今回ご紹介するのは、中山七里さん「護られなかった者たちへ」です。

 

こちらは日本の福祉制度に問題を投げかけた社会派ミステリーになります。オススメ度は★★★★★。このブログを見に来てくださった全員に一度は読んでほしい一冊です。

 

 

<あらすじ>

誰もが口を揃えて「人格者」だと言う、仙台市の福祉保険事務所課長・三雲忠勝が、身体を拘束された餓死死体で発見された。怨恨が理由とは考えにくく、物盗りによる犯行の可能性も低く、捜査は暗礁に乗り上げる。しかし事件の数日前に、一人の模範囚が出所しており、男は過去に起きたある出来事の関係者を追っているらしい。そして第二の被害者が発見され――。社会福祉と人々の正義が交差したときに、あなたの脳裏に浮かぶ人物は誰か。

 

 

物語の舞台は東日本大震災から9年後の仙台。そこである連続殺人事件が発生します。なんと被害者は全身を縛られた状態で何週間も放置され、餓死するというもの。しかも被害者の共通点を調べていくと、過去に同じ福祉保健事務所の生活保護課に勤務していたことが判明します。

 

この事件の捜査を任された刑事の笘篠と蓮田は、被害者の部下である円山菅生に聞き取りをしたり、ケースワーカー業務に同行し、生活保護受給者たちと接触したりして、犯人像を追っていきます。するとそこで、二人はあるものを見ることになり・・・・。

 

 

まさにそれが本書の核となる部分。簡単に言うと、生活保護申請の裏側のことなんですね。

 

まず本書ができた経緯ですが、以下のような流れがありました。


出版社側から、仙台を舞台にした物語を書いてほしいというオーダーがあったため、テーマはすぐに決まったという。そのうえで著者の中山は、国が予算のために生活保護受給者の調整や申請を却下する〈水際作戦〉や、受給する側の〈不正受給〉など生活保護の実態について「人並みには怒ってますよ」とは述べつつも、本作は決してそれを主張するためのものではなく、様々な問題を知ったうえで、役所側の職業倫理や公私の葛藤についても考えられるよう配慮し、2016年1月から執筆を開始した。(wikiより)

 

社会保障費が削減される一方で、増える貧困者たち。特に震災後の仙台には多くの生活に疲れ果てた者たちが集まってきたことで、予算に見合わない数の生活保護申請者で溢れかえっていました。

 

うーん・・・、ちょっと私がぐだぐだレビューや感想を書くよりも、本書にある一文を読んでいただくほうが、伝わると思うので、今回はそれを一部抜粋しますね。

 

護られなかった者たちへ

現在の社会保障システムでは生活保護の仕組みが十全とは言えません。人員と予算の不足、そして何より支給される側の意識が成熟していないからです。不正受給の多発もそれと無関係ではありません。声の大きい者、強面のする者が生活保護を掠め盗り、昔堅気で遠慮や自立が美徳だと教え込まれた人が今日の食事にも事欠いている。それが今の日本の現状です。そして不公平を是正するはずの福祉保険事務所職員の力はあまりに微力なのです。正直言って、この体たらくがいったい誰の責任で、どこをどう改革すれば解決できるのかも明言できません。でも、ほんのわずかですが言えることもあります。

 

護られなかった者たちへ。どうか声を上げてください。恥を忍んでおらず、肉親に、近隣に、可能な環境であればネットに向かって辛さを吐き出してください。あなたは決して一人ぼっちではありません。もう一度、いや何度でも勇気を持って声を上げてください。不埒な者が上げる声よりも、もっと大きく、もっと図太く(P379~380)

 

殺害された二人の職員は「善人」や「人格者」として知られていた人でした。あんな良い人が殺される理由などない、怨恨とは無縁の人たちだと。

 

おそらくこれは本当なのでしょう。彼らは温厚で仕事もできる人だったのでしょう。

 

生活保護を担当する職員の中にはストレスを抱え、精神科に通い、薬漬けになりながら業務に至っている人も多いと聞きます。中には「生活保護担当になったら終わりだ」という人もいるくらい。私も役所の中を少なからず経験していますが、理不尽なおもいをしたことはたくさんありました。それでも働かなければ生きていけないから耐え忍ぶ。けれども目の前には働かず不正受給をしている人がいる・・・

 

なんでしょうね。本当に困っている人たちを前にはお役所仕事というルールが邪魔をし、本当に困っていない人たちが職員を疲弊させる。結局はどこと限らず、何と限らず、声が大きくて、図々しい者が得をする。

 

しかし、いくら大変だからといって、申請者すべてを偏見の目で見てしまうことは避けなければならないことです。ここが麻痺してしまっている者がいるのも確か。この問題は社会全体に蔓延している現象だと思うので、注意したいですね。

 

生活保護は誰にとっても身近なことだと思っています。人はいつ天涯孤独になり、心身共に健康でいられなくなるかなんてわかりません。今ある生活保護のイメージ(他人に迷惑をかけている)の中で、申請に行くことがどれだけ勇気のいることか。悩みに悩み、やっとの思いで申請に行くも、かけられた言葉が「選ばなければ仕事はいくらでもある」「国に迷惑をかけてはいけない」だったとしたら・・・。ただでさえ生活保護を恥だと思っている人が最も傷つく言葉。これはそのまま死を意味するといっても大袈裟ではありません。

 

自分で想像してみても同じです。もし、今働けない状況になったとして、貯金が底をつきたとしても、絶対に申請には行きたくないはず。なぜなら自分がどんな目で見られて、どんな言葉をかけられるかは想像がつくし、却下されるのがオチ。先がわかりながらも屈辱を受けたくない、だから申請などしない、そう思うでしょう。もし申請が通ったとしても一生肩身の狭い思いをしながら過ごすだろうし、極力病院にも行きたくないと思うでしょうね。

