今回ご紹介するのは櫛木理宇さんのシリアルキラーサスペンスになります。

 

 

 

 似た者同士

 

聖ヨアキム学院中等部に赴任した英語教師の鹿原十和子は、自分に似ていたという教師・戸川更紗が14年前に学院で何者かに殺害された事件を気にしています。それには理由があり―

 

十和子と更紗にはいくつもの共通点がありました。同じ出身校、同じ教授のもとで同じコースを専攻、同じ英語教師という職業。それだけでなく共にクリスチャンで、ずっと母親の言いなりになってきた生い立ちまでそっくりです。しかし十和子は更紗との最大の共通点は、アセクシャルであるということではないかと疑っています。

 

ふたりは接触の機会がないまま、更紗がこの世を去ってしまうのですが、両方を知る人たちから十和子は「見た目は似てないけれど雰囲気がそっくりだ」と何度も身内に間違われます。その雰囲気というのは「聖母のような穢れのなさ」。誰にでも優しくて、真面目で、信頼できる存在だということ。

 

人々は彼女たちを前にすると、甘えたくなり、その愛を独占したくなるのでした。

 

 

 

 理想のママ

 

しかし、時に独占欲は人を狂わせます。実はこのふたり、生徒から好かれすぎるあまり、とても怖い経験をしています。ただでさえ理想の教師として好かれているのに、家庭環境が良くない男子生徒からは「理想のママ」として歪んだ好意を寄せられていたのです。彼らのおもいはいつしか「自分たちだけのママでいてほしい」「先生には子どもを持ってほしくない」「先生はそんな人なんかじゃない」と危うい方向へ進んでいきます。

 

その思想の先頭にいたのが、連続殺人鬼の八木沼武史です。八木沼は元担任の更紗にいまだ異常な執着をもっており、同タイプの十和子のことも「理想のママ」として目をつけています。ただ八木沼が殺すのは彼女たちのような「利口で奉仕的なママ」ではなく、それとは真逆の「愚かなママ」でした。

 

少しグロテスクな内容になりますが、八木沼はデリヘルからターゲットの熟女を選んでは、頃合いを見て殺し、遺体から臓器を取り出して、その上で胎児のように丸まって寝ることをたのしんでいました。

 

 

 

 ASMA

 

十和子には離婚寸前の夫がいます。理由は十和子が夫に対し無関心だったから。この夫も問題ありな人ですが、十和子は自身がアセクシャルであることを隠して結婚したことを申し訳なく思っています。そもそも十和子が無理をして結婚したのは、母親の期待に応えるためでした。生まれてから一度も母親に逆らったことがない「良い子」の十和子は、自分の気持ちを押し殺しながら母親の理想に沿って生きています。教師になったのも、夫と結婚したのも母親のため。常に十和子の頭の中には母親の命令―強迫観念のようなものがありました。

 

そんな十和子が唯一、母親の理想に従えないと思うのが夫との結婚生活でした。ある日、十和子は更紗の元夫・戸川拓朗からASMAという性的マイノリティたちが活動するサークルに誘われます。そこには十和子と同じアセクシャルだけでなく、ズーフェリア、レズビアンのマゾヒスト、人形と結婚した人、架空の人物にしか恋愛感情を抱けない人など多くの友達がいました。

 

なんと戸川夫婦は互いにアセクシャル同士だったそうで・・。拓郎は元妻とそっくりな十和子を見て、「もしかして」とずっと気にかけてくれていたようです。それと同時に十和子の過去を知り、このままでは更紗と同じ運命をたどってしまうのではないかと危惧します。詳しくは言えませんが、実は十和子も前にいた学校で殺された更紗のような目に遭っています。前回は命に別状はなかったものの、次はないかもしれない。それは拓朗だけでなく、学校関係者たちも同じように思っています。

 

 

 

 樹里

 

十和子のクラスには保健室登校の生徒がいます。名前は市川樹里。摂食障害を患っており、見た目はガリガリ。母親の美寿々からネグレクトされた挙句、孫を産めと妊娠させられそうになったところを運よく保護され、現在は学生寮に入りながら学校と寮を行き来しています。この美寿々という母親が問題を抱えていまして・・。これまで17回妊娠して、4回流産、12回中絶したというのです。産んだのは樹里ひとりだけ。その理由はなかなかハッキリしませんが、真実を知ったとき心の底から怒りが溢れるでしょう。

 

もちろん親子仲は最悪。満足な教育を受けていない樹里は野生児のような子ですが、十和子と出会ってからは自分の尊厳を取り戻すかのように成長してきます。そして樹里もまた、性的なニオイが漂う環境で育ったせいか、自身を女とも男とも認めたくない問題に悩まされています。

 

そんな樹里も言います。

 

「鹿原先生が本当のママだったらいいな」「先生は理想のママだよ」

 

 

 

 感想

 

ネタバレのない範囲でいうと、結局は十和子と更紗は迷える子羊たちにとっての「理想のママ」でした。それに加えてクリスチャン。まさに聖母だったのです。だからこそ誰のママにもなってはいけないし、なってほしくない。そんな風に羊たちから思われてしまう存在でした。

