いい出来事と悪い出来事 | アメリカの大学院で勉強する、舞のもぐもぐブログ

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旧『ベナンで活動する舞のもぐもぐブログ』 

2008年6月~2010年6月の2年間、青年海外協力隊として西アフリカのベナンという国で活動しました。

2012年8月から2014年5月まで、アメリカのブランダイス大学院(Brandeis University)で国際開発学を勉強しました。

ある日、お父さんがこんなことをしみじみと語った。

「60年以上の人生を振り返ってみると、
いいことと悪いこと半々だった。
人生とはそういうものだ。」

私「・・・。全然そうは思わない。
 いいことと悪いことって、そもそも誰が決めるの?」

「そりゃ、小さいことは人によって違うかもしれないけど、
大きなこと、例えば・・大きな病気や会社の倒産、事故は
誰にとっても悪いことだ。」

それでも納得ができずこの後、
しばし熱い議論が続いてしまった。

私には最近1つ悟ったことがある。
それは、人生においていい出来事も悪い出来事も無いってこと。
つまりただの出来事が起こるだけで、
それが良いか悪いか、
私たちが勝手に意味をつけているだけだってことを。


交通事故にあった
会社が倒産した
病気になった

確かに一見悪いことに見えるこれらの出来事も
本当にそれは悪い出来事と言えるだろうか?

その後の人生の展開次第では、
良い出来事と思えることもあるのではないか。

だから結局、良い出来事とも悪い出来事とも一概に、言えない。


なぜかTOEFLの参考書にこんなことが書いてあった。
『人生の10%は出来事である。
残りの90%は出来事に対する反応である。』


世の中で成功していると言われている人達は、
みんなが 「悪いこと」 だと思っている出来事を
「悪いこと」 ととらえない。
だから、気持ちを切り替えて前向きに生きていくことができる。

人間だから嫌な思いをしたり落ち込むことはもちろんある。
だけどその後の反応の仕方で、いくらでも立ち直ることはできるし
人生を切り開いていくことができる。

伊藤真さんも言っていた、
「起こった出来事は変えられないが、
後からいくらでもその意味や解釈を変えることはできる」、と。

伊藤さんは昔1日20時間の猛勉強をして
司法試験に臨んだが一度落ちてしまったことがある。
その時はあまりの絶望に、目の前が真っ暗になったけど
今となってはあの時落ちてよかった、と思っているのだとか。

今司法試験を目指す人のための塾を開いていて、
落ちた人の気持ちを分かってあげられるし、
たとえ落ちても 「あの時がんばってよかった」 と思えるような
カリキュラム作りを心がけているからだ。


出来事の解釈の仕方に、
その人の人間性や人となりが現れる気がする。

そう考えると、今目の前で起こっている出来事に
一喜一憂しなくてもいいことが分かる。

そして、起こった出来事だけ並べて他人と不幸を競っても、
全く意味が無いことも分かる。

人生は、起こった出来事だけでは決まらない。
結局自分次第、ということ。

今ここだけを見るのではなく
長い目で、広い視野で見ることができたときに
それがよく分かるんだと思う。得意げ