湊かなえさんの『落日』のネタバレ感想になります。
 

あらすじ

脚本家の甲斐千尋は、新進気鋭の映画監督・長谷部香から、新作の脚本を書いてほしいとオファーを受ける。現時点で考えているのは、「笹塚町一家殺害事件」を題材にしたもので、ぜひ笹塚町出身の千尋に事件についての詳細を教えてほしいと言う。

 
決して自分の仕事が評価されたわけではなく、ただ地元の人間というだけで声をかけられた千尋は、最初オファーを断ってしまう。しかし、師匠の大畠に香との仕事を奪われそうになるや否や、悔しさのあまり勢いで「自分が受けた仕事だ」と言ってしまう。
 
こうして再度、香に連絡を取り、一緒に映画を作ることになった千尋だか、取材を進めるに連れ、次々と不可解な噂を耳にすることになる。
 

笹塚町一家殺害事件とは

引きこもりの長男が高校生の妹を滅多刺しにした後、自宅で寝ていた両親もろとも放火して死に至らしめた事件。犯人の立石力輝斗は中学から不登校で、高校には進学しておらず、バイト生活と引きこもりを繰り返していた。一方、殺害された妹の立石沙良には、事件後、重度の虚言癖があったことが判明し、一家は世間から大バッシングを受けることになった。

虐待の疑い

香がこの事件を映画にしたかった理由は、殺害された沙良にある。実は幼少期のほんの短期間だけ、香と沙良は同じアパートに住むお隣さん同士だったのだ。当時、幼稚園児だった香は、母親から教育虐待を受けており、課題のドリルにミスがあるとベランダに出されていた。その時、同じようにベランダに出されていたのが、お隣さんの子供・沙良だった。ベランダは防火壁で遮られていたため、姿は見えないものの、互いの存在を認知していた二人は、手だけでコミュニケーションを取って励まし合っていた。のちに、スーパーで初めて沙良と対面するが、その後すぐに香は引っ越してしまった。

沙良の虚言癖

千尋は従兄の正隆からの情報提供で、彼の元カノ・イツカさんが学生時代の一時だけ沙良と親友であったことを知り、繋げてもらう。イツカによると、沙良は「特別」な人間を嫌っており、ジュニアオリンピック出場を期待されていたイツカもその例外ではなかったと言う。しかし沙良の本性を知らなかったイツカは、大会前日に壮行会をすると呼びだされた場所で大ケガを負わされ、足が不自由になってしまったのだ。また、沙良は校内一の秀才で人気者の男子と付き合っていたが、彼の目の前で彼の親友と浮気し、のちに身を引いた彼をストーカー扱いして、不登校になるまで追い詰めていた。実は沙良と同じ小学校出身の子は、彼女の本性を知っていたため、誰も近づかなかった。しかし、それを知らない他校出身の子たちは、まんまと彼女に「私は東京から引っ越して来たから、話し方が気取っていると一軍の女子からいじめられていた」「生まれつき心臓が弱い」などと嘘をつき、同情を誘っていたのだった。

何を知りたいのか

取材を通して、幼い頃に励まし合った「手」が、沙良ではなく力輝斗であったことを知った香は、自分が何を知りたいのか自信が持てなくなっていく。これまで辛い時は、ずっとあの「手」を思い出して踏ん張ってきたのに、その人は人殺しになっていたのだ。なかなか現実を受け入れられなかった香だが、千尋が想像する力輝斗の半生を描いた脚本を読んで、真実を知り続けるために映画を撮ることを決心する。

 

自殺

長谷部家が引っ越した理由は、父の自殺が原因だった。それによって親子は母方の実家へ戻り、祖母との三人暮らしが始まった。しかし、自分が原因で夫が自殺したと思っている母は、精神不安定になり、父にそっくりな香を見るとパニックを起こすようになった。そのため香は、父方の祖父母に預けられることになり、再び一人で引っ越すことになったが、皮肉にも、ここでようやく母の虐待から逃れ、安定した生活を手に入れる。

 

一方、千尋も最愛の姉・千穂を交通事故で亡くしている。ピアノの才能があった千穂は、周囲からピアニストになるように期待されていた。しかし本人は天才が故の悩みを抱えており、しばらくピアノとは距離を置きたがっていた。そのため母とちょっとした言い争いになり、さらに悪いタイミングで、好きな人とこそこそ会っていたことまでバレてしまい、大激怒されていた。そんなある日、千穂は信号無視をして車道に飛び出したところを車に轢かれて亡くなってしまう。その日から母は狂ってしまい、千穂は死んだのではなくパリに留学したことにしてしまった。父は千尋には母の設定に付き合うように促し、それは母が亡くなった今も続いている。