 

そういう者をひきつけてしまうのは、ふたりが持つ独特の雰囲気が原因になっていました。異性を感じさせない清らかさ。子どもたちだけを愛してくれる保護者としての清らかさ。そういうものだったのだと思います。献身的・奉仕的だった彼女たちの根っ子は、優しさで構成されているため、人はみな彼女たちに甘え切り、彼女たちの中にそれぞれ自分のみたいものを見ていました。先生こそがぼくたちのママだ!聖女だ!と。

 

勝手ですよね。生徒も、彼女たちを育てた母親も、自分が楽をしたかっただけ。彼女たちがどんなに頑張って期待に応えても満足することなく、その幸福を当たり前だと信じ、要求し続けた結果が更紗の死だったわけです。幸い十和子は間に合いましたが、この罪は重いので自覚してほしいですね。彼女たちがこんなに優しくて、しっかりしているのは、聖母だからではなく、幼少期から母親のご機嫌取りをしてきた結果に過ぎません。不運なのは賢いあまりにそれができてしまったことです。

 

 

私が印象的だったのは、父親から性的被害を受けきたASMAのメンバーが、自身のセクシャリティを後天的か外因性のものではないかと悩むシーンです。

 

 

 

「父のセクハラがいやだから、性一般が苦手になったのか。”苦手”と”興味なし”の境目はどこにあるのか。わたしにはなにひとつ、わからないんです」

 

「いまのあなたは自身を肯定してあげてほしい。先天的だから是、後天的だから否、なんてことはないんだから。大事なのは、現時点のあなたです。いまのあなたと、これからのあなたが幸せになる方法を、みんなで考えましょう」(P258)

 

 

触られるのが苦手な十和子も、ASMAの友達との出会いによって、「人はその人のことを知りたいと思えたとき、はじめて触れたいと思うのではないか」と気づきます。大丈夫、異常じゃないよ、孤独じゃないよ。そう思えたとき、親愛の証として手を握りたくなる。夫から氷のように冷たいと言われた自分にも、そういう感情がある。愛情とは「欲望」だけでなく、誰かとこうして輪をつくることも同じなんだ。こうして十和子は色んな種類の愛情があるのだと安心します。

 

 

 

「男も女も、両方好きな人だっているでしょう。逆に両方好きじゃない人もいる。それは、そういう人だっていうだけのことなの。なにを好きだろうと嫌いだろうと、変ではないのよ。問題は―他人や自分を傷つける人になってしまうか、そうでないかだけ。誰かを嫌いだからって攻撃するとか、社会とうまくやれなくて弱い誰かに八つ当たりするとか、または自分を痛めつけるとかーそういうのは、いけないわ。(略)無理に克服しようとか、自分を変えようなんて思わなくていい。なにが正常でなにが異常かなんて、誰にも決められやしないんだから」(P326)

 

 

性愛のかたちは自由。しかしそこに暴力性が加わるものは認めない。レイプ、痴漢、盗撮、ネクロフィリア、ペドフィリア。己の未成熟さを他人に委ねてはいけない。女性のアセクシャルは、男性よりも神格化されやすく、勝手に清潔の象徴にされがちです。自分に見向きもしない女性たちに比べ、性の匂いのしない彼女たちは安らぎの存在です。また、アセクシャルを理解できない人からは、「オレならお前を惚れさせられる」と犯罪まがいの行為をされる危険性もあります。どれも勝手な思い込みで起こることですが、うんざりしますよね。

 

ちょっと話はズレますが、アイドルの熱愛が出る度にSNSが荒れるのも、清潔だと思っていた対象に裏切られた気がするからですよね。ちょいちょい噂が出る人は話題にならなくても、えっ?あの人が?みたいな子は性別限らず荒れます。みなどこかで彼らに対し、純粋さを求めているからかもしれません。そして芸能人は好きになれるけれど、現実は・・・という人もいるでしょう。それは全然悪いことではないし、だからこそ疑似恋愛ビジネスが誕生するのでしょう。大事なのは双方が傷つかずに楽しめること。それに尽きますね。

 

長くなりましたが、以上が『氷の致死量』のレビューになります。

 

ずっと母親に反抗できなかった優等生の十和子が自分らしく生きたとき、さぞあちらはショックを受けるでしょうね。ただ、それはこれまで娘の献身と犠牲にあぐらをかいていたアナタが悪い。不自由さの中で、無意識に十和子が選んだ道が、誰のことも愛せないけれど、自分を愛したいという道だっただけです。一度も自分のために生きられなかったから、自由になれなかったから。むしろ、こう思うのはごく自然な成り行きではありませんか?

 

もちろん母親にも何か抱えているものがあるのでしょうけれど、それは自分で消化しなければね。人を傷つけて解決してはいけません。

 

本書は櫛木理宇さん作品の中でもかなり上位に食い込む物語なので、未読の方はぜひ読んでみてください!読み応えたっぷりの一冊となっています。

 

それでは、また。次回のレビューでお会いしましょう!

 

 

 

 

 

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