 

私は常日頃、この国で高齢者になる怖さを感じています。年金についてもそうなんですが、目まぐるしく変化する世の中で、生きていけるのかがおそろしい。おそらく私がおばあちゃんになる頃には今とはまったく違った生き方が求められているだろうし、そこには自己責任というものが重くのしかかっている気がしてなりません。

 

本書に登場するけいお婆ちゃん(生活保護を受けず餓死した)のようになるかも・・。元看護師のけいさんは、息子夫婦が事故死した後、天涯孤独になり、貯金が底をつきたタイミングで亡くなりました。(ちなみに女性は子どもや孫の誕生と共に退職する人もいるので、特別けいお婆ちゃんの貯蓄が少なかったというわけでもないと思います)

 

最近は100歳まで生きている人も結構いますし、私も放って置いたら何歳まで生きるかなんてわかりません。貯金もどこまでアテになるのか、と思うと不安しかありません。

 

けいお婆ちゃんのお世話になっていた利根は、ムショ上がりなんですが、彼がシャバに出て来たときの感想が「貧富の差が激しくなっていた驚いた」です。貧困から犯罪が生まれていく悪循環を象徴したような台詞に胸がいたくなりました。すべてに理由があって現在の問題があることを忘れてはいけません。

 

そういえば震災後、福島に行った帰りに寄った飲食店で隣の席のおじさん二人が、今まさに刑期を終えた人だったことを思い出しました。(会話が聞こえた)

 

ごく普通のおじさんでした。でも、あの時この人たちには帰るところがあるのだろうかと思いましたね。もしなければ、結局刑務所に戻ることになるのだろうか、とも。

 

生活保護が受けられないのなら刑務所に入りたいと言う高齢者も増加しています。

 

 

この本のレビューでも「いくらお金がないからってそんなこと思うかな?」と、まるで非現実的だというようなレビューも見かけましたが、これは実際に起きていることですし、他人事と思える時点でその人は恵まれているのだと思います。

 

社会は公平ではなく、不公平。ただ、貧困問題はそうでない者には見えていない。だからこそ、冷たい発言につながったり、改善どころか増加に繋がってしまう。なんでも努力でどうにでもなると信じている人がいますが、個人の努力だけに任せ、社会が困っている人を無視するのはあまりに残酷です。

 

誤解がないようにいうと、これが決して犯罪をおかしても仕方がないということではなく、少しでもよくなるためには根っこを辿らなければどうしようもないということです。

 

何をきっかけにあなたも貧しい人になるかわかりません。その時になって日本が自己責任の国だと実感しても、もう手遅れ。なぜなら他人にやさしくない国では誰も助けてくれないからです。

 

そんなこともあってか、ちょうどけいお婆ちゃんが印象的な言葉を残していましたね。

 

厚意とか思いやりなんてのは、一対一でやり取りするようなものじゃないんだよ。それじゃあお中元やお歳暮と一緒じゃないか。

 

他人からもらったやさしさは、見知らぬ他人にお返しする。それが重なって世の中はどんどんよくなっていく。そうでないと世間が狭くなっていくのだそうです。

 

日本では物的なお返しをする文化がよく見られますが、それは恩ではなく礼儀とか義務なんですよね。そうではなくて、シンプルに人からしてもらって嬉しかったことを他人に施す。やさしさは損得ではありません。

 

おそらく日本人の多くが本当は他人にもやさしくしたいし、誰かの助けになりたいとも思っています。けれども、アイツはカッコつけている、おせっかいだ、下心がある等の批判をおそれてセーブをしてしまうところがあるのでしょう。

 

アメリカのペンシルバニア大学ウォートン校のアダム・グラント教授によると、世の中で最も成功をおさめる者とは「Giver」だそうです。見返りを求めず、自分がしてもらって嬉しかったことを惜しみなく他人に与える人。私たちの社会もやさしさの使い方を上手くできるようになれば、この国のあたたかみが蘇るのではないかと思いました。

 

最後に、本書の見どころについて少しお話しさせてくださいね。

 

ミステリーなので、当然犯人は誰?というわけなんですが、それはラストまで読まなくてもわかります。やはりメインとなるのは犯人逮捕後。犯人の犯行動機がとても悲しいかたちで書かれています。別に共感しろというわけではありません。どんな動機であれ、殺人はゆるされないことです。しかし、もとを辿っていくと、被害者に申請を却下された人たちも彼らに殺されたようなものであり、彼らが却下せざるを得なかったのは上からの圧力であり、結果被害者も申請者も国から、社会から殺されているのです。

 

犯人は殺人事件というかたちで社会の関心を引きました。それ以外に方法が思いつかなかったと。犯行動機をネットに公開することで、何かが変わってくれると信じて。

 

これは絶対にあってはならないことだし、下手な共感をしてもいけない。けれども、社会や国に訴えるとはいかに難しいことかを改めて考えさせられるラストでした。切羽詰まった人間が事件を通して声を上げるのではなく、その前に社会全体でできることはないのか。これだけSNSが発達した中で、私たちが本当に必要とする発信はなんなのか。弱者を切り捨てるとは、自身の将来を含め、色んな危険性をはらんでいることを自覚する一冊でした。

 

 

『護られなかった者たちへ』は、いきなり読書はキツイわという方にも映画からとっかかれるので、ぜひご覧ください。

 

 

以上「護られなかった者たちへ」のレビューでした!

 

 

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