自殺ではなかった

しかし、千穂の死は自殺ではなかった。あの日、千穂は同級生の沙良から「お兄ちゃんが自殺未遂したからすぐに来て」と連絡を受けていたのだ。しかしこれは沙良の罠だった。彼女は単に兄に内緒で千穂を家に呼んだらどんな反応をするのか見たいだけだった。いつも兄に嫌がらせをしていた沙良は、兄の想い人が千穂だとわかると、からかってやろうと思ったのだ。しかし、千穂は沙良と自転車で現場へ向かう途中、急ぐあまり、赤信号を無視して事故に遭ってしまった。さすがの沙良にもこれは予想外の展開で、大慌てでその場から逃走してしまう。実はこれが死の真相であったが、沙良がこのことを黙っていたため、甲斐家の中では自殺と処理されてしまった。

香の罪

さらに香にも罪があった。自分の中に父の名残りを感じたい香は、父を真似ることで精神を保っていた。中学時代、祖母から「お父さんは正義感の強い子で、いじめられていた子を救った」という話を聞いてから、自分も下山といういじめられている男子に優しくするようになった。ある日、香は下山から公園に呼びだされて映画に誘われたが、受験勉強を理由に断った。すると下山は性暴力を加えてきたため、香は思わず暴言を吐いて突き飛ばし、その場から逃げ去った。その後、下山は自殺した。遺書には香に対する謝罪文だけが書かれていた。そのため香は、下山の母から「あなたの正義は自己満足だ。どうして映画の一つくらい行ってやらなかったのか?あなただけは他と違うと思っていたのに、裏切られ、息子はショックを受けたのだ」と責めたてられ、不登校になってしまった。

 

ただ、実際のところ遺書は複数枚存在した。そのうちの一枚には、下山の自殺理由が書かれており、そこには母親が原因であると綴られていた。それを読んだ長女が母の精神を慮り、遺書を破棄・捏造して、香のせいにしてしまったのだ。

 

真相

もの凄い自殺率と虐待率と天才率。それぞれが身近な人の死を背負って生きています。

 

ここからは考察になりますが、おそらく力輝斗は父親と血が繋がっていないのでしょう。本当の父親はイケメンだったのか、力輝斗は誰が見ても綺麗な顔立ちをしていた子だったのと思います。それに嫉妬していた沙良は、兄が憎かったので、両親の虐待に積極的に参加していたと見られます。また、沙良は天才だと呼ばれる人間すべてに嫉妬していたのでしょう。だから元カレやイツカ、千穂のことも目の上のたん瘤だったのだと思います。

 

一方、天才サイドに置かれた人たちは、そういった扱われ方に疲弊していました。特に千穂は、自分ばかりちやほやされることに恐縮しているようにも見え、優しい分、とても辛そうでした。香の母と同様に、千穂の母にも教育虐待的な要素があったのだと思えますが、その母たちもまた、沙良のように酷い劣等感に苛まれていたのだと思います。まさに無限のループ。誰も救われません。

 

そんな千穂にとって救いとなったのは、ピアノ教室の途中にある公園で会う少年でした。ピアノのスランプを乗り越えるには、ピアノのせいで禁止されていた鉄棒の逆上がりができるようになればいいのではないか。そう思った千穂に、逆上がりのコツを教えてくれたのが力輝斗だったのです。二人は公園での密会や、手紙のやり取りを通して淡い恋を育むようになりますが、それを知った沙良がすべてをぶち壊したことで、あの事件へと発展したのです。

 

暗い話の中で、唯一の光は、香の父が自殺ではなく事故死だったということ。この映画の取材を通して、あの日父はキレイな夕日が見える海に行っており、そこで波にのまれてしまったことが判明します。それを教えてくれたのは、父が行きつけにしていた喫茶店の仲良しメンバーたち。事故当日、父は次に観る映画を楽しそうに語っており、全シリーズをコンプリートすると意気込んでいたようです。ちょうどそのとき、絶景スポットの話になり、父は夕日がきれいな場所をオススメされ、時間帯によっては危険な場所だから、今度みんなで行こうとなったのですが、先に一人でそこへ行ってしまったようで・・・。おそらく次に喫茶店に来るときに「行って来ました!」と方報告したかったのだろうということでした。

 

真相を知るにつれ、知ることに躊躇してしまっていた香も、ようやく「知ろうとしてよかった」と思えるようになります。また、姉の死を受け入れずにきたことで、現実から目を背け続けてきた千尋も、映画作りを通して、ようやく現実を正面から見る勇気を持ちます。実は「千尋」とは千穂の名前から一字貰ったペンネームで、彼女の本名は甲斐真尋と言います。こうして二人は、知って傷つき、知ってわかったことで、次の人生へスタートを切れるようになったのでした。

 

総評です

 

評価4.3/5

天才型、努力型というが、正隆の「努力しない天才がいるわけがない」という言葉にはその通りだと思った。さらに、香の「この認識が合っているかわからないけど、実際に起きた事柄が事実、そこに感情が加わったものが真実だと、わたしは認識している。裁判で公表されるのは事実のみでいいと思う」いう考えは、この物語の核となる一文だと思った。力輝斗は死刑を望んでいるが、実際の精神鑑定(責任能力あり)には誤りがあったと思われる。彼が妹を殺したのは事実だが、他のことは死刑になるために、嘘をついているのではないか。香との再会をきっかけに自分の命も家族の命も同じように大切であることに気づいて生きて欲しい。

 

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