今回は長野県が舞台の涙あり感動ありの小説をご紹介します。

 

 

 

 

主人公は中学~高校時代にかけて壮絶ないじめに遭った麻生人生(じんせい)という青年です。人生は小学六年の頃、両親が離婚し転校することになったのですが、新しい環境ではクラスメイトから受け入れてもらえず苦しんでいました。しかし、女手一つで自分を育ててくれる母親に弱音を吐くことができず、何年も辛い生活に耐え抜いています。

 

そんな日々を続けているうちに、どんどんいじめはエスカレートし、とうとう人生は家から出ることができなくなってしまいます。高校二年で中退した人生は、それから24歳の現在まで引きこもりになってしまい・・

 

と、冒頭からハードモードな物語になっています。

 

いじめた方が悪いのに、いじめられた方が外に出られなくなるなんて理不尽すぎる!

 

一度ドロップアウトしたら、二度と這い上がれなくなるような社会構造の中で人生はさぞ辛かろう。

 

 

しかし、そんな人生を母親は思い切って捨ててしまいます。「しばらく休みたいので、どこかへ行きます」と書かれた手紙と五万円、そして数枚の年賀状を残して・・

 

これには母親なりの「考え」があるのですが、焦った人生は母親が残していった年賀状から手がかりを探ろうとすると、懐かしい一枚を発見します。それは別れた父方の祖母・マーサからの「私は余命数ヶ月、命があるうちに人生ともう一度会えますように」と書かれた年賀状でした。

 

マーサばあちゃん―今まで辛く苦しい人生の中で、唯一輝いていた時代が、両親が離婚する前の、まだ小学生だった頃の自分であることを思い出します。毎年家族で遊びに行った長野のばあちゃんの家。美しい自然。おいしいお米。やさしい温もり。

 

急に長年の寂しさが溢れだした人生は、気づくと駅のホームに立っていました。「ばあちゃんに会いたい」という気持ちが数年ぶりに人生を外へ向かわせたのです。

 

 

 

蓼科へ

 

人生はさっそくばあちゃんが住む蓼科を目指します。久しぶりの外界は緊張の連続、所持金も母が残してくれた五万円しかありません。現地に到着したのはいいものの、そこからばあちゃんの家までは足がなく、どうやらタクシーを使うしかなさそうです。金銭的な余裕がない人生はそこで思考停止してしまうのですが、とりあえず腹ごしらえに入ったごはん屋さんで親切な志乃さんという女性に出会い、ばあちゃんの家まで送ってもらえることに。しかし、ようやく目的地に着いた人生を待っていたのは衝撃の事実でした。

 

ばあちゃんはもう人生のことを忘れていたのです、認知症でした。

 

 

 

もうひとりの孫

 

驚いたのはそれだけではありません。なんとばあちゃんの家には”もうひとりの孫”と名乗る「つぼみ」という女性がいました。どうやら彼女はばあちゃんと暮らしているらしく(ばあちゃんはつぼみのことを毎回記憶していませんが)、人生の父親の再婚相手の連れ子だと判明します。

 

父親が再婚していたことを知らなかった人生は複雑な気持ちになりますが、一方で義父に息子がいたことを知らなかったつぼみもマーサの”本物”の血縁者が現れたことに嫉妬します。

 

こうして孫ふたりと認知症のばあちゃんという奇妙な三人による同居生活がスタートするわけですが、その道は険しく、荒波のような日々となっていきます。

 

 

 

それぞれの過去

 

実はつぼみも中学時代に男子生徒からいじめに遭い、対人恐怖症を患っています。特に男性が苦手というのもあり、人生にそっけない態度を取ってしまい、ふたりの雰囲気はいつもバチバチです。

 

つぼみがばあちゃんの家にいる理由は、既に彼女が両親を亡くし天涯孤独だというのと、病気のことがありひとりで生きていく不安があるからです。つぼみはばあちゃんの介護をしている時だけは自分の存在意義を感じられますが、これから先ばあちゃんに何かあったことを考えると絶望的な気持ちになってしまいます。

 

人生とつぼみは、どちらも似たような過去を持っているんですね。

 

 

 

米作り

 

ふたりが悩んでいるうちに、ばあちゃんの認知症はハイスピードで進行していきます。やがて家事もできなくなり、表情も、口数も少なくなっていき、孫たちは不安に駆られていきます。しかし、そんな中でもばあちゃんが”いつものばあちゃん”に戻る瞬間がありました。それは田んぼの話をするときです。

 

ばあちゃんは若い頃、「自然の田んぼ」にこだわった米作りをすることに生きがいを感じていました。自然の田んぼとは田んぼを耕さず、肥料を施さず、農薬を使わす、機械を使わず、すべて人の手で米作りする方法のことです。ただこれには尋常ではない時間と体力と人手が必要のため、年老いたマーサにとってはもう叶わない夢となっていたのです。

 

そこで「ばあちゃんを元気にしたい」と思った人生とつぼみは、志乃さんや近所の農家の人たちの助けを借りて自然の田んぼで米作りをすることにします。ここから物語は、いよいよお米と人間の成長を描く展開になっていくのですが、これがもう本当に素敵な内容になっています。

 

 

 

感想

 

人間とお米の一生はとてもよく似ています。日本人ならこの本を読んで思い浮かぶ風景や、感じるものがたくさんあるのではないかと思います。少なくとも私は心の故郷のような、なんだかとても懐かしい気持ちになりました。

 

人生はばあちゃんとつぼみを支えるために蓼科に来てから派遣で働き出します。そして人生の事情を知る大人たちは彼の努力を認め、こっそりと応援していました。人生の成長と、稲の成長、自然との調和、そんなことが全体を通して伝わってくる作品になっています。

 

人生は昔いじめっ子から梅干し入りの弁当をひっくり返された後、それを食べさせられるという被害に遭ってから梅干しが食べられなくなっていました。しかし、最後の最後にもう料理すら満足にできなくなったばあちゃんが、人生のために梅干しおにぎりをにぎってくれるシーンがあるのですが、正直あそこは号泣ものです。ベタだけれど泣けます。

 

本書はお米の話だけに、読んでいると無性におにぎりが食べたくなります。また、長野が舞台なのでおいしそうなお蕎麦も出てきます。もう食事のシーンがあまりにも飯テロすぎて、私はどちらも食べてしまいました。おにぎり3つ、蕎麦2杯。食べ過ぎでしょうか?ちなみにお米はコシヒカリで、最近購入した家庭用精米機を使って、ほっくほっくに炊いて食べましたよ。私ははちみつ入りのちょっとの甘めの梅干しに韓国のりを巻いて食べるのにハマっています(笑)

 

おっと話が脱線しちゃいましたが、とにかく感動もあり、飯テロもありの一冊なので、読む時はハンカチとごはんを用意してくださいね。できればお蕎麦も!どことなくマハさんの『リーチ先生』を思い起こすような、日本の美しい風景と尊い自然、昔ながらの人間関係が胸に飛び込んでくる物語でした。

 

 

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