どうして?知り合ったか聞いてはいませんが、親父と結婚し長崎で長男と次男が生まれました。
母の実家は、有明海で海苔を採る漁師です。汐に併せて船を出し、養殖網から手摘みの後、陸に揚げ「紙すき」の様にミス(巻寿司のマキス)の上に板海苔を造り、それを一枚ずつ台座に掛け天日に干し、充分に乾いたらミスから剥がして出来上がりです
綺麗な完成品で一枚一円から五円だったでしょうか?
今だったら十円から五十円?です!又、百円や五百円/枚!の値がつくのも有ります
親父の実家が長崎の離島で、近所の独り暮しの爺さまの家に夫婦諸養子となりました!
そして私(三男)が生まれました。
昭和二十九年の晩秋の頃でした・・・
私の本籍であるその長崎の島では駄菓子屋を営んでいたそうですが、親父は仕事もせず、たまに出稼ぎに出てはその金を使い果たして帰って来る生活だった!そうです・・・?
爺さまは亡くなり親父は自由し放題で、自給自足の貧乏生活だったと母は語ります・・・
そして母子は、私が四歳の頃に親父を残し実家へ逃げて来た!と言います。
やがて兄二人は親父に引取られ母と私の母子家庭が始まりました。
三間長家に住み、母は朝早くから夜遅くまで働き、顔を会わせるのは週に一度か二度?!
朝起きたら御飯と汁が有り、夜私が眠ってから帰還!・・・御飯も無い時は実家に行って私だけ食べていました!いとこ達が居たから遊びついでにね!?
嫁(おばさん)の機嫌が悪い時は他所の家に行って要領良く食べさして貰い!後で母に怒られ、それからパンの耳が頻繁に現れる様になりました?砂糖を付けて・・・
オヤツなのか食事なのか?
時々缶入りの水飴も箸に絡めて舐めました。
何処かのラジオから「あちゃこ」の漫才が聞こえていました・・・
花菱あちゃこ&エンタツだったかな?
相撲中継が何故か寂しかった・・・カラスが鳴くから帰っても、カラス(空巣)だった!
に~しぃ


近くの神社で悪ガキどもと遊んでる時は楽しかったのにカラスが鳴いたら・・・独りぼっちの寂しい幼少期でした。
近所の良無五郎(よんなごろ)ガキ大将が色んな遊びを教えてくれました!
山の鎮守の奥で細い竹を切り紙球鉄砲や刀(刀身、柄、鞘付き)や弓矢、釣竿、罠の仕掛けなど!を作ってね・・・しなる?細竹の刀でバシッ!と斬られると痛いのなんの~
当時、二軒だけテレビが有って集団で見に行き、月光仮面や白馬童子、風小僧、恐怖のミイラ、ジャガーの眼、ハリマオ、七色仮面、隠密剣士(霧のトンベイ、伊賀忍者、甲賀忍者、風魔一族)
そんなのを見て海岸から田んぼへ、線路を越えて畠山へ、神社の裏の山林へ「忍者部隊・月光」?みたいにはしゃぎ廻ってました
海と山と近かったから、自然のオヤツは年中有りました!
海岸で牡蠣を焼き、山で枇杷や野苺、三太郎、グベ、イチジク、柿、ざくろ等!
虫に刺されながらも食べ放題でした。
しかし!その場所を知っているのは、良無五郎! ヨンナゴロのガキ大将だけで・・・
みんな金魚のフンみたいに着いて廻り、幼少の「バイクを持たない暴走族」でした?
海外ドラマで「ちびっこ大将」ってやってたよね?
石頭のカァリィとか列車に轢かれそうになると髪が総立ちになるパリ-ナとか・・・「三バカ大将」てのもあった!カァリィはこっちだったかな? アメリカンーコント でしょうか!?