先日、3ヶ月ぶりに実家に行った。
父が退院してからは初めて。
父も母も思ったよりずっと元気そうで、ひとまず安心した。

夜、母と何気ない話をしていた時
私「お母さんって、いつも何かしてたよね」
母「私もそう思ってたの。そういう所、父親に似たみたいだよ」って。

私の幼少期、どうしてお父さんは毎日会社に行ってるのに
うちはこんなに貧乏なんだろうと不思議に思っていた。
それにはある事情があったことを、大人になってから
母からこっそり聞いたのだけど
子供だった私は恨みではなく、ただ素直に
「どうしてこんなにお金がないのに、子供を作ったりしたのかな。
 お父さんとお母さんだけなら、もっと楽に生きていけただろうに」
と思っていた。

でもそんな中でも
母は市のテニス教室に通ったり、
お習字を習ったり、
俳画を習ったり、
パート先の従業員達とスキーに行ったり
お金がなくとも、そんな中でもいつも何かしらしていたなと思っていたところだった。

私の母方の祖父は39歳で戦死している。
もちろん私は会ったことはないし、
顔も見たことがなかった。

祖母は昔の話を一切しない人だったし、
私も聞いてはいけないのだろうと
子供の頃から思っていた。
思い出したくもないだろうと思っていた。

母から「父親に似たみたいだよ」と聞いたときとても驚いた。
私は祖父について、顔はおろか、どんな人だったのかなんて
一切知らなかった。

私「え!そうなの?!そんな話一切聞いたことないんだけど」
と言うと
母がなんと、写真を出してきたのだ!

昨年、母の兄が亡くなって、
祖母の住んでいた家を引き払う事になり
その時、祖父の写真がたくさん出て来たのだという。

でもほとんどを母の弟が縛って捨ててしまったのだそう!
母はあわてて、まだ縛られていないアルバムを
数冊持ち帰ってきたのだという。

私は祖母の家で、祖父の写真を見たことがなかったし
きっとないのだろうと思っていた。

母が見せてくれた写真は
祖父と祖母の結婚写真と
数冊の祖父のアルバムだった。

初めて見る祖父は
もちろん今の私より何十歳も若く
そして母、母の兄、母の弟、
3人の子供がみんなそれぞれこの祖父のどこかに似ていた。

几帳面に書き込みされた
そしてセンスの良い装丁のそのアルバムから
祖父がどういう人だったのか、とても伝わってくる気がした。

いつも大勢の仲間に囲まれて
楽しそうに笑っている。

まだ戦争前、あの時代なのに、全国色んな所に旅行に行っていたようで
私が今でも行ったことのない所にも
たくさん訪れていた。
かなり行動力のある人だったようだ。

朝ドラとかぶるけれど
英語の勉強もしていたようで
外国の人と一緒に写った写真もあった。
英語でMr.〇〇とか
Hakone tripとか
祖父の字で書き込みがあった。

中には「不良4人男」という書き込みの下に
4人の楽しそうな男性と
一人一人の下に名字が書き込んであり
その中の一人が祖父だった。
こんなユーモアもある人だったんだ。

母には時々、とても文学好きな所も感じられる。
私と同じで商業高校卒業なので
そんなに文学に触れる機会はなかっただろうけど
祖父の本棚には菊池寛などもあったそうで
祖父は身軽で行動的な所と、文学好きな所と両方あったようだ。
そして母の言う通り、そういう所は本当に母に似ていると思った。

母はもっと勉強したかったんだろうと思う。
だから大人になってから
それを取り戻すように、自分の出来る範囲で
色んなことをやってきたんだと思う。

39歳で亡くなった祖父が
短い生涯、どんなだったろう、どんな無念だったろうと
思ったことは何度もあった。

でもこの短い人生が
ただ辛いだけでなく
こんな風に青春を謳歌していた時期もあったんだと
初めて知って
私は心の底から幸せを感じた。

自分の大切な人の幸せが
自分の幸せだという言葉が初めて理解出来た気がした。

そしてこの祖父と祖母の孫として
生まれて来れたことを本当に幸せだと思った。

今日はクリスマスイブ
この日にみんなが大切な人のことを思う
そんな平和な日でありますように