今回ご紹介するのは、テレビ局の裏側を追った物語になります。

 

 

<あらすじ>

朝倉多香美は帝都テレビ入社二年目の報道記者。先輩記者の里谷太一とコンビを組み、日々スクープを狙って奔走しています。そんな中、彼らが担当する報道番組「アフターJAPAN」が不祥事によりBPOから勧告を受け、番組存続の危機にされされ―。

 

実は「アフターJAPAN」が勧告を受けたのはこれで三度目。このままでは社会部全体が連帯責任として処分されかねない今、里谷は上司から起死回生のための特ダネを取ってくるよう圧力をかけられます。

 

ちょうどそのタイミングで舞い込んで来たのが葛飾区で起きた女子高生誘拐事件。さっそく里谷と多香美は事件の詳細を追うべく取材に取り掛かるのですが、焦り過ぎたあまりにとんでもない誤報を流すことになってしまいます。

 

 

ポイント

この物語は「誤報」がテーマになっています。報道番組と限らず、近年視聴者のテレビ離れが深刻になり、その結果お金と時間をかけた作品が減っています。過去の成功にあぐらをかき、甘い蜜しか吸ってこなかった社員たちの「転落」に注目してみてください。

 

 

 

 誤報

 

誘拐されたのは地元の高校に通う東良綾香(16)。残念ながら彼女は翌日、何者かに暴行されたうえ、首を絞められて殺された状態で発見されます。担当刑事を尾行した結果、たまたま死体発見現場に居合わせた里谷たちは、綾香の交友関係を探りに同級生のもとを訪れることにします。すると、ひとりの女子生徒が、綾香が同じクラスの仲田美空からいじめを受けており、事件当日も美空に連れられどこかへ去って行ったと話します。美空には取り巻きの女子の他に、成人男性とも交流があることもわかり、「におう」と感じた里谷たちは、仲田美空を徹底的にマークします。

 

しばらく美空たち周辺を嗅ぎ回った結果、「黒」だと確信を持った多香美は、うっかり手に入れたネタを上司に話してしまい、仲田美空たち犯人説が世に放たれてしまいます。

 

しかしそれはすべて誤報でした。真犯人として他の少年グループが逮捕されたのです。それは世間と他社マスコミがすっかり仲田美空を悪者にし、自殺未遂に追い込んだ後の出来事でした。

 

 

 

 

 粛清

 

当然ですが、この誤報は「アフターJAPAN」を担当するすべての人間にとって命取りになりました。上は番組制作者の総入れ替えか、番組打ち切りの二者択一を社会部に迫った結果、番組を残し関係社員を処分することを決定します。実は仲田美空犯人説報道に関して、里谷は裏取りが不十分であることを理由に否定的でしたが、多香美が暴走したためこのような事態になってしまったのです。それにも関わらず、里谷は取材データがすべて自身のPCにあること、部下である多香美には将来があることを考え、自分だけの責任として処分を出してほしいと上と交渉していました。

 

こうして多香美のミスにより多くの関係者たちが粛清されていき、残ったのは張本人だけという状況になります。さすがに反省した多香美は自らの過ちと真摯に向き合い、記者としての今後の在り方を考えるようになります。

 

 

 

 マスコミとは

 

ここで印象的だったシーンがあります。それは美空たちのグループが犯人だと誤報を流した後、里谷がその中でも成人しているからと容赦なく取材した赤城という男のもとへ謝罪に訪れるシーンです。そこで里谷は赤城から「マスコミはガセネタでいいように叩くだけで、こっちが傷ついていることを考えてもいない」というようなことを言われ、反論します。

 

 

「自分の追っているネタが本物かどうか、何度も自分で疑っている。オンエア寸前まで百パーセント信用することはない。それだけ自分を疑っても、やっちまうんだよ。何故かと言えば、取材する方も大して利口じゃないからだ。手間を惜しんで自分で裏を取ろうとしないからだ。おまけに道徳家でも人格者でもない。ただの野次馬根性を社会的意義とかにすり替えて免罪符にしているだけの下衆の集まりだ」(P218~219より一部抜粋)

 

 

さらに里谷はマスコミの仕事を「人ン家のゴミを漁るような商売」「(赤城がしている板金工のような)クライアント全員が喜んでくれる仕事の方がよっぽど誇らしい」とまで言い切ります。そんな里谷が現場にひとり残されることになった多香美に伝えたのは、「誤報をしでかし、多くの関係者に迷惑をかけ、自尊心がぼろぼろになっても、残った者は絶対に謝罪することを許されない」ということでした。

 

 

 

 懺悔

 

謝罪すれば自分たちの権威が地に落ち、誰の誤りも正せなくなってしまう。そうしたらマスコミの仕事はできなくなってしまう。確かにそれは一理ありますが、多香美はどうしてもこれをスルーして生きることができません。なぜなら・・・

