韓国のことわざに「10年もあれば、川も山も、形が変わる」というのがあります。
世の中の変化の速さを大げさに言っているものですが、上の動画の見ながら、ふとその言葉が頭をよぎりました。
留学生活を終え、結婚を機に再び来日して14年目となりますが、その間韓国社会は、目に見える部分だけではなく、本当に様々な変化があったように思います。
その中でも、上の動画とも関連して言えるのは、個人主義の浸透ですね。
大分前、日韓文化の違いを聞かれた時に、食事の仕方を見たら、一目で分かると答えたことがあります。
「ウリ(우리)文化」(他人と自分の区別をはっきりしない文化)とも言われる韓国では、日本と違って、あまり別皿を使わずに、みんなが一緒におかずをシェアするのが普通です。
(もちろん、このようなやり方は、日本の一般家庭でも見受けられますが、韓国の方がより徹底していて、孤食を嫌う傾向も強いと感じます。)
また、給食がなかった時代(私の高校時代まで)には、家から持ってきたおかずを友達とシェアするのが当たり前でした。
私はこの「食卓の上で食べ物を共有する習慣」が、ある意味で、韓国人の人間関係の基礎を作っていると思ったことがあります。
さて、毎日、目の前にあるおかずを全員で共有することは、どういうことでしょうか
それは、
① まず、自分の取り分を何となく見計らうことからスタートし、
②相手の食べ具合を常にチェックしながら、
③自分が多めに取ってもいいのか、いちいち聞かずに判断しないといけなかったり、
④相手が自分の分までとっている場合は、そのワガママをどこまで許すか考えたり・・・・
こう書いてみると、考えることが多すぎで、食欲なんか全部なくなりそうですね。(笑)
しかし、日々食べ物をシェアすることで、(少し短絡的な言い方ですが)、お互いの欲求をうまく調整するスキル、もしくは、何かをさり気なく分けあう優しさや損得のバランス感覚を身に付けることができるのではと思います。
私が実際に、食事の仕方と人間関係について考えるようになったきっかけですが、初めて夫くんが韓国の実家で食事をしていた時に、殆どおかずに箸を付けずにいたことからです。
一般的に、自分が意思表示をしない限り、相手も素直に自分のことを主張できなくなりますよね。
それが、夫くん(一人っ子で、生れ付きの性格はKYだが、たまに空気を読み間違えて、一人で暴走するタイプ、また、思い込みの激しさについては、右に出る者はいない)が、遠慮のつもりで、モクモクと下を向いて白ご飯ばかり食べていたので、他の家族全員もそれにつられて、ご飯しか食べられなかったという、今も笑えないエピソードがありました。
シェアする食事文化では、目に見える形でないにしろ、必ず自分の意思をはっきりと伝えることが求められ、また、他人の意見もしっかりと把握しておく必要が出てきます。
それは、他人との共存の術を学ぶ上で、とても効果的で、また、コミュニケーションのいい勉強にも繋がると思います。
話が上の動画に戻りますが、年に2,3度の帰省で感じたことは、確かに韓国の実家でも個人の皿の数が年々増えているという印象がありました。
韓国人もついに、自分と他人の食べ物が別々に用意される快適さに目覚めたのかなと、それと同時に、その個人主義の流れはもう逆行できないものだと感じました。
でも、私はどうしても、韓国のあの古き良き時代の食事のやり方が良かったと、思ってしまうのです。
上の動画からも窺えるように、個人主義が「孤人主義」になりつつある、そして、そのような悲しい現実の中で、人同士の本当の心の交流も薄れてきているように見えます。
学生時代、一人で食事をしていたら、あまり親しくないクラスメート達が心配そうな眼差しで「大丈夫?良かったら、一緒に食べよう」と声をかけてくることがありました。
それは、まさに韓国の食事文化そのものでしたが、当時一人でも平気だった私は、正直、「少し、面倒くさいな~」と思っていました。(ごめんね。友よ)
しかし、今となっては、その絡んでくる優しさが、とてもありがたく、そして懐かしいです。
もし、誰か一人さみしく食事するのを見かけたら、今度は私の方から「大丈夫?良かったら、一緒に食べよう」と、そっと、声を掛けたいですね。
韓国の宮廷食をテーマにしたドラマ「チャングムの誓い」から♪