総本山霊雲寺、1988。『随行一尊供養念誦要記』巻下

(64)浄厳『別行次第秘記』高野山八葉学会、1911。巻6pp.121-122

(65)蓮体和尚撰 上田霊城通釈『浄厳大和尚行状記』総本山。霊雲寺、1999。pp.132-134

(66)蓮体和尚撰 上田霊城通釈『浄厳大和尚行状記』総本山。霊雲寺、1999。p.94

(67)蓮体和尚撰 上田霊城通釈『浄厳大和尚行状記』総本山。霊雲寺、1999。p.129

(68)蓮体和尚撰 上田霊城通釈『浄厳大和尚行状記』総本山。霊雲寺、1999。p.115

(69)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻p.23

(70)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻p.23

(71)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻p.55

(72)総本山霊雲寺、河内延明寺『新安流四度口訣集』隆昌堂、1996。上巻pp.55-56