先日、祖父のことを書かせてもらったが
何か書き忘れているなーと思っていたことを思い出したので。
母も祖父も
「今を楽しむ」ことを優先して大切にしている人だと感じた。
特に母は祖父(母にとっては父)を早くに亡くしたので
人生いつ何が起こるかわからない
と思っている所は大きいかもしれない。
以前、母に言われたことがある
「もし今、何かやりたいと思っていることがあるなら
やっておいた方がいいよ。
いつか時間が出来たらなんて思っていると
その時にはもうやりたいという気持ちはなくなっているんだよ」
母と祖父の話をしていたとき
母は私の父(母の夫のこと)のことを
「お父さんはなんでも『定年後、定年後』だったもんね。
何かしようと言っても。
それでいざ本当に定年後になったら
(大病をして)やりたかったことは何もできなくなってしまった。
かわいそうな人なんだよ」
と言っていた。
かわいそうな人かどうかは
周りからどう見えるかと
本人がどう思っているかは別だとは思うけど
この話を聞いたとき
きっと母は若い頃に
お金がなくとも
仕事が忙しくとも
もっと父と一緒にしたいことがたくさんあったんだろうなと思った。
父は父で、
家族を守らなくては
仕事をしなくてはと思っていただろう。
遊びたくなかったわけではないと思う。
祖父のアルバムを見て母は
「お父さん(母の父のこと)が生きて帰ってきてくれていたら
きっと色んなことをさせてもらえただろうな」
と言っていた。
私もそう思った。
この身軽な祖父は
きっと子供達と一緒に楽しいことを沢山してくれただろう。
祖父だって本当はそうしたかっただろう。
そして、何気ない話から
祖父の写真があることを初めて知り、
祖父の人となりの片りんを感じることができ、
ご先祖様や祖父が
こういう流れを作って
私や母をそこへ連れていってくれたんじゃないかなと思った。
そして、祖父は私や母に
「人生を楽しみなさい」
と伝えてくれたんじゃないかなと思った。
そんなのわからない。
本当の所は何もわからないけど
私がそう思ったなら
それでいいと思った。
私は父に似てなのか
義務に追われることが多い。
あれをやらなければ
家の面倒な事も
夫は一切しないので
私が全部やっている
夫はそういう点では祖父っぽいところがあるのかもしれない
そう言ってはあまりに祖父に失礼で
祖父が家の面倒事を祖母に押し付けていたのかはわからないが
夫は遊ぶことばかり考えていて
休日にしか面倒事を片付けられないのに
そういうことは私がやればいいと思っているのか
口ではやるやる言いながら
やるやる詐欺で
1年以上放置されていることなんてザラにあった
(過去記事)
母は何回か私の夫のことを
「出かけるのが好きだからいいよね」と言っている。
私としては父のように
面倒ごとを全部自分一人で引き受けてやってくれるだんなさんで
お母さんはいいなと思っていた。
なんだかこう書くと面白いものだなと思う。
母も私も自分が求めているのと違う相手を自分で選んできて。
そして夫に対しては
母や祖父については思えるのに
「今を楽しむ」ことを優先して大切にしている人だ
なんて思えないことも今書いていてわかった。
文章を書くって
こうやって自分で自分に気付かせるところがある。
話を戻すと
父も私も
「人生を楽しむ」
ということは一番後回しにしている。
「それでいいのかい」
祖父がそれを教えてくれたのかもしれないと今は思っている。