書評「世界のすべて」畑野智美

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今回は3分以内で読めるレビューです。

 

★★☆☆☆

 

 普通ではない人たちが普通に暮らす日々

 

畑野智美さんは前作『ヨルノヒカリ』で、アロマンティック・アセクシャルに悩む男女の姿を描いていました。彼らのように、恋愛感情がない、性欲がない人たちの存在は、これだけLGBT関連の小説が溢れかえる中でもまだ少ないので、とても興味深く読ませていただいたのですが、今作『世界のすべて』は、そこからさらにLGBTQを盛り込みまくった物語になっています。

 

アロマンティック・アセクシャル、ポリアモリー、デミロマンティック、フィクトロマンティック、ポリアモリーなど、これでもか!という”みんなと違うことに悩む人たち”が登場します。しかもその全員が街の小さなカフェに集うという奇跡。そんなことはあり得るのだろうか?と思いつつも、もしかしたら「普通はあり得ない」という偏見がそう思い込ませているだけなのかも?と考える一冊になっています。

 

正直、この手のテーマと「カフェ」という舞台は、近年の小説において飽和状態なので、そろそろ違うものを読みたい気持ちはあります。ただ、「しかしこの小説には何か他と違うものが得られるかもしれない」という思いから、つい手を伸ばしてしまいます。

 

そんな数あるLGBT関連の作品の中で、本書が伝えているのは「自分は普通ではないと悩んでいる人でさえ、他人に対してはいろんなことを決めてつけて見てしまっている」ということ。

 

自分の見えている範囲がすべてだとは思わない、何でも「これが当たり前」という「前提」ありきで考えないことが大事だと伝えています。

 

 彼女たちは脇役ではない、これが世界のすべて

 

あまりにも多くの性的マイノリティを持つキャラクターが登場するので、一人一人のリアリティーさは薄め。そんな中、個人的に気になったのは、主人公ではなく、その友人で推し活をしている瀬川さんと、「普通」ではない人をアクセサリー扱いするコトリさんです。

 

瀬川さんは男性アイドルのメンバーにリアコしている二十八歳。年齢的にも周囲から「結婚しないの?」「彼氏いないの?」「アイドルなんていつまでも追っかけてバカみたい」などと言われ、窮屈なおもいをしながら生きています。けれども彼女は生身の異性に興味を持つことができず、本物の恋愛にはならないアイドルを推すことでドキドキ感を補っています。

 

実はコレって「恋愛から逃げてるだけ」と思われがちな代表例だと思うのですが、本人は真剣に「リアルな男は無理」だと思っています。だからこそ、現実でもこれだけのアイドルブームがあるわけで・・。しかし瀬川さんは「自分でも自分がまだわからない」と言っており、もしかすると(可能性は低いけれど)これから先リアルに素敵な人ができて、恋愛感情を持つかもしれないため、自分がフィクトロマンティックであるかどうかは「保留」にしています。

 

瀬川さんのように、ほぼ決定的にフィクトロマンティックであっても、恋愛ができることを証明するより、できないことを証明するほうが、自分にも他人にも難しいものがあると思います。ただ、瀬川さんと「同じだ」という方は実際とても多いのではないでしょうか?彼らはアイドルが好きだからリアコになるのではなく、生身の人間に恋愛感情がないからアイドルに疑似恋愛をするのに、世間からは勝手にモテないオタクの開き直りのように扱われています。

 

一方、女装が好きな北川さんと男女の関係にあるコトリは、自身は「普通」であるのに対し、なぜか「普通ではない人」たちと交流を持つことで、自身も「普通」から抜け出そうとしています。これもよくSNSなどでも見かけるパターンで、同性愛者やトランスジェンダーの人たちと撮った写真をインスタなどにアップすることで、「私は特別な人たちと繋がりのある特別な人間なんだよ!」というアピールをしているのです。しかし、彼女の場合はそれを見抜かれているので、少し恥ずかしい立ち位置になっています。それでも懲りずに、今度は勝手に主人公を「普通」だと思い込み、「自分よりも普通の人間」と付き合うことで、自身を特別に見せようとしますが、それも失敗に終わります。

 

 変わりゆく世の中で考え続ける

 

 

人間が体感できないくらいのスピードで、世の中は変わりつつあるのだと思う。たまに、大きく後退してしまうことが起きるが、確実に前へと進んでいく。テレビでは、バラエティ番組であっても、容姿や性別や年齢を笑いにすることはなくなった。恋愛や結婚をテーマにしたドラマはあっても、みんなが「当たり前に、こう思っている」ということを前提にしたものは減った。女性と男性を区別したような、クイズ番組も少なくなっている。ぼんやりとチャンネルを変えつづける。昔よりも、テレビはつまらなくなったのかもしれない。でも、傷つけられる人が減ったのであれば、その方がいい。P276

かつてはバカにされていた瀬川さんの推し活は、今では立派な趣味として認知されつつあり、コトリのような人間も見透かされるようになっています。たとえよくわからないことでも、それを否定したり、自分の普通を相手に強要することは、年々減っているのだと思います。

 

それでも悩んでいる彼らに答えを出せる人は誰もいないし、自分自身で考え続けていくしかありません。自分のことを「普通」だと思っている人も、それが自分で選んだ結果なのか、世の中の前提に素直に従った結果なのかはわかりません。

 

自分は何者なのか。誰しもそういうことに疑問を抱いたら、今ある自分とは違うものが見えてくるかもしれません。だからこそ、自分について考え続けることは人生を豊かにするためにも必要なのでしょうね。

 

最後に関連本を紹介します。

 

まずは冒頭で話したアロマンティック・アセクシャルの男女が登場する『ヨルノヒカリ』。こちらはテーマをぎゅっと絞っているので本書より読みやすいです。

 

 

女性同士の恋愛を描いた傑作はコチラ。これ以上に美しい小説はなし。

 

 

ポリアモリーの女性が登場する小説はコチラ。複数人との恋愛が理解できなかった私に、その心情を教えてくれた一冊にもなっています。

 

 

何かを隠しながら生きるほど辛いものはありませんね。

 

お次は”定番”の、LGBT、コロナ、カフェ、クリニック系以外の小説にいきたいと思います。以上、『世界のすべて』の感想でした。