 

多香美には妹を自殺で亡くした過去がありました。原因はいじめです。この業界に入ったのはそれがきっかけで、入社当初は弱者の気持ちを救いたいという強い気持ちがありました。

 

しかし多香美は数々の事件を追う中で、いつのまにか自身の使命が被害者の気持ちへ寄り添うことではなく、犯人探しや真相の追及だと思い込むようになっていました。そうした結果、無実の人を痛めつけ、恐怖に晒し、孤立させてしまったのです。自分の権力を間違った方向に使ってしまったのです。

 

自分は声なき声を拾うことを志してこの業界に入ったのではなかったか。最初から綾香の心情におもいを働かせていれば真実にたどりつけたのではないのか。

 

本書はラスト16ページでどんでん返しがあるのですが、そこを読むと多香美たちがいかに仲田美空を傷つけてしまったのかがわかります。また、綾香の真の苦しみにも全く気づけていなかったことを知ることができます。

 

多香美は事件を追う中で、マスコミばかりがバッシングされるのはおかしい、警察だってマスコミとほぼ同じことをしているではないかと憤慨するシーンがあります。私はそこで刑事が言った「警察は事件を追うが、マスコミは人を追う。それは徹底的に違うことだ」という台詞が非常に耳に残り、とても重要なことだと思いました。

 

 

 

 

 おわりに

 

この本を読んでいる最中にちょうど漫画家・芦原妃名子さんの自殺を伝えるニュースが飛び込んで来ました(当記事は予約投稿のため作成日と更新日に時間差があります)。日本テレビ系連続ドラマ「セクシー田中さん」の原作者で漫画家、芦原妃名子さんが局側とドラマの脚本をめぐってトラブルがあったことを告白し、ネット上で物議を醸した騒動が最悪の結末を迎えてしまったという事件。近年ほとんどの映像作品が漫画や小説の原作頼りなのは知っていましたし、その度に原作者及びファンが「改変」に心を痛めていたのは”あるある”になりつつありました。

 

私はどちらかというと毎度原作から知るタイプなので、好きな作品が実写化されてもキャストやあらすじが「なんか違う」と思ったら、自分の中の作品に対する良い思い出や世界観を壊したくないので観ないようにしています。芦原さんと限らず、他の作家さんたちが実写化にあたり局側と揉めていた話はインタビューやエッセイなどで読んだことがあるので、テレビ局って強いんだな~という印象すら持っています。

 

誰かひとりに責任を押し付けることはあってはならないと思いますが、やはりテレビ局は「数字」や「予算」の関係でこういう仕事の仕方になっている部分があるんだろうなぁと、この『セイレーンの懺悔』を読んでいても思います。難しいのは二度とこんなことがあってはならないのだけれど、そのためにネット民が検証しようとすればするほど批判の矛先が作品に関わった多くの人へ行ってしまうことなんですよね。そうなると色んな憶測が生まれ、より真実がわからなくなってしまう・・。おそらくそれぞれが、それぞれの仕事をしただけなのかもしれませんが、今後同様のケースが起きないためにもきちんと局側には、ネットの声が爆発する前に、この件についての検証と防止対策をしてほしいです。

 

一方で、いくらネットで声をあげても、時間が経てば情報量が多い今、すぐに全部が有耶無耶になってしまいます。もしかすると局側にも人々の興味関心が散らばる今、みんなが観るドラマを作ることは難しく、原作ありきの企画しか通らない事情があるのかもしれません。質よりも状態を整えることが大事で、だから原作から離れたものになってしまうのかもしれません。そんな背景がある中では、いくらこの事件の悲しみを嘆いても風化させられてしまうだけ。それなら私たちは意見するよりも「そういう(作り手をないがしろにする)ドラマや映画はみませんよ」という意思表示が必要なのかもしれませんね。報道もしかり。人を傷つけたり貶めたりするような情報アカウントや、週刊誌は「買わない」というのもひとつの方法かもしれません。結局「数字」や「お金」にならなければ、変わるしかないのですから。

 

ちょっと本書の感想からは外れてしまいましたが、人の命がなくなっても「謝らない」のがこういった業界なのだと思います。多香美はそれに納得できず、最後に悩んである決断をしますが・・・。別に誰が悪いとか、そういうことを言いたいわけではないのですが、テレビの力というのはとてつもない力があります。それは本書からもひしひしと伝わって来ます。世間に広まる、世間の目に晒される、そういったものも暴力だと思っています。

 

だからこそ、何をどういう風に伝えるかは、とても「心」のいる作業であり、慎重さが求められることだなと思いました。

 

なかなか上手くまとめられませんが、ひとりひとりの「声」に想像を働かすことの意味の重要さを知れる一冊になっているので、興味のある方は読んでみてください。

 

 

以上、『セイレーンの懺悔』のレビューでした!

 

 

 

 

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