今後の自分の生き方について
あらためて色々と考えさせられた。
日本に帰ってしばらくすると、
現実的な問題が色々と見えてきたからだ。
日本はいくら生活レベルが豊かでも、
問題は色々とあって、
みんな平穏な日常生活を守るのに必死なんだなって思う。
30歳手前にもなってくると
周りで夢を追いかけ続けている人はほとんどいない。
なんか、私ばっかりこのまま
好き勝手生きてしまっていいんだろうか・・。


ベナンから帰ってきた今、
前に持っていたような
アフリカのために何かをしたい、とか
世の中を良くしたい、みたいな
切迫感とか熱い情熱みたいなのはほとんど無くなった。
それでも、このまま国際協力の道へ進みたい
という気持ちだけは変わらない。
なんでなんだろう・・?

そんなある日、
6年ぶりに自分の部屋を 大掃除

中学生のときに書いた作文を見つけた。
その作文を読んで、びっくりした。
ちょこっと抜粋


題名 『私のできないボランティア』
私がはじめてボランティアに興味を持ったのは、
小学校2年生のときでした。
そのときの私はよくお母さんから、
まずしくて、食べものもろくに食べられない
外国人がいることを聞かされていたのです。
だから外国に行ってまずしい人たちに
食料をわけてあげたいと思いました。
しかし、その思いもいつかなくなり、
今、外国にとても行きたいですが、
そういう国には行こうとは思わなくなってしまいました。
ー中略ー
中学生からボランティアは大切なことだと、
感じるようになりました。
でも、障害を持った人達や、
お年よりへのボランティアはどうしてもできません。
ぜったい普通の人を見る目とは、
違う目で見てしまいます。
さみしそうなお年よりや障害者を見かけたとき、
同情すると同時に、あんなふうにはなりたくないと、
きっと心の奥底で思っています。
そういう自分がいやだからです。
でも、いつ自分や、周りの人達が障害を持つかわかりません。
そうなる前に、早くそういう
自分の物の見方や考え方が変わればいいなと思います。
そして、人に接するボランティアが好きになった時、
小学校2年生の時に夢見た、
”外国に行って、貧しい人達に食料を分けてあげる”
を実現したいと思いますーーーー。
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私がこの10数年後、
青年海外協力隊としてアフリカに行き、
目に障害を持つ人達と一緒に活動するなんて
中学生の私は考えもしなかっただろうなぁ・・。
そんなことよりも。
私が国際協力という進路に興味を持ち始めたのは
大学3年生のとき。
中学生のときは何がやりたいかなんて
さっぱり分からなかった。
この作文を見つけたとき、
何か逃れられない宿命みたいなのを感じた。
うまく言えないけど、
根本的なところでこういう風に
生きてくことになってるんだなっていう・・。
なんか、いい意味であきらめがついて肩の力が抜けた。

どこまで行けるか分からないけれど
やっぱり流れに逆らわず、
このまま生きていってみよう、と思った。

P.S. 昔の何気なく書いた作文に人生のヒントが隠されていることも。
機会があったら見直してみるのもいいかも!?