昔の話 第二章 | じりじり『人生こんなもの』

じりじり『人生こんなもの』

じりじりジィの『自叙伝』? 青春から壮春へ! くたばる前に? 書き留めて置きたい色々!!!じりじぃ鄕?になる前に・・・えぇ加減な奴が、えぇ加減に生きて来た? えぇ頃加減な雑記帳です!笑い飛ばしながら、読んでください
精精精

②健童子(ガキどもは)バイクを持たぬ暴走族!

その総長が良無五郎(ヨンナゴロ)!

当時バイクなんて無いし又知りもしない?オ-ト三輪の運転席がバイクハンドルで、ウインカ-は手動で矢印⇒を出してた・・・ハンドルを駆る時は席を左右に移動し、ひどい時は車の外へ放り出されてたね!

ミゼットはその後で、なんと!ドアが付いてた!縄屋と精米所だけが持っていたよ。

自転車の荷台にね!発動機を付けた「ボトボト」って言うのが時々やって来てみんな騒いでたけど!あれがバイクの始まりじゃなかろうか?民間人のね!
ペダルを力一杯漕いだらエンジンが掛かり走り出していた「ボトボト」昔の「ラッタッタ」だ!

中尾ミエが和製英語で何やら歌ってた!楽しそうに・・・昔のヤングである?♪私は夢見るシャンソン人形♪ってのを覚えてる。ダイアナとかもこの頃だろうか?

小学二年の時リヤカーを引いて隣町へ引越した。

まだ給食なんて無くて昼に熱いお茶がでかいヤカンで出てて、冬は「弁当温め」と言う戸棚の箱にブリキの囲炉裏とアルミ?の弁当を入れて、何もかも生温い昼食をとる!

貧乏組のオカズがみんな時化ていたのは当たり前の頃!鼻垂れて、しかぶって(オモラシ)、ズンダレて(服装がだらし無い格好で)みんながそうでした・・・。

夏は川で泳ぐのも授業の時間割にあった。

遠足と言えば山の分校まで歩き、一緒にその辺の原っぱで飯を食って帰って来る、キャラメルとチュウインガムとチョコレートが唯一の喜びの一日である。
又、巻き寿司/いなり寿司/にぎり飯/その他?と分かれる児童たちでした。
その他とは、各々お家の事情?が有りで「良い所の娘」が多い召に持って来るから!それを食い漁るのが?
友人関係!なのでした?♪幼なじみの想い出は青い「草原の空」の味がする♪なんてね

からかいは有ったけど。いじめは無かったと思う!けど、女先生のえこひいきは大胆に有ったね!酷かったねぇ・・・

私も学校に行かなかった事が何度もある。弁当を持って秘密の隠れ家に行き時間まで過ごして家に戻り、帰って来た友達と遊び、何くわぬ顔!
先生も何も言わん?どうでもいい生徒だったんだろうね?
私にとっても「どうでもいい先生」だったけど!。

朝起きると有明海から陽が昇る。日の出を毎日見ながら朝飯を食ってました。海沿いの家に間借りした部屋が二階だったから朝日が絵の様に綺麗だった!

ラジオで「パパ行ってらっしゃい!」と言う番組を聞くのが朝の日課で、夕方になると「お笑い三人組」とか「良太の村」たまに「大相撲」
♪アハハ♪ウフフ♪エヘヘのオホホで ダッフンダ? 違うか!
オーイ!鯨だぞ!鯨だぞぅ!って?誰も知らないだろうね。

江戸家猫八、東八郎、南伸介が、お笑い三人組?違うかったかな?
誰か先に亡くなったよね?・・・
話し変えよう!

学校で映画鑑賞が良く有ったねぇ!
戦果情報のなごりだろうかニュースが戦時中?みたいでした。月光仮面、まぼろし探偵、少年ジェット、文部省推薦映画と二本立てで観せてくれてました。

テレビか映画かわからんけど、紅孔雀、サタンの爪、鉄腕アトム、鉄人28号、ロ-ンレンジャ-、ロ-ハイド、鞭ムチと拳銃、シャイアン&ブロンコ、ライフルマン、名犬ラッシ-、笛吹童子、琴姫七変化、鞍馬天狗、矢車錦之助?、天馬天平!、てなもんや三度笠、とんま天狗、ナショナルキッド!・・・前後作が曖昧だなぁ???

当たり前だのクラッカーなんてねっ!全てモノクロでした!カラ-の前は「天然色」と言ってたんだぞぅ!ウツクシカァ!