摩耶夫人(まやぶにん)はお釈迦様のお母さん | お寺と神仏のほどけるはなし

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成田山八王子分院 傳法院にて、護摩祈祷とよろず相談をしている真言密教の尼僧です。仏教はあなたの中の「きまりをゆるめる」宗教。そのお手伝いをしています。

妙彩です。


今日は摩耶夫人について、聞きかじったことを書いてみますね。

マーヤというお名前は、みんなの理想を詰め込んで、後からつけたものなんだってお聞きしました。

本名ではなくてね。

愛にあふれた理想の母親、みたいな意味がマーヤにはあった気がします。
が、ちゃんと覚えてません(失礼)。


お釈迦さま周辺のお話というのは、事実ももちろんあるでしょうけれど、思い出が理想的に美化されてしまったものやら、聖人として残しておくために作った伝説やらが入り混じっている感じです。



教えを受けた僧侶の先生から一年間の僧堂生活が始まる最初の頃に、

「仏教は霊的なものではありません。
先祖供養でもありません。
お釈迦さまが言ってないことを、仏教だと言って迷惑をかける人たちがまだまだいます。
ここで一年かけて学んで、詐欺師になるようなことにならないように。
しっかりやってください。」


と釘を刺されました。


確かに、うそを言ってお金を騙し取るのはダメですが、どこまでがお釈迦様の言葉なのかはもはや誰にもわかりませんよね。


お釈迦様が生きていたときには、説法の内容を文字として残していないですし。


究極的には、私たちが幸せに生きるために役立つなら、どのようなお話を取り上げても良いのではないか、と私は考えています。





それとはちょっと関係のない話かも、ですが、

「ママ」、「マリア」、「マドンナ」、、、と

私たちが「ま」と発音するとき、くちびるの上下が触れ合って離れます。

この音を口にするとき、無条件の愛の海に浸るような、なんとも甘美な気持ちになるのですね。

母という言葉も、昔は「はは」ではなく、「ぱぱ」に近い発音だったそうで、これもやはり唇が触れます。

マーヤという名前にも、そんな甘くて美しい意味合いが含まれているのだと想像します。



摩耶夫人は、出産のために里帰りする途中、ルンビニーというところで産気づいて男の子を生むのですが、花の枝を手折ろうと手を伸ばしたところ、右のわきの下から生れ落ちた、ってなってるんですね。

これはどういうことかというと、インド独特の階級制度というのがありますね。カーストです。
この階級によって、生まれ出る場所が決まっていた、という話なんです。

上からバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、スードラ、、、とあって、摩耶夫人は上から二番目のクシャトリヤ。

バラモンは頭から生まれ、クシャトリヤは脇から、ヴァイシャはおなか、スードラは足と決まっていたので、お釈迦さまは脇から生まれたとなっているとお聞きしました。

脇から生まれたことで、どの階級の人かを示したのですね。


そしてブッダは、カーストがあるためにやりたい仕事もできず、絶望している人々を救うべく行動した人。

ホンとはそんなものに縛られる必要ないんだよ。
カーストなんて支配者層が自分たちの都合の良いように勝手に作ったものなんだから。
そこから飛び出してもいいんだよ。


って言っています。

これ、今の私たちにも響く内容ですよね。



摩耶夫人は、後に目覚めた人=ブッダとなるゴータマ・シッダールタを生んだ後、わずか7日後に亡くなってしまいます。

その後、摩耶夫人が登場するのは、息子であるブッダが亡くなるとき。
涅槃図と呼ばれるブッダが横たわった絵図がありますが、その上空、雲に乗って迎えに来ているのが摩耶夫人です。

摩耶夫人はこの時、とっても人間くさくて、ブッダが死にそうだということに取り乱して、わが子よ、死なないでおくれ~と泣き叫んだり、病を治す薬を必死で投げてみたり、します。

お悟りを開き、偉大なる人になっても、息子は息子。
摩耶夫人はどこまで行ってもシッダールタのお母さんで、病気で苦しんでたら治してあげたいし、少しでも長生きして欲しいと願う人なんです。

それゆえか、摩耶夫人はお釈迦さまのお話の中にはちょっとしか出てきませんが、とってもみんなに愛されてて、安産、子育て、婦人病にご利益あり、として信仰の対象にもなっているし、東京国立博物館では飛鳥時代に作られた像が展示されてたり、グッズも売っています。

ちなみに昨日の投稿で描いた絵は、ここの像がモデルです。

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