新人の登竜門となる有名な映画祭でグランプリを受賞した立原尚吾と大土井鉱。ふたりは大学卒業後、名監督への弟子入りとユーチューバーという真逆の道に進みます。

 

映画館離れが加速する現在、先に名監督になるのはどちらでしょう?

 

しかし、ふたりを待ち受けていたのはプロとアマチュアの境界線が消えた、曖昧な世界でした。

 

 

 

 

 

ユーチューバー

 

鉱は大学卒業後、ユーチューバーになります。そのきっかけは、自分たちがグランプリを受賞した映画『身体』の観客数が少ないことにありました。当時、尚吾と共に映画館で『身体』を鑑賞した鉱は、あまりの観客の少なさにいち早く映画館離れへの危機感を察知していました。

 

その結果、先に脚光を浴びたのは鉱でした。ユーチューブ界において、鉱の動画は”本気”で作ったものではなくとも、視聴者からは映画のようだと絶賛され大人気になります。そのとき鉱は、最近話題のイケメンボクサーが開設した動画チャンネルを請け負っていましたが、再生回数が上がるほど事務所から質よりも投稿回数を増やすように言われ、何となくモヤモヤした気持ちでいたのです。

 

それでもどんどんSNSで拡散され、バズっていく動画たち・・。大量生産に大量消費。目まぐるしく移り変わる視聴者の興味。

 

そんな世界に身を置いているうちに「本当にこれでいいのか?」と疑問と違和感を抱くようになった鉱。作品の価値とは、質とは、一体どんなものだったか。気づくと鉱はボクサーチャンネルの編集を辞め、尚吾のことを思い出していました。

 

 

 

映画監督

 

一方、有名監督に弟子入りした尚吾は、一生懸命作った映画がネットフリックスやユーチューブに負けてしまうことに納得がいきません。あんなものは「本物」ではない。そう思う一方で、監督が未だに自作品を映画館以外で公開することを認めなかったり、そのせいで利益にならず、次の作品に取りかかれないことに不安を覚えます。

 

それだけでなく、尚吾は監督から何度も脚本のダメ出しをくらっていることにも自信をなくしています。特に自分の「作品」を見てほしいではなく、「自分」を見てほしいという思いが強すぎると指摘されたことに凹んでしまうのです。

 

俺たちは、世に出られるハードルが高くて、だからこそ高品質である可能性も高くて、そのためには有料で提供するしかなくて、ゆえに拡散もされにくい。P128

 

作品の中身ではなく状態(受賞歴、再生数、フォロワー数)が評価される世の中などおかしい。

 

この時点で尚吾はそう思っているのですが、やがて視聴者は作品に質を求めていないとわかると、向かうべき道を失ってしまいます。

 

 

 

国民的スターの消滅

 

かつてスターは絶対的存在でした。しかし今は誰でも発信者になれ、スターになれる時代です。みんながひとつの「好き」を追いかけていた時代は終わり、それぞれの「好き」を追い求める時代に変わりました。

 

今までスターとされていたものは、世の中に存在しうる膨大なものの中のほんの一部だったのでしょう。しかしSNSの登場で、人々はいろんな種類の欲求があることに気づきます。それにより人々の興味関心は細分化され、その小分けされた中でスターが生まれるようになりました。

 

星って、ほんとうは星形じゃないよね。でも、星を表す形はあのマークしかないから、あれが星形なんだって受け入れてきた。本当はもっと色んな形があることに気づいているけど、でもまああれしかないしって。でももう、自分が見えた星の形をきれいに描いて、これが星ですって言っていく時代になったんだよね。昔からあるあの星形を、これが星なんだって言い聞かせなくてもよくなった。P375~376より一部抜粋

 

上下や質など存在しなく、誰かにとっての”スター”であることが求められる時代。そのためには自分を見失わず、信じ続けられる力がいるようです。

 

 

 

感想

 

今の時代、もうドラマで視聴率は稼げません。映画館にも行きません。家で動画配信を倍速視聴する方が楽チンです。

 

国民的スターも生まれません。国民的ソングもなかなか生まれません。ちょっと流行っても、すぐに新しい歌があちこちから提供され、瞬時に消えていくからです。

 

ただ、それは悪いことではないのだな、と思いました。

 

みんなが個々の楽しみを見つけ、趣味において自由になれる。特別な才能がなくても「好き」であれば、夢を叶えられる可能性もある。そういった誰でも楽しめる敷居の低さには差別がなくていい。

 

確かに細分化によって自分が感知できる範囲までもが狭まって、小さな世界を生きることになるかもしれません。

 

それでも、本当に素晴らしいものは想定していた相手以外にも届くし、自然と越境していくのではないでしょうか

 

大勢に向けてではなく、一定の人に向けたものでも、その作品を差し出した人間として堂々としていられるものを創れるかどうかが大事。時代の流れに寂しさばかりを感じない人間になろう。自分で正解を出すのではなく、自分の表現を信じよう。

 

はじめは互いが選んだ道に絶望を感じていた鉱と尚吾ですが、最終的にはこの結論にたどりつきました。

 

もしも今、このふたりが立ち止まった時と同じような状況にいる人は、ぜひ本書を読んでみてください。心に残る言葉が多くて勉強になります。

 

「すぐに評価されない自分を信じてあげられなくなって、作品の中身以外のところで認められようとしたがる」「作品を提供する速度と自分を把握する時間が反比例するなんておかしい」

 

心当たりはありませんか?

 

人間、頑張っている人を馬鹿にしたり、下に見たらそれで終わり。

 

結局はそこにあるのだと思いました。

 

みなさんにとってのスターは誰ですか?

 

きっとあなたも誰かのスターになれるか、既になっているかもしれません。

 

以上、『スター』のレビューでした!

 

 

 

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